第30話
ウルドガルドの大地を束ねる下層領域。
様々な鉱石で構成された強固な大地がゴゴゴと音を立てて揺れている。
そして――ズルッ、と。
何かがズレる音が世界に響いたかと思うと、大きな地震と共に空を飲み込むような巨大な龍の首がウルドガルドの大地から姿を現した。
「な、何これ……本当に龍なの?」
「コネクトを始めたばかりの人間にこんな生物が生まれるのか?」
男の一人が俺に目を合わせた瞬間「ヒッ」と声を上げて気絶した。
(やだなぁ、まるで俺の事をバケモノみたいに)
呆れていると、空の半分以上を身体で覆ってしまった古代龍がマナを使って言葉を発した。
『我を起こしたのは宿主、貴様か?』
油断をすれば存在そのものを消し飛ばされかねない圧力に、俺はグッと両足を踏ん張る。
「ああ、ずっとずっと退屈だっただろ?」
俺の精神力はほぼ尽きている。
理不尽そのもの古代龍を抑えつける力は残っていない。
だが、強い確信がある。
器、心や才能、想いや考え方、その全てをぶつければ古代龍は神代アキラを認める、と。
『長い間、多くの神々を見てきたが。ふむ、貴様のような小さき神は初めて見た』
ミストガルドを一周巻いても余る龍の身体からマナが漏れ出してくる。
触れるだけでマナの許容量を超えて弾け飛ぶような力の奔流。大地へ届いてしまうとミストガルドの生物が死んでしまうかもしれない。手短に済ませなければならない。
「姿は小さくとも、俺の世界をずっと見てきただろう?」
『確かにな。図体と態度ばかりデカい神のほとんどは旧時代の戦争に介入していただろう。全ての生物は自分の子であるというのに、気に入った種族に肩入れし偏った歴史を目指すばかり』
マナがゆっくりと龍の身体に戻っていく。
どうやら少しは認められたようだ。
『して、宿主は何を望む? 来訪者を滅ぼすことか? それとも隣接しようと試みる小さき神の異世界を破壊する事か?』
なんだか古代龍自身が破壊を望んでいるように聞こえる。
「俺の望みは破壊よりももっと難しい! だけど古代龍、君でなければできない仕事だ!」
古代龍は自らの尾を噛み、円環を成す「永遠」の象徴。
その中には「再生」や「循環」の力も含まれている。
「そこにいる神、伊集院透夜が壊した世界を再生してくれ」
王妃達の世界を古代龍が直接再生することはできないだろう。
何故なら彼女達の異世界はすでに異世界として認識されず、彼女達と直接コネクトしようにもできないからだ。
だが、伊集院透夜は彼女達と因果が生まれている。
彼が積み重ねた歴史の一つに「異世界の破壊」が含まれているからだ。
(……細田先輩の異世界だけは再生できないだろう)
彼女は自らの手で異世界を破壊した。
本来、神である自分の一部でもある異世界を破壊することはできない。
だが、自分で自分の心を壊すことができるように、自分で自分の異世界を壊す方法はいくつかある。
彼女の場合は破壊衝動を突き詰め、異世界の住人に文明を悉く破壊させたのだ。
神による自殺。
彼女の異世界には烙印が押されてしまった。
例え大地と命が復活したとしても、彼らは神を信じず再び破壊衝動を抱えてしまうだろう。
現実ではそれを自傷行為と呼び、依存症と呼ぶ。
創造した異世界は自分の心そのものであるため、嘘や誤魔化しは一切通じない。
「鹿島玲衣、飯島涼香、貝塚藍。この三人の異世界を再生させてくれ!」
『ふっ、ははは、ははははははははっ!!』
古代龍の笑いに大地が揺れた。
先ほどとは異質な、柔らかなマナが龍の身体から溢れ、ミストガルドの荒廃した大地に緑が宿っていく。流石は再生の象徴と言ったところか。
『神は傲慢で自分勝手とばかり思っていたが、神代アキラ、貴様は面白い』
「……なら、答えは――」
『肯定。宿主の望み通りにしてやろう。ただし、元々が別世界の存在である我以外の力は世界を越える事ができない。その全ての代償は向こうの神が背負うことになるがよいか?』
古代龍の問いは俺ではなく伊集院先輩に向いていた。
「ああ、もちろんだ。僕の心を壊しても、彼女達の世界を救ってくれ」
どうやら、伊集院透夜は乗り越えたようだ。
過去に受けた痛みと与えた痛み、その全てが彼を強くした。
「先輩、後は任せたぜ」
「ああ、現実世界に戻れるか分からないが、いつか謝罪させてくれ」
ゴゴゴ、と。
音を立てて伊集院先輩の異世界が離れていく。
古代龍はミストガルドから離れ、伊集院先輩の異世界にいったん定着するらしい。
『宿主よ、この任務から帰ってきた時、我を来訪者ではなく〝己の一部”として受け入れてはくれまいか?』
突然の古代龍の提案。
その内容があまりにも可愛すぎて思わず吹き出しそうになる。
「何言ってんだよ。古代龍はとっくの昔に俺の一部だよ」
『……………我を困惑させるとは、いと面白き神、いや〝主”よ。また会おう』
霧の中に消えていく伊集院先輩の世界と古代龍。
仮想空間でミストに魔術で抑えつけられている男達も霧の中に消えていく。
「主様、ミストは幸せ者です」
「ん? 急にどうした?」
ミストはゆっくりと俺の前に立つと、ぎゅっと俺を抱きしめた。
神を抱きしめるなんて不遜な行為だと、黒田みたいな教師には咎められるかもしれないが、俺にとってミストは大切な我が子。娘に抱き着かれて跳ねのける親がどこにいようか。
「私が命を賭して戦った世界が、歴史が、主様の願いを叶える事が出来た」
「ああ、そうだな。古代龍はミストの紡いだ歴史を見ていなければ動かなかっただろう」
「それは私の本当のお父さんやお母さんが種族を越えた絆を世界に示したから」
「……今だから言うが、君のお母さんが生まれた理由は、君のお父さんに後押しされたからなんだ」
「えっ!? それは初耳です」
もう遠い昔のように感じる。
大陸の中央、神秘的な湖の湖面に浮かぶ蓮。
その上に立っていた一人の美しいエルフ。
彼がいなければ俺は人類の発見を選ぶことはなかった。
そして人類が生まれなければ当然ハーフエルフのミストが生まれる事もなかった。
全ては繋がっている。
「さぁ、帰ろう。みんなが待っている」
美沙と篠田先輩が不安がっていることだろう。
俺はコネクトから離脱し、意識を現実に戻し、そして――。
「きゃはははっ! こんな顔だけのメス豚! カイトに相応しくないのよ!」
十数メートル離れた距離。
篠田先輩を突き飛ばし、美沙に包丁で襲い掛かろうとしている女――如月華蓮がそこにいた。
その嫉妬に塗れた醜悪な表情を見て、思い出す。
(如月華蓮はあの時、歩道を歩く俺の胸を強く叩いた女!)
兄さん――カイトの死で完全に記憶から失われていた事実。
俺の病弱な心臓が異常をきたす切っ掛けとなった強い衝撃。
それは、如月華蓮の振り上げた拳が俺の胸に強くぶつかったから。
「今さら思い出したの!? きゃははっ! あんたがカイトを独り占めするからじゃん!」
あの時、蓮華に確認を取っておけば。
如月華蓮が高校の同級生であったことを指摘してくれただろう。
たった一つの怠慢が、美沙を窮地に追い込んでいた。
「ミスト! 俺の足が壊れてもいい! 全力で限定解除だ!!」
『壊させはしませんよ! 絶対に何とかして見せます!』
頭の中でミストの声が響く。
力強く優しい、こんな時でも冷静な声。
何度も何度も困難を乗り越えてきた、稀代の英雄の激励。
やれる。俺達二人なら絶対に。
「『限定解除!!』」
ミストと声が重なり、世界がモノクロになる。
余計な情報を遮断し、動きの一つ一つに集中するためだ。
腰をゆっくりと落とし、太ももから脹脛、足首から爪先へと力が移行していく。
爆発的な力を蓄えた身体が銃弾のように放たれようと解放の時を迎える瞬間。
ズッ、と。足の親指が靴の上で滑る感触が全身に広がった。
(まさか強すぎる力に靴底がズレてしまうのか? ここで滑れば絶対に間に合わない!)
全身から汗が噴き出る。
視界の先にいる華蓮の包丁がゆっくりと美沙に向かっていく。
(くそっ、力が上手く伝わらな――)
限定解除をしているからこそ分かる、この後に訪れる絶望。
靴を破るように転倒し、その間に美沙は刺される。
刹那の際で思考だけが高速回転し、絶望の檻から逃げ出そうともがく。
(ああ、こんな、こんな終わり方なんて……)
無数の絶望を前に、諦めかけたその時、皆の顔が思い浮かんだ。
美沙、蓮華、柊木、小鳥遊、篠田、伊集院、そして――細田朱美。
(……!! ミスト! 細田先輩から送られたデータに服飾データがあったはずだ!)
『っ!! データ展開! 解析、シミュレーション!』
俺の言葉から先の先を予測したミストが、細田先輩のメッセージを開封し、データを展開する。
細田先輩の異世界は服飾を極めようとしていた。
そこには当然、靴も含まれており、また現実の布や素材の研究も怠ってはいなかった。
『……シミュレーション終了! 非常に繊細な動きとなりますが、間に合います!!』
行程を聞いている暇はない。
俺はミストに命令すら与えず、行動に移す。
踏ん張っていた下半身の力をさらに足の爪先へと伝播させる。
爪でゴム底を破り、アスファルトを削る。
(痛っ、まだ剥がれてくれるな……よっ!)
さらに力を込めてアスファルトに傷をつける。
『数週間は痛みと戦ってもらうことになりますが、覚悟は良いですか?』
ミストの最終確認に、俺は即答する。
「爪の一枚や二枚、膝の一つや二つ、くれてやる!!」
バツンッ!!
両足の親指の爪が同時に剝がれる。
膝が軋む音が全身に伝わり、地面から離陸したことを理解する。
高速で距離を詰めるが、このまま突っ込むよりも一段階加速した方が速い。
『右足と左足、どちらで生活したいですか?』
ミストの問いに俺は答えに迷う。腕なら利き腕だが、足はどうだろう。
悩んでいる間に、身体が勝手に動く。
右足で地面を踏み抜くと、今度はパチンッとゴムが切れるような音が体の中で響いた。
『アキレス腱を犠牲にしましたが、どうやら間に合ったようです』
右足の爆発的な威力で身体が捻じれ、本当に銃弾のような回転運動で突き進んでいく。
人間が水平に迫ってくる光景は人生でそうそう拝めるものではない。
如月華蓮の表情が愉悦から驚きに変わった瞬間、彼女の腕の皮膚と俺の肩がぶつかった。
彼女の左腕が折れる感触がこちらに伝わってくる。
続けて耐えきれなかった力が肋骨に到達し、何本も砕いていく。
『当分使い物にならないなら、少しくらい長くなっても構いませんよね!』
ミストの声が脳内に響き、右手が勝手に動く。
右足を無理やり抑えつけて地面へと接触させる。
少しばかり角度が変化し、華蓮を吹き飛ばしつつ自分も別方向へと吹き飛んだ。
幸いなことに公園の中央には噴水があり、その水面へ見事着水することに成功した。
「………間に合った、のか」
噴水から転げるように這い出ると、美沙が滑り込むように俺の頭を抱え込んだ。
「アキラ君!! アキラ君! アキ――――」
ゆっくりと意識は底の底に落ちていき、そして――。




