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3-2

 有無をいわさず抱えられながら、私は大通りを進んでいる。まだ朝早いとは言え、全く人通りがない訳ではなく、我々の方を見ている人もいる。だが私を助けてくれる人は誰もいない。せめて、自分の足で歩きたいのに。


 「マーク!降ろしてよ。自分で歩くから。」


 そう、私は寄り道したところをマークに見つかって、そのまま抱えられてしまい、自分の足では一歩も歩いていないのだ。


 「マーヤ、今は町の治安が余り良くないってお父上も言ってたよね?」


 ──聞いてはいたしもちろん覚えていたんだけど、あまり気にしてなかったのよね。


 口に出して答えるのが憚られる事を考えていたので、黙っている。


 間近に見えるマークの顔には、いつものような笑顔は浮かんでいない。表面上穏やかに見えるが、その下に怒りが隠れて見えるのは、疚しいところがあるから、なんだろうか。


 「だから、今日は寄り道しちゃいけないって言われてたよね。」


 「……ごめんなさい。」


 ──それは忘れてました。


 しょんぼりというと少しマークの表情が和らぎ、そして全身を揺すって私をしっかり抱え直す。左手は背中、右手はひざの裏でいわゆるお姫様だっこになっている。父や母にも、もう随分長く抱えられていないので、なんとも気恥ずかしく謝罪の声も小さくなる。


 スリヤに味方になってほしいところだが、マークが現れたら、


 「じゃぁ、私はシェイラの相手をしに帰るわ。マーク、後お願いね」


 と言って去ってしまった。


 『酷いわ、見捨てるの?』


 『マークがいるときには、私のことなんて気にして無いだろ。お邪魔にならないように退散するよ』


 ──それはプラナの扱い教えてもらってる時の話でしょ!


 と言う声が遠話になる前に、マークが話を続けて言う。


 「もう寄り道はしないと思うけど、心配だから帰りも迎えに来るからね。」


 ──へっ?


 「そんなの、悪いよ。マークにそこまでして貰わなくても、自分で気をつけて帰れるよ。」


 治安が悪いということはなんとなく覚えていたが、寄り道しないという約束は実は覚えていなかった。だから説得力は無さそうだが、一応の抗弁を試みる。


 ……相手の腕の中で説得というのは結構難しいものだ。


 結局、治療院に着くまでの道のりでは迎えにくるということも、お姫様だっこも止めさせられなかった。


 治療院の、ライラの居住区までそのまま連れて行かれ、久しぶりにライラに会ったのはマークの腕の中からとなってしまった。マークに抱えられた私の格好に大喜びしたライラは、そのままマークから私を受け取って、抱いたまましばらく離してくれなかった。


 子供扱いしない約束だったことを思い出させるのに、結構骨が折れ、しばらく仔猫のような扱いを受けた。


 「ライラ、こちらはマーク=マルケニア。マルケニア伯爵の御子息で、私が診た最後の患者さんよ」


 ライラの両腕から解放されて、足の裏に床の感触を感じるとすぐに、ライラにマークを紹介する。


 「お話は伺っておりますわ、マーク様。マーヤがお世話になっております。」


 私に一つ頷いた後、マークの方を向き直って、完璧な貴婦人の礼をする。


 「こちらこそ、マーヤさんには的確な治療をしていただいたお陰で、いまは快癒しております。あなたのご指導にもお礼させて頂かなければ」


 これまた、見事な紳士っぷりだ。子供なのに板に付いている。そして、流れる様に続ける。


 「しかしライラ様、わたくしは未だ成人と見なされぬ若輩の身。マークと、お呼び捨てください。北の森の賢者に丁重に扱われて当然などと思っている愚か者、などと陰口を叩かれるのは汗顔ものですので」


 要は私に対して言ったことと同じなんだけど、貴族風の礼儀は面倒くさいものだ。それにしても、北の国の賢者ってマークも知ってるくらい有名な話なんだろうか。


 「わかったわ、マークと呼ばせてもらいますよ。その代わりその面倒な称号で私を呼ばないでね。私の名前はライラよ」


 「わかりました、ライラ。」


 拍子抜けするほどあっさり、名前で呼び合う事を決めてしまうと、マークは迎えに来るからと言いおいて、治療院を辞した。


 ──普段、昼間は何してるんだろう?


 多少の不審を抱きながらも、意識的に気分を変える。


 ──久しぶりのお仕事だもの。


 「ライラ、何かやることはある?」


 満面の笑顔と同時に即答が返ってきた。


 「それじゃ、入院患者さんのお相手をお願いするわ。これから朝御飯だから、持って行って上げてね。」


 ──入院患者?


 「解かった。入院って例の隊商のひと?」


 「そうよ。あなたより少し年上かしらね。お連れの人たちから離れて寂しがってるから、お相手お願いね。」


 私が入院患者を見ている間、ライラは通院患者の診察ができる。ライラに病状を聞いた後、キッチンにあった朝食のオートミールとミルクをお盆に乗せて、私は張り切って治療院の奥にある入院用の病室に向かった。


 深呼吸してから部屋に入り声をかける。


 「デューイさんおはようございます。朝食ですよ」


 ベッドに仰向けに寝ているのは綺麗な身なりの少年だった。見たところ血色は良い。ライラももう全快と言っていいと言っていた。おそらく年齢は8~9歳で、濃褐色の髪と瞳が彼の出自が南の帝国だということを主張している。大きな商人の家の子だと聞いていたが、着ている夜着はまるで貴族のもののように見える。


 彼、デューイは不機嫌そうな顔でこちらを見て、ふんっと鼻を鳴らして目を閉じた。


 ──あら、無視?


 幼い入院患者というのは精神的に不安定なもので、それゆえに我が儘や理不尽な要求をしたりする。デューイも保護者から引き離されて不安定なのだろう。そして自分より明らかに年下の少女が朝食を運んできたことに不満もあるのだろう。


 こういう場合は、粘り強くアプローチして心を開いてもらうのが一番いい。普通に長く接していけば信頼関係は築けるものだ。前世ではたまに、若い女性看護師が男性患者に対して泣き落としなどの強引な方法を使うこともあった。しかし、患者が看護師に恋愛感情を抱いてしまって騒動のもとになることも多かった。


 「朝ご飯の用意ができましたよ。起きてください」


 お盆の上のものを病室にあるテーブルに移して、ベッドの上のデューイの肩に手を掛けてかるく揺する。


 「うるさい!あっちにいけ!」


 デューイが怒鳴って振り返り、振った手が勢いよく私にぶつかる。


 「きゃぁっ」


 私は殴られたような形でよろけて尻もちをつき、ガランガランッとお盆が手から床にすべり落ちる音がする。


 ──痛ーい。


 デューイは驚いたように私に目を向け、私の顔が痛みにゆがむのを直視したようだ。その顔に焦りが浮かぶ。


 「ごめん。悪かった。大丈夫か」


 あまり大丈夫ではない。6歳の女の子というのは実に華奢でダメージが大きい。あとで自分に治癒を掛けなければ。


 「あ、さ、ごはん、です、よ」


 痛みをこらえて、声を出す。


 「わかった、食べるから、無理に立たないで」


 「本当!?」


 デューイが頷いたのをみて、ぱっと自分の顔がほころぶのがわかる。ゆっくり立ち上がってテーブルの上の朝食を指さす。小さめのテーブルで、子供には少し大きいが無理なく座って食事ができるようになっている。


 「じゃぁ、こっちのテーブルで食べましょうね」


 「え、ベッドから出てもいいのかい?」


 デューイが驚いた声を出す。どうやら昨日まではベッドで食べていたらしい。昨日はライラも一人で切り盛りしてたんだし、無理もないかもしれない。そしてそれが気鬱の原因だったのかも。


 「もちろんです。先に着替えましょうね。お手伝いしますから」


 彼の着替えは病室内のクローゼットに用意されている。今日からはベッドに縛り付ける必要がないので昼はこちらに着替えてもらおう。


 「着替え?あ、うんお願いする」


 意外に素直に着替えを手伝わせてくれ、早々に支度が終わった。この子、着替えさせてもらうことにかなり慣れてる。


 「はい、じゃここに座って召し上がれ」


 ……オートミールにミルクを掛けただけの病人食にすこしうんざりしているようだが、文句も言わずに食べてくれた。ローランディでは牛乳が一般的で山羊などのミルクはあまり好まれない。近くの王家直轄領に大規模な牧場があってそこで大量の牛乳が生産されているらしい。


 食事を下げると、新聞が読みたいと言う。この世界の新聞というのは毎日出るものではないが、週に一度くらいの頻度で不定期に近隣の情報や旅人が伝える遠方の情勢などを書いて出している。紙は安価とは言えないが使われていて、多数に印刷する魔法を使えば百枚程度で販売できるし、書かれたものを消去する魔法を使って古い新聞をリサイクルしたりもしている。ライラもローランディで発売されてる新聞を一部取っていたので、探し出して渡す。


 新聞を受け取ると嬉しそうに微笑んで、さっそく読み始めた。そして、ついでに読み聞かせてくれる。治療院で働く女の子が文字が読めるとは思わないのが普通だろうし、書かれていることに興味もあったので大人しく聞くことにする。


 曰く。

 ……南のアトン帝国の隊商が町に入り、珍しい商品を沢山市場に並べている。

 ……隣国のガロアでは国王に忠誠を誓う貴族とアトン帝国の影響下にある貴族の間でにらみ合いが続いていて、いつ本格的な内戦に移ってもおかしくない。

 ……ファランク王の体調が思わしくなく、王宮の役人は王太子を中心とした体制固めと王太子の後継を決めるために右往左往している。

 ……王都周辺の治安が悪化していて、東ローランディでの暴行事件による逮捕者が年初めの倍になっている。

 ……など。


 ──隊商の話以外は目新しい話じゃないなぁ。


 ガロアの内戦状態はいつものことだし、王様の容体も今年に入ってからずっと良くない。治安悪化の話は耳が痛い気がした。


 デューイがたどたどしく新聞を読み聞かせてくれたあとは、少し病室を離れ、ライラの処方箋通りに薬を作ったり、薬草を乾かしたり忙しく働き、その合間には、”陽だまりの猫”亭からとった昼食を、持ってきてくれたリルを交えて一緒に食べたり、話をしながら過ごした。帝国の話をしてくれるデューイの知識は帝都の都心部に限られていて、帝国の風習なんかの話はよく知らないようだ。私やリルが東ローランディの下町の話を中心に話すと、すごく興味津々で聞いているようだった。


 こうして一日を過ごすうちに私たちは随分仲良くなった。デューイは同じ年頃の友達が少ないらしく、私たちのことをマーヤ、リルと呼び、自分のことはデューイと呼んで欲しがった。リルも私も喜んでそう呼ばせてもらう。


 やがて、リルは店の手伝いのために帰っていき、日も傾いて来たころマークが迎えにやってきた。裕福な商人の子供のような恰好は今朝と同じだが、ところどころ汚れているように見える。


 「だめ、病室にそんな恰好で入らないで!」


 私を連れ出そうとしているマークを病室から追い出すために、入り口のマークのところに近づく。


 「大丈夫だよ、これ以上は入らない。さ、帰ろうか。いい子にしてたかい?」


 ポンポンッと私の頭の上で軽くなでるように手を弾ませる。


 ──まったく、子ども扱いなんだから。


 頬を膨らませそうになったが、それこそ子供っぽくなってしまう。そのかわり、振り返ってデューイに向かって笑顔を向けた。


 「デューイ、迎えが来ちゃったから私は今日は帰るわね。また明日」


 と軽く手を振る。デューイは寂しそうな顔を私に一瞬向けたあと視線を上にやり、いまだに私の頭の上に手を置いているマークのほうを睨んでいるようだった。


 マークを見上げたらなにかが気になっているようでぶつぶつ言っているが、視線は気にもしてない風だ。私が身動きしたのに気付いて、デューイに笑顔を向けて一礼する。


 「マーヤを連れて帰ります、また明日にはお引き合わせしますよ」


 ──なんかエラそうね。


 そのあと、マーヤにも挨拶をして家路につく。帰りは自分の足で歩けてほっとした。


 「さっき何が気になっていたの?」


 ぶつぶつ言ってたことを問い質してみる。


 「ああ、聞き覚えのある名前だなと思っただけだよ。」


 はぐらかされた。


 その日もマークは我が家で夕食を摂って帰って行った。


 まるで何事もない、いつもの夜のように。


 そして次の朝、涼しくなってきた庭にでたときの久しぶりの静けさに戸惑う。ここ最近ずっと先に来て自分の鍛錬を続けていたマークがいないのだ。


 『どうしたんだろ?』『風邪でも引いたのかねえ』


 スリヤと目を見かわして、どちらからともなく肩をすくめる。


 ──まぁ、いいか。一人でやりましょう。


 自分でも意外なくらい寂しく感じながら、プラナを制御する練習を始める。いつものように体内でプラナを動かすが、全然うまくいかない。


 ──憎まれっ子っていなくなると寂しいのよね。


 なんとなく、前世で患者のお爺さんにからかわれながらも、仲良くなったのを思い出す。あのおじいさんはなんといってたかな。


 ──死ぬときに、泣いてくれる人が一人でも多いとうれしいからな。いまのうちに友達を増やしておくんだ。


 ……縁起の悪いセリフまで思い出してしまった。


 その日の練習は早めに切り上げることにし、その分をサイリースとシェイラの相手をして過ごした。朝食を食べても来ないマークを待つのは諦め、スリヤと一緒に治療院に向かう。


 『今日は寄り道はしないわ』


 スリヤに宣言して歩き出し、人けのまばらな街道を手を振りながら進む。


 ──このあたりから昨日はだっこされて行ったのよね。


 気恥ずかしい記憶の場所に差し掛かった時だった。


 『マーヤ、なんか変な奴らに囲まれてる。気を付けて』


 スリヤのセリフがきこえるのと同時に、私を取り囲んでいる四つの黒い姿が目に入った。


 「お嬢ちゃん、一緒に来てもらおうか」


 身震いするような声が言った。


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