3-10
どうすればマークを逃がすことができるだろうか。考えている間にも事態は進んでいく。道の両端をふさがれていたのでは逃げられない。
──どうすればいい?
その反対にマークの判断は素早く、そして能動的なものだったようだ。私たちの両側をはさむ形の魔術師を交互に見て動けなくなっていた私を後ろから抱えあげて囁く。
「あそこに転がっている剣まで跳ぶよ」
マークが言うのは、さっきマークが撃退した男が落としていった剣。道の反対側に転がっていて、五~六ヤードはあるように思える。跳ぶと言ってもひとっ跳びで跳ぶには、大人でも少し厳しい気がする。
──あれ?日本刀?
転がっている剣に違和感を感じ、二人ともが危険にさらされている今の状況にはそぐわない感想が頭に浮かぶ。
「来る!」
マークがつぶやいた時、片方の魔術師の手にマナが大きく集まり、魔法の力が高まっているのを感じ、そして矢の形をした魔法の光が飛んでくる。
私を抱えたマークが跳んだのは矢が私たちに届くよりわずかに前だった。魔術の矢を避けて跳んだマークは驚いたことにひとっ跳びで刀のそばまでたどり着き、それを拾い上げる。そして私を背にして両方の敵が視界に入るように刀を構えた。私は抱えられ、そして下ろされるままになっていたのだが、この動きは普通の十二歳の少年のものだとは思えなかった。
──え、一体なんなの。ちょっと凄すぎるわ。
私の思考は、少し場についていけなくなっているのかもしれない。マークが人間離れしていることとか、その姿を見た私の心臓の鼓動が一段と速くなっていることなどはここでは些細なことだ。まだ窮地を脱したわけではないのだから。
そして、その直後、マークが突然膝をついた。苦しそうにゆがんだ顔に脂汗が浮いていて、肩で息をしている。治癒の直後とはいえ、体調が悪化し過ぎている。
「くっ、まださっきのダメージが残っているのか……上手く強化できない」
それは変だ。ダメージが残ってるなんてことはないはずだ。マークのプラナも体も何も問題はなく正常なのだけど。……今まで自分で試してきた治療なんかから考えると、体力が余るくらいになっているはず。
そんな、こちらの体調の回復を、当たり前だが相手の魔術師は待ってくれない。もう一人の魔術師が、次は魔法の火を放ってきた。大きな火だ。
──私を連れ戻す気はないんだ。殺す気なんだね。
二人ともを焼きつくしてしまいそうなその火の大きさを見て覚った。彼らの中で事情が変わった、ということなのだろう。私の前に立ちふさがってくれるマークの背中を悲しく見つめる。魔術師のはなった火が二人に到達しそうになったとき、マークは私を背中に守りながら、その火に向けて剣を振るった。魔法の火を剣で払う、それは、死を覚悟した人間の破れかぶれの行動にも見えた。私もその瞬間二度目の、この世界での死を覚悟した。
──やっと他人の治癒ができる様になったんだけどな……
近づく火の球に向けて払ったマークの刀は、しかしありえないことに、その火の球を真中から両断した。ちょうど正面に見えていた魔術師の顔は驚愕に歪んでいた。そして、それぞれ二つに分かれた火の勢いが見る見る衰えて地面に落ちるときには只の煤のようになっていた。
呆気にとられて何が起きたのかを判断することも難しい。マークが、刀で、火を、魔法の火を切り捨てて、消してしまった。
「こいつもドルーガの剣士か!」
ドルーガの剣士。日本刀を使って戦い、プラナを操る剣士。マークは否定していたが、彼の技はドルーガの物に似ているのだろう。
そのマークが、再度膝をつく。今度は刀を脇に置いて両手を地面に着くようにして息を整えている。──彼の中で何起きているのだろう。そして、その時もう一人の魔術師が魔法の矢を放った。
魔術師の力の集中を感じていた私は、漸くその場の流れに乗っていた。意識を集中して、矢が飛んでくるところのマナを活性化させる。
《障壁》
あの矢くらいの威力なら、何とか持ちこたえてくれるはず。飛んでくる魔法の矢の正面の空間が揺らぎ、マナが輝いて壁になり、魔法の矢はそこにぶつかる。障壁が魔法の矢をはじいた!と思った瞬間、障壁の魔法が粉々に砕けた。
「ええ?」
「あぶない!」
私の悲鳴と、マークの叫び声が重なる。砕けた障壁の破片はまるで鋭利な刃物のように、その後ろにいた私と、倒れこんでいたはずのマークに襲いかかり、そのまま私の全身を襲うかと思われた。いや、そうなっていたはずだ。
いつの間にか私はマークに引き倒されて、覆いかぶさられていた。さっきの破片は一かけらも私を傷つけていない。マークがかばってくれたのだ。私の代わりに背中に破片を受けることで。
「マーク!!」
私は叫んでいた。すごい怪我をしてるんじゃないだろうか。いや、怪我で済んでいるんだろうか。
「……だ、だいじょう、ぶだ。魔法の障壁のかけらだから傷口には破片は無いし、動けるよ」
ちょうど私の正面にあるマークの顔は、完全に血の気が引いて、さっきの心臓が止まったときと同じくらいひどいのに、この期に及んで強がりを言っている。
「マーク、じっとしていて。いま、怪我を治してあげる」
私はこの瞬間まであった逡巡を振り切ることにした。さっきは気を失っているマークに対しての人工呼吸、いやその延長みたいなもので、だから治療だと割り切れたのだが、意識のある異性の唇に少女から唇を重ねることに躊躇があったのだ。……だが今はそんなことを言っている場合ではない。青白い顔で、目を見開いているマークの唇に強引に唇を重ね、深く接触するためにマークの頭を抱える。
傷は背中一面に広がっていて太い血管を切ってしまっているものもあった。このまま無理していても、遠からず動けなくなっていただろう。でも、自分の体で治癒を重ねてきた経験が、「これなら治せる」と確信させてくれる。大きな傷から治していく。
「子供同士の今生の別れが口付けとはねえ」
誤解した魔術師の声がする。火の球の魔術師だ。あの火の玉を作り出すような気配がするが、気にしていられない。傷は塞がったけど、まだ体力が戻っていない。マークの中の手つかずのプラナを活性化して、体力に変換していく。でも、このままじゃ間に合わない。二人とも焼き殺されてしまう。
その時────
『マーヤ。こっちはまかせな。マークをしっかり治してやってくれ』
『スリヤ!』
口がふさがったまま、念話で話す感覚がひどく懐かしいものに感じた。これはスリヤだ。姿を見なくてもわかる。そして魔法使いの火の球が、おそらくスリヤが張った障壁に遮られてその場ではぜる音と、スリヤが声に出して切った啖呵が聞こえてきた。
「もう好き勝手させないよ!それにさっきのお礼もさせてもらわないとねえ!」
マークの体力を回復させて、まだ驚きに固まっているマークの体を優しくどけてその下から這い出すと、マーヤが知っている、何年も前からいつも一緒にいる、見慣れた妖精が体と同じくらいの注射器をかかえた黄色いナース服の姿で中に浮かんでいた。
「スリヤ!おかえり!!」
涙が出てきた。もう消えてしまって二度と会えないかと思っていたのだ。
「ごめんよマーヤ。心配かけちゃったね。消滅しそうになったから、ちょっと休んでたのさ。でも、ずっとそばには居たんだよ。いよいよやばくなったら出ようと思ってたのさ」そしてマークに向かって、「マークあんた、マーヤの特別な治療受けたんだ、働いてもらわないとね」
──特別な治療って、なんだか顔が赤くなるからやめて頂戴。
「あ、ああ。もちろん」そして私の方を向いて、マークがにこりと優しく笑顔を浮かべる。「治癒、使えるんだね。おめでとう。さっきもマーヤが治してくれてたんだね。心臓が止まったのに生きてるなんて変だと思ってたんだ」
「う、うん。治せるんだけど、なんだか普通には出来ないの……」
「それは後にしよう。ごめん僕は今、自分のプラナを上手く活性化させられないんだ、悪いんだけどマーヤの力で目いっぱい活性化してくれないかな」
とんでもないこと言われた気がする。
「え?マーク元気じゃない?これ以上活性化する必要ないでしょう?」
「いや、プラナを活性化しないと身体強化に使えない。さっきはプラナ活性化させずに無理やり強化したからあちこちに無理が出ちゃったし。頼む。体中のプラナをただ活性化するだけで治癒しないことができない?そうすれば自分で強化できると思うんだ」
──さっきのは、自分で自分のプラナが活性化できなくなっていたのが原因だったのか。そう聞くと断りにくいなぁ。
「マーヤ、早くしないとやつら、そろそろ逃げ出しそうだよ」
スリヤにまで急かされる。守りを固めたスリヤの障壁は相手も崩せないが、スリヤも本調子じゃないのかなかなか攻撃に出られない。このままこう着すれば、逃げられたり応援を呼ばれたりするかもしれない。だからマークが動けるようにしないといけない、のだけれども。
何をいまさら、何度も口づけてるだろうと思われるかもしれないが、寝てる相手でもなく、不意打ちでもなく、治癒でもなくプラナを活性化させるために深く口付けるのは、やはり二の足を踏んでしまう。
──ああもう、しょうがないわ!
さすがに顔が真っ赤になっていることが分かる。顔の位置を合わせて屈んだマークの唇に自分の唇を合わせて、マークの体のプラナを意識する。なんだろう、どんどんマークのプラナが扱いやすくなっている気がする。おかげで軽い接触でも、活性化できる。そして私が感知できる範囲でマークの体の中のプラナを全部、最大限活性化する。
「マーヤありがとう!これはすごいな。これなら充分戦える。」
マークが興奮しながら、地面に落ちた刀を拾って腰をおろす。そこにスリヤが声をかける。
「やつらもそろそろ逃げだすことを考え始めるよ。マークあんたはあっち。」
魔術師二人は両側から挟むことで私たちの逃げ場を封じたのだが、距離が離れたことで意思の疎通が上手くいかなかったのか、二人揃って腰が引けながらもまだ、スリヤを攻撃していた。
勝負は一瞬だった。マークが活性化したプラナを全身に廻らせて、身体強化で頑強になった脚力で火の球を打ちこんでいた魔術師に迫る。魔術師が迎撃した火の球はあっさりはじかれ、相手の魔術師が慌てて何かを取り出そうとしているところに刀を一閃。峰打ちで昏倒させた。後で聞いたら私に切れて跳んだ手や脚を見せるのはよくないだろうと配慮してくれたらしい。そしてその間にスリヤはもう一人を簡単に昏倒させて補縛していた。
マークが二人から上着をはがして、それを使って縛りあげる。スリヤは魔術師に魔法を使わせない方法を知っているらしい。
結局、スリヤがそのまま魔術師二人を家まで運び、私は漸く我が家に戻ることができた。途中魔術師たちの仲間に合わないか、気になっていたのだけど、そういうこともなかった。そうして家から父に連絡をして、二人を王宮の警邏に引き取ってもらった。
でもまだ疑問符ばかりだ。何故私が誘拐されたのか、なんでお婆ちゃんちだったのか、逃げた後に見つかったら今度は殺そうとされたのも分らない。父を追求しようと心に決めた。
まだ日は高いが、半日動きまわった疲れが出たのかひどく眠くなってしまった。
──父が帰ってくるまで仮眠しよう。
汚れを落として自室のベッドに入ると、簡単に睡魔にとらわれて、安心の眠りが訪れた。