創作論2026
私は大いなる存在である。何でもできる。万能な存在だ。全能と言ってもいい。
私が世界を動かすときには、使いの者を派遣する。
ある日、世界の都合のために、半分死んでしまった女性がいた。私はまず、その半死半生の状態だからこそできる仕事を作り出し、彼女に仕事を与えた。誰かのためになるのは救いだ。そのために生きていると言ってもいい。だから仕事をすることは善だ。
ところが、その仕事も続けさせているうちに会社の規模が大きくなり、彼女への負担が増していった。これでは彼女が消耗してしまう。そこで私は、使いの者を送り込んで、その会社を破壊した。彼女を救い、幸せにすることができた。
ある日、無知であるばかりに人を殺めてしまった者がいた。私はその人につぐないをさせる機会を与えたかった。だから、私は使いの者を送った。その人が誰かを救えるように、周りにその人が救いたくなる人を置いて、たくさんの事件を起こした。
その人は救われたくないと思っていたけれど、救われたいと思えるように、さらに多くの使いの者を送って、強い結びつきができるように誘導した。これはそうとう難儀した。なにせ、救われたくない人が相手だったからだ。
その人を消して、何も無かったことにしようと思ったこともあったけれど、やっぱりどうしても諦められない。私は使いの者を送って、その人の仲間にさせた。因縁のある建物、人物、過去を一緒に破壊するように導いた。彼女は間違いなく満足したはずだ。善に向かわせることができた。
人間社会の小さな決まり事に背いたために、周囲に迷惑をかけてしまった男がいた。私は救済しようとした。しかし、小さな決まり事に背くことを改善させる切っ掛けを作るのは、これがなかなか難しい。
私はさっそく使いの者を派遣した。使いの者に、小さな決まりごとに背いた罰をあたえさせた。それをどんどん重たくさせていった。彼のためにやったことだ。結果的に、彼のまわりの人間を消し去ることになってしまったのだが、彼は落ち込んでしまい、逆効果になった。
長い長い見守りだった。私が直接手を下して救済してもよかった。だが私は彼の成長を信じて待ち続けた。失敗しかけた。でも世界と天秤にかけられるほどの愛の力で、彼はトラウマを克服した。決まり事を守るようになれた。私は絶頂した。
何もしていない少女がいた。何もしていないのに死んでしまった。だから私は、本気で彼女を救いたいと思った。使いの者を送って、彼女を神様にした。私に等しい全能の力を与えた。彼女は孤独になってしまった。
私は使いの者を送り続けた。これまでで最も長く、厳しい道のりだった。私は彼女を救済するために、幾度も使いの者を送って、やがて彼女に世界すべてと融合することを選択させた。孤独でなくなった。いいことだ。それに世界を存続できた。正しい救済だった。
認められなさに苦しんでいる人がいた。どうにかして助けられる構造を探した。私は使いの者を送り、その人たちを物語化してやることにした。おそらくは、救済されたことだろう。
使いの者たちは本当に優秀だ。命をかけて、私が救済したい人たちを助けてくれる。望むままに動くわけではないけれど、また新しい使いの者を送れば問題は解決できる。
この救済の果てに、今の私はいるのだ。私こそ、彼ら彼女らに救済されていたのかもしれない。おかげで私は救済を続けられる。私は救済を信じている。全く疑っていない。正しい。
ああ、救済を欲すること。それは限りなく正しいんだ。




