2-6
翌朝の目覚めは快適だった。
──プラナが見えるようになるかもしれない。
治癒の術を使う上で最大の障害だったものが、自分の鍛錬次第で克服出来る可能性がある。視えなくても、治癒魔術が使えなくても治癒者になる覚悟はしたが、治せるものが違いすぎる。
治癒魔術が使える。そのことに希望が持てたからか、昨夜は本当にぐっすり眠れた気がする。
「おはようマーヤ、今朝はご機嫌じゃないか」
着替えていると、スリヤが声をかけてくる。昨夜は双子が寝るまで相手をしていたようだが、疲れは見えない。そう言えば、精霊って眠るのだろうか。
「おはよう、スリヤ。ええ、機嫌はいいわよ。だって、練習次第でプラナって見える様になるかもって。マークさんが知っていたのよ」
返事をしながら、自室を出て浴室へ向かう。声が心なしか、少し弾んでいたようにも思える。まあ、まずさっさと顔を洗おう。
「へえ、プラナが視えるようになるかもってことかい?練習で?」
「ええ、そうよ」
「なんであの子がそんなこと知ってるんだい」
「そうね、なんだか神殿の秘術らしいけど、マークが何故だか知ってたの。どうもかなり危ないことしてたみたいだけど、私眠くてちゃんと聞けてなかった。夕べお父様が問い質してたから、正確なことはお父様に聞こうと思うの」
スリヤは納得いかなさそうな顔をしている。
「ライラやカイルが知らなくて、あの子が知ってるってのは変じゃないかい?」
「まぁ、いいのよ。どうやって知ったかなんて。駄目で元々だし、どっちにしろ私は治癒者として働くつもりなんだもの。」
「ふーん、まあ、あんたが納得してるなら、それで良いよ」
身だしなみを整えても、朝ご飯までには、まだ一時間程度の時間がある。いつもこの時間は庭に出て、マナを使った自然魔法の練習とプラナを感じる練習をしている。今日からはプラナを感じるのに時間を割こう、と思いながら芝生が敷かれた庭に出た。
まずはスリヤに手伝ってもらいながら簡単にマナの制御の練習をする。治療に自然魔法を役立てる方法をいろいろ探ってるのだが、上手くいかないときにスリヤにフォローしてもらっている。私は自然魔法も使えるのだから、その力を無駄にする必要はない。今のところ包帯の乾燥のようなことしか、できてないのだけど。
「今日はこのくらいで良いかな」
「おや、いつもより短いね。良いのかい。特に成果が出たってわけでもないのにさ」
スリヤが怪訝そうに聞いてくる。
「うん。ちょっとプラナを感じる練習を長めにしようと思って」
「……分ったよ。納得するまでおやり。私はプラナってやつが視えないから手伝えないけどね」
「うん。手伝ってくれてありがとうね。プラナは集中するだけだから、手伝いは要らないと思うよ」
スリヤに話しながら庭のベンチに腰掛けて、緊張をほぐす。そして意識を体内に満ちるプラナを感じることに向ける。
この練習を始めた時は、感覚がおぼろげで、本当にプラナを感じているのか、私の錯覚なのかの判断もつかなかったのだが、最近は、これがプラナだと確信できるようになっている。
体の隅々のプラナをチェックして、体調をチェックする。最近は、プラナから伝わる感覚でなんとなく体調がわかるようになっている。自然魔法の練習中、いつも立っているせいか足が疲れるのは毎度のことだ。足に感じるプラナに力を込めるようにすると、足の血行が良くなり、疲れがほぐれてくる。うん、ちゃんとできてる。
「へえ、きれいなプラナの制御だ。」
マークの声がした。
私は、全然気付いていなかったので、驚いて声の方を向き少し非難するような眼差しを向ける。
「おっと、失礼しました、マーヤさん。訓練の邪魔をしてしまったようですね」
マークが口調を改めたが、それを気にする余裕はない。
「視えるの?プラナが」
驚きのため、言葉使いが乱れた。なので言い直す。
「マーク様、あなたにはプラナが視えるのですか?」
「口調はさっきのフランクな方がいいなあ。」
──そんな話はどうでもいい。
「あなたがプラナが視える治癒者なら、何故わざわざ治療院に来たのですか?」
「プラナが見えるといっても治癒者とは限らないんだよ。昨日も神官は全員が治癒者じゃないって言ったの覚えてる?」
眠くて聞き流してた気がするが、今思い出した。軽く頷く。
「プラナってのは大半の人が訓練次第で視えるようになるんだよ。マナは特別な才能がないと無理なんだけどね。」
「訓練次第で誰でも?でもプラナを扱えるのは特殊技能で、治癒術者か、神官だけだって。」
少し混乱した頭で反論する。
「あ、視るだけなら、だよ。あと、除霊術も。訓練さえ積めばね。でもプラナで治癒するのは多分、生まれた時の素質が必要。そんなことより、敬語やめようよ。昨日も初めは敬語なんて使ってなかったんだし」
──伯爵家の息子が何をばかなことを。
父はそれでも貴族の端くれだが、それは父だけの一代限りのもので、他の家族は只の平民なのだ。マークが貴族であることを知らなかった頃ならともかく、知った今そのままの口調で良いわけがない。
「貴族であるあなたのことを、敬称なしに呼んでいるのを、他人に聞かれたりしたら、父が恥をかきます」
笑顔で即答が返ってくる。
「それではこうしよう。二人きりの時はお互い呼び捨てで、他人の前では礼儀正しくふるまえばいい」
──強引な。
人の悪そうな笑顔が、きれいな顔に似合っていない。
「そんなことをする理由がありません」
「6歳の女の子にしちゃ強情だなぁ。マーヤって本当にすごい。」
妙な感心の仕方をしながら、にやりと笑って続ける。
「うーん。じゃあさ、プラナが大半の人に訓練次第で見えるって話の、訓練方法って知りたくない?」
「……どういうことでしょう」
「二人のときは敬称なしで呼ぶって約束してくれたら、教えてあげる。」
──本当に強引な子だなぁ。でも──
「それ、マークに何の得もないと思うんだけど、それでもいいの?」
「お、早速呼んでくれたね。二人きりの時にぎこちなくしゃべるのは嫌だし、教えるのは別に誰も文句は言わないから、大丈夫だよ」
本当だろうか。……私の知る限りこの世界で魔法の技術は、一族や徒弟の間でのみ、厳重に秘匿されながら継承されている。プラナの技も伯爵家の秘技だったりしないのだろうか。
「おやおや、私は数に入れてくれないのかい。お二人さん」
私が考えていると、スリヤがからかう様に声をかけてくる。
「スリヤさんか。無視したかのような物言いは無礼でしたね。ごめんなさい。でも、あなたは人間同士の細かな作法に、こだわったりしないでしょう?」
「……私らに、累が及ばない限りはね」
スリヤが皮肉っぽく言う。
「ちょっと待って。あなたの知ってる術って、部外者に教えて怒られたりしないの?」
私の逡巡の間に、どんどん進みそうになる話を、慌てて遮る。
「え、大丈夫だよ、ああ、もしかして伯爵家の秘術かもしれないと思ってるかな?違うから安心して」
──じゃあ誰に習ったの。
という問いは、マークの顔に一瞬浮かんだ翳りを見たせいで押しとどめられた。
「早速、始めようか」
さっきの翳りは見間違いだったかと思うような、華やかな笑みで宣言された。
◆ ◆
「マーヤは、他の人のプラナは視えないけど、自分のプラナなら感じられるし、それを使って治癒もできるんだよね」
頷く。そんなに詳しく話してないと思うのだけど。
「じゃあまずは他人のプラナを視ることと、その次にそれを使うことが必要なんだよね」
これにも頷く。
「僕が視る限り、マーヤのプラナ制御は大人の神官と比べても遜色ないよ。あいにく治癒者は知らないけど」
「本当に?じゃぁ望みはありそうね」
「視えないのが却ってよかったのかも。視えるとどうしても目に頼りがちになるからね」
──痛しかゆしだ。
「じゃあまず、体中のプラナを認識する練習からしようか」
マークの講義が始まった。スリヤは、自分が見えないプラナの話に退屈したのか、いつの間にかいなくなっている。自由で羨ましい。
マークが教えてくれたプラナの認識方法は一風変わっていて、なんとなくこの世界にそぐわない感じのするものだったが、私にとって妙に懐かしい感じのするものだった。
──これって座禅……?
正座をしたり脚を組んだりというわけではないのだけど、ベンチに腰かけて姿勢を正して、手のひらを上に向けて膝の上に乗せる。そして腹式呼吸。
「プラナが自分の体を螺旋を描くように活性化させてみて。背骨に沿って。ってわかるかな?」
──マークが手に棒とかもってたら、禅寺の修行みたいにみえるかも。もちろんマークは手ぶらだし私をたたくようなことはしなかった。
しかし、実際に言われたとおりにやってみると、なんだか体中のプラナが活性化したような感じがする。
「あらら、簡単にやっちゃうんだね」
マークがあきれたように言う。出来ているということだろう。毎朝、練習代わりに自分の体のメンテナンスをやっていることが、プラナの操作感覚を鍛えていたようだ。
「そのプラナを体内で動かしてみようか」
──動かす?
体内に感じるプラナを活性化したりはしたことがあるけど、動かすなんてことはしたことがない。
「さっき活性化したルートにそって、プラナを動かすように意識してみてくれる?」
──と言われましても。
さすがにそんなことは簡単にできない。
「っと急ぎすぎたかな。いったん休憩しよう」
──急ぎすぎというかなんというか……
「プラナって体の中を自由に移動できるものなの?」
──今更だけど、プラナっていったい何?
ベンチに座り直しながら、その思いを口にする。
「何って?」
キョトンとした顔でこちらをみる。こういう顔をすると歳相応に見える。中身はどうやら相当にたちが悪い気がするのだが、綺麗な容姿がそれをごまかして余りある。
「体の中を障害なく動けるのに、体の外には出ていかない。人間の意志で活性化したり動いたり、何なのこれ」
「ちょっとまって。いきなり難しいこと聞くなぁ。マーヤの言ってること、僕が殆ど理解できないんだけど。なんで動けると変なの?そういうものってことでいいじゃないか」
──本当に知らないのかなぁ。
「えーと、とりあえずプラナってのはそういうもんだから、体で覚えろって教えてくれた奴は言ってたんだけど」
「誰に習ったの?」
そう聞くと、マークの顔に先ほどと同じような翳りがちらりと覗く。しかし、すぐに人の悪い笑顔になって、
「秘密」
──もう、それ以上追求できないじゃないの。
私が肩をすくめると、マークが切り出した。
「プラナを動かす練習は毎日やってね。そうすればプラナが活性化しやすくなるのと、一か所に集めて体を強化したりできるようになる」
「強化って力が強くなったりするの?あまり興味ないわ。治癒者にはあんまり関係ないもの」
「戦をするような力をつけようと思ったらそれなりの筋肉もいるし、マーヤには関係ないだろうけど、瞳を強化すると普通の視力だけじゃなくてプラナやマナを視る力も上がるよ」
「え、プラナも視えるようになるの?」
「視えるかどうかは、練習次第だと思うけど、少なくとも僕は視えてる」
「あなたってなんだか常識が当てはまらない気がするんだけど、私に出来るのかな」
この子は絶対に普通じゃない。ちょっと規格外だ。
「……君にそんなことを言われるとは。よそから見て、君のほうがいろいろ常識外れだと思うよ」
今度は本物の苦笑を浮かべて、声にも笑いが込められている。
──え、私客観的に見てこの子より変?
『……どっちもどっちさ。』
スリヤが念話で伝えてきた。考えてることが顔に出たらしい。……まあいいか。自分のことを偽るのとっくに諦めたんだしね。軽く肩をすくめて、不同意の仕草をするだけにしておく。
「じゃあ、瞳の周りのプラナを活性化してみてよ。それだけでも君が規格外かどうかわかるかもしれないよ」
──どういうこと?
「前にもやったことあるけど何も視えなかったわよ?」
と言いながら、プラナを活性化すると──視界が、色で、あふれた。
「う、わあ。なにこれ」
思わず目を両手で覆ってその場にしゃがみ込む。いつもよりもプラナの活性が強い気がしたのだが、それがこんな効果を及ぼすとは思わなかった。
マークが焦ったように手を差し出しながら声をかけてくれる。
「え、あれ、大丈夫?そんなに強烈だった?」
どうやらマークの計算通りとはいかなかったようだ。
「うん、大丈夫。目の前が色とりどりになってびっくりしただけ」
「色とりどり?あ、そうかマナも鮮やかに見えるんだっけ。あー迂闊だった。マーヤは何種類もマナが見えるんだし、それはわかってたはずなのに。ごめんね、たぶん普段は見えない程度のマナも視えたんだと思う。プラナも視えてたと思うけど」
──確かに普段見ているマナに近い感覚のものだった。
「じゃぁ、この方法でプラナだけ視るって難しくない?マナが明るすぎてプラナが視えたかどうかすらわからないわ」
「僕も火のマナは見えるけど、たぶん君ほど感度が強くないんだろうね。プラナのほうがはっきり見えるから。うーん。なんか方法はあると思うんだけど、思いつかないや。ごめん、僕のほうで何かわからないか探ってみるよ」
本気で私にプラナを見せたいと思っているのがわかって嬉しい、のだけども。
「神殿に忍び込むのは禁止」
そのために神殿と伯爵家で悶着が起きたりしたら、なんだか困ったことになりそうだし。
それを聞いたマークは降参したように両手を上げて、ため息をついた。
「分かったよ。王宮図書館で調べるくらいにしておく。それはともかく、マーヤって自分の怪我を治す時はプラナを視てないよね?感じるだけ?」
「そりゃそうよ。みえないんだし」
──何を言い出すのだ。
「じゃぁ、感覚だけで他人の怪我って治せない?」
──へっ?
いきなりの話に思考が中断してると、両手がやわらかくマークの両手に包まれた。私の華奢な手と比べると、ずいぶんと大きくてたくましい手に見える。
「そのまま、つないだ手を通して僕のプラナって感じられないかな?」
「そんなこと出来る訳が、ない、でしょ」
声が上ずってしまった。
「だって治癒の時は結局手を当てて相手のプラナを調整するんだよね。視えなくても出来るんじゃない?」
「また思いつきでそんなことをっ」
と言いつつも、手を通じてマークのプラナを感じてみる。
──なにも感じないなぁ。
マークの手のぬくもりが伝わるだけだ。自分でも気づかないうちに冷えていたらしい。温もりがありがたい。
温まった手のひらのプラナに集中して活性化をさせてみて、もう一度マークの手からプラナを感じようとする。
「あっ」
今度の叫びは歓喜の叫びだった。
「うん感じる。これ、マークのプラナだと思う」
「今は僕のプラナを活性化させてるからね。普通の人のプラナより感じやすいはず。じゃぁ活性化を解くよ」
途端にプラナを感じられなくなった。
「なんだぁ。マークが活性化した時じゃないと感じられないんじゃ、あなたにしか使えないじゃないの」
──得られた歓喜が大きかった反動で、がっかりする。
「でも、練習を続ければ、普通のプラナも感じられるようになるよ、きっと」
「そうよね、もっと練習して、私のプラナを強くすれば私にも治癒魔術が使えるようになるかも」
──うん。今までよりずっと前進してる。
「僕がこれくらい使えるようになるまで7、8年はかかってるから、この先長いけど頑張ってね」
マークは期待させて落とすのが趣味なのだろうか……
──7、8年かぁ。
「お嬢様ぁ、あ、きゃっ」
突然、庭の反対から声がした。メイドのミラさんだ。今日は朝早くから来てもらったのか。朝早いからか、なんだか顔が赤いようだ。
「あの、お客様、お嬢様。おはようございますっ。お二人で仲良くお話していらっしゃるところ、も、申し訳ありませんが、朝ごはんのご用意ができていますっ」
どもってる様子がなんだかおかしい。ふと彼女の視線の先をみると、そういえばまだ手をつないだままだった。庭の片隅で、二人で真剣な顔をして語り合ってる様子は、はたから見ると、少年少女の恋愛模様に見えたのかもしれない。
慌てるのも不躾なので、ゆっくりと手を放し、ミラさんに微笑んで言った。
「ありがとう、ミラさん。お客様と一緒にすぐ参りますわ。マーク様、ご一緒にいかがですか?」
──うん、平静な声だったよね。