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3-3

 ◆ ◆

 ────その、数日前


 ファランク王国の王宮。


 「まったくややこしくて頭が痛くなりますね」


 王宮の一角、宮廷魔術師カイル=アストリウスの執務室で、まだ幼いといっていい少年の声が響く。

 執務用の机に向かって書き物をしていた部屋の主は、ちらりと顔を上げて声がする方を見る。部屋の中央にしつらえたソファーの背もたれに体を預けて座っている少年の発言を聞いて、一瞬顔をしかめた。


 「なにがですか?」


 カイルが丁寧な言葉を崩さずに話しかけている少年は、マルケニア伯爵の4男マーク=マルケニア。普段は王太子の第二子ストイコの同年代の護衛として王宮に詰めているのだが、今は護衛対象を他に任せて離れている。


 その年齢にふさわしくない態度で肩をすくめると、マークが答える。


 「今回の警備の話ですよ。利害関係者が多くて、マークすべき相手を絞りきれないじゃないですか。エルファシア姫の婚約を快く思っていない連中が多すぎますよ」


 エルファシアというのはストイコ王子の妹で6歳になる王太子の長女の姫の名だ。ファランク王国の南方にあり、文明世界の半分以上を支配下に収めているといわれる、アトン帝国の公爵の嫡孫との婚約が決まっている。


 「何も悩むことなんかないんですよ。今回、私たちの仕事は護衛であって犯人の燻りだしではないのです。それにあなたにはもう充分働いていただきましたから、本音ではこれ以上は止めて欲しいですね。あなたが危険なことをするのには王太子殿下もストイコ殿下も良い顔をなされないのですから。なんならここで手を引いて頂けませんか」


 あきれたような様子のカイルに、マークがうんざりとしたような顔で応える。


 「いまさらそんなことを。あとは帝国貴族のお坊ちゃんのガードをするだけです。このあとは大して危険はないですよ。そんなことより、エルファシア様に危険はないんですよね?」


 わざとらしく話を逸らしたマークをカイルがじっと睨んだ。マークのことを信用していない顔だが、これにはマークの自業自得な面がある。彼は勝手にあちこち探りを入れて危険なところに頭を突っ込んでいるのだ。これはカイルだけではなく、王太子やその子供たちが本当に心配し何度も叱られている。とはいえ、何を言っても聞きはしないよという風に話を逸らせば、それ以上はカイルも言えない。マークはカイルの指揮下にあるわけでもないので、ただ冷たく答えるだけだ。


 「当たり前です、宮廷魔術師3人掛かりで2重3重に保護を掛けてますよ。それに、エルファシア様にもご協力いただくつもりです。」


 マークの瞳が不安そうに揺れる。


 「エルファシア様に?」


 エルファシアの魔法の力は王家に伝わる「遠見」で、離れた場所の風景を見ることができる。監視に利用すれば非常に有用な力だ。


 ──監視に役立てる?しかしこの喰えない魔術師がそんな単純なことを考えるか?監視なら大人の魔術師もいるはずだしな……


 マークの述懐を読み取ったように、カイルが答える。


 「はい、でもこれ以上は警備上の秘密ですから、あなたにもお伝えできません。」


 あくまでも平坦な口調なカイルに、マークは溜め息混じりで返す。


 「そろそろ信用してくれてもいいと思うんですけどね……」


 「あなたがふれ回ると思っているわけではないですよ。下町をうろうろしているときに警備のすきを突きたい連中に拉致されたり、なんてあなたにはありそうでしょう?」


 「……酷いことを言いますね」


 マークが天井を仰いで嘆息したその時、執務室のドアからノックの音がして、衛士が来訪者を告げた。


 「アストリウス様、エルファシア様がいらっしゃいました。お通ししてよろしいでしょうか?」


 「エルファシア様が?」


 カイルの居室まで来るとは思っていなかったが、王の孫娘を追い返すわけにも行かない。マークの方をちらりと一瞥して、カイルは姫に入ってもらう様に衛士を促した。──やがて、年配の女性に手を引かれた金色の髪の少女がおずおずと入ってきた。


 「アストリウス卿、エルファシア様がお話があるとのことです。お時間を頂きますよ」


 手を引いてきた女性──エルファシア付きの侍女兼教育係なのだろう──が慇懃な物腰でしかし拒否されることを思ってもいないように話をする。もちろん王家の直系の姫がわざわざ訪ねてきたのならば時間をとらないわけには行かない。主筋の小さな姫にきちんと挨拶をする。


 「もちろんですとも。エルファシア様、わざわざお越しいただきありがとうございます。お呼び付けいただければ伺いましたのに。お急ぎのお話でしょうか」


 「昨日、あなた方の話を聞いたエルファシア様は、あの後────」


 侍女が何やら憤然として言いかけて口を閉じると、傍らの小さな主のほうに体を傾ける。エルファシアが小さな手で侍女の袖を引っ張って注意を引いている。話の途中でやめさせたのはエルファシアのようだ。


 彼女は自分で話すと訴えてるようで、それに応じた侍女がその小さな体に手を添えて、自分の手前に軽く押し出す。


 「アストリウス卿、マーク、おはようございます。」


 小さいがはっきりとした口調で部屋の主と、そこに居合わせた兄の付き人にも挨拶をする様子は、国と国との思惑のために近々婚約するとは思えないほど幼いものだ。マークには、カイルですら不憫に思っていることが読み取れた。


 ──それが王族というものかもしれないが、おかわいそうなことだ。できるだけ守って差し上げたいものだな。

 

 マークが保護の決意を新たにしていると、小さな姫が続ける。


 「昨日お話ししてくれた、わたしを狙う賊から身を守るための術、教えてもらうことにしました」


 ゆっくりとした口調で振り絞るように言う言葉には、決然として、というような迫力があるわけではないが、きちんと自分で考えて決めたことを言ってるのだ、ということがカイルにもマークにもはっきりとわかった。ただ、賊に自分が狙われるということが恐ろしいのか、か細い声が震えている。


 「エルファシア様、なにも貴女が無理をしなくても、きちんと守りは固められると思いますよ。」


 マークはカイルに並ぶように姫の正面に動き、片膝をついて目線を合わせて優しくはなしかけた。ストイコ王子と同じ母から生まれたエルファシアは、小さなころから面倒を見てきたマークにとって、妹のような存在なのだ。カイルが何をするつもりかは知らず、たとえそれが最善だとしても、マークはエルファシアには無理をさせたくはない。


 「大丈夫よ、マーク。わたしの王族としてのおひろめだし、そしたら賊に狙われることだって、これで最後じゃないはずでしょ?アストリウス卿に魔術を教えてもらえばこのあとも役に立つわ」


 エルファシアは幼いころからの遊び相手であるマークには、物おじせずにはっきりと話す。深くため息をついたマークがなにやら話す前に、カイルが口を開く。


 「マーク様、それ以上は警備上の秘密です。申し訳ないですがご遠慮頂けないですか。姫を危険にさらすような術ではなく、姫の安全性を高めるための術です。」


 「本当に危険はない?」


 「信用してくださいとしか言えません。その魔術自体はたとえ習熟できず失敗しても危険があるようなものではないですよ。それより貴方にはご自身の安全性に留意してほしいものです」


 数瞬のにらみ合いの後、折れたのはマークだった。そもそもマークはストイコ王子の供という立場で王宮にいるのに、エルファシアの周りがきな臭いからと言って首を突っ込んでいるだけなのだ。たとえストイコ王子自身の望みでもあるとしても王宮の守護を引き受けるカイルに対してごり押しは出来ない。


 「分かりました、信用しますよ。」


 肩をすくめてこう返すだけしかない。


 「ありがとうございます。それに、今日ぐらいは殿下とご一緒に勉強なさいませ」


 マークはストイコ王子の友人兼護衛でかつ王子が教師について勉強する際の学友でもある。サボりがちで、ストイコ王子が一人で授業を受けていることが多いのだが。


 「そうしますよ」


 マークが気乗りしない感じで応えると、カイルが一つ頷いてマークとの会話を終わらせた。


 「それでは、もしお時間が御有りなら早速練習に入りませんか、エルファシア様」


 カイルとエルファシアとの話は機密に相当するのだろう、マークはエルファシアに黙礼して、執務室を出ることにする。


 カイルには言ったものの、マークは今日ストイコ王子と一緒に机に縛られる気はない。今日は歴史の勉強だったはずで、教師の話すことが殆ど知っていることなのもその一因だが、それよりもすこし気になることがあるのだ。ストイコ王子が机に縛り付けられているのを幸いに、マークは気になっていることを調べるつもりだ。その足で王宮から出て、王城の東に向かった。


 王城の中は王宮を中心にして幾重にも城壁が存在し、城壁と城壁の間には広大な練兵場や王宮に集う貴族の屋敷や官僚向けの居住区などがある。少年の足で王宮から城門の外に行くには、それだけで半日費やしてもおかしくない様な距離だ。王城の外に暮らすカイルのような廷臣は毎朝、王宮まで馬車や馬を使うくらいだ。


 マークは王宮を出て、周りに人がいないことを確かめると、体内のプラナを練り脚に流し込む。


 ──あんまり人に見られたくはないけど、使わないと鈍るしな。訓練のついでだ。


 そう自分に言い訳をすると、少年とは思えない速さで、いや人に可能とは思えないような速さで走り始めて城門に向かった。


 城の中にも多くの人が住み、彼らの需要を目当てにした商人も許可を得て城内を闊歩している。マークはそういう人の目を避けて裏道や、時には建物の屋根などを伝い半時間ほどで一番外側の城壁にたどり着く。この城壁には宮廷魔術師──主にカイル──の魔術で強力な防御がかかっていて、他の城壁のように飛び越すのでなく、城門を正規にくぐらなければならないが、何度も出入りをしているため門衛とは顔見知りで素性も知れている。門の手前で速度を落としたマークは「お疲れ様」と鷹揚に声をかけて門をゆっくりと通り過ぎた。そしてまた門衛の見えないところで走り始める。


 マークが向かっているのは東ローランディアの城壁の外側だ。王宮から馬に早駆させても半時間はかかるところを、マークは人の目につかない屋根の上や路地裏を走りながらも1時間半程度で到着した。平地で走れば馬と変わらないかもしれない。


 「くそっ、デスコナ商会の門衛か。都合が良すぎる。やっぱなんかあるな」


 東ローランディアから伸びる街道につながる城門は、東ローランディアを仕切る大商人が持ち回りで雇うことになっている。デスコナ商会もその一つで、衛士が立つことは問題になることではないが────


 ──当番が本当にデスコナの番だったかどうか探らないといけないな。あそこはガロアの帝国迎合派と大きな取引がある。


 ファランク王国の隣国のガロア王国は、そのさらに南の一帯の広大な領域を支配するアトン帝国から離反した貴族が建てた国だといわれている。肥沃な大地に恵まれているため、建国後に帝国からも多くの貴族が入り込み、国力が増すのに比例するように、国内の対立構造が激しくなってしまった。帝国迎合派と分離派の争いである。帝国迎合派は帝国との関係を深めてアトン=ガロア連邦国のような密接な関係を築くべきだと主張し、分離派は帝国とは距離を置かなければ飲み込まれてしまうと主張する。その対立は帝国貴族の末裔と地元の郷士出身の貴族との根深い確執に根差していて長きにわたってくすぶり続けている。


 そんな状況の中で、ファランク王国は当然のように分離派を支援していて、アトン帝国政府は迎合派に秋波を送っている。──と、思われている。実際にはアトンは両方に活動資金を提供して戦いを長引かせているのでは、という話が酒場の噂話で出てくるほど、ガロアの内紛は長きにわたって続いている。


 そしてこの日、ガロア王国の帝国派貴族のガボーテ子爵が王都を訪問することになっている。


 ──“彼”も今日到着予定だな。門衛をごまかして外まで迎えに行くのは難しいか……。


 王国貴族の子であるマークは、もちろん都市への出入りは自由にできるが、通過する際に門衛に証を立てねばならず、それがデスコナ商会に報告される可能性は高い。


 ──無用な危険は冒さず、市内に入ったところでお会いすればいいか。


 用意しておいたマントを付けてきらびやかな服を隠すと、近くの茶屋で時間をつぶすことにした。


 ……待ち人が町に入れないと知ったのは昼になったころだった。彼が同行している隊商に病人が出て疫病を防ぐという理由で門衛に門外で待機するように言われたらしい。


 「デスコナとルーイは仲が悪いからねぇ」


 茶屋で商人同士が噂話をしている。ルーイも東ローランディアの支配層の一角だ。


 ──いろいろと間が悪いな、出直すか。疫病の疑いとなれば数日は入って来れないだろう。──いや、顔くらいは見に行ってやるか。


 ローランディア湖の豊かで美しい水は、地下を流れる上水道を通して、王城内だけでなく王城の3方を囲む東、西、南の各都市部へも豊かな水を供給している。都市の地下のその流れは最後、都市の外で農業用の用水路に流れ込みローランディア周辺の農業を支えている。──つまり城壁の下に水路が一本あり、そしてマークは当然のようにその水路に潜り込む方法を知っている。


 城門からも都市内の街道からも離れたところに、殆ど使われていない上水用の井戸がある。まだ周辺に人が住んでおらず、設備だけが先に設置されているのだ。マークは息を胸いっぱいに吸い込み、体内のプラナを調整してその井戸から水路に潜り込む。そして数分間潜水した後、ちょうど城壁の下あたりでマークが見たのは、以前は無かった鉄格子だった。そして────、


 ──くそっあの陰険魔術師めっ。


 朝にみた、魔術師の冷ややかな顔を思い出して悪態をつく。不用意に鉄格子に近づいたマークは、鉄格子から引き離すような、明らかに魔法による強烈な水流に一気に流される。水路の壁にあちこちぶち当たり、気を失わないようにするのが精いっぱいだ。


 死にもの狂いに力を振り絞り、這々の体で水路から上がった時には、力を使い果たして歩くのも億劫になっていた。


 井戸のわきに隠した、襤褸だけれども乾いた服に着替えて、市の中心部に向かってとぼとぼ歩く。打身になった体のあちこちが痛みに悲鳴を上げているうえ、プラナを活性化する力を使い果たしてしまっている。颯爽と走ってきた往路と対照的に足元がふら付くように歩くしかできず、街道沿いに戻る時には日が暮れつつあった。


 ──遅くなったっちゃったな。帰る前にどこかで治療してもらわないと。それに服も乾かさないといけない。


 そう思って都市部に差し掛かったところに、癒しの手を象った治療院の印の看板を見つけた。


 その治療院を目指して歩くと、なかから小さな影が出てきた。閉められてはたまらない。


 「治療院はまだ開いてますか?」


 見ればまだ幼い少女で、立ったままだと威圧してしまってかわいそうだと思ったマークは腰を屈めて目の高さを合わせて、子供相手の優しい口調でもう一度言う。


 「ねえ、治療院はまだやってるか?」

 

 目の前の少女がカイルの娘と知るのはもう少し後のこと────


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