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赤い誘惑  作者: 七七日
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袋小路

 相変わらず、巳世に囁きかける誘惑は止まないままだった。透と巳世はその問題を解決することができないまま日々を過ごしていた。しかしただ無為に過ごしていたわけではなかった。例えば衝動に襲われたとき、何か物を壊してはどうか、という案を試したり、図書館に通いつめたりもした。鎮痛剤なんてものも試した。しかし決定的な解決にはいたらなかった。

 今現在、ただひとつある希望的観測は巳世が透のことを刺し続けることによって欲望が満たされ、いずれ薄らいでいき、消える、という都合のいい考え。

 もう七月だというのに透は未だに長袖のワイシャツを着用し、その下にはぐるぐるに巻かれた包帯が隠されていた。

「なんでまだ長袖着てんだよ」

 クラスで一人長袖の透を見て辰哉がそう尋ねた。

「特に他意はないよ」

「そうか、わかったぞ。実はすごい剛毛なんだな、それで恥ずかしくて見せられない、そうだろ!」

「……ああ、実はそうなんだ」

「嘘だって。冗談だって。そんな蔑んだ目で俺を見るなよ」

 大きな声で明るく喋っていた辰哉だったが次の台詞はトーンを落としシリアスな様子で紡いだ。

「微かに透けてわかったけど、どうしたんだよ。その包帯は?」

「盛大に転んだんだよ」

 棒読み調子で透は言った。

「本当は、どうなんだ?」

「猫に引掻かれたんだよ」

「……わかった。もう聞かないさ」

 声のトーンを戻し辰哉は言った。

「それと、もう一つ聞きたいことがある?」

「ん?」

「最近、神並巳世と仲がいいな」

「そうか?」

「ああ、一緒にいるところをよく見るし、たまに話したりしてるだろ」

「まあ、隣同士だし」

「神並は隣同士だからって気軽に会話をする奴じゃねえよ」

「いやに分かった様な事を言うんだな」

「以前には言ったよな、まあ、の時はふざけた調子で言ったけどさ、俺は神並のことが好きだったんだ。そして、それはいまでもだ。だから気付けば目が行くし、部活に来なくなったことも気になっている」

 いつのまにか口調が再び真剣なものへと戻っていた。

「お前等付き合っているのか?」

「いいや」

 真剣に問う辰哉に対して、透は素っ気なくそう答えた。

「別に遠慮しなくてもいいんだぞ」

「本当だって」

 それでもまだ辰哉は釈然としない様子だった。

「じゃあ、このころまるきり部活にこないのはなんでだ?」

「さあ、それも知らない」

透はその理由をもちろん知っている。

「そうか……」

 この日の辰哉はいつもの明るさやふざけた様子がほとんどなかった。

「じゃあな」

 巳世が教室に入ってくるのを見てか辰哉は透と席から去って行った。


               ■


 巳世が席に着くのを見計らって透はさりげなく、訊いた。

「最近、部活はどうしてるんだ」

「行ってない。部活中に、きたら困るし。顧問の先生には家庭の事情って言ってある」

「そうか」

 透は答えをある程度予想していたが、それでも訊いたのは単なる気まぐれだった。

 二人は学校ではあまり言葉を交わさなかった。二人の会話となるとどうしても巳世のあの症状のこととなる。そのため余り人の耳に入るのはよくないとして、明確に決めたわけではないが学校では必要以上の会話はしないことが不文律となっていた。

 しかし学校が終わると二人は共に変えることが多かった。そしてまた巳世の衝動、衝動についての解決策を話し合った。かといっていつもそんな話ばかりしていたわけじゃなかった。他の十代の少年少女と同じ様に、意味もなく、他愛のない会話をすることもあった。巳世と透、二人は今まで他の生徒とそのような会話、所謂世間話というものを退屈に思い、毛嫌いしていたが、二人で互いに話している分にはそう思うことはなかった。

 二人はできるだけ一緒にいようと努めた。それは透が望んだことだった。できるかぎり巳世の体を傷つけたくなかったからだ。

 しかし、衝動が来て、泣く泣く透を刺した後、巳世はいつも自責の念に囚われた。自分のせいでいつも透を傷つけていると。そんな様子を見かねてかある日透は言った。

「大丈夫、実はマゾだから」

 もちろん巳世は冗談だと分かっていた。自分を慰めるために普段めったにいわない冗談をいった透の優しさが身に染みた。

 透が冗談でいた自分はマゾ宣言もあながちウソではなくなっていた。透は徐々に痛みと言うものに慣れを感じていた。最初の頃は腕の痛みで中々寝付けなかったこともあった。日常生活で一番支障をきたしたのは風呂に入る時やシャワーを浴びるときだった。熱湯が傷に染み思わず悲鳴を上げたこともあった。

 しかし今ではもはや痛みと言うものは生活の一部となっていた。熱湯をかけても少し染みるといった具合だ。巳世に刺されるとき、この行為によって巳世の苦しみを和らげているのだという充足感も持った。透にとって刺されることだけが唯一役立てることだった。


               ■


 二人は昼休みに目的もなく学校の人気のない所をぶらぶらと歩いていた。

 巳世が立ち眩みを起こした時の様にふらついたのを透は見逃さなかった。

「きたの?」

「……」

 無言は肯定の意だった。

「きて」

 透は巳世の手を引いてトイレに駆け込んだ。

 誰もいないことを確認し、一瞬の逡巡の後、巳世のことを配慮してか女子トイレの方へと入った。個室に入り念のため鍵もかけた。

「ほら」

 透はそう言って左手の包帯を取り、傷がない所を探しだしては巳世の前に差し出した。

「……」

 巳世は青白い顔で、息を荒くしながらポケットから銀色のシャープペンを取り出した。そして、虚ろな目で透の腕を見つめては勢いよくペンを突き刺した。

 徐々に巳世の荒い息は収まり顔にも生気を取り戻して言った。

「……――ちど」

「え?」

 か細い声で巳世が何かを言った。透が聞き返すと少し声を強めて再度言った。

「……もう一度、もう一度だけって、私の中の誰かが言うの」

「もう一度……」巳世は泣き出しそうな声で言った「もう一度、人を殺したいって」

 透は沈痛な面持ちでそれを聞いた。

 密封されたトイレの個室は透の腕から流れる血のせいで、鉄のにおいが充満していた。透の腕の多くの痛々しい傷に気がついた巳世はまたも泣き出しそうな声で言った。

「――ごめん」

「いいって。これぐらいしかできないんだし」

 そうではなかった。不安な毎日を過ごす巳世にとって全てを理解してくれる透の存在は非常に大きかった。ただそばにいてくれているだけで大きな心の支えとなっていた。

「ごめん……」

 巳世は何度も小さな声でそう呟いた。

「もう……、死にたい」

 最後にそう言った巳世を透は強く抱きしめた。


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