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3-6

 ようやく、我に返った私が最初に見た光景は、宙に浮いたスリヤが剣士の一撃を受けて、地面に落ちていくものだった。いや、それを見ることで我に返ったのかもしれない。スリヤに言われるがままに逃げ出しかけていた私は、その瞬間に踵を返してスリヤが落ちた場所へ駆け寄っていた。


 「なんなのよ!あんたたち!一体何がしたいのよ!」


 答えを期待したのではないが、叫ばずにはいられなかった。地面に落ちたスリヤを思わず拾い上げようとする。マナと魔力で構成された体は、本来どんな物体でも通過するはずなのだが、なぜか私の手にすっぽりと納まり、胸元に抱えることさえ可能だった。


 その、手の中の存在感が薄れていく。


 ──スリヤが消えちゃう!?


 慌てて目をやると、赤いナース服に包まれていたはずの小さな姿がどんどん透けていくように見える。


 それに気を取られている私をみながら、くくくっと嫌らしく笑ったのは、スリヤを剣で落とした男だ。私の後ろにさっと回り込んでいく。家への退路を断たれた形だが、すでに私にはほとんど退路はなかったのだ。幼い少女の体で走って逃げても限界がある。


 「お嬢ちゃん。あんたのお父上と話をしたいのさ」 


 ──お父様に?今、何が起きているの?


 何が起きているのかさっぱりわからない。ここ数日はプラナの制御の練習に夢中で、父の仕事になど興味を向けていなかった。


 「お疲れさん」


 後ろから声がしたと思えば、直後に私の頭の上から網が降って来て、覆い被さる。それはそのまま球状に、私を取り囲み、プカリと宙に浮かびあがった。


 「え、なにこれ!」


 思わず声を上げて、網から逃れようと引っ張ったり押したりするが、びくともしない。


 「スリヤ、これなに?なんだろう?」


 混乱で上擦った声でスリヤに話しかけた私が、そのとき目にしたのは、陽炎の様に揺らめいて、完全に透き通ってしまう直前のスリヤだった。


 ごめん────。


 そう言っている様に唇が動き、完全に消えてしまった。


 慌てて目をこらして、魔法の視力で周りを視ても、どこにもいない。


 ──本当に、消えちゃったの?


 私の中で、徐々に高まっていた恐慌が、目の前での友の消失で極限に達した。私は、外見のままの子供の様に、声を上げて泣き出していた。


 「なによぉ、なんなのよぉ、あんたたちなんて嫌い。」


 捕らえられた球体の中で、グスグスと鼻を啜りながら、友の名を呼ぶ。


 「スリヤ、スリヤ。スリヤが、いなく、なっちゃった」


 ここ数年、ずっと一緒だった。何をするときにも一緒にいて、独り言の代わりにスリヤに話しかけていたくらい、そばにいるのが自然な存在だった。ぽっかりと心に大きな穴が開いたような気がする。


 どれくらい経ったのだろう。周りをみる余裕もなく泣き続けていると、いつの間にか網から出されていて、なにやら薄暗い部屋の中に立っていた。魔術師が一人、目の前にいる。


 「あの精霊はどこへ行った?」


 抵抗しようという気力もなく、問われるがままに、口を開く。


 「消え……」


 ──やだ!スリヤが消えたなんて、認めない!


 それを口に出すことで、この男に告げることで、事実になってしまいそうで、開きかけた口を閉じて下を向く。こぼれた涙が床に染みを作る。


 ふふんっと前方から鼻で笑うような声がして、嘲る様な言葉が叩きつけられる。


 「ドルーガの剣士が精霊をも斬れるってのは本当らしいな」


 魔術師はそう言って、手にしていたランプを床に置くと、私を一人残して部屋を出て行った。


 そのときまで、喪失感で一杯だった私の中に、別の感情が芽生えた。


 ──あいつ、許さない。絶対許さない。


 それが魔術師一人のあざけった笑いを許さないのか、彼らの仲間全員のことなのか自分でも判然としない。そんな混乱のままに、大きな怒りが私の中に湧き上がり、悲しみに占領されていた心に別の方向性を与える。


 ──絶対脱出して、あいつら全員お父様に引き渡してやる。


 怒りと悲しみで冷静さを失っている私にとって、取りうる手段はそんなに多くはない。彼らに復讐をしようにも私は闘うすべがない。魔法は他人に向けてダメージを与えられるようなものは習得していないし、格闘術など前世含めても、習おうとは思ったこともなかったのだ。だからどうにかして逃げ、そして人任せだが父に頼る。


 この決断のおかげで、悲しみに固まっていた体が、動かせるようになった。


 ──ここ、どこなんだろう?


 魔術師が置いて行ったランプを手に取って、あたりを見渡す。


 ──椅子ぐらいおいて行きなさいよ。


 部屋は家具もなければ窓もない殺風景な部屋で、正面に木でできた扉がある。入ってきた扉なのだろう。そこの鍵が開いていたり見張りがいないことは期待していないが、試すくらいはかまわないだろう。扉の取っ手に手をかけて、開くかどうかをゆっくりと試す。


 「お嬢ちゃん、魔法でカギを掛けてあるから開かないぜ。諦めな」


 外から先ほどの魔術師の声がする。もし手段があったら、カッとした私は何か衝動的なことをしていたかもしれない。魔法の攻撃を効く効かないに関わらず放つようなことを。幸か不幸か、私の魔法では人に対しては大したことができない。地水火風の各要素を少しずつ活性化することが私の魔法のすべてだ。もし出来るのであれば、魔術師の脳髄液を直接熱して脳を殺すなどというような、医療を目指すものにあるまじき魔法を使い、後々まで後悔することになったかもしれない。しかし、プラナに満たされた人体──に限らず、生命には直接的な魔法では影響を与えることができない。プラナがマナを締め出すので、体内にはマナが存在しないからだ。


 ──魔法、なんか武器になるものを習っておけば良かったな……なんどかスリヤが教えてくれるって言ってたっけ……


 また、悲しみの底に潜り込みそうになるのを、振り払うように頭を横に振って、気を取り直す。そして、出来もしないこと──あの魔術師をどうにかするのを諦めて、ランプを片手に部屋をぐるりと周る。


 ──あれ?


 なんだか記憶の底に何かが引っかかるのを感じる。


 ──なんで、私はこの部屋を知っているの?


 もう一度、部屋をじっくりとみる。


 扉。飾り気のない、倉庫なんかでよく使われる木の扉だ。よく見ると強い防御の魔法がかかっている。たとえ私が魔術師に何かしようとしても、また魔法で扉を壊そうとしても無理だったことがわかる。

 壁。全面が煉瓦で覆われている。煤や埃での汚れが酷い。窓がなく、ランプを掛けるためのようなフックがたくさん突き出している。

 床。正方形の板を並べた板張りの床は絨毯で覆われることなくむき出しで、部屋の殺風景さを増している。


 ──わっかんないなあ。なんなの、もう。


 違和感の正体が分からず、途方に暮れて天を仰ぐ。すると、────


 ──あれ?あの紋章は!


 天井の真ん中にうっすらと家紋の様なものがみえる。 ランプを持ち上げて天井を照らすようにして、目を凝らして見直すと、それは見覚えのあるものだった。一度思い出すと殺風景なだけに見えた床板にも見覚えがあることに気づく。


 ──ここ、もしかして、おばあちゃん家?


 家紋にみえたのはメリーズ商会の紋章だ。母の実家で、ローランディアにも幾つか屋敷がある大店だ。おばあちゃん──母方の祖母の屋敷には何度も見舞いにいったことがある。ずっと病床にいて話をする以外はなにもできなかったのだが、孫娘の私をすごく可愛がってくれた優しい人だった。見舞いの合間には、よく屋敷中を探検していた。この部屋は、埃にまみれているが、その屋敷の書庫にそっくりなのだ。


 ──本がないと、ずいぶん見え方が変わるんだ。


 この家はもう使われてはいなかったはずだ。祖母は一昨年に亡くなってしまった。ライラでも治せない病気、ガンだった。早期のガンなら摘出すればいいはずなのだが、ライラが診たときには既に、体中に転移が進んでいて手の施しようがなかったらしい。私が治癒術にこだわる理由の一つなのかもしれない。


 ──ここがあの書庫だとすると、こっちの壁の向こうは倉庫だったはず。


 記憶にある、屋敷の間取りを思い浮かべて考える。扉を左に見たところにある壁は、煉瓦なのに、隣の倉庫での話し声が書庫に聞こえるくらい薄かったはずだ。そして書庫の上には、祖母の病室。この屋敷を使っているなら、あの魔術師の仲間が集まるのはリビングとか食堂で、病室とは反対側のはず。そして、この床も確か────。


 ──有った!


 目当てのものが見つかった。さてどうやれば脱出できるだろうか、考えながらもまず、周囲のマナを確認する。若干地上よりマナが濃く見える。これだけマナがあるなら、可能かもしれない


 ──よし、最初に扉を閉じこめちゃおう。


 まずは、壁や床に着いた埃から水を奪う。熱を加えて乾かしたのでは、固まってしまうかもしれないから、水の魔法だけを使う。奪った水分で大きな水の玉ができあがるのを苦心しながら風の魔法を使って宙に浮かせておく。そして乾いた埃を風の魔法で動かす。湿気がなくなってあちこちに散りそうなのを、苦労してを一カ所にまとめて埃の塊にする。


 ──結構繊維のくずが多いわね。本の紙かな。


 その塊にした埃と水を空中で混ぜ合わせて、この部屋の唯一の扉と周りの壁のあいだの隙間を埋めてしまう。木枠と木の扉の間の隙間が狭かったのが幸いして、壁や床から集めた埃だけでなんとか扉の開口部を埋めることができた。

 やろうとしているのは簡単なことで、扉を開閉するときの動きを、開く側の隙間を塗り固めることで制限しようとしているのだ。埋めただけでは、大人が力任せで押せば開くだろうから、火の魔法で高熱をかける。


 ──お願い、上手くいって。


 扉の防御魔法が邪魔をしてくれて、見張りの魔術師にばれないことや、今の企みがうまくいくことを、祈るような気持ちで熱をかけ続けた。


 そういえば、この世界でこういうときはどの神様に祈るのだろう。ライラが信奉する治癒の女神にお願いするようなものでもないだろう。


 そんなことを考えつつ、数分間、熱をかけ続けたのでかなりくたびれた。魔力は体外のマナから抽出して使うものなので、使い手が疲労するのはいつも不思議に思うのだが。


 扉に近寄って出来栄えを確認する。


 ──まあまあ上手くいったよね。


 理想は、扉の開口部が陶器化して埋まってくれることだったが、ところどころ乾いただけの土だったり、陶器になっていてもひび割れたりしている。繊維くずが多かったので陶器としては質は悪そうだ。


 ──でも、足止めくらいには使えるよね。全然開かないのもまずいし。


 扉の外にいる見張りの魔術師がなにか反応しないか、しばらく様子をうかがいながら、息を整えて疲労回復に努める。


 次にやるのは、壁と、天井──病室の床にあたる部分だ。大きな音が出るだろうから、先に天井を開ける。


 木の天井を切り抜くのだけど、私には、太い木を刃物やのこぎりを使ったように切り取れるような魔法は使えない。どうやればいいかも想像がつかないので、地道に火の魔法で焼き切ることにした。


 ──ああ、結構分厚いわね。


 休み休み、魔法を送り漸く天井から私の体が通るくらいの大きさで木を切り抜いた時には、疲労感で腰が砕け、危うく落ちてきた木を受け止める魔法すら発動できないところだった。


 ──あっぶない。まだ大きな音を立てるわけには行かないのに。


 板切れをそっと床において上を見上げると、ちょうど祖母のベッドの下に穴が開いたようだ。


 ──よし、後は壁だけだ。


 この、倉庫との仕切りの壁は他の壁と違い、つくりが雑だ。煉瓦を積み重ねた間のモルタルが、さっき私が扉を固めたものよりもさらにぼろぼろになっていて、煉瓦と煉瓦の間を砂が噛んでるだけのようになっている。


 ──危ないなあ。だからこの家使ってないんだろうか……?


 重なってるだけの煉瓦は、いくつかを引き抜けば連鎖的に崩れてくれそうに思えて、試しに一つを抜き取ろうとしてみる。しかし、さすがに私の力で抜けるものではないようだ。しかし、砂状になってしまったモルタルなら、風の力で取り除けそうだ。


 その時────。


 「おい、嬢ちゃん、飯持ってきてやったぞ」


 外の魔術師の声がする。急がなければ。


 「いらない」


 不自然に大きな声を出さないように答えながら、風の力を操る。


 「まあそんなこと言わずに食えよ。……うん?おい!!」


 扉が固まっていることに気付いたようだ。もう時間はない。一気に力をつかって壁の間の砂を吹き飛ばし、用意をしていた隠れ場所に転がり込む。


 ──気付かれないと、いいな……


 祈るような気持ちは、魔法の使いすぎによる疲労が連れてくる睡魔に勝てなかった。


 暗転しつつある意識の端で、遠くから響いてくる、壁が崩れる大きな音を聞いた。



 

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