目に宿る狂気
透は二度にわたる巳世の奇怪な自傷行為を見てこう思った。そのときの彼女は明らかに苦しんでいたように見えた。ならばあの自傷行為はその苦しみを耐えるためか? だとしたら理解できないことも無いが他に対処のしようがあるのではないか。医者にかかっていたらそういう発作的なものを抑える薬など処方されてもいいものだが。
はたまた人に――医者にすら言えない悩みなのか。
「なあ、どっちにする?」
朝、不意に辰哉が話しかけてきた。
「何を?」
「体育だよ、体育。来週から武道だって言われただろ。それで剣道か柔道にするか」
「あー、剣道かな」
「なんで?」
「中学のときも体育で剣道選んだから」
「えー、一緒に柔道やろーぜー、俺も剣道やってみたいけど柔道部、剣道部に入ってる奴らは強制的に同じ部活のをやらなきゃいけないんだ」
「柔道着ないし、それに……柔道やったことないし」
それに、巳世の剣道をやっている姿と言うものが気になった。
「まったく、ノリが悪い奴だな」
辰哉はそう言って自分の席へと戻って言った。
辰哉が大げさに誉めていた巳世の剣道、通り魔を撃退したというその力の片鱗でも見られたらいいと、透は来週の体育が楽しみになった。
それにしてもなぜ今年になってよく付きまとって来るのかが透は理解できなかった。
■
「行こうぜ」
「ああ」
透と辰哉は教室を出て道場へと向かった。今日の体育は武道だ。
この学校には男子更衣室と言うものは存在しないので男子は早めに行って先に着替えを済ませていく。
透と辰哉は道場に着くと分かれ、それぞれ着替え始めた。柔道組は柔道着、剣道組は下に体操着を着込みその上に胴や面などの防具を付ける。
やがて女子が来て、教師がきて正座をさせられ授業が始まった。
いきなり、対戦なんてことはせずまずは長ったらしい説教じみた礼儀の話を聞かされた。
素振り、足の動き、など基礎的なものばかりだった。透は中学の頃も体育でやっていたのでほとんどは既に分かっていることなのでそれは退屈な時間だった。
退屈な時間が続く。やがて授業は終わりに近づいていった。残り十数分と言うところで教師が言った。
「次の時間からは試合のときの動きなどを説明する。残りの時間は予習だ。良く見ておくように。神並、柏木、お手本を見せてやれ」
「はい」
「……はい」
他の生徒は隅に寄せられ、巳世と柏木と呼ばれた身体の大きな男子生徒が前にでた。
剣道組の中でこの二人だけが体操着でなく袴など正式な剣道着を着用していた。これは二人が剣道部だということを示している。
打ち合いまでの儀礼的な動きを経て、二人の竹刀は交わった。
二人は気合のこもった奇声を発しながら竹刀を振るう。
思えば透が巳世のこんな大きな声を聞いたのは初めてかもしれない。
二人の動きは素人の透が見ても明らかに違っていた。身体の大きな男子生徒が特別下手と言うわけではないだろうが、それ以前に巳世の動きが素早く、鮮やか過ぎた。そのため男子生徒の動きが鈍く錯覚して見え透自身でも勝てるのではないかという気にさえなった。
一瞬。
巳世の動きが格段に早くなり相手の面を捉えた。
「ひぐっ」
余りにも鋭い一撃だったため、男子生徒は微かな悲鳴を漏らした。
「一本!」
教師が声高く叫んだ。
試合は二本先取だ。
「始め!」
二人は元の位置に戻り二本目が始まった。
透は巳世に大して何とも言えぬ異様な気配を感じ取った。面に隠されて表情は窺えない。透は巳世の面の中に隠された表情を探ろうとした。
面の奥の暗闇。その奥に潜む整った顔立ち。透は普段半開きのその瞳を全開にした。
巳世は笑っていた。
瞳を爛々と輝かせ、口元をわずかに綻ばせ、狂気をまとって、残酷に。
巳世は笑っていた。
「胴あり、それまで」
巳世の見事な胴が決まった。相手はふらついて転びそうになった。
余りのスピード、余りの鮮やかさに剣道組だけでなく、柔道組からも歓声が上がった。
面をとった巳世は汗一つなく涼しげな、いつもの無表情だった。
巳世は徐に透のほうを見た。
透は他のものとは違う目で巳世を見ていた。どこか観察するような目、探るような目。
その全てを見透かしたよう透の視線を受けて、巳世の無表情は僅かに崩された。