3-13
王宮についたデューイたちは、正面の来賓用の入り口からではなく、通用口のような目立たぬ入口に回された。そしてそのまま迷路のような廊下を通って、来客を迎えるには少し殺風景に思えるような部屋に通されて、従者のエドワードと護衛の四人で残されてしまった。よく見れば上品な作りではあるのだが、来客を迎える為の部屋というよりは執務室のような部屋で、天井に吊るされた証明の魔道具が部屋を照らす室内は明るく、通されたものと反対側の壁にも扉が見える。部屋の四隅には一人ずつ衛兵が立ち部屋の真ん中に睨みを利かせている。
ここに至って漸くというべきか、デューイは不審感だけではなく危機感を感じ始めた。
──無防備すぎたかな。この国の人間が帝国と事を構えるはずはないと高をくくっていた。どの国も内紛の種はかかえているものなのに。
帝国内部にもこの婚約を良しとしない勢力はあるのだから、この国にもそういう連中がいてもおかしくはない。そういう連中が誘拐騒ぎのようなことを起こす可能性はある。ただ、あらかじめ行った内偵では積極的にデューイを害する勢力はないと考えられていたし、わざわざ王宮に連れてくるのはおかしな話だ。
そんなことを考えてながら、二人で所在なく部屋の中央のソファに腰を下ろしていると、やがて出入りしたのとは反対側のドアが静かに開いた。
「お待たせしました。このようなお招きの仕方で申し訳ないです」本当に申し訳なさそうな表情を浮かべて、穏やかに謝罪しながらその人物が名乗る。「私はローランディ公の長子、エランドと申します。ロシュバール公爵のファランク王国へのご来臨を王太子でありローランディ公である父に代わって歓迎いたします」
これも肖像画で見て記憶にある姿だった。正装というわけではないが、仕立てのいいジャケットとズボンにはきらびやかな刺繍が施されている。白みがかった金髪の下の整った顔に浮かぶ笑みは、本当に歓迎しているように見えて、裏は読み取れない。とはいえ呼び出され方に不審感が払しょくできない。居住まいを正しながら慎重に言葉を口に出す。
「ロシュバール公デューイだ。ストイコ殿にも尋ねたけど、このような招き方の理由はお聞かせ願えるんだろうね」
王太子の次男が迎えに来たと思ったら、次は長男が出迎えで妙に豪華な陣容だが、なんだかはぐらかされ続けている気がしてデューイは苛立ってきた。
「実は、王都に滞在されている貴国の駐留大使には何度もご招待を申し上げていたのですが、あなたのご病気を理由に断られていたのですよ。今までご招待できなかったのは、それが理由です」
デューイにとって寝耳に水の話が唐突に切り出された。
「そんな馬鹿な。大使には何度も王宮に入れるように連絡を取れと伝えてある。」
「大使も私たちが市外で過ごしていたところにまでやってきて、王宮の対応が悪いと愚痴っていましたよね。てっきり大使が申し入れているのをこちらの王宮が突っぱねてるのかと思っていました。」
幼い主人が思わず口にした疑問に、従者が不用意に付け加える。それをみてエランドはまたしても、申し訳なさそうに渋面を作る。そして言いにくそうに口を開く。
「あなた方が市外で足止めされてたことも、あなた方の大使からは伺っていないですし、今日まであなたがいらっしゃった治療院の場所すら秘密にされていた、というのが事実なんです。病気療養中の警護を万全にするために情報を漏らしたくないとの理由で」
療養なら王都でどうぞとも言ったんですがね──。などと続けられて唖然とする。
「それを、信じろと?」
それが本当だとすると、大使がこの婚約を妨害していることになる。大使館を含めて外務を担当するのはこの婚姻を推し進めている外務卿の配下にあり、主要なポストは彼の宴席で固められているはずだというのに。確かに言われてみれば、符牒は合うのだが、そんなことを他国の人間から聞かされて、おいそれと信じるわけにはいかない。
「今夜お呼びしたのは、見ていただきたいものがあるからです。それで判断できるのではないかと」
「証拠、というわけか?」
頷く相手に、生半可なものでは信じないぞという意識を込めた視線を送る。
「私が出てきたドアの向こうへいらっしゃってください。……そろそろ時間ですので。ただ、そのドアをくぐったら会話はしないようにお願いしたいのです。そして、護衛の方もご遠慮願いたい」
ここに来てあくまでも謎めかすやり方に、デューイはいい加減癇癪を起しかけていた。ここ数日で感じていたこの国への親密な感情が凍り付いて行くように感じる。
「奥歯に物が挟まったような話し方ではなく、きちんと言ったらどうだ。一体何を見せたいのだ」
大きな声にはなったが、それでもある程度は抑制していて、叫びださなかったことは自分で驚くほどだ。
「いえ、これ以上は直に見ていただいた方が。いらっしゃいますか?」
柔らかな物腰が一瞬、豹変して挑戦的に質問される。質問のあとに再度柔らかな表情に戻るのにも苛立つ。そしていまだにはっきりと言わない売り言葉に、幼い公爵は買い言葉で返していた。
「もちろんだ。見るべきものを見てやる!」
「で、殿下!」
従者が慌てて諫めようとしているが、いい加減このやり取りに飽きていたデューイは、一人でエランドの指したドアに向かって歩き出す。
「従者の方もどうぞ。護衛の方は残ってください。ああ、殿下、ドアをくぐったらお静かにお願いします」
ドアの先には小さな暗い部屋があり、入って正面の壁のあるはずのところは目の粗い布で覆われており、薄い明りが漏れてきていた。デューイは透けて見える布の向こうに視線を向けた。
「……これは、誰の執務室だ?」
「そこは王太子の執務室で、ここはその隣の覗き部屋です」
美しい顔の王子は澄ました顔でとんでもないことを言う。もちろん一国を治めるというのは綺麗事だけではできないので、王太子が執務室に国内の貴族や国外の大使などを呼ぶときには、隣接して相手から見えないような部屋があるのは、そう不自然なことではないかもしれないが、そこに他国の貴族を案内するというのは異様だ。
その部屋は、王太子の執務室を机に座る王太子の斜め後ろから眺めるようになっていて、王太子と話をする相手の顔がよく見える場所にある。ちょうどその時王太子を訪ねてきた人間を見て、デューイとその従者は声を出しそうになるのをかみ殺さなければならなかった。
「良く来てくれた、エリー候。もう少し早い時間にしたかったのだが執務の関係で遅くなってしまった。申し訳ない」
王太子が声をかけたのは帝国の大使であるエリー侯爵。四十前後の中年の男で、その目は落ち着かなく辺りをキョロキョロト見渡している。
「殿下、どのような時間でもお召とあれば参じますよ。わが帝の貴国への好意の表れとして」
大使は当たり障りのない文句を並べながら、警戒して王太子を見ている。その後ろの壁の奥の人間の存在には気づいていないようだ。
「わざわざ運んでいただいたのは、デューイ殿のことだ。そろそろ王宮にお呼びしたいのだが、いかがだろうか?」
自分の名前を出された幼い公爵は、体をこわばらせるが、声は出さずに執務室の方を窺っている。一言も聞き漏らすまいと集中する。
「このようなお時間におよび頂いたと思えば、またその話ですか。」渋面を作りながら大使が応える。「殿下のお呼びとあればどのようなお時間であっても馳せ参じますが、すべてのお話に従うというわけには参りません。デューイ閣下のご病気の療養と、療養中の護衛については帝国の人間にお任せいただきたい。」
「そうはいっても、デューイ殿は王城にも入っていないと聞く。それでは充分な療養も護衛も難しいだろう。それに今日はわが娘の市民への披露の際に賊の襲撃もあった。情けない話だが治安の不安がぬぐいきれない。そろそろ城内に移っていただけないものだろうか」
……しばらく、このような調子で大使と王太子のやり取りが続くのを、デューイとその従者は聞いていた。
王宮、せめて王城へデューイを迎えたいという王太子と、それに頑として反対する大使。先ほどエランド王子に聞かされた話とピタリと符合する。思わず執務室へ乗り込みそうになったデューイだが、エランドに制されて、最初に通された部屋に連れ戻された。
「何故止める?」
暴れそうになる気持ちを押さえて睨みつける。
「あの場で糾弾しても、意味がないからですよ」
「意味がない?」
冷静に返す王子に余計に腹立ちが募る。
「たとえあなたの承認があったとしても大使をわが国で罰したり、拘禁することはできません。帝国本国からの要請でもあれば別ですけどね。帝国から見れば我が国が不当に彼らの使者を害したと捉えられても不思議はない。だから、私たちとしては大使なんかほうっておいて、わが妹とあなたの婚約を終わらせてしまいたいのです。帝国の内紛なのか、それとも彼は他の誰かに買収されたのかも知れませんが、彼等からは御身をお守りいたします」
畳み掛けるように言われて、混乱する。
「少し、考えさせてくれ」
「もちろんです。今晩一晩くらいはお考えになればよろしいかと思います。お部屋は整っていますので、案内させましょう」
穏やかに笑う王子の顔を見ながら、この人とはそりが合わない気がするな、とデューイは思った。
翌日。王太子に呼び出されたエリー侯爵は、王太子の横で堅い表情で無理に笑っている自国の少年公爵を見て、絶句するのだった。