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目の前にいる少年は、襤褸としか言いようのない服を着て、古びた袋をもっている。恰好だけをみると、なんだか、只のみすぼらしい浮浪少年だ。その腰に体に似合わぬ剣を下げていることと、その美しすぎる容貌を除けば。
まだ幼い私の目線はその少年の胸の高さから見上げる形になり、そこから顔を上に向けている。少しの間、見とれる、というより呆気にとられて黙っていると、当の美少年が、その碧がかったグレーの目をすこし曇らせて、すまなさそうな顔をすると、腰を屈めて目の高さを私と同じに合わせて、もう一度言う。
「ねえ、治療院はまだやってるか?」
口調から幾分大人びた感じが消えて、子供相手の話し方になっている。見上げる必要もなくなって首が痛くないのは助かる。服は襤褸をまとっているが、中身は子供なのに紳士だ。
「今、閉めようとしたところよ。」
自分の甲高い声が気に障る。前世で50年生きて、今世ではまだ6年。どちらの年齢を考えても、恋愛を意識するのはおかしいと思うのだが、桁違いな美貌というのは、そういうのを超えて体温を上げるものらしい。まぁ、眼福ではある。
「あらら、先生にちょっと怪我を見てくれるように頼んでくれるか?」
顔をしかめるのすら様になる。前世に連れて帰ったらスターになりそうだ。
「怪我をしてるの?」
「大したことはないんだけど、うち身と擦り傷がちょっと」
「治癒師は今、居ないから代理の治療になるけどいい?」
追い返すのも寝覚めが悪そうだ。結局、彼を治療室に通すことにした。表の札はClosedにしておく。
『おや、またえらく襤褸っちい子だねぇ。っと。ほぉっ、顔はえらくきれいじゃないか。それに…。ただもんじゃないよ、この子』
『詮索は後よ。怪我してるって言うから治療するわ』
彼を治療用の寝台に座らせて、スリヤをだまらせる。
「じゃぁ、怪我してるところを見せて。」
「えっ?代理の治療師は?」
「私よ」
案の定、驚いたようだ。きょとんとした、意味がわからないという顔から、徐々に目を丸くしていく。
「ええっ?本当に?大丈夫かい?」
「つべこべ言わずに傷を見せて。」
強引に治療を始める。手や脚のそこかしこに擦り傷があるし、うち身は体中にある。六歳の子供の体での治療にも、今日一日でかなり慣れたので、傷口に薬を塗ったり、打撲の場所を調べて湿布を貼ったりしていくのも苦にはならなくなっている。
「はい。終ったわよ。」
そういうと、少年はちょっと目をすがめて、私の方を見てから不思議そうに聞いた。
「あれ、治癒魔術使わないの?」
いまさら何を。治癒魔術使うならこんなに薬品要らないでしょうに。
「私は使えないの。」
「使えない?あれ、でも……」
何かを言いかけた、その時、治療院のそこから騒がしく誰かが入ってきた。
「マーヤ!!居るのか!!無事か!!」
……しまった。父に連絡を取るのをすっかり忘れていた。確かにいつもなら家に帰っているか遅くなるならライラから連絡があるはずの時間だ。いまだに親バカな父が心配するのは当たり前だろう。慌ただしく治療室に入ってきた父に、頭を下げる。
「ごめんなさい、お父様。連絡をするのを忘れてたわ。でも、治療室にそんなに騒がしく入ってきてはいけません」
一応、釘をさす。父は何か言い返そうとして口を開き、そのまま目を見開いて固まった。視線の先には患者の少年がいる。見ようによっては一つの部屋に男女が二人きりだが、さすがに患者相手には、この父でさえそんなことは思わないだろう、いや思わないでいてほしい。
しかし父の驚きは全然違うものだったようだ。気を取り直したあと、少し冷たい平板な声で少年に話しかける。
「おや、マーク様じゃないですか?……マルケニア伯爵のご子息ともあろう方が、このような場所で湿布まみれになっているのは、一体どのような理由があるのでしょうか」
父のこんな声は、私はあまり聞くことがない。弟が悪さをするときはこの調子でたまに叱ることがある。子供を躾けるとき用の声なのかもしれない。子供には利きすぎる気もする、そんな声だ。
しかし、相手の少年は気にもしないようににっこりと笑った。
「おや?アストリウス卿じゃないですか。このお嬢さんのお父上?それはまた奇遇ですね。」
「あなたは今日は、一日中ストイコ殿下と共に過ごされるという予定だったはずですが、王宮にいるはずのあなたが何故ここに?」
王太子の次男の付き人のようなものをまかされてる、伯爵家の息子、というのが彼の正体のようだ。
「その襤褸を見れば、なにかまた無茶なことをしでかしている、というところでしょうか」
マークと言うらしいその少年は、笑って肩をすくめた。なかなか豪胆だ。
「いやぁ、名高い宮廷魔術師アストリウス卿のお嬢さんが、六歳にしてこんなに美しく、しかも聡明な治療師をしているとは全く知りませんでしたよ」
「話を逸らさないでください。まったく、十二歳の子供はおとなしく守られていなさい。あなたの出る幕ではない」
十二歳なのか。外見通りなのだけど、発言が十二歳のものとは思えない。声を少し大きくして叱る父になだめるように言う。
「そんな大声出すと、マーヤさんが怯えちゃいますよ。落ち着いてください。」
──何をしたのかは知らないが、反省は全くしていないようだ。
「誰のせいで大声を出してると思うのですか!それに気軽にうちの娘の名前を呼ばないでいただきたい!」
切りがなさそうなので、口をはさむことにした。
「お父様、話はうちに帰ってからにしませんか。マーク様、夕食をご一緒にいかがですか?父もお話があるようですし」
「えっ」
一瞬、マークの顔に焦りが浮かんだ。なんだかんだと言って父を煙に巻いて逃げだすつもりだったのだろう。そこに私が夕食に誘ったので、逃げられなくなったのだ。このひねくれていそうだが、礼儀正しい少年が、六歳とはいえ、レディからの誘いは無碍にしないだろうと読んでのことだ。
「思わぬ伏兵だ」
そう呟きながらもマークはにっこりと笑って私の方を向いて立ちあがり、優雅に一礼した。襤褸服でなければさぞ鑑賞に堪えただろうと思える礼だった。
「喜んで。お嬢さん。しかしこのような服でうかがうのは申し訳ない。一応きちんとした服も持っているのですが、すっかり濡れてしまっているのですよ」
そう言って持っていた古い袋から服を出して見せる。確かにびしょぬれだ。
「まぁ、大変。すぐに乾かさないと」
服をマークの手からもぎ取り、念じる。
《脱水》《乾燥》《渦巻》
まずは水の魔法で脱水すると、暖かい風が服を舞いあげて、空中でぐるぐる回る。イメージは前世でよくお世話になった全自動洗濯機の脱水から乾燥だ。この魔法、治療院でよく使うタオルや包帯を洗った後に重宝している。
五分もすれば、服も乾いたようだ。魔法を止めて、服を受け止めると、マークに渡す。
「更衣室があっちにあるから着替えてきてください」
「魔法が使えるのか、びっくりしたよ」
驚いた口調で言う。魔術師の娘が魔法と使ってもそんなに驚くことではないと思うのだが。
……その時。
「何言ってるんだい、あんただって魔法使えるだろ」
いきなりスリヤが姿を現した。
「え、本当?」
驚いて私がスリヤに聞く。
「この子の周りを視て御覧。火の性質のマナが吸い寄せられるように集まってるよ。火の魔法にかなり相性がよさそうだ」
へえと思い、目を凝らしてマークを眺めると、確かにマナが集まっているのが見える。
「……今度は精霊かあ、さすがにアウトリウス殿のお嬢さんというべきかな、驚かせてくれますね」
火の魔法を使えることは否定する気もないようだ。
「マーク様、さっさと着替えてきてください。今日は我が家できちんとお話をさせていただきますよ。」
父が焦れたように促すと、ようやく更衣室にむかって行った。その姿が見えなくなると、ため息をついてから父が聞いてくる。
「マーヤ、一体どういうことなんだい?お祖母様もいないようだし」
……ようやく、父に今日あったことを一から、全て話すことができた。そして日が高いうちに、スリヤと一緒に帰ってこなかったことについて、こってりと叱られた。