第10話
俺は自らの世界「ミストガルド」に「人類」という名の種を蒔いた。
そして、特典として与えた「思いやり」の感情。
新たな感情は俺の想像を遥かに超える奇跡を生み出した。
人類はエルフと知恵を分かち合い、狼と獲物を追い、ドラゴンの背に乗って空を飛んだ。種族の垣根を越え、誰もが隣人として手を取り合う、神話のような世界。
俺は、その光景にただただ感動していた。
だがその光は、ミストガルドの全てを照らす訳ではなかった。
古の森の奥深く。
神の光を拒絶した者たち――ダークエルフ。
俺の俯瞰視点からは、彼らが何を話しているかまでは分からない。だが、その表情を見れば、彼らが何を考えているかはおおよそ察しがついた。
調和に満ちた世界を眺める彼らの瞳には、明らかな嫌悪と侮蔑の色が浮かんでいたのだ。
やがて、ダークエルフたちは行動を始めた。
俺の視界の片隅で、彼らが何やら儀式のようなものを執り行い、一人のダークエルフが光り輝く通常のエルフそっくりの姿へと変身する魔法を発動させたのが見えた。
(何をする気だ……?)
その答えは、すぐに明らかになる。
人類の中に、一人の傑出した男が現れた。彼は誰よりも強く、誰よりも聡明で、民を導くカリスマ性を持っていた。
ある夜、その男の住居に光り輝くエルフ――ダークエルフが化けた偽りの使徒が舞い降りた。
俺には彼らが何を話しているのかは聞こえない。
だが、光景だけで十分だった。
男は偽りの使徒の前にひざまずき、恭しく頭を垂れている。偽りの使徒が男の額にそっと触れると、禍々しい紫色の魔力が、男の魂に注ぎ込まれていくのが見えた。
【人類の指導者は“偽りの神託”を受けました】
【人類は新たな知識“魔導工学”を獲得しました】
ウィンドウの無慈悲な通知が、俺の不安を肯定する。
偽りの神託を受けた男は、翌日から明らかにその行動を変えた。
彼は「導く者」という旗を掲げ、他の人類をまとめ上げると、驚異的な速度で文明を発展させ始めたのだ。
湖の畔の小さな村は、瞬く間に巨大な城塞都市へと姿を変えていった。
石造りの家々は魔力を帯びた水晶が輝く、無機質な魔導機械の建物へと建て替えられていった。
俯瞰の視点で見ていた俺にとって、それは止めるべきか、見守るべきか、判断に迷う光景だった。
「………」
だが、俺は介入しなかった。
神に反旗を翻したダークエルフもまた、俺が創った世界に生まれた、俺の“子供”だ。
その選択を親である俺が、力で捻じ伏せて良いはずがない。
それに俺は信じていた。子供たちに与えた「思いやり」の光は、いつか必ず、彼らの心の闇にも届くはずだと。世界は、きっとより良い方向へ進んでくれるだろう、と。
俺のそんな甘い期待を嘲笑うかのように、時代は急速に動き始めた。
【人類の国家“アーネンエルベ”が建国されました】
【“魔導工学”の発展により、文明レベルが飛躍的に向上しました】
ウィンドウに表示される実績。だが、それはもはや祝福のファンファーレには聞こえなかった。
そして、ついに、決定的な通知が世界に響き渡る。
【“支配者なき時代”は終わりを告げました】
【これより、世界は“混迷期”へと突入します】
◇
「……ふぅ」
自分の世界に訪れた、あまりにも大きな変化。
これから先、神として何をすべきか。
それを決めるために、俺はひとまず意識を現実に戻すことにした。
コネクトを解除すると、窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。
リビングの方へ向かうと、ふわりと食欲をそそる良い匂いが鼻腔を満たす。
机の上には山盛りの唐揚げや色とりどりのサラダなど、豪勢な料理が並んでいた。
「あ、起きたんだ」
キッチンからひょっこりと顔を出したのは、なんとフリフリのエプロンを身につけた、東雲美沙だった。
「なっ……なんでここに東雲さんが!?」
素直に驚くと、美沙は「ふふっ」と悪戯っぽく笑った。
悪戯心の混じった笑みのはずなのに、美少女がやるとここまで魅力的になるものか。
彼女の後ろから、呆れたような顔で蓮華姉さんが現れる。
「東雲君の顔は覚えていたからな。買い出しの帰りに、また伊集院に絡まれている所を助けたのだ」
「神代くんに助けを求めようかとも思ったんだけど、せっかくのお休みの日に迷惑かなって思って…」
「神代アキラは誰かに助けを求められて困るような器の小さな男ではない。いつでも助けを求めたまえ」
「流石は神代くん!」
二人の間で、勝手に俺の評価と責任がぐんぐん上昇していく。まあ、実際に困る訳ないので、黙っておくことにした。
「それにしても、伊集院の痴れ者は、相手が怖がっているなど微塵も考えないのだろうな」
蓮華姉さんが吐き捨てるように言うと、美沙が思い出したように付け加えた。
「あの……『近々コネクトの空きができるから、その時は必ず僕とコネクトの約束を』って、言ってました…」
「――コネクトの“空きができる”だと? 新たに枠が増える、のではなく?」
蓮華姉さんの表情が、一瞬で強張る。
楽しい夕食前の空気が、一気に重くなった。彼女の脳裏に浮かんでいるであろう、最悪の可能性。確証もないのに疑うのは良くないな、と蓮華姉さんは一人で無理やり納得したようだったが、俺の背筋にも冷たい汗が流れた。
「……さあ! せっかく腕によりをかけて作った料理だ。温かい内に食べよう!」
彼女は空気を変えるように、俺たちを椅子に座るよう促した。
二人で作ったという料理(厳密には蓮華姉さんがほとんど作ったらしい)は、プロの料理人も唸ること間違いなしの絶品だった。
「ところでアキラ。料理の腕を鍛えるのは、異世界創造のスキルアップにも繋がる。何故だか分かるか?」
突然の問題に、俺と美沙は互いの顔を見合わせた。しばらく考えた後、俺は一つの答えを口にする。
「料理を提供した相手の笑顔を想像する……“思いやり”に繋がるから、とか?」
「ふっ。流石は私の可愛いアキラだ。もちろん、それもある」
次に、美沙が「はい!」と元気よく手を挙げた。
「食材から完成した料理を想像する、そのプロセスが“構築精度”の訓練になるからです!」
「その通りだ。二人とも、実に才能に溢れているな」
やだこの人、褒め殺しで部下を伸ばすタイプの上司だ。
「さて、と」
デザートのアイスを食べながら、蓮華姉さんは落ち着いた口調で本題を切り出した。
「そろそろアキラの異世界について聞かせてくれるかな? 良い感じか?」
俺は人類の発見から、特典の選択、そして「混迷期」へと至るまでの一部始終を説明した。
話が壮大すぎて、美沙はぽかんとしている。一方、蓮華姉さんは、少し困ったような、それでいてどこか懐かしむような表情で、静かに聞いていた。
「……まだ精神力は残っているのか?」
「ええ、はい。まだ五千ほど」
その言葉に、事情を知らない美沙が「ご、五千!?」と目を丸くしている。
「だったら、早く戻った方が良い」
蓮華姉さんの声は、真剣だった。
「“混迷期”は、誰の異世界でも一定の確率で起きる歴史の転換点だ。だが、その大半は滅びの道を進む。運良く人類が生き残っても、文明は一度崩壊しているだろう」
彼女の言葉を聞いて、俺は妙に納得していた。
ダークエルフには「神に抗う」という強い信念がある。逆に人類にはその信念さえも受け止め、自らの力に変えてしまう「思いやり」が芽生えている。
誰かにとっての滅びの道は、一方で、誰かにとっての救いの道でもあるのかもしれない。
「そう……ですね。戻って、彼らの選択を見届けてみようと思います」
俺は頷いた。
「うむ。今日は東雲君もこの部屋に泊っていくから、安心して寝室を使いたまえ」
(何がどう安心なんだ……?)
疑問は押し殺し、静かに頷く。
俺は一刻も早く我が子らが紡ぐ歴史の続きを見届けるため、礼を述べて寝室へと急ぐのだった。




