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壁の外のライラから、しばらくは戻れないという連絡を受けたと、朝食の席で父から聞いた。病気の子供が出た隊商と一緒に、壁の外で足止めされているのだ。感染拡大の予防というのが、門衛が言った理由だったらしい。確かに原因が不明の熱を出した子供を都市に入れるのは憚られる。
ただ、父に言わせると、「動きが早すぎる」のだそうだ。門衛といっても東ローランディの外側への門は王の衛兵が守っているわけではない。都市の自治を任されているのは大商人達で、彼らが王宮の形ばかりの承認を受けたハンターや傭兵を雇っている。そして病人の出た隊商は、彼らの商売敵のものなのだそうだ。どの世界でも似たような話を聞くものだ。
ちなみにライラの状況を父がどうやって知ったかというと、ライラには懇意にしている高位の精霊がいて、父への連絡係を買って出てくれたのだそうだ。そういえば、北の森の賢者ってどういう意味なんだろう。今度ちゃんとライラに聞こう。
朝食を食べていると、父が当たり前の様に言い出した。
「マーヤはお母さんが帰ってくるまで、家でいるんだよ。治療院は休もうね。独りで治療院にいるのは危ないからね」
──ええっ!
父の言葉に大声をあげそうになるのを堪えて、なるべく穏便な声を出す。
「でも、独りでも治療院までは行けますし、治療院まで行けば、近くに様子を見に来てくれる方もいますから、そんなに危険はないですよ。それに治療院は緊急の怪我人も来るので開けておかないと。」
父はにっこり笑って、首を振った。
「マーヤが、そこまで気にすることはないんだよ。お前はしっかりしているといっても、まだ小さな子供なんだから」
寝ぼけていないときの父は結構手ごわい。いや、寝ぼけてても何回も同じ手は使えないか。
結局私は治療院には行かず、父がマークと一緒に王宮に向かうのを、弟妹と一緒に見送ることになった。マークは王宮で王子のお相手をしていると父も言っていたが、それは毎朝通うようなものなのだろうか。ふと疑問に思ったが、マークになんだか懐いてじゃれついているサイリースを引きはがすのに紛れて、質問しそびれてしまった。
父もマークもいなくなり、特段やるべきこともないので、母の代わりに弟妹の相手をして過ごそう。たまには母に息抜きの時間を上げたい。子供の世話というのは結構重労働で、双子ともなるとそれが倍では済まなくなるのだ。
サイリースとシェイラは、未だ字が読めない。二人は私に本を読んでくれと子供向けの本を差し出してきた。エウレニアの英雄物語やら神話の本で、私も読んだことのないものだった。いつ買ったのかと母に聞くと、意外な答えが返ってきた。
「マーヤちゃんが生まれた時にいつか読んであげようと思って買ってたのよ。でもマーヤちゃんってご本読んでってせがんでくれなかったし。」
寂しかったわ~、などと言ってる母をみて、ちょっと反省する。かわいい盛りの娘を甘やかすのは、私も覚えているが、とても幸せなことなのだ。子育ての苦労がすべて吹き飛ぶほどに。とはいえ過ぎたことは仕方ない。
「お母様がサイリースとシェイラにご本を読んであげますか?」
母の楽しみをあまり奪うのはかわいそうだと思ったのだが。
「嫌っ。お姉さまがいいのっ」
シェイラちゃん。他に言い方があるでしょう?ほらお母様がいじけてる…
母をなだめるのは、サイリースとシェイラに甘えさせることで何とかなった。シェイラ曰く、母は家事で忙しくて、本を読んでも途中ですぐ終わっちゃうから、私のほうが良いのだとか。
──どれだけ読ませるつもりなんだ?
とりあえず水を用意して喉を湿らせながら話すことにする。
◆ ◆
……こうして、サイリースとシェイラに本を読み聞かせる日々が始まった。読み聞かせるついでに少しずつ読み方と書き方を教えていく。神話や英雄譚には、私が全然知らないものもあり、私もエウレニアでの一般常識をいまさら学びなおしている。
エウレニアには幾柱かの神々がおわし、人間を見守っている。
戦いの神、ドレディウス
豊穣の女神、ヘライヤ
生と死の女神、ミストレイヤ
医と薬の神、アリスターレス
太陽の神、ダイレウス
夜と天の川の女神、アスタルテ
……などだ。
この神々は世界創世のころからいた……訳ではなく、なんと人類より後にこの世界に来たらしい。
古代の戦争で古代文明が滅びたのが千五百年前と言われ、その次に文書が残っているのが千年前。この時期に今の神々が世界を訪れて、人類を見守り始めたのだという。神々の降臨については沢山の物語が残っている。神の言葉をつづったと言われているものや、神と人の恋愛譚を含むエンターテインメントにいたるまで多様であり、サイリースとシェイラには好評だが、どこまで信用してよいやらわからないものだらけだ。
英雄譚でサイリースとシェイラが大好きなものが、『双剣の英雄』に関するものだ。およそ200年前に現れた二人の剣士は非常に腕が立ち、魔術師の攻撃魔法を剣で振り払ったり、剣の届かないはずの敵を切ったりと、ヒロイックファンタジーの主人公のような英雄だったらしい。そしてドルーガ山脈に現れた魔龍を二人で倒したものの、その時に発生した衝撃でそろって死んでしまったと言う。この話は小さいころに父がうちに招いてくれた吟遊詩人も唄っていたので、おそらくかなり人気のある英雄なのだろう。
◆ ◆
「えいっ」「とーっ」
家で弟妹の相手を始めて5日目、双剣の英雄の話をした後、サイリースとシェイラがチャンバラを始めた。双子が持つのは、私がようやく縫い上げた、布と綿で作った刀だ。色違いの布を縫い合わせて刃紋まで再現した力作である。前世でも作ったことがあるので、そんなに苦労はなかった。丈夫に縫ったので3歳児の力で振り回したくらいでは、ほどけないだろう。お互いが怪我をしないようにだけ見守りながら、楽しげに剣のぬいぐるみを振るう弟妹をゆっくり眺める。
やがて、くたびれたらしい二人を休ませて水を飲ませていると丁度、父が帰ってきた。いつものように母の出迎えを受けてにこにこしながら、私たち兄弟のいるリビングに入ってくる。
「ただ今、いい子にしていたかい?」
「お帰りなさい。お父様」
いい子にしていたかどうかは微妙なので、挨拶だけを返す。
「お帰りなさい、お父様」「お姉さまが剣を作ってくれたんです」
ソファで並んで眠そうにしている双子も挨拶をしている。サイリースは挨拶より剣のほうが大事だったらしく、父に誇らしげに剣を掲げている。
「おお、それは良かったなサイリース。お前の初めて持つ武器だな」
──父と男の子の会話っていいなぁ。
などと考えていると──
「マーヤ、これは双剣の武器だね。双剣の持ってた武器が片刃の剣だなんてこと、マーヤはよく知ってるなぁ。それに彼らの剣にはこんな波模様がついてたというのも記録にはある。いや、凝ってるね」
──え?
武器に興味がない私は、前世からのイメージで剣のぬいぐるみを作ったのだ。そして私の剣のイメージは日本刀で、どうもそれはこの世界では珍しいもののようだ。そして、そんな珍しい日本刀を伝説の英雄が使っていたという。
「いえ、剣というとそれしか思いつかなかったので。これって珍しい剣なんですか?」
頭が混乱して、上手い答えが浮かばない。
「いや、双剣の死後にできた剣術の流派のドルーガ剣術で使われるようになったから、今なら普通に売ってるはずだ。」
「ドルーガ剣術……」
回らない頭でなんとなく話をつなげる。
「変わった流派でね。剣の技を磨く前に、プラナを視る練習をするんだそうだ。」
──剣士なのにプラナを視る?……私そんな人、一人知ってます。
「あ、それはそうと、言い忘れていたけどお母さんが壁の外から今日、戻ってきているよ。」
その言葉で、ドルーガ剣術の話は頭から消えていった。
◆ ◆
翌朝、少しばかり目覚めが良かった様な気がする。いつものように準備をして早朝の日課のために庭に出る。庭ではすでに、マークが自身の木剣を振るいながら待っている。
先日の朝、プラナの活性化を手伝ってくれてから、マークは毎朝やってきて、私のプラナの訓練を助けてくれている。ついでにうちの庭で自分の訓練もして行っている。
実地に教えてくれるのは有り難いけどなんでだろう。昨夜ドルーガ剣術の話を聞いたこともあって不思議に思う。父からあの後も聞いた話では、入門しない人間には教えてくれない術のようなのだ。マークの術がドルーガ剣術だとすれば、なにか罰則があるかもしれない。
「おはよう、マーク」
とはいえまずは朝の挨拶。そしてすぐに続ける。少し早口になってしまう。
「毎朝教えてもらって有り難いんだけど、これってドルーガ剣術の秘術?」
マークは一瞬ポカンとした顔を見せて、そのあと破顔した。
「僕が破門されないか心配してくれたんだね、ありがとう。」
にっこりときれいな笑顔で続ける。
「でも大丈夫だよ、これはドルーガでもないし、マルケニアでもない。誰に教わったんだと聞かれると答えられないんだけど、君に教えても僕が叱られることはないさ」
一体誰に──という疑問の言葉はまたちょっと浮かんだマークの翳りで喉から出てこない。
「分かったわ。じゃぁ有り難く教えてもらうことにします」
こんなやり取りの後、プラナを制御する練習を行った。体内でプラナを動かすのは、まだあまり上手く行かない。せいぜい、数インチ動いたかなと感じる程度だ。マークは進歩していると褒めてくれるが、あまり実感がない。マークが活性化した、体内のプラナも、感じられないことも多い。
今朝もマークとの朝の練習を終えると、メイドのミレさんについて、朝御飯の待つ食堂に向かう。マークもさも当然のように一緒だ。あれ以来、毎朝父と一緒に王宮に通っている。
朝食の席で、ライラが町に帰った話になった。
「お義母さん、迎えには来ないと思うわよ」
母が思い出したように言った。
「何故?今日から行こうと思っていたのに。」
まだ6歳児の私は、一応ライラに迎えに来てもらって一緒に治療院に行っている。
「子供さん預かってるんですって」
話を聞くと、隊商は町に入ったが、子供だけは治療院で経過を診ることになったそうで、ライラが治療院で預かっているのだそうだ。
「だったら、道もわかってるから、独りで行くことにしますね。治療院に行けばライラもいるし、安全ですよね」
にっこりと笑いながら早口にならないように言う。
「マーヤ、そんなに無理に行かなくていいんだよ。お前はまだ小さいんだ。お母さんが戻ってきてるんだ、任せておけばいいじゃないか」
──ここからが勝負。
治療院を長く閉めていたので、絶対に患者が押し寄せていてライラが大変であるとか、そのうえ入院患者もいるなら手が回らないはずだとか、切々と訴える。この5日間おとなしく家にいて、サイリースとシェイラの相手をしながらも文字を教え始めていることなどが、この子供のことをよく見ていて、そのうえ甘い両親には効くことも、もちろん考慮に入れて、はしたなくならない程度のぎりぎりのお願いをする。
「……行くときは人通りの多い街道を通ること。寄り道をしないこと。明るいうちに帰ってくること。……守れるね?」
「はい!」
──勝った。
と思ったのだが、シェイラが次の関門として立ちはだかる。
「やっ。スリヤと一緒に遊ぶのっ」
スリヤが私について来るのが寂しいらしい。しかし、スリヤまでいないとおそらく家を出してはもらえない。いろいろ言い含めたが、結局「いい子にしてたら一日お姉さまが遊んであげる」と約束をして、なんとかなだめすかして出発することができた。
『ふう。朝から大騒動だったわね』
……久しぶりの通い慣れた道をあるきながらスリヤに話しかける。
『シェイラって、あの子精霊術師の才能があるね。なんかあの子が泣くと私が逆らえない感じがするんだよ』
『そうなの?』
高位の精霊に契約なしで強制力を働かせるというのは、かなりすごい才能じゃないだろうか。てっきりあの子に同情して傍にいるんだと思ってたのだけど。
『同情みたいな感情を持つと、それに引きずられるのが精霊だよ。人間との共感は契約と同じくらいの力を持つから』
『へぇそういうもんなんだ』
清涼な朝の空気を嗅ぎながら、のんびりとおしゃべりをしながら歩く。2日ほど前には軽く雨が降ったこともあり、路傍の草も瑞々しさを感じる。
『ね、ちょっとだけ薬草取りに行くね』
雨のあとは胃腸薬になる薬草が芽吹きやすい。群生地は街道からもさして離れていない場所で、子供の足でも十分程度だ。寄り道というほどでもない。
『え、だめだよ。こら、叱られちゃうよ。薬草ならどうせ壁の外でライラがたくさん採取してるよ』
スリヤが、念話でわめくので頭に響く。
『そこに群生地が見えてるから大丈夫!!』
その時、スリヤとの会話に気を取られて、背後の気配に気づかなかった。わたしは武芸者ではないので気づかなくても当たり前かもしれないが。
『あ!』
スリヤの叫びが頭に響く。そしてその時、うしろからガシッと肩をつかまれた。