3-4
──アストリウス卿がこんなに子煩悩だったとはね。
招かれた夕食の席につきながら、マークは心の中で苦笑する。
治療院でマーヤに治療を受けたあとマークは、怪我の原因となったトラップを仕掛けた張本人のカイルに出会ってしまった。その場の話の流れで何故だかアストリウス邸に招待されてしまったが、王宮では冷徹で知られる宮廷魔術師の、知られざる一面を見て驚くとともに楽しんでいた。この宮廷魔術師に対する彼の評価は、非常に有能だが、堅物一辺倒で面白みのない男というものだったのだ。それがどうだ、自宅とはいえマークがいる前で娘に見せる笑顔は、もう少し崩れれば、だらしないくらいの満面の笑みだ。
──溺愛というか、親バカだな。
心の中で少しだけあきれながら、カイルの横に座る少女のほうを見遣る。治療院の部屋の明かりで、最初に彼女の金髪と灰色の瞳を見たときは、エルファシア王女と同じ色の組み合わせにおどろいた。顔立ちは凄く似ている、というものではないので見間違えたりはしなかったが。マーヤのほうにはエルファシア王女より意志の強さが目や口元からうかがえる。
──これで6歳……とはね。
エルファシアと同じ歳にしては大人びているとマークは思った。いや、大人びているどころか先ほど診察してもらいながら、まるで大人の治癒師と接しているように感じた。
──ただの早熟ってことはなさそうだね。
そう、マーク自身と同じように。
マークがそんな考えを巡らせている横でサーヤとマーヤの母娘の会話は進んでいた。
「それで、お祖母様が壁の外に行ったのね。市内まであと一歩のことろで熱を出すなんて、その子も不憫ねぇ。市内に入れないのが疫病が理由だとすると、しばらくは隊商と一緒に足止めね。市内にはいってもしばらくは治療院に足止めさせられるんじゃないかな。お祖母様が診てるならお祖母さんの治療院で診ることになるのかしら」
どきりとしたのが表に出ていないか、マークは周りの様子をうかがってしまった。
──あの隊商には子供は一人しかいなかったはず……病人はやっぱり彼ということか、厄介だな。市内の当分の逗留先があの治療院だとすると、少し対策を練らないといけないか。
警護のしやすい商人の屋敷に逗留できないのは痛手だが、逗留先が知ってる場所になりそうなのは僥倖といえるかもしれない。当面彼が外にいる間は治療院周辺を探っておけばいい。
方針を固めると、食事中の話題を自分からも振ることにした。食事に招かれたら話題を提供するくらいは、招かれた人間のマナーだろう。
「マーヤさんは6歳で見事な魔法を使うんですね。さすがはアストリウス卿のご息女……」
実際、治療院でみた乾燥の魔法は見事だった。子供が使える魔力量であの魔法を使うのはかなりの技術が必要なんじゃないだろうか。
……この話題から、なぜか神殿に忍び込んだ話を白状させられる羽目になるとは、マークは思っていなかった。
◆ ◆
その翌朝、そのままアストリウス邸に泊めてもらったマークは、朝の修練に庭を借りようと外に出た。
──おや、あの娘か。
庭には可愛らしい先客がいて、体中のプラナを活性化させている。
「へえ、きれいなプラナの制御だ。」
思わず声を出していた。これほど見事に制御されたプラナをみたのは高位の神官以来じゃないだろうか。
そして、これだけの制御ができてて、自分の怪我は治せるのに他人の治癒には使えないという話に興味を持ってしまった。
──面白いな。魔術師に治癒者がいないのと関係があるのかも。
「プラナが大半の人に訓練次第で見えるって話の、訓練方法って知りたくない?」
人にものを教えるのは苦手なんだよな、などと思いながらも、そんなことを言ってしまったのは、新しいものを覚えようとしているエルファシアとマーヤをどこかで重ねていたからかもしれない。
こうして早朝アストリウス邸に寄って、マーヤにプラナ制御を教えるのは日課のようになった。そうすると、なぜかカイル=アストリウスのマークへの対応は、日を追って冷たくなっていったが、教えるのもマーヤが伸びていくのを視るのも楽しくて、マークはあまり気にならなかった。
毎朝マーヤの相手をし、王宮ではストイコ王子と一緒に剣の稽古をする。座学が少々苦痛になってきたマークは、ストイコ王子をそそのかして、午前中を剣術の授業に替えてもらったのだ。剣術指南役の教える王家の剣術にはマークの知らないものも多く楽しんで体を動かすことができる。
「マークは本当に大人顔負けに剣を扱うね。勉強もサボってても僕より覚えてるし。なんでそんなになんでも出来るんだろ。」
マークが剣術指南役に稽古をつけてもらっているのを観ながら、ストイコ王子がうらやましそうにつぶやく。
「何をおっしゃってるんです、殿下の剣の腕も素晴らしいじゃないですか。先日騎士見習相手に立ち合いで勝利を挙げたと聞きましたよ。それに殿下が私より強くなったら、御守りする必要がなくなります」
マークは、ストイコ王子とは同じ歳で子供のころから兄弟のようにして育った仲だが、幼いころから君臣をわきまえて接していて、普段から王子へは敬語で語りかける。
「騎士見習って本当に見習だったよあれ、歳はずいぶん上だったけど剣握って三日とかそんな程度だよ」
ストイコ王子が向きになって言う。
「いえいえ、今の時期ですと見習騎士も半年くらいは稽古をしてるはずですぞ。私が視る限り殿下の腕だめしに見習騎士なんぞもっての外です。若手騎士に交じっても十分やれますぞ」
顔の下半分が髭に覆われた、熊のような大男の剣術指南役がにこやかに口をはさんでくる。彼は王家に伝わるローランディア剣術の師範の一人で昔から二人に剣術の稽古をつけている。爵位は無いが剣の腕と教える能力を買われているようだ。
「ま、マーク殿はちょっとばかし腕が立ち過ぎですけどね。まだ腕力が足りないが、あと10年もすれば私も勝てなくなるんじゃないですかね」
指南役が付け足した言葉にストイコ王子はため息をついて、力なくマークに笑いかけた。
……
午後は下町まで足を延ばして治療院の様子をうかがう。
主も助手もいない治療院はひっそりと静まり返っていて、時折留守を知らない患者が様子を見に来るくらいでひとけがない。
しかし、マークが物陰に身を沈めながら周りをうかがっていると、明らかに様子のおかしい人影がちらほらといる。どう見ても治療院の様子をうかがっているようだ。
……翌日も、同じ人影が同じような物陰に潜んでいるのが見えた。
──耳が早いな、もうこの治療院のことが漏れてるのか?
その人影は日が暮れるまでそこにいて、夕闇にまぎれるようにして去ろうとする。マークは、その影の後を気配を絶ちながら追いかける
── 一人じゃないのか。5人、いや6人か。
距離を置いてその影を追いかけていると、より遠くから治療院を見張っていたらしい気配を、複数感じる。思ったより大規模だ。
──この人数相手に一人で警護は、ちょっと厳しいな。物々しくしたくはないけど、隊商にまぎれてるはずの衛士を借りる手はずをしておかないとね。っと、ついていかないと見失う、危ない危ない。
その日はその6人を追いかけてどうやら隠れ家らしいところを突き止めた。これもカイルには報告しておくべきだろう。……尾行したなどと言えばまた説教されそうではあるのだが。
そして、足止めされていた隊商が市内に入る日がきた。
カイル=アストリウスの執務室で、マークがカイルと向き合って座っていた。
「今日、姫の婚約者デューイ=ガリウス=グラチウス公爵が市内にお入りになりました。マーク様にはデューイ様の警護をお願いしていましたが、あなたがあの周辺にいると目に立ち過ぎますね。あなたがおっしゃったように、隊商にいた衛士がそのまま周辺を守るように手配したのと、魔法の使える騎士も何人か手配してます。おそらく治療院は十分な警護になると思います。あなたはどうします」
──何日か一緒に朝ご飯を食べているってのに、この人は全然打ち解けてくれないなあ。様子見てると子供嫌いってわけでもないよなあ。
以前より冷たさが増したように見える視線と、お前は警備に不要だぞと言っているような口調に心の中でため息をつきながらも、にこやかに答える。
「動きがあるとすれば、エルファシア様の民衆へのお披露目のパレードを行う明後日だと思います。その日は私が見つけた、やつらの隠れ家を張ることにしましょう。何かあったらすぐに飛びこめるようにしておきますよ」
とりあえず自分の働き場所を確保して、続けて確認する。
「あの隠れ家、誰の持ちものでした?調べは付いたんでしょうか」
カイルの冷たかった表情が、苦虫をかみつぶしたようにさらに歪んだ。
「メリーズ商会です。……妻の、実家です」
──おや。
「貸した経緯は?」
「貴族の紹介状を持ってきた人間に貸したそうですよ。今、その男爵には話を聞くためにうかがう予定です。あなたが見つけてくれたから先回り出来ましたが、そうでなければ警護の責任者の私にあらぬ疑いがかかるところでした。ありがとうございます」
その感謝の言葉には忌々しさがにじんでいた。
……
翌朝もカイルの屋敷でマーヤと修練をした。
「毎朝教えてもらって有り難いんだけど、これってドルーガ剣術の秘術?」
答えに困る質問だな、と思ったのだが無難に答えておくことにする。
「僕が破門されないか心配してくれたんだね、ありがとう。」
剣術の流派や、各神々に使える神殿、そして魔術師の徒弟組織であるクランなどは全て、程度の差はあれ秘術を非常に大切にする傾向があり、他に漏らしたりすれば良くて破門、組織によっては命を狙われる。
「でも大丈夫だよ、これはドルーガでもないし、マルケニアでもない。誰に教わったんだと聞かれると答えられないんだけど、君に教えても僕が叱られることはないさ」
そう、厳密にいえばドルーガではない。無関係とは言わないけれど。ふと自分に剣術を教えてくれ、そして一緒に研鑽に励んだ相棒のことを思い出すが、表情に出ないように抑え込む。
「分かったわ。じゃぁ有り難く教えてもらうことにします」
マーヤは釈然としない様子で頷いた。
……
その日は、一人でも治療院に行くというマーヤが気になって後を追いかけてみると、早速、道をそれているのが見えたので、有無を言わさず抱き上げて治療院に連れていく。エルファシア様のパレードのことがあって、いろんな人間が流入してきていて、市内は少し物騒になっている。今度やったらお仕置きを考えるべきかもしれない。
その日もいつものように治療院を張ろうとしたが、カイルの手配した警護がきいたのか、物陰には治療院を狙った影は見当たらず、マーヤを迎えに行くまで気配がしなかった。
──あきらめてくれたのなら楽なんだけどな。
マーヤは、院内でデューイ閣下と仲良くなっていたようだ。閣下とはいってもまだ8歳かそこらのはずだ。大人にばかり囲まれた長い旅行のあとは、同じ年代の少女と話すのが楽しいのだろう。マーヤを連れて帰るときに大いに睨まれてしまった。
──警護が本格的に始まった時には謝るべきかな。
マーヤを連れて帰り、翌日に備えて早く自宅に帰る。いよいよ、エルファシア様のお披露目パレードだ。
──そばについていて差し上げたいが、そうもいかないよな。
血を分けた妹のように愛する姫の、婚約者の命を狙う輩を見張らなければいけない。
翌朝決意を新たにして、自分が突き止めた建物を見張っていたマークの目には、にわかに信じがたい光景が飛び込んできた。
古い屋敷に4人の男に抱えられた少女が運び込まれて行く。少女の服装も髪もよく知っているものだった。
「スリヤはなにをやっているんだ?」
そう、連れ込まれた少女はマーヤだった。
◆ ◆