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王太子妃の部屋は王宮の東側にあり、東に大きく開いた窓からは東ローランディアの町が遠くに望める。大きな窓ガラスが壁の半分近くを占めていて、明るい外の景色を映し出している。王太子妃の部屋と言ってもその一角に王太子妃用の寝室やバストイレそして私たちが通されている応接などがあり大きな一角を占めている。
──なんて大きな窓ガラスなんだろう。
大きな窓ガラスを見るだけでも、王太子妃が大事にされていることが分かる。こんなに平らで大きなガラスは庶民には高価過ぎて到底手が届かない。ライラの治療院にもガラス窓はあるが、もっと小さくガタガタしている。庶民の家にたとえ窓ガラスが有ったとしても大抵は明り取り専用で、景色がきれいに映ることは期待していない。自宅の私の部屋には、父が魔法で、小さいけれども外がきれいに見える窓ガラスを作ってくれたが、そう言ったものは一般には普及していないのだ。
「サーヤ、よく来てくれてわね」
エルドーラ王太子妃殿下は、そう言って私たちに優しく微笑んだ。結い上げた、輝くような銀色の髪と、ともすれば冷たい印象をあたえそうな青い瞳も、柔らかな目元と自然な笑顔のおかげでとても楽しそうな印象を見る者に与える。
「その色、あなたにやっぱりよく似合うわね。ジョアンの見立てはいつも本当に見事だこと。今夜が楽しみだわ」
「皆様に色の指定をしていただいて本当に助かりました」
王太子妃と母がドレスの色の話をかわきりに、天気の話などさまざまな話を始めた。王太子妃だけではなくその友人の方々とも知り合っているらしい。仲が本当によさそうなのでホッとしたが、大人同士の会話に口をはさむわけにもいかず、少々退屈になってしまう。不作法にならない程度にこっそりと部屋を見渡しても他には王太子妃の侍女が部屋の壁際にいるだけなので、二人の話を聞いているしかないのだ。
早く終わるか、せめて私にも話をする機会が欲しいな、などと思っていると、扉の傍にいた侍女が、扉の外と何かを話して私たちの方に歩いてきた。
「殿下、テンドゥラス子爵夫人がいらっしゃっています。お通ししてよろしいでしょうか」
「もう、ジョアンなら先触れなしに入って良いっていつも言ってるのに」
王太子妃がすこしとんがった声を出す。少女がすねてるようなかわいらしいものだったが、侍女は委縮して俯いてしまう。
「ジョ、ジョアン様が妃殿下の意向を確認なさいと仰られるものですから……」
「まあ、あなたに怒っているわけじゃないわ。あなたはきちんと仕事をしただけだもの。ジョアンを部屋に入れてあげて」
優しい口調に代えた主人にホッとしたのか、侍女が新たな客人を案内する足取りはさほど重いものではなかった。その侍女に先導させて入ってきたのは、母と同じような色のドレスを着た、明るい茶色の髪を結い上げた理知的な印象の瞳を持つ女性だ。
「妃殿下、ジョアン=テンドゥラス参上しました」
一幅の絵のように優雅に妃殿下に挨拶する。テンドゥラス家は確か伯爵家で、当主はこの国の宰相ミカエル=テンドゥラスだと思う。宰相の長男が子爵を名乗っていたはずだから、その奥さんだろうか。
「ジョアン、よく来てくれたわ。ご機嫌いかが? あなたはこの部屋に入るのに許しは要らないといってるでしょうに」
挨拶のついでとばかりに、王太子妃が友人を詰る。
「妃殿下の学友として一緒に過ごさせていただいていた子供の頃ならそれもよろしいでしょうけれども、王太子妃となられた方のところに、伯爵家に嫁いだ人間が訪れるのですから、始めの作法くらいは守らせてくださいな」
口調は丁寧だが、どことなく気安さを感じる笑顔を浮かべて夫人が応える。そしてそのまま母の方を見ると笑顔をより深くする。
「まあアストリウス男爵夫人、やっぱりその服はお似合いだわ。私たちが並んだら灯りに映えて華やかになるわよ」
「ジョアン様。本当に素晴らしい色のドレスを選んでくださって有難う御座います。今夜は同じ色でそろえる趣向だったんですね」
母が、笑顔で応えている。どこかに苦笑が入っていたように見えたのは、私が皮肉っぽく感じたからかもしれない。
王太子妃と昔からの友人が同じ色で装っている傍に、同じ色の母がいて友人として扱う、と言うのは、王太子妃が母を大切な友人の一人とする事を宣言したようなものだ。
──他の貴族からのやっかみが激しくなりそうだなあ。
とはいえ母なら乗り切れるだろうし、妃殿下が後ろ盾にいてくれて、万が一の時は妻を溺愛する父がなんとしてでも守るだろう。
「ところで、その子があなたの娘のマーヤかしら? 」
ジョアンがこちらに話を振ってくれたので、子供のころからライラに叩き込まれた礼儀作法を思い出しながら、一礼する。
「始めまして。サーヤ=アストリウスの長女でマーヤと申します」
「まあ、素晴らしいわ!!」「立派な挨拶ね!!」
ジョアンさんだけでなく、王太子妃までも目を輝かせて身を乗り出している。六歳児にしては挨拶が出来過ぎだったかな?
「あなたはエルファシアと同じ歳なのよね。王家の教育を受けている訳でもないのに立派だわ」
「この子の教育は義母がやっていまして、なかなか厳しい家庭教師のようです」
母の言うとおり、ライラは礼儀作法については厳しい教師だと思う。その他はほぼ放任だったけど。
──お母様、そこは王女様について一言お世辞を入れておくべきところでは?
エルファシア姫と私を比べて私を褒めているのをそのまま流しちゃったら、まるで王女を貶めているようで、いろいろよろしくないんじゃ無かろうかと、心配になる。とはいえ子供が口を出す方が可愛げがない気もする。
「それで魔術も使えるのよね? この前は誘拐されたのに魔術で脱出したって聞いたわよ」
私の心配とは裏腹に目に好奇心を溢れんばかりに湛えて王太子妃が聞いてくる。
「私は父に正式に魔術を習ったわけではないので、少しだけマナを扱うことくらいしかできません」
王女を貶めるつもりはないことを何とか示せるだろうか。と思いながら応えると、ジョアンさんが感心したようにつぶやいた。
「大丈夫よ、この殿下はお母様を怒ったりしないわ。諂われることに辟易してるんだから。でも、六歳でそんな気遣いができるのね。あなた可愛くて面白いわあ。エルファシア様やうちの娘にいい刺激になるかも」
なんだか見破られていたどころか、子供らしくないとまで言われてしまった。猫被ってたのに、心配のあまり地を出したかも。
「お子様がいらっしゃるんですか? 今夜お会いできると嬉しいです」
子供らしさっていう装いはゆるめながらも、にっこりと笑ってまっすぐ顔を見上げる。なんだかごまかし切れない時は、子供の笑顔は武器になるよね。前世の記憶から考えても確実である。
すると、いきなり柔らかいものに包まれた感じがしたらふわりと体が宙に浮いた。母が抱き上げたのかと思ったのだけども、母と匂いが違う。
「なんだかとっても可愛いわ。こまっしゃくれてるのに生意気な感じがしないし、わがままも言わないのね。うちの子に欲しいわ」
「エ、エルドーラ様」
抱き上げてくれたのは王太子妃のようだ。さすがに母が恐縮しているが、背中から抱きかかえられた私の正面に見えるジョアンさんは楽しそうに笑っている。
──抱っこされることは良いんですよ、子供ですから。でもなんだろう、ちょっと前までちょっと裕福な庶民、くらいのつもりでいたのにいきなり王太子妃の膝の上に座ってるってどういう状況なんだろう。
混乱する私の頭を優しくなでながら、エルドーラ様が優しい口調で、私に尋ねる。
「ねえ、エルファシアの友達になってくれないかしら?」
「私でよろしければ」
お友達って親がお願いするものじゃないと思うのだけれど、首を横に振るような選択肢は無いような気がして頷く。
「まあ嬉しい。なんだかたのしみが増えるわ」
一度だけ王太子妃の腕に軽く力が入って、ぎゅっと抱きしめられたのがわかし、そのあとすぐに膝の上から降ろしてくれた。自分の足で立つことのホッとしていると、母が何やら心配そうな顔をしてこちらを見ているので、笑顔を向けておいた。
そうこうしているうちにパーティの時間が近づいてきて、侍女が王太子妃の着替えを促す。ジョアンさんと母は着替えに付き添うらしい。着替えに時間がかかる間、話相手になるのだそうだ。優雅なことである。そう言えば今朝の母は一人で手早く着てしまって、背中のボタンだけをミラさんに止めてもらっていた。男爵夫人になってもスタイルは変える気が無いようである。
母やジョアンさんと同じ色のドレスが、王太子妃のために運ばれてきたのと同時に、年若い侍女に言われて、部屋を退出することになった。
「どこに行くのでしょうか?」
廊下に出たところでさすがに不安になって、侍女のお姉さんに聞いてみる。
「ご準備が終えられたエルファシア様の部屋で、ご一緒にお待ちくださいとの殿下の仰せです」
事務的な口調と連れていかれたのは、王太子妃の部屋から十ヤードも進まない距離に扉がある部屋だった。
長くなりそうなので分けます。