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赤い誘惑  作者: 七七日
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告白

巳世は段々と恐怖に駆られるようになった。いつまたあの衝動が来るのか、次は耐えられるだろうか。耐えられなかったとしたらどうなってしまうのか。怖かった。不安と恐怖に押しつぶされそうな毎日だった。かといってこんなおかしな症状を誰かに、親にさえも明かす事が怖かった。

巳世は言えなかった。衝動の奥底にある本質を理解していたから。最初は自分を誤魔化していた。だけど衝動が訪れるにつれて自分を騙す事さえできなくなっていった。

 誰かに話したい、それだけで心が軽くなるような気がした。

そのとき、ふと巳世の頭に一人の少年――北城透の名前が浮かんだ。彼なら何を言っても驚かない、理解してくれる、受け入れてくれる。根拠はないけど巳世はそう思った。

(明日、できたなら……)

 話しかけてみようと巳世は思った。できれば周りには誰もいない方がいい。運よく二人きりになれたらいい。巳世のその願いは余り芳しくない形で叶うこととなる。


               ■


 制服は衣替えを済ませ男女ともに夏服になった。それにもかかわらず巳世は冬服のままだった。その姿はより一層クラスから浮いて見えた。

 巳世はその日、透と話をする機会を窺っていたが、中々恵まれず現在は最後の授業。気温は暑いが冷房は入っていないのでだらけている生徒が多く目立つ。透もその一人だった。

 授業もあと数封で終わるという頃、巳世はまたもあの衝動に駆られた。それは今までより一際強かった。息が荒くなり、寒さをこらえるように自分を抱きしめた。

 透は半分寝ぼけていたが隣から聞こえる荒い息使いが聞こえ意識を戻した。横を見ると巳世が苦痛を微かに表情に浮かべ、まるで自分を縛るように両腕で強く自分を抱きしめている。

 何かの症状が出たのだとしても、今回はいつもと違う。透はさすがに心配になり、巳世に向かって手を差しのばそうとした。

「おい……」大丈夫か? そう言おうとした瞬間だった「――っ!」透は何とか悲鳴を押し殺した。

 授業終了のチャイムと同時に巳世が銀色のシャープペンで透の腕を刺したのである。そのとき透は瞬間的に判断して自分の体を椅子ごと巳世に近づけ周りから自分の腕を見せないようにした。

 透はすぐさまペンを抜き、ポケットに隠した。そして起立の合図がかかったので立ち上がった。巳世は机に突っ伏してぐったりとしている。教室には巳世の他にも夢の世界に旅立ちうつ伏せになっている生徒が数人いたので教師も巳世のことを気に留めなかった。

 透は周りに気付かれないように刺された右手を抑えて座った。卸したての白いワイシャツはあふれ出る血で赤く染められた。

 かなり力強く刺され、ペンは切っ先から3センチほどまで血で染まっていた。

 隣の席では未だに巳世が不規則な荒い息を繰り返している。

 このまま巳世を放っておくわけにもいかず、血みどろのこの制服では帰るに帰れない。透は早く教室から人がいなくなることを願って、痛む腕を押えながら席に座っていた。


               ■

「……」

「……」

 透と美代は押し黙ったまま隣り合って座っていた。既に他の生徒は帰宅するなり、部活にいくなりして教室には二人だけだった。奇しくも巳世の願いは叶ったが、素直には喜べないでいた。

 二人きりに立ってしばらく経過し、廊下にも人影がなくなったころを見計らって巳世は口を開いた。

「その、腕。ごめんなさい」

「ああ、別にいいよ。もう血も止まったし」

 自ら話を広げるということを今までの人生でしなかった二人の会話はそこで途切れてしまった。

「何か、病気?」

 数十秒たって次は透から話を切り出した。

「……わからない。でも、たぶんそうだと思う」

「医者には?」

「行ってない。君以外の人には気付かれていないと思う」

「親にも?」

「うん」

 そこでまたも一旦会話が途切れた。

 西に沈みかけた夕日が教室に差し込み二人をオレンジに染めた。

「聞いてくれる?」

「ん? 何を?」

「私のこの症状というか、衝動というか……」

「聞いて差し支えないなら……むしろ少し気になってたし」

「うん。じゃあお願い。聞いて」巳世はそう言って話し始めようとするが、思い出したように付けくわえた「聞くだけでいいから。別に助けて欲しいとか、協力して欲しいとか、そういんじゃないから……」

「うん」

 そうはいっても透には巳世が誰の手でもいいから縋りつきたいほど今の状況を苦しんでいるように思えてならなかった。

「じゃあ……」

 そう言って巳世は話を始めた。


               ■


「まず、春休みの通り魔事件のことは知っている?」

「ああ、大体は」

「この症状が始まったのはそのときから、その事件が原因だと言ってたぶん間違いないと思う」

 そして巳世はその日のことを思い返しながら話した。

「その日は午後から部活があって、大体六時ごろまでやっていた。帰っている途中、ほどなくして誰かが後ろを歩いているのが分かった。始めは大して気にしてなかったけど、数回曲がり角を曲がってもその足音は消えないからもしかして付けられているのかと思った。振り向きたいけど、振り向けなかった。歩く速度を速くしたら後ろの足音も速くなった。やがて足音は歩く音から、走る音へと変わった。私のすぐ後ろまで来たときにようやく振り向くことができた。そこには銀色のナイフを持った男が迫っていた。男がナイフを振り上げた。私は反射的に男の手を取って手首をねじりナイフを奪い、そのまま男の右腿に浅く刺してしまった。男は少し怯んだけど、すぐに別のナイフを取り出して再び私に襲いかかろうとした。そのとき私の中には恐怖と混乱とそして別の何かが滞在していた……」

「別の何か?」

「それを何と表現したらいいかわからない。衝動、症状、誘惑。まるで誰かが私の中に入り込んだみたいになって、自我が薄れていくようで、それと同時にある欲望が生まれた」

 巳世はそこで黙り込んでその後を口にするのを躊躇っているようだった。

「……人を、殺したい――壊したい――。そんな衝動がわきあがってきた。殺せ、壊せ、着き刺せ、切り刻め、蹂躙しろ、そんな誘惑が頭の中になり響いた。視界が赤く染まった。気付いた時には男は地面に横たわっていて大量の血が流れていた。私も返り血を大量に浴びて赤く染まっていた。その光景を見て私は恐怖するではなく……満たさせたと感じていた。かつてないほどのサティスファクションに私は笑っていたんだ!」

 そんな自分が許せないとでも言うように巳世は頭を抱えるように、自分の頭を強く掴んだ。長い髪が垂れ下がって表情は窺えないが、苦悶に歪む表情を透は容易に想像できた。

「私は今何を思った? 数秒前の自分の思想に恐怖した。数秒前の自分の行為に絶叫した。やがて誰かが来て、救急車を呼んで……、その後のことはよく覚えていない。ひどい錯乱状態だったらしい。ついでに言うと男は病院に運ばれたが死亡したらしい。私が殺した。」

 巳世は自嘲気味にそう言った。「まあ、一応正当防衛で罪には問われなかったけど」

「……」

 透は話を聞き終えてかけるべき言葉を探していた。

「それから。私の中に誰かが住み着いてたまに脳内で囁く。殺せ、壊せ、って。その誘惑はとても甘美で縋りつかずにはいられない。一週間砂漠で飲まず食わず彷徨っていきなり目の前にオアシスが現れたみたいに、その誘惑は桃源郷へと誘うような囁きだった」

「じゃあ、授業中ペンで自分を刺したのは痛みでその誘惑を振り払うため?」

 巳世は小さく頭を振った。

「それも、あるんだけど……。自分を刺したのは欲望を満たすため。誘惑を完全に振り払うことができなかったから、だから自分を刺すことでその欲望を満たしていたの……。ごめんね、驚かして」

 そう話す巳世はとても言い辛そうだった。そして続けてもう一つの告白を始めた。

「剣道の最初の授業のときのこと覚えてる?」

「覚えてる」

 透はその日のことは鮮明に覚えていた。

「授業の最後の方で試合やったでしょ? そのときも私はあの衝動に襲われた。最初は我慢していたけど徐々に抗えなくなった。だから脳内に響く濃密な囁きに従った。視界が赤く染まった。殺すつもりで、壊す勢いで相手を打ちつけた。鮮明なビジョンが見えた。切り裂いた切り口からは鮮やかな鮮血が飛び散って、一面に染まる赤。そんな光景を思い描いた自分をまたも恐怖した。そのときの異変には――」

「気付いてたよ」

「そうか、やっぱり」

 巳世はおそらく気付かれていただろうと思っていた。

「君だけが皆と違う目をしていた。どこか探るような、でも心配してくれているようなそんな目だった。君にはもう全て見透かされているってそう思った。だから話そうと思ったの」

 巳世の話はそこで途切れ、ひと仕事終えたように一息ついた。しかし瞳には深い絶望を孕んだままだった。

 そこか打ち拉がれたような時間が流れた。夕日は息をひそめ外は薄暗くなった。

 いつまでも続くかのような沈黙だったが透の呟くような一言がそれを打ち破った。

「協力するよ」

「え?」

 俯いていた巳世の頭が跳ねがって透を見た。

「でも――」

 巳世の続く言葉を打ち消して、透は言った。

「否定を口にしたら。たとえそれが本心じゃなくても僕はそれを素直に受け取るから」

「………」

 巳世の開いた口は反射的に閉じた。巳世は考えるそぶりを見せ、何かを言おうと口を開くけどそれは音にならないまま空気の擦れる音だけが響いた。

「沈黙は、肯定?」

 巳世は顔をゆがませて小さく頷いた。


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