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治療院を出た途端スリヤが姿を消す。
私が魔法の視力で視ると、消える前と同じ格好の彼女が半分透けたようにして視えている。精霊は、魔法の力を空中で伝えるマナというものが集まってできているらしい。マナというのは魔力の素のようなものなのだが、こちらは父の力を受け継いだらしい私には視えるのだ。これは魔法の力を持たない人には視えないらしい。この視力がプラナにも効けばな、とつくづく思う。
「南の国から貴族が来るって。スリヤが言ってるわ」
歩きながら、ライラに話しておく。
「貴族が来るのと、人がいないのってなにか関係あるのかしらねえ。嫌なことになってなければいいんだけど。グンデが何か知ってるかしら」
ふう。とため息をつきながらライラがつぶやく。グンデさんというのはリルの父親で”陽だまりの猫”の亭主兼料理人。リルの母はコリンさんと言って二階にある宿泊用の部屋の掃除や、準備を一手に引き受けている。
「あっ!マーヤっ!ライラっ!いらっしゃ~~いっ!」
元気に声をかけてくれるのはリルだ。昼の間は給仕を手伝っているのだ。子供とは思えないほどしっかりしていると思う。今も大きなお皿を危なげなく抱えてテーブルに運んでいる。この時間はテーブルのわきにリルのための小さな段がしつらえてあり、それを上ってお皿をテーブル上に置く。
「おう、ありがとよ、リルちゃんは働きもんだな。」
馴染みらしい傭兵風の男がリルから皿を受け取っていた。何かの肉の煮込みのようだ。リルを見て細めていた目を、そのあとはおいしそうな料理に向けて舌なめずりをしている。
「今日はねっ、おそとでっ取れたうさぎが、市場に出たのっ。おいしいよっ」
リルが元気に挨拶を返している。お外というのは都市部を囲む城壁の外側と言うことだろう。近くの朝市には、都市の外で漁師が獲った獲物が出ることがあり今日は兎があったのだろう。リルも仕入れについて行ったのかもしれない。
「リル、今日の昼ご飯は兎のほかには何があるの?」
この世界では、貴族以外は概して識字率が高くない。商人はともかく、傭兵やハンターなどを相手にする店では、メニューをおいても意味をなさないため、何があるのかは聞くしかない。
「兎と、いつもの鯉だよっ」
いつものと言われても私はここで食べるのは初めてだ。と、マーヤが補足して教えてくれる。
「都の北にローランディア湖って湖があるでしょう?そこで鯉が獲れるらしいわよ」
地元の名産なのだろうか。そういえば自宅でも魚といえば鯉の料理ばかりだ。
「兎を一皿もらえるかしら。あと鯉の小さいのない?」
大人の二人前を取ると、食べきれなくなるから、兎と小さめの鯉をもらって二人で分けることにする。
やがて、香辛料の利いた兎肉のグリルと、香草で香りづけされた蒸した鯉が出てきた。
「よお、ライラ先生お待ちどう。いつも良い酵母くれるお礼だ、鯉の分のお代はいいぜ。」
「あら、ありがとう、それにおいしそうね。でもお昼から今日獲れた肉なんか出して、夜は大丈夫なの?」
ライラが、料理を運んできたグンデさんに尋ねる。こういう酒場の本番は商人や傭兵相手の夜のはずだ。すると、忌々しげにグンデさんが応えた。
「今日は商人もハンターも街に入れないみたいでよ。夜は閉めようと思ってるんだ」
「入れない?」
「ああ、なんでもどっかの国からすげえ人数で偉いさんが来るらしくてよ、街道が封鎖されちまったんだと」
グンデさんが話していると、先ほどの傭兵風の男が話しかけてきた。
「おう、その話なんだがな、ライラ先生よう、あんた、若くて腕のいい治癒師知らねえか?壁の外まで来てくれるような」
私は思わずライラの方を見た。グンデさんもライラを見ていた。ライラは、みんなの視線を受けて苦笑して言った。
「……おばあちゃんでもよければ、とりあえず話を聞きましょうか」
ライラの口調が冷たい。若くないと見なされたことが気に食わない様子だ。その怖い笑顔が自分に向けられていなないことにほっとする。
リルが、場の雰囲気が変わったことについていけず、不安そうにグンデさんにしがみついていた。
◆ ◆
結局、ライラがその傭兵風の男、ジノさんについて行くことになった。
彼は隣の都市ムステルドからの商人を護衛してきたのだそうだ。無事に旅をほぼ終え、王都に入る前に、商人の連れが病気になったらしい。普段は風邪程度では都市の城門で止められたりはしないなので気にせずに都市に入ろうとしたのだが、なぜか今回に限って、門番が普段では絶対にないような厳重さで商隊を調べ、その過程で病人が発見されてしまった。そのため、治癒者を連れて来るための一人を除いて都市への立ち入りを禁じられてしまったらしい。
「いやあ、俺が知ってる治癒師っつったらライラさんしか居ねえし、この町からライラさん連れ出したら、治癒師居なくなるだろ?困っちまってたんだよ。商人の連れってのもただの風邪で大した病気でもなさそうだし、わざわざライラさんが来てくれるとも思わなかったんだが、いや、助かった」
ライラが若くないと言うわけではない、と苦しい弁明をしている。
「風邪を甘く見ないで。」
短く冷たい返事。本気で怒ってる訳ではないのだろうが、二度と年寄り扱いさせない、という強い意志を感じる。冷たい口調にうろたえているジノさんが気の毒になる。
「マーヤ、今日は送っていけそうにないから、あなたのお父さんに連絡しておくわ。仕事が終わったら寄ってくれるでしょう。それまでお留守番お願いね。薬を取りに来る患者さんには処方したものは渡してあげて。明日はお休みにしましょう。」
残念ながら、私はもちろん付いてはいけない。精神的なものがどうあれ私は6歳の子供の力以上のものは持っていない。治癒の力を仕えるのならまた違ったのかもしれないが。
いや、冷静に考えれば、そうであっても6歳の子供を連れて行くことはないはずだ。プラナが見えないことで、少し卑屈になっているのかもしれない。
「おいおい、ライラさん。マーヤちゃん、うちで預かるぜ。お父さんにはうちに来るように連絡出来ねえのか?」
グンデさんが親切に申し出てくれる。父が宮廷魔術師で末席とはいえ貴族だというのは治療院に関わる人には伝えていない。伝えたうえでもフラットに付き合ってくれる人は数えるばかりだろうから。グンデさんも迎えに来るのがまさか宮廷魔術師だとは思っていないから気楽に申し出てくれるのだろう。
「患者さんが薬をとりに来るし、誰か院にいないとまずいのよ。マーヤならしっかりしてるから大丈夫よ。この子のお父さんも暗くなる前には迎えに来ると思うわ」
ライラが言っている理由は本当のことだ。それに、酒場のなかをふわふわと漂っているスリヤも、しばらくは一緒にいてくれるだろうから、問題はないのだ。
「わかったよ。ちょっと心配だがコリンにちょくちょく様子見に行かせらぁ。マーヤちゃんよ、困ったことが有ったらすぐに知らせるんだぞ。このあたりの連中ならみんな助けてくれらぁ」
「ありがとうございます。何かあったらお隣の服屋さんに駆け込みます」
ぺこりと頭を下げてお礼を言っておく。
「いやぁ、確かにしっかりしてるなぁ。本当にうちのリルより年下とはおもえないねぇ」
グンデさんが呆気にとられていたようだが、とにかくライラが壁の外へ向かい、私は院で父が迎えに来るまでスリヤに守ってもらいながら留守番と決まった。
『スリヤ、少しの間一緒にいてくれるかしら。お願い』
『まったく、しょうがないねぇ。まあ、なんか嫌な予感もするし、あんたのお父さんが迎えに来るまでくらいは一緒にいてやるよ。』
『ありがとう、スリヤ』
ライラとジノさんと連れ立って一旦、院に戻る途中で念のため一応、お願いの形でスリヤに念話を送ると、恩着せがましい回答が返ってきた。スリヤが私の周りに姿を現すのはいつも暇な時で、今回だって他に大した用事などないはずなのだ。とはいえ守って貰えるのは心強いので、恩に着ておく。
……そうこうするうちに、治療院に到着し、ライラは隣の服屋さんのモリーさんに留守にすることを伝え、外に行くための準備を始めた。ライラは治癒魔術が使えるが、それに頼り切るのは危険だ。治癒の魔力は患者の本来もつ治癒力を底上げするもので、患者のほうに治癒するだけの余力がない場合、薬等で補ってやらなければいけない。
「で、患者の年齢と症状は?」
「おお、患者はそこのお嬢ちゃんと同じくらいの子供で、あと、ああ熱がちょっと高いくらいだな」
なんてことだ。ジノさんの悠長さに流されていたが、症状を先に聞いておくべきだった。ライラも顔をしかめている。6歳の子供の熱は侮るわけにいかない。子供は体温調節が大人の様にはいかない。発熱の原因が何であれ対応を間違っていると思わぬ高熱になって、下手をすれば命に係わる。子供にとっては隣の都市からの馬車移動は長旅で、体力も落ちていると思われる。
「急ぐわよ、ジノ。早く案内して。マーヤ、後は任せたわ」
ライラは、きちんと整理して持っていくのをあきらめ、手当たり次第に大きめの鞄に詰め込んで歩き始める。
「いってらっしゃい。後は任せて。」
ライラが、後のこと気にせずに子供の治療に専念できることを願いながら、手を振って送り出した。
ジノさんが慌てたようにライラについて行き、ライラの鞄を引き受けて足早に案内をはじめる。間に合ってくれればいいのだが。
◆ ◆
ライラが行ってしまい、治療院に一人になった。もちろん、スリヤは傍にいるのだが。
『ライラったら、カイルにあんたのお迎え頼むの忘れてるじゃないの。』
ライラは、プラナを利用する治癒魔法は使えるが、遠話などのマナを使った自然魔法などといわれる普通の魔法は使えない。だから、遠話をする場合は専用の魔法陣を使ったとしても、私のようなマナを制御できる人間が手助けする必要がある。私の自宅に連絡するつもりだったのか、それとも王宮に連絡するつもりだったのか、どちらにしても、すでに出かけてしまったのでは連絡は不可能だ。
「スリヤ、お父様に迎えに来るように言ってきてもらえる?」
「無理よ。王城ってものすごく強力な魔法結界が貼ってあるんだもの。あの結界の中に許可なく入れるのは神様クラスだけ。」
なんと。そんな結界があるとは。驚いているとスリヤがさらにかぶせてくる。
「あの結界張って維持してるのってあんたの父親の仕事だよ。もちろん一人でやってるわけじゃないけどね。」
──へええっ。
素直に驚いた。辺境出身の魔術師が宮廷魔術師に召し抱えられたうえに、準男爵とはいえ貴族に列せられたのは伊達じゃないということか。
「そんなところによく遠話が通るわね。あの魔法陣ってものすごく特殊なのかしら。」
父がまた入り組んだ魔法を組んでいるのかもしれない。そんな特殊な魔法陣を、今の私の知識で勝手に使うのは、遠慮したい。ライラはよくまあ、こともなげに使っていたものだ。
「……しょうがないわね、お母様は遠話できないし、お父様が王城から出てくる頃を見計らって、私が遠話で連絡しましょう。」
結界がなければ、私から父への遠話は可能だと思う。やってみなければ分からないが。
と、治療院の表から声がした。
「おーいせんせー。薬貰いにきたっすよーー」
これを皮切りに、薬をもらいに来る人もいれば、軽いけがをした人が治療を求めてもきた。
ライラがいないのに治療していいのか。前世であれば明らかに否だ。
しかし、今世で私は看護師をしたいわけではない。治癒を自分で行える人間になりたいのだ。そして目の前には患者がいて治療を待っているのだ。そこに、躊躇も葛藤もなかった。わたしは、ライラが不在で治癒魔術が仕えないことを謝罪しつつ、簡単な傷に消毒をしたり、打身に湿布を貼ったりをこなしていった。そして改めて確信していた。治癒の魔法が使えなくても、人を治療する技術はある。それで助かる人たちがいる。
──だから私は、絶対治癒者になる。もう、そう決めている。
慣れない治療用具や薬剤と小さな体に戸惑いながら、決して効率は良くないが、きちんと患者に対応していった。患者も小さな子供に治癒を任せるのに不安をにじませながらも、わたしの手つきを見て安心してくれたのか、大半の人が治療を任せてくれる。とはいえ、私の治療でお金をもらうわけにもいかないので、会計は薬代だけをもらうことにした。
そのうちに日が暮れてきて、患者もようやく途切れた。今日、薬をとりに来る予定の人にはとっくに全員渡している。
「なんか忙しかったわね。つかれちゃった」
「でもマーヤったら楽しそうだったねぇ。そろそろあんたの父親に連絡するころあいじゃないかい?」
「そうね、一回遠話をつないでみる。でもその前に、終了の札出してくるね」
治療院の入り口をでて、診察終了の札を出そうとした時──
口調は大人びていて、でも明らかに声変わりする前の高い声で、声がかけられた。
「治療院はまだ開いてますか?」
──あら、きれいな男の子ね。
それが、私の第一印象だった。