3-5
──なんで私はこの子のことを守ってるんだったっけね。
スリヤは自分の行動を不思議に思っていた。ほんの数年前まで、彼女は自由気ままな精霊で、世界中のあちらこちらをふらふらしながらも、人間と係わり合うことなんてほとんどなかった。そんな彼女が、契約を行った覚えはないのに、いつの間にかマーヤとはいつも一緒に行動して、いまはこの小さな人間の娘を他の人間から守っている。
いままで人間のことなんて全く興味もなかったのに、マーヤを守るために人間同士の諍いに首を突っ込もうとしている。スリヤにとっては何の益もないはずなのだけれども、助けるのが当然だと思っている自分が少し可笑しい。
──まあ、何かの縁かね。
埒もない思考を打ち切り、周りを確認すると────
東ローランディアの朝の街道で、その人間の娘、マーヤがなにやら怪しい三人の男たちに取り囲まれている。彼らの服装だけ見れば、ごくありふれた格好かもしれない。職人のような姿の男二人はこんな時間でなければ町の喧騒に紛れていてもおかしくはない。もう一人は動きやすそうな服装をした傭兵風の男で、傭兵や魔物ハンターが多いこの町では珍しくもない。その男が原則帯剣が禁止されている街道沿いで、剣を腰に差していることを除けば、だが。剣士なのだろう、その傭兵風の男の剣はさやに納まっているが、スリヤにはなんだか曲がっているように見える剣は魔法の力はこもっていないようだ。しかし、職人の二人からは魔法の力を感じる。
姿を現さずに男たちの様子を見ていたスリヤは、この男たちがまともな用件でマーヤに近づいているのではないだろうとみなした。たとえそうであったとしても、無言で取り囲むほうが悪い。いきなり囲まれたマーヤは混乱しているようだし、相談している場合でもない。
スリヤは先に仕掛けることにした。
朝のまだ冷たい空気を、スリヤの放った魔法が切り裂く。その、死なない程度で倒れてくれればと放った軽い雷撃はしかし、二人の魔法使いが作ったマナの障壁で阻まれた。
「いきなり雷撃でお出迎えとは、物騒だねぇ」
職人風の魔術師がにやにやと笑いながら声を出す。
「小さな女の子を相手に、大の大人が三人で取り囲んで何しようってんだい」
スリヤがその小さな姿を、マーヤの頭上に現しながら問い詰める。いつものナース服姿は内心の怒りを表しているように真赤だ。両手にはスリヤの体ほどもある注射器のような物を抱えている。もし、マーヤに余裕があれば、その姿を滑稽に思ったかもしれない。しかし、長い間平和に生きてきた彼女とって、突然大きな男たちに囲まれたと思えば、スリヤが魔法の攻撃で先制するなど未曽有の経験で、その状況についていけずに固まってしまっている。
「さすがに宮廷魔術師アストリウス卿だ、娘の守護に高位精霊をつけてるとはね」
スリヤの問いには答えず、もう一人の魔術師が感心したように言う。マーヤの父がカイル=アストリウスであることを知っていて、マーヤを襲うということはカイルのほうに原因があるに違いない。
「あいつに用があるなら直接言ったらどうだい?」
忌々しげにつぶやきながら、マーヤに念話を送る。
『マーヤ、私が行けと言ったら後ろに逃げるんだよ』
その方向には、マーヤの自宅に行く道が伸びている。前方と左右をから囲んできた男たちだが、両端の魔術師が、スリヤの雷撃から中央の剣士を守る動きをしたため、三人が前方に固まっており、後ろは比較的開いた格好だ。スリヤが視る限り剣士の持つ剣や着こんでいる服には魔法の力はこもっていない。だから魔法を使ったこの戦いでは、魔術師だけを意識すればいい。
『わ、分かった』
自分がひきつけてマーヤを逃がす。それしかないと考えたスリヤは男たちに向けて力を込めて魔法を放つ。
『今!』
スリヤの念話とともに。注射器の形をしたマナの塊が三人に向けてそれそれ飛んでいく。
「ふん」
魔術師二人は魔力を込めたマナの障壁を展開してそれを防ぐと、魔法の注射器がその障壁に突き立つ。魔法の衝撃を予想していた魔術師が気を緩めた瞬間。
「弾けろ!」
スリヤの声とともに突き立った注射器が大きな爆発を起こした。
「うお」「くそっ」
爆発は魔術師の障壁を突き破り、男たちを吹き飛ばす。
マーヤは爆発の音を背中で聞きながら懸命に走る。少女のまだ小さな体躯で出せる限りの速さで自宅の方を目指す。
『急いで!』
マーヤを後ろから追いかけ、念話を送りながらも、魔術師を長く食い止められるとは考えていない。マーヤに追い付けば、すぐにでも一緒に飛んで逃げるつもりだ。
不意に、嫌な気配を感じたスリヤが後ろを向くと、まだ爆発の影響を受けている魔術師をよそに、剣士が一人追ってきていた。
あの爆発の影響をほとんど受けていない。
「丈夫だね!!」
マーヤに迫る剣士の前を遮って、再度スリヤが電撃を今度は手加減なしで放つ。食らえば巨獣でも一溜りもなく斃れそうな威力だ。魔法を防ぐすべのない剣士は一溜りもなく斃れるはず。
彼が普通の剣士であったとすれば、だが。
「はぁっ!!」
剣士は気合を込めて剣を抜き放つと、驚くことにスリヤの電撃を剣の一撃ではじいてしまう。
「そんな馬鹿な!」
魔力の籠っていないはずの剣で自分の魔力を込めた雷撃がはじかれた、そのことに衝撃を受けた次の瞬間。
「でやぁぁぁ」
剣士の剣の一撃がスリヤの胴を打つ。マナと魔力で構成された精霊のその体を、魔力の籠っていなかったはずの剣がとらえて、スリヤを吹き飛ばしていた。
「こ、これは、プラ、ナ?」
勢い余って地面にたたきつけられたスリヤが、逃げることを忘れて、慌てて戻ってきたマーヤに拾い上げられた。
「スリヤ!!いやよ!大丈夫?スリヤ?」
そして男たちに向かって叫ぶ。
「なんなのよ!あんたたち!一体何がしたいのよ!」
マーヤは怒りのおかげで、少し平静を取り戻しつつあるのかもしれない。
そんなマーヤを見てくくくっと笑いながら、剣士はそれでも油断せずにマーヤの後ろに回り込んで退路を断った。
「お嬢ちゃん。あんたのお父上と話をしたいのさ」
剣士が一歩前に詰める。剣士のほうを振り返ったマーヤが、力なくぐったりとしたスリヤを抱いたまま、後ろにじりじりと下がっていくと、後ろから声がした。
「おつかれさん」
その声と一緒に、頭の上から網のような物が降ってきて、マーヤをすっぽりと包んでしまった。爆発から回復した魔術師のひとりが投げた、その網のようなものは、球状にマーヤとスリヤを覆うと、プカリと宙に浮かびあがる。
「え、なにこれ!」
慌てたマーヤが、網から逃れようと引っ張ったり押したりするが、網はびくともせず、まるで宙に浮かんだ丸い鳥かごに閉じ込められているようだ。
「その精霊縛ってのはすごいもんだな」
剣士が呆れたように首を振りながら、それでいて感心したような顔で言う。
「宮廷魔術師団謹製の品だからな。」
「そうよ。アストリウス卿も自分たちが作ったもので自分の娘が攫われるとは思っていなかっただろうよ」
魔術師ふたりが口々に言う。そう、これは王宮から盗み出された魔法具だった。
「これに閉じ込めちまえば、中で泣こうがわめこうが、外には聞こえない。便利な道具だ」
魔術師が、今度は剣士に向かって、
「デニエルさんよぉ。さっきのが音に聞こえたドルーガ剣術の霊剣って奴か。あの雷撃を剣で叩き落とすとは、流石ドルーガだぜ」
`
「とっくに破門されてるがな」
ダニエルと呼ばれた剣士は口の端をゆがめて答えるが、魔術師はなおも言葉を重ねる。
「霊剣を使える人間ってのはドルーガでも貴重だって聞くぜ。そんなのがただ破門で済むとは思えんがな」
「だから命を狙われてるさ。ドルーガの刺客にな」
剣士の笑みに凄味が加わり、魔術師は二の句が継げなくなった。そこへ────
「よう、お前ら早くしてくれ、人払いの術はもう一時間もすれば切れちまうぜ」
離れた所から声がする。行商人風の若い男が、手を振っている。大がかりな誘拐劇に町が騒ぎださないよう、人払いの魔法でひとを寄せ付けていなかったようだった。
魔術師二人と剣士は顔を見合わせて頷くと、プカリと浮いた精霊縛を引っ張りながら若い男の方に歩いていく。中でマーヤが何やら叫んでいることは彼らの意識からすでに抜けていた。
◆ ◆
目の前の屋敷に、マーヤが連れ込まれる。マークは、隠れ場所から寸でのところで飛び出して、後先考えずにマーヤを救うための行動を起こすところだった。
──出たからといって救えるわけじゃない。
それに、行動を起こした彼らは、この後依頼者と接触するはずだ。そこで依頼者を突き止めなければいけない。
──あの子煩悩なアストリウス卿が、マーヤにスリヤが付いているだけで安心するはずはない、まだなにか保護の術を彼女に用意しているはず。きっとマーヤは大丈夫だ。
マークは必死に自分を抑えながらも、それほどまでにマーヤのことを気にかけている自分に驚いていた。
──同類の匂いがするから、かな?
独白しながらも、体内のプラナを活性化させて、屋敷の中の気配を探る。最近の一週間でマーヤの気配とプラナについて慣れ親しんだおかげで、彼の五感には彼女がどこにいるのかが屋敷の外からでもはっきりとわかる。
──地下、か。さっきの魔法の網みたいなのは外れてるな。少し離れたところに男が一人。部屋の外での見張りだな。
この屋敷の見取り図は、カイルから入手して頭に入っている。マーヤは当面、監禁されそうだが殺されたり、怪我を負わされる可能性は低そうだ。
──なぜマーヤをさらう?やはりアストリウス卿の関係か?この時期を狙うということはやはり、そういうことなんだろうな。
今日は一日をかけてエルファシア姫の市民へのお披露目のパレードがある。内々に決まった婚約の日取が迫っている姫だが、相手が帝国の皇族の血を引く公爵だということもあり、市民にも認められた、ファランクの正式な王族である必要があったのだ。
──だとすれば、姫の守護を薄くするために、マーヤを使うということか。
脅すのか、罠にはめるのか、どうにかしてカイルを姫の守りからはがして、手薄になったパレードを刺客が狙うと考えられる。
──どちらにせよ、待つしかないな。
屋敷から感じるマーヤの気配から、彼女が元気な様子を見てとりながら、気配を殺して一人考え込む。そして1時間ほど経った時ようやく、屋敷に動きがあった。屋敷の前でまるで出入りの商人のような格好の男がたって、あたりを油断なく見まわしている。
──スパイだな。かなり訓練されてる。きちんと気配を隠さないと見つかる。
マークは、これが待っていた男だと確信していた。だれがこれを仕組んでいるか分らないが、黒幕が直接動くことはないはず。必ず連絡係がいて指示を仲介している。その連絡係に付いていって命じたやつを突き止めるのだ。そして、この訓練されたスパイこそ連絡係に違いない。
やがて出てきたその連絡係を追うことにした。マーヤを囚われたままにして、あとに残しておかなければいけないことが、引っかかり、後ろ髪をひかれながらも、周到に気配を消す。訓練された人間にとって、魔法が使えなくても遠くの人間の気配を捕捉することは困難ことではない。人が動くときの衣擦れや、心臓の鼓動や血流は、普通の人間の可聴域でこそないが、音を出しているし、普通の音よりも遠くに届くものがある。魔法を使えばさらに、人の気配を補足することは易しい。体温は熱を放出するし、人が動けば周りにあるマナを押しのけるのだ。そう言ったさまざまな変化を魔法や訓練された感覚で捕らえることを気配を読むなどという。
こんな仕事の連絡係に気配を読めないものを使うことは考えにくいので入念に気配を断たなければいけない。マークはプラナを体の周りに巡らせて、音や熱を遮断して、ほぼ完全に気配を消す。ここまで気配を消せば野生の動物でもマークに殺される瞬間まで気付かないだろう。ここまで気配を遮断すると、逆に周りの気配を読みにくくなるが、今回は追跡する側なので、問題はない。
連絡係を尾けて歩くこと半時間────
──どこまで行きやがる。
マークはじれながら尾行を続けている。連絡係は、かなり大回りして、人通りの多いところなどを通っている。町はパレードを見に来た人たちや、それを目当ての屋台などでにぎわっている。誰かを尾行しているとき、人ごみでは二つの意味で難しい。一つには見逃しやすいことで、これは訓練を積んだ尾行者なら大きな問題はない。もうひとつは、周りが尾行者を見たり話しかければ、それが自分の気配となって相手に気付かれやすいことだ。マークは周りの人間に奇異に感じさせないように気配を調整しながら、後を追う。
やがて、連絡係は東ローランディアの上級地区に入った。そしてついに入って行った屋敷のある場所は、先ほどの屋敷からは目と鼻の場所にあるところだった。
──ずいぶん警戒してるな。雇った連中にも気を許していないってことだな。
屋敷がだれのものかは宮廷魔術師に調べさせればいい。マークはしばらく屋敷内の連絡係の気配を読んで、それが屋敷の中で動かないことから、ここが連絡係の目的地らしいことを確信して、気を緩めた。その瞬間────
ブオォン
マークが慌てて下げた頭の上で剣が風を切って通り抜けた。
「ほほう、これを避けるとは、只の小僧じゃねえな」
飛び退ったマークの眼前には、マーヤをさらった中にいた剣士が立っている。
ドルーガ剣術のはぐれ剣士、デニエルが丸腰のマークを楽しそうに見つめていた。