3-12
◆ ◇ ◆ ◇
マーヤがその誘拐者から自ら逃れ、家族と夕餉の時間を分かち合い、早めの就寝に着いた頃。
東ローランディアの下町は夜の闇に覆われ、通りを賑わしていた祭りの喧騒も酒場や娼館の中に移り、時おり聞こえてくる歓声や怒声、はたまた嬌声も表通りにはかすかに響くだけになり、漸くこの町の長い一日が終わろうとしている。その、町の片隅に闇にまぎれて蠢く複数の影があった。暗い色の衣服を身に着けて、目立たぬように動いて目指しているのは表通りに面した一角にある、一つの治療院だ。
「準備は?」
目的地の近くの物陰で一旦全員が止まり、一人の男が小さな声で確認する。
「はい。治療院の周りに護衛の姿は見えません。従者の若造に金を渡したのが予想以上に効いたようです」
今日のような祭りの日くらいはローランディの町を堪能すればいいじゃないかと、若い従者をそそのかして多額の資金も渡したのだ。
「嘆かわしいことだ。奴らも帝国の兵士だろうに」
「故国から離れてあの公爵閣下の御守ですから、少々タガが緩んでいるようです。事が終われば締めなおせばいいでしょう」
「いや、奴らは公爵閣下を守り切れなかった責任を取ってもらわんといかん。締め直す必要はなくなるだろうな。貴様らも緩んでいるようだと切り捨てる。」
最初のリーダらしき男と、その部下が小声で会話を交わし、最後にリーダーが全員に活を入れて目標の建物に向かって音もなく走り出した。その後を部下が追いかける。総勢四人で殺す相手は公爵とはいえただの子供だ。簡単に終わるはずだった。
その楽観視が崩れたのは、治療院に入ってからだった。下調べした通りにターゲットのいる部屋の窓から侵入するまでは簡単すぎて拍子抜けしたほどだ。
──いや、何かおかしい。
リーダの男だけではなく、全員が上手くいきすぎることに疑念を持ち、部屋の中央にあるベッドを睨みつける。
──一見すると子供が寝ているようなふくらみに見えるが、これは罠だ。
部下の一人を身振りで部屋のドアの見張りに立たせ、警戒しながらもう一人の部下に、これも身振りだけで、剣をベッドへ突き立てさせる。
サクッっと軽い音を聞いてめくったシーツの下には丸めた毛布が転がっていて、それを確認したリーダは急に後ろへ飛び退った。そこに上から、小さな影が落下してきて剣を振るう。
「昼間の連中より腕は良いんだ。気配は消したと思ったけど、油断してくれないんだね」
場違いに明るい声は、先ほどまでリーダの立っていたところに剣を持って立つ少年が発したものだった。
「まぁ連中との関係もふ、……うわっと」
少年が話している途中でリーダの男と少年の後ろにいた男が同時に切りかかり、少年はそれを間一髪でよける。彼らも目の前の少年がターゲットではないこと、つまりだれかに罠にかけられてことは確信していた。そうなればやることは、目の前の少年から情報を聞き出すことではなく、この少年を殺して、ぐずぐずせずにこの場を立ち去ることだ。
一方切りつけられた少年は、それでも余裕がある表情で自分が持つ剣を正眼に構える。優美な曲線を描く片刃の剣は子供の手には少し重いように見え、対する男たちに与し易しと考えられても不思議はない。
だからなのか、男たちの一人が自らの剣を振りかぶって襲いかかり、戦いの火蓋を切った。
襲いかかった男の必殺の一撃はしかし、少年の影すら斬ることが叶わず、その剣をかいくぐった少年の斬撃は男の腹を真一文字に切りさく。少年がひとりを斬って体制を崩した所をもう一人の男が横から攻めるが、上段が振りおろした剣は瞬時に耐性を戻した少年の剣にはらわれて、逆に崩れてしまった姿勢の喉を一突きされる。
ここに来て初めて、リーダの男は少年を見くびっていたことに気付いたのか、少年から距離をとり、剣を構えるのではなく魔法の力を放った。
《火炎》
横に振るわれた手から赤い炎が少年に向かって伸びる。
その魔法の炎は物理的な方法では消すことができないはずだが、少年の振るう剣はそれをも切り裂いた。
「うわ熱っちい」
それでも自分に向かってくる火は全て斬り払えず少年の肌を焦がし、たまらず横転して横に逃げる。
「しくじったかな?」
ドアの付近にもう一人残った男と、丁度挟まれる形になってしまった。そうして後ろの男からも魔法を使う気配がする。このまま、次の魔法の準備がまだ整っていない正面の男に斬りつければ後ろの男からの魔法に曝されることになる。
しかし、少年は口もとに笑みを浮かべると、正面の男に斬りかかる。まるで後ろの男の魔法を気にしていないかのような攻撃は、リーダの男を慌てさせたのか、剣を構えて防御させる。そして一合二合と切り結んで三合目でリーダの男の右腕を落とし、返す刀で正面から袈裟がけに斬りおろす。
瞬く間に三人を斬り斃してしまった少年はゆっくりと振り返ってドアの方を向いて、笑顔を見せた。
「ライラ、御手数をおかけしますね」
「マーク、治療院で人を殺すのは出来ればやめてほしかったわ」
少年──マークは、肩をすくめて悪びれもしないで、簡単に答えた。
「ライラのように、怪我もさせずに人を倒すってのは難しいんですよ。一体どうやったんですか?」
ライラの足元には、襲撃者の最後の一人が転がっていた。
「か弱い女が生きていくには優しいだけじゃダメなのよ。薬も使いようで毒になるし、治癒術は人を優しく眠らせることも乱暴に眠ってもらうこともできるの」
治療院の主にして、北の森の賢者は、優美に笑った。
◆ ◇ ◆ ◇
同じ日の少し早い時間。ゆっくりと傾いた太陽が、東ローランディの町を赤く照らし、さまざまな店舗が並ぶ街道が夕暮れを惜しむように活気に湧き、そこに面した酒場が夕餉をとる客に向けた準備を始めるころ、一台の馬車が王城に向かって動いていた。それは一見どこにでもある、旅商人が使うような二頭立ての幌馬車で、道行く人も周辺に店を出す商人たちも気にも留めていない。この時間に街道を行く馬車など珍しくもないのだ。しかし、実際に幌の内側にいるのは、普通の旅商人やその商品などではなかった。
「閣下、このような馬車で申し訳ございません」
「エドワード、良いよ。仕方がないんだろう?」
その馬車の中で丁重に話しかける声がするが、馬車の車輪が通りの石畳をたたくけたたましい音でその声が外に漏れることはない。話しかけられた閣下と呼ばれた人物が、それに言葉少なく応えている。閣下と呼ばれるにはまだあまりにも若い、いや幼い声だ。
「全く、今まで入城を拒んでおいて、いきなりこのような形で呼びつけるとは、全く無礼です。閣下はお心が広いからお怒りにならないのかもしれませんが、竜帝の血を引くお方をこの国の者たちがどう考えているのでしょうか。強く抗議しなければ」
エドワードと呼ばれた従者の声は、主人の宥めにもかかわらず憤懣をにじませている。こちらもまだ若い従者の顔は上気して赤く、純粋に主人を思い、主人の権威を踏みにじろうとする招待者への怒りに満ちている。
「今日は例のパレードの時にも騒ぎがあったみたいだし、市壁の外でもなにかあったと聞いている。パレードがらみなら僕に関係ないとは言えないだろう?」
幼い声の主人は、つい先ほどまで逗留していた治療院で耳にした噂話を披露して従者の怒りを宥める。ライラの治療院にしばらく逗留していて仲良くなった、近くの居酒屋の娘のリルが病室まで遊びに来て話してくれたのだ。
──なんかお姫様キラキラしててすごかったんだよ。そしたらなんか遠くの方でガヤガヤってして騒がしくなったの。後から聞いたら悪い奴らがパレードの邪魔をしようとして捕まったんだって。なんであんな綺麗なパレードの邪魔しようとするんだろうね?
パレードに行ったのがよっぽど楽しかったらしく、顔を真っ赤にしてしゃべり続けるのがとてもほほえましかった。すこし前の彼なら同年代の平民の娘の浮ついた様子を見たとして、それを好意的に考えることなどなかっただろうが。
「しかし、デューイ様。これは我らが帝に対する無礼でもあるのですよ。捨て置くことなどできません」
「彼らの事情も聞かずに一方的に非難しては聞けるものも聞けなくなるよ。彼らも一枚岩じゃないのだろうし、呼んでいるのはこの婚約に乗り気な貴族なんだろう?だったら僕を貶めるためにこんなことをしてるわけじゃなさそうだ。理由を聞くのは良いけど、いきなり怒鳴らないようにね」
そういいながらも、今まで習った帝王学の考え方が今初めて生かされているように実感して、少しばかり驚いている。しかし自分の考え方が少し前から大きく変化していることにはあまり自覚はないかもしれない。
──血統を振り回すだけじゃ、この国では僕はただの子供扱いされるんだ。ちゃんと考えないと。
まだ幼いとは言え、皇統に連なるものとして帝王教育を受けてきたデューイは、理屈ではファランク王国との関係を強化することの重要性や、他国の幼い王女と婚約したうえで相手国に取り込まれず、逆に影響力を行使することの困難を理解していて、その役目を負えるの王族は他にいないという自負も感じていたのだが、子供のころから根付いた帝国以外の国々への蔑視の念というのはぬぐいがたい。
そしてアトン帝国の皇族は、彼らが竜の血と呼ぶ血統を守るため、血縁関係にある大貴族から結婚相手を選ぶ風習がある。だから王族とはいえ、帝国から見ればまだ格下だと認識している、国外の王女と婚約を結ぶということが、彼には皇統の資格がないと判断されたように思えたのだ。それまで皇族であることの誇りを抱いて生きてきたデューイにとって、耐え切れない屈辱のように思えた。
しかし、旅の途中で風邪をひいて倒れた時、随行していた者たちの慌てるばかりでふがいない対応に比べて、この国に生きる人たちは実に細やかな対応をしてくれた。疫病かもしれぬと判断されて市街に留め置かれたとき、ある人は内部が二つに仕切られていて、看病者と病人が一緒に眠れるテントを譲ってくれたり、ある人は市内から治癒者を連れてきてくれた。その治癒者の腕は素晴らしいだけではなく、その治癒院では町で生きる人たちと交流することが出来た。
その過程で、彼の中の、帝国は他のすべての国々より優位に立ち、他の国はそれに従うものだという、アトンの皇族や貴族に根深い固定観念が崩れていったのだ。
今は、ファランク王国とは言わずとも、少なくとも東ローランディにたいしては蔑みを感じるどころか、好意のようなものが芽生え始めていて、そのことが帝国外の王女と結婚することに対しての屈辱を和らげていたし、急に呼びつけられた現在も、何らかの理由があるのだろうと冷静にとらえることができるようになっていた。
そして相手を尊重するからこそ、警戒しなければいけない事もわかるようになっている。
「ともかく、呼び出した相手にいきなり怒鳴りつけるようなみっともない真似は止めてくれ。頼んだよ」
まだ文句を言いたそうな従者を黙らせて、呼び出した相手の思惑を測ろうと考えを整理しようとするが、貴族の乗る馬車とは違い、目立たぬように行商用の馬車を利用しているため乗り心地が悪く、考えをまとめることができない。揺れを押さえる緩衝のためのバネや車輪の周りを覆う樹脂などは高価で、利用した馬車は貴族か大商人しか持っていない。
──まあいいか。行けば分かることだ。
まだ幼いデューイの集中力は長続きせず、彼は思考を棚上げにして、揺れに身を任せることにした。
馬車が、急いだ様子もなく王城の城門をくぐったところで、 ようやく王宮が寄越した豪奢な馬車が待っていた。
主従にそこでに乗り替えて欲しいのだろう。御者も王宮からの人間に替わる。
そこまで乗ってきたものより一回り大きく、華美な馬車の中には彼らを出迎えにきたらしい使者が待っていた。
「はじめまして、デューイ公。私はローランディ公の第二子のストイコです。今日はこのような形でのお出迎えになってしまい、申し訳有りません」
ローランディ公というのは、ファランクの王太子のことで、名乗るだけではなく王城やそれを囲む形の東西南の都市はローランディ公の支配下に有る。
「ご丁寧に、ありがとう、感謝、する」
最初に寄越された幾分みすぼらしい馬車から、王族が直接迎えに来るという落差に、つかの間思考が追いつかずに滑らかには言葉が出て来ない。そのことに顔に血が上るのを感じるが、自尊心にかけて無理矢理にでも、そして言葉遣いが丁寧になりすぎないように、言葉をつなぐ。
「こちらも王家の方々には早くご挨拶をと待ちわびていたのだが、突然のこのような招き方に少々驚いている。何かしら理由が有るのだろうね?」
相手は少年とはいえ、デューイより三~四歳年長の他国の王族で、しかも順調にいけば未来の義兄なのだが、デューイもアトン帝国の皇族の一員で皇帝からは公爵位を授かっている。無暗にへりくだるわけにはいかない。
「その話は王宮に着いてからにさせていただいててよろしいでしょうか?」回答の猶予をこう言葉は、しかし拒否をさせる気がないことが明らかだ。「私たちから申し上げるよりも事情を納得していただきやすいかと思います」
言葉を濁して明確に答えがない。苛立ちはするが、デューイがここで怒りをあらわにしても話は引き出せないだろうと思わせる何かが、年若い王子から伝わってくる。ここで抗弁しても無駄だと悟り、従者と二人の護衛を連れて馬車を乗り換えることにした。
静かに動き出した馬車の中は沈黙が広がり、豪奢な馬車の車輪が静かに路面をたたく音が聞こえてくる。城内の道が馬車に合わせて煉瓦で舗装されていることもあいまって、乗り心地が格段に良くなり、そのことが余計に車内の緊張感を感じさせる。居心地の悪い車内で、デューイはせめて記憶にある肖像画と目の前の少年の顔の相違点を見つけようとしたが、少年がストイコ王子であるという確認にしかならなかった。
やがて馬車は王宮にまでたどり着き、馬車の幌が開けられたとき、デューイは目立たぬように、静かにホッと息をついた。