3-9
頭上に響く足音で目が覚めたとき、一瞬自分がどこにいるのか把握できなかった私は、声をあげそうになるのをどうにか抑え込んだ。どうやら意識を飛ばしたのはほんの数分だったようだ。
「てめえ、見張りのくせに何やってやがった!」
「知るかよ、魔法を使えるなんて聞いてないぞ。魔力も感じなかった!あの精霊、生きてやがったのか?」
「とにかく探すんだ。子供の足なら遠くへ入ってないはずだ」
「しかし、隣の部屋からも誰も出てきてないぞ」
私が眠っている間に、固めてしまった扉はこじ開けられたようだ。私が閉じ込められていた部屋で男たちが姿の見えない私を探している。
──天井に開けた穴はまだ気づかないのかな?
期待半分で考えていると……
「おい、くそ。天井にも穴が開いてるぞ!」
「壁の穴は偽装か!」
「なんだと。頭のまわるガキだぜ」
──あ、気付いた。
「飛べるとすると厄介だ。急いで探して連れ戻すぞ」
「見当たらない場合はどうする。騒ぎを大きくすると町の警邏に目を付けられるかもしれんぞ」
「この町の警邏は所詮は雇われた素人どもだが、パレード警備用に城からも兵が出ているはずだ」
ダンッ!
──びっくりさせないでよ。
私の頭上でなった大きな音でギクッとしてしまった。男たちの誰かがイラついて足を踏み鳴らしたようだ。
「一時間探して見つからなければ、各自離散だ。不確定な要素が増えすぎている」
「くそっ。てめえはガキ一人まともに見張れねえのかよ!」
「うるせえ!てめえらだってガキが魔法使えることに気付かなかっただろうが!」
──魔法使えるかどうかって外から見て判断できるものなのかな?それに私に魔力を感じないってどういうことだろう?
私も人によって周りにマナが集まりやすい人とそうでない人がいることは知っているが、マナが集まりやすいからと言って魔法を使えるというわけではなく、マナを活性化させることができなければ魔力は使えないはず。
──魔法についてきちんと習ってないから、なんか知識が抜けてるのかも。
私が考えているうちに、部屋からは人の気配がなくなった。罵り合ったり、命令を叫んだりする声がだんだん遠くなっていく。
ふうっと大きく息をつく。
──どうやらやり過ごせたみたい。
人の気配がなくなってから、体感時間で10分ほど待って、隠れ場所から外に出る。私がいたのは図書室の床下の隠し収納庫のなかだ。床の一部が跳ね上げ式の扉になっていて扉がないように偽装されている。暗い部屋だということも相まって此処に隠れる場所があるということには、彼ら気づかないでいてくれたようだ。
──この部屋を探検したことがあってよかった。
祖母の家だった時には隠し収納庫というより温度の変わらない床下収納として使われていて、沢山のお酒をみつけた記憶がある。祖母の家で遊んでいてよかった。
──おばあちゃんに感謝して、とりあえず逃げ出しましょうか。
数分寝たことが功を奏したのか、策が嵌まったので気分が高揚しているのかは判らないけれども、少しだけ元気が出たきがする。床下の暗い収納庫から抜け出したとはいえ、照明のついていない地下の部屋は、私が壊した壁や天井と開け放たれた扉から漏れてくる光が薄暗く照らすだけで、足元がおぼつかない。でも、その薄明りに向けて私はしっかりと歩き出した────。
まだ高く上りきっていない太陽を、それでもまぶしく思いながら、目立たないように屋敷の通用門から外にでる。あの男たちがいたりすると大変だから、注意深くあたりを見てから、自宅の方に歩き出す。祖母の家と自宅の位置関係は頭に入っているので、迷わないで辿りつけるだろう。自宅についたらまずは父に連絡をしてあいつらを捕まえてもらわないと。
周囲に気を付けながら裏通りを歩く。このあたりは裕福な商人の屋敷や貴族の町屋敷が多いところで、裏通りはさまざまな物で溢れている。各屋敷から出るごみもこちらの通りを使って回収されるので、ところどころから生ごみの匂いも漂ってくる。消臭の魔法を切らしたかかけ忘れたのだろう。そんな雑然とした裏通りを数分歩いて、そろそろ自宅までの中間地点のあたり、普段は人気のない通りに出るところで、その通りから何やら人の気配がした。声はしないが何やら争っているような息遣いが聞こえてくる。
──何だろう?
周囲のがらくたに身を隠しながらそちらを覗きこむ。服はどうせ収納庫に隠れた時に埃にまみれているから汚れることはいとわずに見やすいように首を伸ばしたところで、思わず息をのんだ。刀を持った大人の剣士が、どう見ても本気で子供に切りつけている。
──あれは、スリヤに切りつけた剣士だ!
あの剣士が何で子供相手に刀を振るっているのだろう?そう不思議に思い相手の子供をじっくり見て、再度息をのむ。いや息が止まりそうになった。刀をもった剣士相手に逃げ回っている姿に見覚えがあり過ぎる。
──マーク?何をやってるのあなた!
何故だ。逃げるように首を引っ込めて考える。マークが一体何をしているのか。何故切りつけられているのか。思考は堂々巡りをしそうになる。
──助けなきゃ。
このままではマークまでスリヤのようにいなくなってしまう。何か武器になるものを探してがらくたの山を見渡すが、私にもつかえて、簡単に武器になりそうなものは見つからない。
気ばかりが焦る。
──もうっ、これで良いっ。
手近にあった手ごろな石を拾い上げる。投げ当てたら、少しは時間が稼げてマークが逃げる隙になるかもしれない。
その努力は、良い方に裏切られた、様に見えた、もう一度覗きこんだ私はその時、相手の刀をかいくぐって剣士の手に石を叩きつけたマークが見えた。いやマークの動きが速すぎて、見えたのはいつの間にか石をつきたてているマークの姿だけ。そのまま呆然としているうちに、相手の剣士は踵を返して逃げてしまっていた。
──すごい……精霊を斬っちゃうような剣士を素手で追い返しちゃった。
隠れ場所をでて、祝福に行こうかを思った時、だった。青い顔でふらふらと物陰のほうに動き出したマークが、突然気が抜けた風船のように崩れ落ちた。
──あれは……もしかして……まずいわ。
マークが如何に少年としては体を鍛えていようがどんなに戦いに慣れていようが、その体はまだ十二歳の少年のものなのだ。あの表情や体の様子は、成長期の子供が急激な運動をしたときにまれに起きることがある──心室細動。心停止だ。
──早く処置しないと!
隠れていたとことから慌てて飛び出した。看護師をしていた前世では、心室細動には電気ショックを使うのだが、もちろんこの世界の裏通りでAEDの設置は期待できない。
──電気ショックって何アンペアでどれくらい流し続けるんだったっけ。
益体のないことも浮かんでくる。たとえ私が電流の数値を知っているとしても、その大きさに調整して電流を流すような魔法の制御は覚えていない。適当に電気を作って人の体に流すなんて恐ろしいことはしたくない。そもそも心室細動による心停止とは限らないのだ。でも……いざとなればそれに頼るしかないかもしれない。
がらくたの山から布の塊を拾い、マークの頭をのせて仰向けに横たえる。唇が紫色になり、顔には生気がない。
──呼吸も止まってるじゃないのっ。
マークの胸に手をかけて、地面を蹴りながら全体重をマークの胸部にかけて心臓を圧迫する。────二度、三度ではなく何十回も繰り返す。
──ああ、だめだ、こんなんじゃ。全然ダメ。
こういうときには自分の体がまだ小さいことが恨めしい。私の軽い体は、全体重をかけてもマークの胸板の筋肉と肋骨に阻まれて、全然心臓を圧迫できず、心臓マッサージになっていないのだ。電気ショックで心室細動を止めるべきかどうかもこれでは分からない。
──呼吸もしてないのに、このままじゃ……
気を失っているマークの顔は、生気を失い、口を半開きにして、非常に苦しく見えた。意識がないのだから、苦しがってはいないはずなのだが。……その時、私が冷静であればそのあと私がとった行動は別だったかもしれない。AEDの出力は知らなくとも、弱い電流から徐々に強めていくなどいくらでもやりようがあったはずなのだ。看護師として人の生死にかかわっていたころから、自分の病と闘い、死に、そして転生し、こういうときに冷静でいられなくなったのかもしれない。……私はマークの半開きの唇に自分の口を寄せて、人工呼吸を試みていた。心停止のときに、心臓マッサージもろくにできないまま人工呼吸をしても何の意味もない。それは頭では分かっていたのに。
──あれ?
奇妙なことが起こった。いや、奇妙な物を感じて、驚いて顔を上げる。
──これ、マークのプラナ。
何故だろうか。重ねた唇を通して、マークの体を巡るプラナの流れを感じることができた。止まった肺も、微細動をしている心臓の様子も。
──手で触っていても感じないのに。何で?ううん考えてる暇はないわ。唇同士なら治療できるならそれでいい。
私は再度唇を重ねる。軽く触れ合わせるだけではプラナは弱くしか感じることが出来ないため、マークの口の中に私の口をすっぽり入れるくらいにする。マークの舌が唇に触れるのを感じる。
──視えた!!これなら治癒できる!!
急激な運動で心停止になっているとはいえ、マークの体内には彼自身のプラナが大量にある。これを活性化させて心臓を正常に動かすだけだ。
……マークの心臓に意識を集中して、心臓の細動を取り除く。そして自分の鼓動に合わせる様にして、マークの心臓に優しく活性化したプラナを送り込む。同時に肺にも、ゆっくりと活性化したプラナを送り込む。それを何度も繰り返す。
気が遠くなるほどの時間がかかっているように思えたが、心臓の鼓動が聞こえてくるまでには、実際には大した時間はかからなかった。呼吸も正常に戻ってくれたようだ。ほっとしながらも、私は何度も息継ぎをしながら、体全体の状態を整えていく。
──終わったわ。もうこれで大丈夫。
何回もの息継ぎをした後、マークの体の機能に問題がないと判断し、漸く一息つくことができた。マークの頭を太ももに乗せてお腹に抱え込み、通りの脇の屋敷の外壁に背中を預けて大きく息を吐く。
──私、ちゃんと治癒魔術使えた……他人を魔術で治癒できた。
場違いなほどに、そのことがすごくうれしかった。今までも自分に治癒の力があることはわかっていた。二歳の誕生日に父に調べてもらっただけじゃなく、自分の怪我なら自分で治せたのだし、視えなかった他人のプラナも、マークのように活性化されたものなら触れば感じられたのだから、いつかは治癒魔術が使えると信じられてた。でも、信じていることと実際に使えるのとは全然違う。
「うう……」
膝の上にあるマークの頭からうめき声が聞こえた。見ると瞼がピクリと動いた。もうすぐ気がつきそうだ。
──良かった。
身じろぎする動きがくすぐったくて、達成感の所為かなんだか穏やかな気持ちになっている。ももとお腹に掛かる重さと温もりを感じながら、ふと前世でもこんな感じで看病したことがあったなと思いだす。あれは息子だったか、夫だったか────。
「マ…マーヤ…?」
囁くような声に、励ましの笑顔を向けながらも、動こうとするのをけん制する。
「まだ動いちゃだめよ。一回心臓が止まって息もしてなかったんだからね。どこか痛いところはない?」
「いや、大丈夫だよ……」
そのあと、体中の問診をして、違和感がないことを確認してから、起き上がることを許した。ももに掛かっていた温かな重みが消えて、目の前にちょっとはにかんだ笑顔の少年がいた。
「ありがとう、看病してくれたんだね。心臓が止まったのは自分でもわかってて、ちょっとこれは駄目かと思ったから、びっくりしたよ。すごくうれしい」
そんなことを言う少年の頭を軽く小突いてやる。
「まったく。無茶しちゃダメでしょう。あなたはまだ子供なのよ」
あんな、大人の剣士と素手で戦うような羽目に陥るなんて。マークは肩をすくめて力なく笑った。
「僕より小さなマーヤに言われるとちょっと力が抜けるね。君こそどうやって抜け出して……」
マークはそこで言葉を切って、急に首を右に向ける。
「君の追手みたいだよ。ちょっとここに長居し過ぎたんだろうね」
「え?」
マークの治療のあれこれで、自分が逃げ出してきているところだってことが、すっかり頭から抜け落ちていた。
──追いかけてきたっていうの?
「だれがいるの?」
マークが顔を向けたほうに声をかける。なんとか時間を稼いで逃げる時間を作りたい。なぜなら──
──今はまだマークを戦わせるわけにはいかない……
さっきの様子だと、自分が捕まっても、人質にするためなのだから、傷付けられることはない。だからマークだけでも逃がしたい。そう思ってマークを引っ張って一人で逃げるように促す。
……しかし、もう遅かったようだ。
マークが声をかけた方から一人、そして反対からも一人の男が近づいてくる。
「お嬢ちゃん、よくもまんまと逃げてくれたな。お行儀の悪い子にはお仕置きが必要だ」
「そっちのガキは、悪いが巻き込まれてもらうぞ」
私たちを挟むように立っていたのは、今朝、剣士とともに私を攫った二人の魔術師だった。