大好きだった幼馴染を寝取られ奪われたのに、新しく出会った女の子に優しくされたからって幸せになれるはずがない
終わらない悪夢を見続ける苦しみを理解出来る人なんて、この世にいくらいるんだろうか。
少なくとも、俺こと新田純平は、今も悪夢の中にいた。
「先輩、おはようございます♡」
「おお、おはよ」
媚び媚びの声で前を歩く男に話しかける美少女。
彼女は小川香織といって、俺の幼馴染であり、ほんの少し前まで彼女といえる関係だった。
「香織元気そうじゃん。昨日は俺が帰るとき、ベッドで突っ伏してたのにさ」
「先輩が激しすぎたからですよぉ。なんなら泊まっていったら良かったのに♡」
……そう。だっただ。
もはや過去形になってしまったのは、あの男に彼女を奪われてしまったから。
アイツは俺が気付かないうちに香織と仲良くなっていて、俺が気付かないうちに香織を抱いて、そして俺が気付いた時には全部手遅れになっていた。
「ばーか。親がうっせえんだよ。今度女連れ込んだらもう小遣いやんねーって言われてるからな」
「うぅ……でも私、もっと先輩と一緒にいたいです」
「大学行ったら一人暮らし出来るし、いくらでも相手してやるよ」
「そうなんですか!? 待ち遠しいです♡」
耳を塞ぎたくなるような会話が次々に流れ込んできて、俺は叫びそうになる。
俺と付き合っていた頃の香織は、あんなことを言う子じゃなかった。
ましてや、生徒が歩く通学路でだ。事実、二人を見ながらひそひそと内緒話をしている奴らをちらほらと見かける。
女遊びが激しいと噂されてる男に捕まった香織のことを小馬鹿にしているのかもしれない。そう思うと、俺は胸が締め付けられるような気持ちに襲われた。
(違うんだ、本当の香織はあんな子じゃない……!)
俺と付き合っていた頃の香織は、もっと大人しい女の子だった。
誰にでも優しくて明るくて、俺なんかにはもったいない子だとずっと思っていて……だからこそ大事にしたいと、心の底から思っていたんだ。
なのに奪われた。奪われてしまった。
大事だったはずなのに、いつの間にかあんな男に彼女を寝取られた。
俺はとんだ大間抜けだ。香織に裏切られたのは確かだったが、大切にしていたはずの彼女を知らないうちに取られていた自分のことも、俺はずっと許せずにいた。
「ま、今日も抱いてやるから待ってろよ。学校終わったらすぐお前んち行くからな。今日も親、いないんだろ?」
「本当ですか!? 楽しみにして待ってます!」
だからこそ、俺はふたりのことを見続ける。
それが俺の罰なんだと思うから……。
(ああでも、やっぱりキツい……)
好きだった女の子が、他の男に媚びを売る姿を見ていると、脳が壊れそうになる。
なんでこうなってしまったんだという後悔で、心が張り裂けそうになる。
もう限界だ、やめてくれと、叫びそうになってしまう。
「おはよう、新田くん」
涙が出そうになったとき、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこにはひとりの美少女がいた。
「あ、麻宮さん……」
「うん、おはよう……って、酷い顔してるよ!?」
「あ、ああ。大丈夫だよ。心配させてごめん」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、俺は慌てて取り繕う。
彼女は麻宮ゆえと言って、この前俺のクラスに転校してきたばかりの女の子だ。
席が隣なのもあり、会話もそれなりにする間柄ではあったが、こんな姿を見られるのは正直恥ずかしい。
「本当に大丈夫? 帰った方が良くない? 先生には私から言っておいてもいいけど……」
「いいって。昨日ちょっと夜更かししちゃってさ。顔色悪いのは寝不足のせいだから、気にしないでいいよ」
……そして何より、麻宮さんは俺たちの事情を知らない。
俺が香織を寝取られたのは、彼女が転校してくるより少し前のことだった。
その時はそれなりに噂になったが、麻宮さんが転校してきてからはその噂も引っ込んだ。
おそらくクラスメイトたちは、俺が彼女の隣の席にいたから気を遣ってくれたのだろう。
わざわざ転校してきたばかりの子に、悪い噂を吹き込むこともないからだ。
そんなクラスメイトたちの善良さが俺にとっては少しの救いだったが、同時にそんな彼らに気を遣わせてしまっている罪悪感の方が辛かった。
「そう? ならいいんだけど……辛かったら、いつでも言ってね?」
「うん、ありがとう……」
「いいって。新田くんには転校してきてから、ずっと助けて貰ってるしね。ちょっとした恩返しになれるなら、私としても嬉しいし」
そう朗らかに笑う麻宮さんを見て、俺は更に苦しくなる。
違うんだ。俺が君に優しくしてたのは、香織のことを早く忘れたいからだったんだ。
なんでもいいから別のことを考えていないと、心が死んでしまいそうだったんだ。
だから俺は君を利用した。香織を頭から追い出さないと、おかしくなってしまいそうだったんだ。
「……うん、分かった」
……そんな情けない言葉を吐き出せるはずもなく、俺は力なく頷くだけだった。
◇ ◇ ◇
「あっ♡ 先輩♡ イイッ♡ イイですぅ♡」
その日の夜。家に帰った俺は毛布を頭から被りながら、窓の外から聞こえてくる嬌声に必死になって耐えていた。
「おっ、そんなに俺のっていいんだ?」
「は、はい♡本当に凄いです♡」
「前の彼氏よりも?」
「もちろん♡ 全然違いますぅ♡」
俺を比較に持ち出したのは、俺を貶すことで自分の方がより優れた雄であることを、彼女に刻み込みたいからだろうか。
「じゅんぺーは優しかったけど、それだけでぇ♡ 先輩みたいな強引さが全然なかったから、ずっと物足りなかったんです♡」
「そっかそっか、前の彼氏はつまんねーやつだったんだ。じゃあこれからは俺がお前を満足させてやるよ!」
「ああん♡ ありがとうございます♡ 素敵ぃ♡」
そうすることで、女をより依存させることが出来るひとつのテクニックなんだと、以前読んだエロ本に書いてあった気がする。
もっと真剣に読んでおけば良かった。いや、エロ本を真剣に読むってなんだよ。
なに考えてんだ俺。ああ、思考が上手くまとまらない――――。
(あんあんあんあんうっせぇんだよ! こんなの聞いてたら、頭がおかしくなるだろうが!?)
本当に、気が狂いそうになる。
好きだった女が他の男に気持ちよさそうに喘がされてる姿を想像してしまうと、こんなに死にたくなるものなのか。
(ふざけんなよマジで……)
いっそ割り切れたら良かったのに。
あんなクソ女と別れられて清々したと、そう思えたらどんなに楽だっただろう。
(香織……香織ぃ……)
それが出来なかったのは、優しかった頃の香織がまだ俺の中にいたからだ。
本当に好きだった。優しく微笑んでくれる彼女のことが好きだった。
寝取られて変わってしまったとしても、俺は本当に彼女のことが好きだったのだ。
『―――ごめんなさい、もうじゅんぺーと付き合い続けること、出来ない』
例えこっぴどく振られたとしても、想いを完全に捨て切ることなんて出来なかった。
だって、そうだろう? ずっと一緒にいたんだから。
はい分かりました、じゃあ俺もお前みたいなクソ女なんてもうどうでもいいから、新しい彼女見つけます。なんて、即座に割り切れる男がどこにいる?
そんなの、香織を寝取ったあの糞野郎みたいに軽薄なやつか、本気で人を好きになったことのないやつのどっちかだ。
少なくとも、俺には無理だ。
そんなふうに割り切れない、憎み切れない。
だからこそ、今もこうして苦しみ続けている。
この悪夢が、いつか終わってくれることをただ信じて――――。
◇ ◇ ◇
翌日。俺は朝からふらふらだった。
昨日は結局、ひと晩中眠れなかった。
あいつらの行為が終わった後も、香織の喘ぎ声が耳に焼きついて離れなかったのだ。
たまにふらっと気を失うように眠りかけても、香織があいつに抱かれている光景が夢に出て来て飛び起きる。
その繰り返しだ。普通の悪夢を見るよりも断然キツく、冷や汗が止まらないまま夜が明けた。なんとか学校に来れたまでは良かったが、このままでは授業が頭に入ってくる気がまるでしない。
「明けない夜はないって言うけど、ははっ、確かにな。空がめっちゃ明るいわ」
雲ひとつない青空が、上を見れば広がっているが、気分は一向に晴れてこない。
むしろ目に痛くて苛つくくらいだ。
俺の夜は、いつ明けるっていうんだろうか。
「あるいは、ずっとこのままか? ……それも案外いいかもな」
彼女を寝取られた情けない男の末路としては、それも有りかもしれない。
ネガティブな方向にポジティブになりつつあった俺の肩に、ポンと手がかけられる。
「おはよ……今日もひどい顔だね」
麻宮さんだった。いつも明るい笑顔を曇らせながら、彼女は俺の顔をのぞき込むように見てくる。
「隈も凄いよ? ちゃんと寝てる? 病院行ったほうが良くないかな?」
「はは……大丈夫だよ。全然元気さ。俺のことなんか良いから早く教室に行こうぜ」
麻宮さんに無理な笑顔を作って応える俺。
空元気なのは承知の上だ。もう取り繕う余裕なんてなかったが、それでもこうするしかない。
「あっ……」
だが、それも長くは続かなかった。
視界が揺らぎ、身体が勝手に倒れ込む。硬い床にぶつかる前に、麻宮さんの叫ぶ声が聞こえた気がした。
ああ、また心配かけちゃったなぁ……。
♢ ♢ ♢
「ああんっ♡ 先輩♡ いいっ♡ いいよぉっ♡」
また悪夢を見ている。
これは寝取られたことに初めて気付いた日の記憶だろうか。
「ごめん、ごめんねじゅんぺー♡ でも、先輩が、先輩のが凄すぎるからぁ♡ あっ♡ あっ♡」
思えばあの日に俺の心は壊れてしまったのかもしれない。
立ち直りたいとか前を向かなきゃとか、そんな前向きな考えがまるで浮かんでこなかった。
むしろ、このまま沈み続けたいと思ってさえいた。
香織のことを忘れなくてはいけないと頭では分かっていても、感情と思い出がそれを拒む。
どうしようもなかった。
それくらい好きだった。もう取り戻せないと分かっていても好きだった。
だから愚かだと分かっていても手を伸ばすのだ。それで手が届くはずもないのに。
「香織――――!」
そこで、目が覚めた。
「……夢か」
視線の先には白い天井があった。
当然、そこに香織がいるはずもない。
辺りに漂う薬っぽい匂いからして、ここは保健室だろうか。そんなことをぼんやり思う。
「……畜生。なんでだよ……」
そしてすぐ涙が溢れてきて、俺は思わず目頭を押さえた。
さっきまで見てたのはただの悪夢でしかないと分かっているのに、香織に名前を呼ばれて俺は確かに喜んでしまった。
惨めだ。あまりにも惨めすぎる。
こんなんだから寝取られるんだ。名前を呼ばれるなんてちっぽけなことで喜んでしまうような俺では、香織を満たすことは出来なくて当たり前だったのだ。
「大丈夫? 新田くん」
「え……?」
落ち込んでいると、不意に声をかけられる。
見ると、椅子に座って心配そうな顔を浮かべる麻宮さんがそこにいた。
「麻宮さん、なんで……」
「昼休みになったから様子を見に来たの。朝に比べたら少し顔色も良くなったし、そろそろ起きるかなって思って……」
どうやら彼女は俺が起きるのを待ってくれていたらしい。
麻宮さんの優しさに胸が温かくなるのを感じるも、彼女は何故か逆に顔を曇らせた。
「麻宮さん……?」
「その、こんなことを聞くのは良くないって分かってるんだけど……」
言葉を詰まらせる麻宮さん。
だがやがて決心が付いたのか、意を決したように口を開く。
「その、香織って、新田くんの彼女だった人、だよね……?」
「っ! なんで、それを……」
「さっき、寝言で名前呟いてたよ。それも、凄く苦しそうに……噂に関しても、色々聞いてる」
俺の目を見ながら、麻宮さんがはっきりと告げてくる。
それを聞いて、俺は身体の力が抜けていくのを感じた。
(あぁ、そうか。知っていたのか……)
よくよく考えてみればそりゃそうだ。
人の噂に戸を立てるなんて出来やしない。クラスでは気を遣われていたけど、俺は麻宮さんの交友関係を把握しているわけじゃないのだ。
他の人から話を聞く機会なんていくらでもあるだろう。つまり俺は、転校してきたばかりの麻宮さんにさえ、気を遣われていたということか。
「はは……」
ここまで来るともう笑えてくるな。
落ちるとこまで落ちたって感じだ。俺はどれだけ惨めに見えているんだろうか。
「……ごめんなさい」
「いいよ、謝らなくって。多分事情は知ってるんだろ? 全部その通りだよ。幼馴染の彼女を寝取られて、それでも忘れられなくて夢にまで出てくるバカさっぷりだよ。我ながら、ほんと馬鹿だわ」
知られた以上、もう隠しても無駄だろう。
情けない本音がポロポロと出てくる。
「そんなことない!」
「え……麻宮さん?」
「馬鹿なんかじゃないよ。馬鹿だって言うなら、新田くんを捨ててひどい先輩を選んだ彼女さんの方だよ。そうでしょ?」
「それは……確かにそうだ、けど」
「新田くんは、今は自暴自棄になってるんだよ。そんな自分に負けちゃ駄目。彼女さんを見返すくらいの気持ちでいないと、潰れちゃうよ……」
悲しそうに目を伏せる麻宮さん。
この時俺はようやく、彼女が心から俺を心配してくれていることに気が付いた。
「……ごめん。確かに俺、弱気になってた。寝取られたことで、自分に自信が持てなくなってたんだと思う」
「……うん。そうだと思う。でも仕方ないよ、本当に辛かったんだよね」
言いながら、麻宮さんは自分の手を俺の手へと重ねる。
久しぶりに感じる温かさ。人の手は、こんなに温かいものだったのか。
「私、力になるよ。ううん、力になりたいんだ。転校したての頃、不安だった私を助けてくれた新田くんを、今度は私が支えてあげたい」
「麻宮さん……」
「駄目かな? やっぱり、迷惑?」
「そんなことは……」
ない、そう言い切れれば良いのだろう。
そうすれば、麻宮さんはきっと力を貸してくれるはずだ。
彼女の目を見ればそれが分かる。力強い、真っ直ぐな瞳。
嘘なんてついていないのが、俺にはわか――
――――本当にそうか?
不意に、心のどこかがそう囁く。
――――なんでそう言い切れる?
――――お前は彼女が浮気してたことにも気付かなかった節穴だろう?
――――大体、都合が良すぎると思われないか? なんで彼女に振られた途端、こんなことを言ってくれる子が現れるんだよ。漫画の主人公でもないだろうに
――――行為に甘えて、また裏切られたらどうするんだ?
そして次々と、俺に疑問を投げかけてくる。
そのどれもが、ネガティブなものだ。
彼女を信じるな、やめておけと囁いてくる。
弱い自分の心がそうさせる。
「新田くん……?」
俯く俺の顔を、麻宮さんは心配そうに覗き込む。
ああ、本当に彼女はいい人なんだろう。
それは間違いない。間違いないからこそ――俺は彼女を突き放した。
「……ごめん」
「え……?」
「だからその、ごめん。麻宮さんの提案は嬉しいけど……また、今度でいいかな。その、今はちょっと疲れてるんだ」
やんわりとした拒絶。
優しい彼女ならこう言われたら、引き下がるを得ないだろうという打算を含んだもの。
「あ……そ、そうだよね。ごめんね、いきなりこんなこと言って……」
「いや、嬉しかったよ。優しくしてくれてありがとう」
案の定、彼女は引き下がった。
それを見て、俺は安堵する――――彼女をこんな俺に巻き込まくて良かったと。
「もう昼休み終わるんじゃないか? 教室戻ったほうがいよ」
「あ……そうだね」
「うん。俺はもうひと眠りしたら帰ることにするよ。先生に上手く言っておいてもらえるかな?」
「あ、う、うん。分かった」
少し戸惑った様子を見せる彼女を急かすようにそう言うと、俺は静かに目を瞑る。
邪魔をするなと言うかのように。
そんな俺の意思が伝わったのか、やがて彼女は保健室を出て行った。
もうここに来ることもないだろう。そのことに、俺は深く安堵した。
「ああ、良かった……」
俺になんて巻き込まくて良かった。
あんなにいい人なのだ。麻宮さんにはきっとそのうち、いいやつが見つかるに違いない。
そう考えているうちに、俺は再び闇の中へ堕ちていった。
◇ ◇ ◇
「あっ♡ 先輩♡ いいっ♡ もっと♡ もっとぉ♡」
そしてまた夜が来て、アイツがまた香織の部屋にやって来た。
いつものように聞こえてくる嬌声。
聞きたくない。もう嫌だと思っているのに、俺は聞き逃がさないとばかりに耳を澄ませた。
「ホラ、アイツの部屋、隣なんだろ? もっと声を聞かせてやれよ!」
「は、はい♡ じゅんぺー、聞こえる? わたし、今日も先輩に気持ち良くしてもらってるのぉ♡」
ああ、良く聞こえてるよ。
なにより、また名前を呼んでくれて本当に嬉しい。
「香織、かおりぃ……!」
やっぱり俺は、香織が好きだ。
寝取られようが変わってしまおうが、忘れることなんか出来やしない。
「今日はよく眠れそうだ……」
カーテン越しに見えない幼馴染の顔を思い浮かべながら、毛布に包まったまま、俺は独り静かに嗤った。
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