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肝っ玉お嬢様奮闘記  作者: 相神 透
~ 挿話 ~
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 ファランク王国の王城の西に広がる西ローランディ。商人が集められた東と対称的に、こちらの町では職人への税が軽減されていて、多くの工房が立ち並んでいる。昼になればこの街のあちらこちらで鍛冶場の煙が上がり、工具や材料がぶつかる金属音があふれかえり、非常に騒がしくなる。


 その騒がしさがまだ始まらない時間帯、街の片隅。朝日の眩しい光を反射させながら、剣が朝の冷たい空気を切り裂く音がする。剣を振るうのはかつてマークを襲い、撃退された剣士、デミエルだ。一心に剣を振るっているかの様に見えるが、その心は様々な感情が渦巻いている。最大のものが、怒りだ。


 ──くそうっ。あんときゃ油断していただけだ。あんな餓鬼がドルーガの剣術を使うとは誰だって思わねえ。分かっていれば、あんな不意打ちは喰らわねえんだ。


 一月経った今でも、あの瞬間のあの手の痛みが脳裏を離れない。どこかの裕福な餓鬼にしか見えなかった少年が、デミエルの剣をよけ続けたのも、今考えれは尋常な動きではなかった。その上で、こちらの一瞬の隙をついて、石を掴んでの一撃を彼の左手の甲に加えたあの動きは、彼もよく知るものだった。プラナを急激に活性化しての奇襲と、その速さを効果的に利用できるドルーガ剣術の足運びは彼から見ても一流のもので、十歳そこそこの子供がなせるレベルの技ではないはずだ。マークに抉られた左手は、既に剣を振るっても問題ない。しかし、剣の腕で裏社会を生きてきた男にとっては拭いきれない汚点になった。


 ──といっても、知ってる奴は殆ど皆、死んだがな。


 思考を千々に乱れさせながら振っていた刀を、彼は突然止める。たとえ物思いにふけりながら刀を振っていたとしても、彼は

周囲への警戒は忘れておらず、背後に感じた人の気配で振り返る。


 「精が出るね。手の方はもう大丈夫そうか」


 気配の主、簡素な衣服に身を包んだ中年の男が、小柄な少年を一人連れて歩いて来る。すでに気配で誰が近づいているかを察していたデミエルは、鼻を鳴らして応える。


 「アジか。こんなに朝早くから一体どうした。決行はまだ先だろう? 今から焦ってちゃ本番前につぶれるぜ」


 マーヤを誘拐してカイルを誘きだし、その隙に王女を狙おうとして様々な手を打っておきながら、あっさり撃退された男たちは、新たな企みを図っている。エルファシア王女の婚約式が標的だ。


 「お前さんこそ剣を振りすぎてつぶれるなよ。大事な時に疲れて使えんのじゃ困るからな。確認に来たのよ」


 飄々とアジが答える。


 「けっ、わざとらしいぞ。今夜の作戦で俺の役目はただの見張りだろ」


 デミエルは吐き捨てるように応える。


 「おいおい、我々の退路を確保できるのはお前だけなんだぞ」


 応える声はあくまで落ち着いていて、反発心をあおる。


 「そっちこそ、大丈夫なのか? またアストリウスの野郎が出てきてお終いじゃあねえのか?」


 やつあたり気味な言葉だが、的を射ている。あの精霊魔術師が出てきたらどうしようもないのだ。前回、アジは()の魔術師を場外におびき寄せることに成功したはずだった。王女の安全を気にして、精霊の守りを城に残すようなら魔魂を持たぬ丸腰の魔術師を倒すだけでもいいし、精霊を連れてくるならその間に別の連中が王女の行列を攻めることになっていた。あの男以外の守備をかいくぐるくらいは、それなりの実力者なら可能なはずだった。


 しかし、のうのうと精霊も連れずに出てきたはずのアストリウスは、魔魂を持たない者には不可能なはずの複雑で強力な魔術を操って、いとも簡単にアジの仲間の魔術師を圧倒し、アジの使役精霊を消滅寸前に追いやった。這々の体で逃げ出したのだが、生き残ったのはアジと使役精霊のノールだけだった。


 次にアストリウスを敵に回したら生き残れないだろう、と言うのはデミエルに言われるまでもなくアジが思い知っていることだ。


 「大丈夫だ。奴はそのころには王宮の警備を外れている。なんでも新参の男爵だから忙しいだろうってことで、暫く役目を免除されてるらしい。それにその頃は領地の方に行ってるはずだ。昨夜の王女主催のパーティだって出席者の中にいたくらいだ」


 だからこそ作戦が考案されたのだ。


 「おいおい、なんだか話がうますぎて怪しくないかぁ?」


 未然に防がれたとはいえ襲撃事件が起きた王女の婚約なのだ。最高の警護を行うべきなのに、最強の盾をわざわざ使わないなどというのは、誰が考えてもおかしな話だ。


 「俺たちは一度失敗してるからな。細かい話は聞こえてこない。ただ、王宮であの男の急な出世を妬む勢力が、婚約式の警備で実績をあげたがっているらしい。ただ、奴はどうも王太子のお気に入りらしくて、真っ当な形では警備から外せんようだ」


 「ったく、なんとも胡散臭いねぇ」


 デミエルは苦笑して、話は終わったとばかりに体を向き直らせて剣を構えた。もうアジとの話に興味を失なった様だ。そんな態度を咎めるでもなくアジは小声でつぶやく。


 「ああ、まったくもって胡散臭い」


 デミエルの背中にそう応えたアジの、いつもは微笑を絶やさない顔は、誰にも見えないところで苦虫をかみつぶしたようにゆがんでいた。


  ◆  ◆


 同じころ。王城内の王宮近くの鍛錬場でも一心に剣を振るう姿が有った。未だ成長しきらぬ小さな体には似つかわしくない長い剣に、振り回されるわけでもなく、一振りずつ確かめるように振り続けている。


 ──大分、振れるようになって来たな。


 マークは一息ついてひとり呟く。振っていた剣は片刃で緩やかに反った物、彼が使い慣れた武器、刀である。ひと月前の事件で襲撃してきた剣士の男──デミエルが落としたものをそのまま使っているのだが、それを特に気に入った訳でも、これ以外に入手が難しいわけでもない。


 ──あの時は無様だったよな


 それは戒めのためだ。相手が大人で、子供の体力しかない自分が丸腰だったとはいえ、少し無理な動きをしたからと言って心臓が止まるとは未熟にもほどがある。


──まだ体が出来ていないからと基礎体力を鍛えずに、プラナによる身体強化ばかりやってたつけだな。


 決して身体強化に頼り切っていたつもりはなかったのだが、素の体力の強化がおろそかになっていたのは間違いないだろう。この歳ですでに大人と対等以上にわたり合えていることへの慢心も有ったのかもしれない、と自戒する。だから、あれから一月、鍛錬の際には普段でも無意識に使ってしまっている身体強化をせずに剣を振ることにしている。始めは、彼の基準でだが、全然まともに振れていなかった剣もかなり納得のいくものになってきた。未だ伸び盛りの少年は鍛錬の効果も高い。


 ──次に会ったら奴は油断しないだろうしね。


 油断をしていない状態でのあの剣士相手には、今度はせめて初めから剣を持って相対したい、もう奇襲は効かないだろう。そんなことを思いながら素振りを再開した。


 そして、この鍛錬が彼に思わぬ効果をもたらすことになるのだが、それにマークが気付くのは暫くたってからのことになる。


  ◆  ◆


 王宮内、ファランク王国の政治の中枢──病弱の王の代わって摂政として国を動かす王太子の執務室で、怒鳴り声がする。


 「カイルを王宮の警備から外すというのはどういうことだ!」


 怒鳴り声の主は部屋の主である王太子で、その声が向けられているのは痩せた中年の男で、白髪交じりの髪に縁どられた顔を鼻白ませている。これはこの国の副宰相で、警備の統括をしている。


 「アストリウス男爵は新たに賜った領地の視察が必要です。彼は領地経営の経験も有りませんので、すこし時間がかかるでしょうしね」


 怒鳴られている副宰相は淡々とした声で応えようとしているが、すこし震える声に感情が現れる。


 「カイルは城壁の障壁を担っていたはず。奴がいない間の守りはどうするつもりだ?」


 「マルシウス伯の魔術師団に城壁の守りを担っていただきます。彼らが当たっていた宮殿周囲の守りをレーゲン子爵に担当させます」


 すでに決定した事項として王太子に告げていく。


 「レーゲンだと。チバークのクランの一派ではないか。問題ないのか」


 ファランク王国やアトン帝国を含む、エウレニアと呼ばれる広大な地域は魔術的には大きな三つのクランが支配している。アルカディア、チバーク、バスティラと呼ばれる巨大クランは配下にいくつもの小さなクランを治めていて、魔術の知識と力を秘匿している。レーゲン子爵家は小さなクランを形成していて、国家としてのファランクやその王家に忠誠を誓うのとは別に、チバーククランという魔術結社の一員でもあるのだ。


 「魔術師でどのクランにも属さぬものはなかなかおりませんよ。マルシウス伯もアルカディアに属しておりましょう」


 冷静な応えに王太子が歯噛みをしそうな表情で唸る。


 「魔術師ども、忠誠がどちらにあるか分からん。」


 実体としてはアルカディアと言うクランはアカデミックな傾向が強く、組織への忠誠を求めないため国家と争うことはほぼありえないのだが、それは魔術を知らない人間には分からない。ただしチバークはアトン帝国に滅ぼされた魔術国家がもとになっていることもあり、その忠誠の方向は危ぶまれることが多い。


 「とはいえ彼等にも活躍の場を与えなければ、繋ぎとめるのも難しいかと」


 理には叶っているので、王太子は怒気を込めて副宰相を一睨みするだけで、王城の警備配置案に承認印を押した。


 ──やはり王家専属の魔術師団を育てる必要がある。


 そう思いながら。


  ◆  ◆


 ローランディアの王城を照らす朝日がそろそろ中空に差し掛かろうかという頃、城内の高位の貴族の居住区にあるマルシウス伯爵邸の当主の執務室では、部屋の主ジェンキンス=マルシウス伯爵が、机に向かっていた。背には金属の額に縁どられた一枚の絵がかかった壁があり、机を挟んだ目の前に、腹心の執事が立っている。

 壁の絵に描かれているのは王都の北にあるローランディア湖とその周辺の夕景で、ジェンキンスがこよなく愛する物だ。


 「マークは今、何をしている?」


 執務の手を止めた伯爵は不意にその執事、エバンスに尋ねた。何気ない風で聞いたのだが彼の腹心にはその口調の奥の息子への想いが読み取れた。しかし、エバンスはそれに気づかぬふりをして、事務的に応える。


 「このお時間ですと、まだストイコ王子のお相手と剣の稽古でしょうな。王子はマーク様をお気に入りですから、そう簡単にはお放しにはなりません。」


 「魔術を持って王家に仕えてきたマルシウス家の男子が剣の稽古とはな」


 嘆息混じりの呟き。


 「マーク様はすでに剣で王家にお仕えになっていらっしゃいます。道は一つではありますまい」


 「それは分かっている。あれが魔術を使えんことは」ジェンキンスの声は大きくはなかったが、半ば悲鳴のようにも聞こえる。「しかし、あの子の周りに集まる火の魔力のマナは、わが一族でも珍しいほどに強く、大きい。諦めるには惜しすぎる。そうは思わんか」


 「一族に伝わるすべての系統の魔魂を適合させようとしてならなかったのです。これ以上はマーク様への負担の方が大き過ぎます」


 魔魂は魔術師の一族が代々受け継ぐ、魔術を使うための器であり、魔術師が使う魔術の種類はその器に刻まれているものに限られる。また魔魂は、本来体内には存在できないはずのマナを体外から取り込んで保管することもできる。強大な魔魂はそれだけ大きな魔力と、多様な魔術を使うことを可能とし、強大な貴族であれば何種もの魔魂の系譜を保持して一族のものに受け継がせている。


 魔魂は術者の周りに存在する魔力を取り込むので、活性化したマナが集まるマークには、先天的な魔法の才があるはずなのだ。魔魂さえ適合するのであれば。


 しかし、マークには、マルシウス家の持つ魔魂がすべて適合しなかった。主要なものだけではなく、ごく小さな力しか持たない物さえも。

 マークに適合するかもと、近い系統の魔術を使う小貴族を一族に迎え入れさえしたのだが。


 まだ幼かったマークに毎日のように魔魂を植えつける儀式をして、その(ことごと)くが失敗に終わった。


 これ以上はマークの身体の負担だけでない。他の一族が伝える魔魂を試すとなると金もかかるし外聞も良くない。そのうえそれも適合する可能性は非常に少ないのだ。


 「────それもわかっているとも」


 それでもマークの父親としては、わが子を、魔術が使えない出来損ないのままにしておきたくはない。マルシウス伯爵家の当主としては諦めるべきだというのは自明なのだが、マークを溺愛する妻の嘆きを毎日のように聞かされているためか、なかなか踏ん切りがつかないのだ。


 「神殿からも誘いがるようです。マーク様が魔術を使えなくとも将来に不安はございませんよ」


 「神殿などにわが子をやれるものか」


 神の威を借りて時に国や貴族を軽んじる神殿は、その奉じる神への信奉とは別として、決して好かれてはいないのだった。ジェンキンスにとっては神殿に行くくらいなら剣士の方がまだまし。


 「────いや、奴を頼るのもいいかもしれんな。精霊魔術ならもしかするかもしれん」


 その脳裏には王城を魔術で守護する同僚の顔が思い浮かんでいた


 ◆  ◆


 王城の、片隅で……。


 「ふむ、愚か者どもが動き出したか。そろそろ手札はそろうな」


 しわがれた声で部屋の主がつぶやくと、差向いに座る男が間の手を入れる。


 「はっ。閣下のお考え通りに事は動いております。あの方もご満足されていることでしょう」


 老人は大きくうなずき、目を見開かせて言葉をつなぐ。


 「この国を正しい道に戻すため。我らが身をささげようぞ」


 王城の隅に巣食う影は蠢きを止めていなかった。


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