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どうやら、私は生まれ変わったらしい。まだきちんとは開けることもできない目を、一生懸命に開いて見えてくる世界の端に、たまに映り込む自分の手は、どう見ても赤ん坊の小さな手だ。細くて、小さな指がピンク色の丸々とした手のひらから伸びている。それは自分の手のはずなのだが、小さくてかわいらしくて、息子や娘の子供のころを思い出す。
思わず笑みが浮かぶ。笑みが浮かぶだけではなく、キャッキャッと声が出て、手足をバタバタして喜びを全身で表してしまうのは、赤ん坊の本能的な反応なのだろうか、ちょっと制御できない。
「あーらマーヤちゃん、ご機嫌ねぇ、どうしましたかぁ」
私の名前はマーヤと言うらしい。愛称かもしれないが。その名前で優しく話しかけてくれるのは、おそらく今世の母なのだろう。やわらかい声が耳に優しい。まだ焦点が合わない目では、母のはっきりとした容姿はわからないのだが、どうやらコーカソイドのように見える。
キリスト教圏でも転生ってあるのかな、などと思った理由は、言葉だ。残念ながら日本語ではなかったのだが、まったく知らない言語でもない。ところどころ知らない単語が出てくるのだが、私の知っている英語でかなりの話が理解できたのだ。完全な英語ではないのだが、英語の変形、のようなものにおもえた。
──英語圏の国に生まれ変わったのかな。
そんなことを思っている。
生まれて数か月で、目の焦点すら合わない子供の脳のどこに、英語の知識を含めた前世の記憶があるかなどは、あまり考えないことにしよう。
「マーヤちゃんどうしたの、今度は難しい顔してしてるわねー。おしっこかな?」
少し考え込んでると、母が私を抱き上げて、顔を覗き込んできた。そうすると不思議なもので、自然に心が浮き立ち、顔には笑みが浮かぶ。私は喜声を上げながら、覗き込んでる母に手を伸ばし、届いた母の肩をつかんで引き寄せようとしたりしていた。
前世で50年生き、今も前世と同じ思考力を持っていると思うのだが、感情や反射や本能なんかは、どうも今世の年齢に引きずられるようだ。そうじゃなければ、飢えてしまったかもしれないから、助かる。精神年齢50のままだと、母のおっぱい求めて泣くのは死ぬほど恥ずかしかったことだろう。しかもその母は前世に残した娘とそう変わらない年齢に見えるのだし。
「よーしよし、マーヤちゃんいい子ねえ」
母は上機嫌で私をあやしてくれる。時折顔を覗き込みながら、全身で揺らしてくれるのだ。すっかりと守られている実感があり、大変気持ちがいい。
母の腕の中で揺れていると、ゆっくりと眠気がやってくる。私は眠気に逆らうことはせず、母の胸の鼓動を心地よく聞きながら意識を手放した。
──大きくなったら日本に行って、自分の子供たちに会うのもいいかも。
なんてことを夢想していた気がする。
◆ ◆
2歳の誕生日を迎えるころにはもう、日本に帰ったり、あわよくば、娘たちに会おうなんて希望は捨ててしまった。この世界の世界地図に、日本がなかったのだ。なかったのは日本だけではない。私が見たのは、見たこともない形の大陸のみが描かれていて、赤道も極地も描かれていない、何とも不完全な地図だった。
話してる言葉が英語に似てるのだから、地球の未来なのかもという期待も、その地図で吹っ飛んだ。明らかに地球じゃない、それに地図の出来を考えると、明らかに文明レベルが低いのだ。
そして何より、この世界には魔法があった。
私の父は魔法の才能を持っていて、その力で宮廷魔術師の地位に就いていた。……どうやらこの国は王政らしい。父は普段あまり魔法を濫用しない人の様なのだが、たまに私を魔法で宙に浮かべてあやしてくれる。下に何もない空間にふわふわ浮かんでいるというのは、最初は生きた心地がしなかったものだ。せめてゆりかごに乗せてほしかった。
それはともかく、その時にはっきり悟ったのだ。どうやら、ファンタジーな世界に紛れ込んだようだ、と。
また、たまに父は、王宮で王族がたに各国の話をする吟遊詩人などを、家に連れて帰ってきて泊めてやることがあった。詩人たちの語る世界の話は、とんだおとぎ話だった。竜が空を舞い、妖精や鬼が森や山には棲んでいるらしい。そして、魔法で強化され、魔獣や魔物になった生き物たちを狩り、人間の版図を守ったり、皮や爪を採取して町で売るハンターと呼ばれる人々もいるらしい。
前世で息子がやっていた、ロールプレイングゲームってのを思い出した。50年間の前世の経験は、この生では役に立ってくれるんだろうか……