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 翌日、オルテンシアはバンッ!という大きな物音で飛び起きた。まだ日も昇りきらぬ早朝だ。

 何事かと慌てて物音がした方向に目を向けると、クリューが自室のドアを勢いよく開けて、リビングに出てくるところだった。他の皆も一様に驚きと非難を込めてクリューを見つめていたが、クリュー本人はまったく悪びれる様子もなく、にんまりと笑っている。

「出来たぞ!早速試そう!」

 "出来た"とは何のことかとオルテンシアは一瞬考えて、すぐに魔法陣のことだと思い出した。

(まさか、寝ないでずっと考えてたの?)

 クリューの集中力と体力に驚きつつも、期待に胸が膨らんだ。

 クリューは一行の返事を待たずに、エクリプスの腕を掴んで引きながら、サッサと庭に出て行った。

「ちょ、ちょっと!」

 エクリプスは軽く抵抗していたが、クリューの力が強いようで、半ば引きずられるようにして庭に連れて行かれてしまった。

「ったく……ほんと、自由だよな」

 ジオーラが悪態をつくのに皆も同意しながら、クリューを追って庭に出る。クリューは、一部草が刈り取られて土の地面が剥き出しの所に魔法陣を描いていて、一行が庭に揃った頃には丁度描き上がったところだった。

(似てる…)

 それは、以前に見た悪魔封じの陣によく似ていたが、所々違う模様や文字が入っている。

「まずはこの陣にエクリプスを乗せて、特殊能力を縛る。それと同時に魔力を抜き取り、ここに集める」

 クリューはどこから取り出したのか、茶色い壺を出してみせる。楕円でこれと言った特徴のない、どこにでもある普通の壺だ。

「魔力が無くなれば、悪魔でも魔法生物でも無くなるという仮説だ。そして恐らく、剣にもなれない。ここまでくれば、もう人間みたいなものだ」

「しかし、魔力は貯める事が出来る。貯まれば元に戻るのではないか?」

 オーガストが渋面を作ると、クリューは軽く息を吐く。

「確かにそうだ。だが、一度に魔力がゼロになることはあり得ない。特に悪魔は、魔力が生命エネルギーとも呼べるものだ。それが無くなると、どうなると思う?」

「ま、まさか!死んじゃうの!?」

 オルテンシアが叫ぶと、クリューは苦い顔をする。

「普通はな。ただ、エクリプスは魔族と定義するには特殊な例が多い。変身魔法を操る魔族は多くいたが、本質は変わらない。剣に変身出来るからといって、生き物として必要なサイクルは無視出来ないはずだが、エクリプスは飲食など、全ての生き物としての欲求や行動が必要ない。……では、剣なのか?と問われると、これも否だ。剣などの物質が意思を持つことはあれど、擬態する例は聞いたことがない。更に、剣ならば殺生や戦いは好む筈だし、意思を持つ道具が軒並みそうであるように、存在を維持するためのエネルギーが必要になる。しかし、そうした行動に繋がると思われる行動も、エクリプスの性格を鑑みるにしないのではないか?」

 オルテンシアはエクリプスと過ごしたこれまでを思い返してみる。確かに、エネルギーを補給するような行動は見たことがない。魔族を倒す時に使う技には回数制限があって、魔族を斬ってエネルギーを補給している事もあったが、生命維持の為の行動ではないように思う。

「確かに、私には、当てはまりませんね」

 エクリプスはそう言っては首を傾げる。魔力が無くなると死んでしまうかもしれないというのに、とても冷静で、どこか他人事のようだ。

「だろ?だから、お前なら、魔力を抜いたら別のものになる可能性があると思うんだ。ただし、確証はない。魔族と同様に死ぬかもしれないし、自我を失ったただの剣になるかもしれない……ちなみに、剣になる可能性は薄いかもな。悪魔封じの陣に乗った時は、剣に戻れなかったと聞いたし……で?どうする?このまま魔法陣を試すか?それとも、止めておくか?」

 皆の視線がエクリプスに集中する。しかしエクリプスは、表情一つ変えずに頷いた。

「やってみます」

「ちょ、ちょっと!」

「おい!」

 オルテンシアとジオーラが、慌ててエクリプスに掴みかかった。

「ほんとにいいの?死んじゃうかもしれないんだよ?」

 聞きながら、オルテンシアの顔は歪む。今にも泣き出しそうだ。エクリプスは、そんなオルテンシアを安心させるように笑った。

「そうなったら、なったです。今のところは、クリューさんが考えてくれたこの仮説をおいて他に、私を剣ではないものにする方法はありません。私に関する資料がないので、試すしかないのですから…」

 オルテンシアは、エクリプスの腕を掴む手に力を込める。

「…だったらッ!だったらもう、人間になんてならなくていい!どこか人目につかないところで、ひっそり暮らしたらいいよ。そのうちみんな、エクリプスの事を忘れる。その時まで…」

 エクリプスは静かに首を横に振る。

「オルテンシア。私が貴女を、マスターに選んだ時にした会話を覚えていますか?」

「……マスターに、選んだ時…?」

「はい。あの時の私は、度重なるマスターの裏切りや敗北を繰り返していました。そうする中で、魔王討伐そのものに疑問を持つようになり、自分の存在意義が分からなくなりかけていました。あのままでは、きっと私は、人々が揶揄するように、ただ獲物を見つけては狩るだけの、魔剣に成り下がっていたのでしょう」

「……」

「貴女に出会わなければ、とっくに魔剣に落ち、魔王の手駒になっていた……貴女が居たことで、私はもう一度、魔王を倒す剣としての使命に向かう事が出来ました。その使命故に、私は剣でなければならなかった……けれど今は、その使命も終わりました。今や魔王をも凌駕する私の力は、遠からず世界に混乱を齎すでしょう。……先日、貴女の危険を察知して、貴女の元へ瞬時にワープ出来たことで、思い知りました。ただでさえ高度な魔法であるワープ……モグさん、一度にワープで跳べる距離には限界があると言っていたそうですね?」

 エクリプスが、いつの間にやらクリューの側に立っていたモグに目を向けると、モグは大きく頷いた。

「貴女達は、トゥーベを出てから陸路で西の平原の側まで行き、そこからワープしたそうですね?私がワープしたのは、南のアルシュの山小屋から、カザンの側の森までです。……それは、トゥーベから直接西の平原に飛んだとしても、まだお釣りの出る距離です。……オーガスト。あなたがワープを習得したとして、私と同じ距離を移動できますか?」

 エクリプスの問いに、オーガストは悲しそうに首を横に振った。

「いや……たとえ、どんな高名な魔法使いでも、難しいじゃろう。恐らくは体が魔法に順応出来まい」

 エクリプスは神妙に頷くと、再びオルテンシアに視線を戻した。

「ね?私は、それだけの力を持っているのです。だから、私の意志だけでは、どうにもならない事態に陥る可能性は捨てきれませんし、そもそも、私は剣としての生に飽いている……貴女とまだ一緒に居たい想いもありますが、だからこそ、このままではいけないと思うのです。……分かってくださいませんか?」

「……でも!…」

 更に言い募ろうとするオルテンシアの肩を、ジオーラが叩く。それでオルテンシアがジオーラを見ると、ジオーラはゆっくりと頷いてみせた。

「悔しいが、エクリプスの言う通りだ。だからこそ、あたしらに出来るのは、エクリプスの決定を受け止めて、信じて待つことじゃないか?」

「……」

「アンちゃん…」

 黙って俯いてしまったオルテンシアに、ユースティティアがそっと声を掛けた。言葉を続けようとしては、結局思いつかず、黙ってオルテンシアの手を握った。ハッとしたように顔を上げたオルテンシアの表情は、年相応の子どもらしく、不安で堪らないといった様子だった。

(そうよ……アンちゃんはずっと、背伸びをして頑張っていたんだわ)

 自分ではなく、世界のため、またはエクリプスのために……けれど、エクリプスに消えてほしくないという願いは、オルテンシアの等身大の願いなのだと思う。彼女なりのわがままなのだ。

 それを悟ったユースティティアは、思わず涙ぐむ。

「あんたまで泣いて、どうするんだよ…」

 ジオーラは笑ったが、そう言うジオーラの声も震えていた。


 「……なんだか、私が悪者みたいなんだが…」

 涙ぐむ女性陣を眺めて、クリューは溜息をついた。

「良いなぁ、お前は。泣くほど想ってもらえて…」

「私ではありませんよ。みんな、オルテンシアについてきてくれた仲間達です。オルテンシアに同情しているのですよ」

「ふ~ん……お前、このまま消えたら、マズイんじゃないか?」

「消えると決まった訳ではないでしょう?……それとも、クリューさんは持論に自信がないのですか?」

「そんなことはないが……ただ、お前の"核"がなんだか分からないのが気がかりだ。魔王の指と剣を仲介出来る、恐らくはプラスエネルギーで、魔王の力に支配されずに存在を保てる………っあ」

「どうしました?」

 クリューはしばらく黙ったあと、突然頭を掻きむしりながら、なんとも形容し難い奇声を上げた。

「だ、大丈夫ですか?」

 たじろぎながらもエクリプスが声を掛けると、クリューは睨みつける勢いでエクリプスを見つめると、がしりとエクリプスの両肩を掴んだ。

「一種類だけ居るんだよ!絶大な魔力を持ちながら、魔法を滅する力を持つ生き物がっ!」

「えっ?」

「この私だっ!ドラゴン族だよ!!ドラゴンならば、人の姿を持っている。ドラゴンの天敵はドラゴンのみだ。だから魔王の力にも屈しなかったんだ!……ぁあぁああ〜〜!!なんで気づかなかったんだ……お前を魔王の指と分離させようとした時に、邪魔してきたのは魔王の指なんかじゃない。お前の核たるドラゴンの力のほうだったんだ!だから、普通に魔力を吸い取ろうとしたら、キャパオーバーが起きた…」

「ドラゴン……あっ!!」

 ずっと話を聞いていたユースティティアが、突然大声を上げたので、皆の視線がユースティティアに集中した。

「あ、あの……ごめんなさい……」

 顔を真っ赤にして俯くユースティティアに対し、クリューは首を振る。

「いや、いい……それより、何を思いついたんだ?」

「……えっと…その……以前、私の見る占いの情景に、魔族を屠る銀色の龍が現れることがあって……その龍が、私の住んでいた町に来た途端に力を失って倒れる情景が見えました。私は、龍がエクリプスさんの暗示ではないかと思っていましたし、そのあと、本当にエクリプスさん達が来て、悪魔封じの陣で苦しめられたのです……そして私の見た情景の中に、紫陽花を摘む龍の姿もありました。紫陽花……別名"オルテンシア"です。占いで見える例えが、極めて本質に近いものだとするなら、龍というのもエクリプスさんの本質に近いものだったのではないかと……」

 一気に話しては、ユースティティアは胸に手を当て、長く息を吐いた。

「銀の龍か……それこそ昔、ヒノデ山に銀のドラゴンの一族が住んでいた。比較的温厚な奴らで、度々現地の人間と親交があったらしいが、魔王に焚き付けられた人間達に滅ぼされたそうだ……恐らく、エクリプスの人型は、ヒノデ山のドラゴンの写し身なんだろう。元のドラゴン自体は死んでいるから、飲食も睡眠も必要なかったんだ」

「私が……ドラゴンの写し身…?」

 信じられないと言うように、自身の身体を見回すエクリプス。クリューは大きな溜息をついて、魔法陣を指差した。

「悪魔封じの陣で魔王由来の魔法と、剣としての力を封じられたとしても、ドラゴンの力までは封じられなかったのだと思う。だから、悪魔封じの陣の中にいる状態では、お前は人間ではなく、ドラゴンとして存在していたんだ。なら、陣に入った状態で、ドラゴンに対するつもりで、分離の魔法を使う」

「しかし……ドラゴンに魔法は通じないのでは?」

 エクリプスが首を捻ると、クリューは困ったように眉を顰めた。

「厳密に言えば魔法とは少し違うんだが、ドラゴンの使う技がある。それなら、通用する。……あとは、分離した後、お前の中のドラゴンの残滓が暴走するかもしれないから……お前たちにも手伝ってもらうぞ」

 クリューは一行に目を向ける。

「手伝うって…何を?」

「説明するより、見たほうが早い。まずはエクリプス、陣へ」

 ジオーラの問いにあっさりとした返答をしたクリューは、どこか険しい顔をして、エクリプスを促した。

「分かりました」

 エクリプスは頷いて、ゆっくりと魔法陣へと歩いて行った。あと数歩で、陣の線を踏むという時、エクリプスは不意に振り返り、オルテンシアに目を向けた。いつものように、にっこりと微笑んでみせる。

「またあとで、会いましょう」

「うん!絶対だよ!」

 オルテンシアは目に涙を浮かべながらも、力強く返す。

 その場にいた全員が固唾を呑んで見守る中、エクリプスが魔法陣の中心に立つと、陣が淡い緑色に発光した。

「うむ……ここまでは大丈夫だな。…エクリプス。剣に戻ろうとしてみてくれ」

「はいーーあれ…?」

 エクリプスは軽く目を閉じたがすぐに開けては、不思議そうに自分の身体を検分する。次いで少し力を込めるようにしてみるが、何も変化は起こらない。それでクリューに目を向け、「戻れません」と言い切った。

「よし。なら、次は魔法を使ってみてくれ」

 クリューの指示に従って、エクリプスは再び力を込めるが、何も起こらない。ただ静かに首を横に振る。クリューはその様子を見て、神妙に頷いた。

「……よし。問題はここからだ」

 クリューはそう言っては、早口に何事かを呟いて、ふぅっと息を吐いた。その息は旋風のようになって、エクリプスを包み込む。やがてシュッ!と風を切る音がして、何かが旋風の中から弾き出された。

「これ…!?」

 それは流麗なロングソード……エクリプスの剣での姿そっくりの剣だった。

「これで剣は分離した。もう一つ、魔王の指も取り除く。ジオーラ。念の為、魔王の指が現れた瞬間、お前の剣で斬れ」

「わ、わかった!」

 ジオーラが剣を構えたのを確認したクリューは、再び早口で何事かを唱える。すると、今度は先程よりも小ぶりなものが飛び出した。しかしそれは、空中に放り出された瞬間、砂のように砕けては消えた。

「……やはり、そうか…」

 驚く皆とは対照的に、クリューは額から汗を流しながら、にやりと笑う。

「そうか……」

 クリューより少し遅れて、オーガストも合点がいったように呟いた。

「悪い。オーガスト。ひょっとして、今出てきて消えたのが、魔王の指だったのか?」

 戸惑うジオーラに、オーガストは険しい表情で魔法陣の中心に渦巻く旋風をーー正しくはその"中のモノ"を警戒しながら頷いた。

「ああ……儂らは、考え違いをしとったんじゃ。確かに魔王の指のお陰で、エクリプスは魔法剣じゃった。しかし、エクリプスの核である龍は、魔王の指からとっくに魔力を吸い尽くし、自分の物にしておったのじゃ…」

「ってことは…っ!?」

 ジオーラが更に聞こうと口を開いた時、陣の中心に変化があった。それまで下から上へと規則正しい螺旋を描いていた旋風は、ぐにゃぐにゃと不規則に膨れたり縮んだりと乱れ始め、やがてはち切れるように消え失せた。

「うわっ!!」

「クリュー様!?」

 旋風が消えた瞬間に、何かに弾かれたようにクリューが尻餅をついて、モグが慌てて駆け寄った。クリューはそれでも、眼前の陣から目を逸らさずに、睨みつけている。

「……おいでなさったぞ。銀の龍の幻影が…」

 

 グオォォオォオーー!!!

 

 旋風の消えた陣には、体長五メートルはあろうかという、銀色のドラゴンが立っており、背中から生えた翼を大きく広げて、天に向かって吠えていた。

「あ、あれが、エクリプスの本体…?」

 生まれて初めて見るドラゴンの姿に、オルテンシアは体の震えが治まらなかった。

「そうだ。これからあいつに話しかけて、ドラゴンの力を抑えてもらう。……しかし、正気を保てず襲ってきたら、"真名(まな)"を縛って強引に力を抑える」

「まなって?」

 オルテンシアが聞くと、クリューの代わりにモグが答えた。

「ドラゴンには、普段使いの名前の他に、真名と呼ばれる二つ名があるんです。真名のほうが本名ですね。そして、どんな生き物も、名を縛られると何も出来なくなり、術者の操り人形になってしまうんです」

「分かったような、分からないような……とにかく、あのドラゴンの名前が分かれば、言うことを聞いてもらえるってこと?」

「まあ、そういうことです」

「クリューは知ってるのか?」

 ジオーラの問いにクリューは首を横に振った。それを見て、ジオーラは慌てる。

「ど、どうするんだ?なんだか、穏やかに話す空気じゃないぞ」

 ジオーラの言う通り、ドラゴンは落ち着かないように身動ぎしている。首を回したり、翼をはためかせたり……息遣いも荒い。

「……怒ってませんか?」

 ユースティティアが怯えて数歩、後退る。

「魔力を吸って実体を取り戻したばかりで、錯乱しているのかもな……なるべく刺激しないようにしつつ、真名を考えないとな……エクリプスは、人間が付けた名前だろうが、元の名前も少し混じっているかもしれない……」

「う〜ん……日蝕……太陽……」

 オルテンシアは必死に考えるが、そもそも言葉をたくさん知っているわけではない。

「ちなみに、あんたの真名はなんなんだ?」

 ジオーラがクリューを見る。クリューは少し面白く無さそうにする。

「真名を隠すなんて、小心者がすることさ。私は名前を隠していない。強いて言うなら、ドラゴンには姓という概念がないから、クリュー・ソプラソスではなく、クリューソプラソスだ」

「聞いたことがない単語だが、どんな意味なんだ?」

「翡翠という石があるだろ?そのことだ」

「なるほど!確かに、クリューさんは、翡翠のような緑色をしていますよね。……ということは、エクリプスさんも、見た目に由来する名前なんでしょうか?」

 ユースティティアは首を捻り、考え込む。

「とりあえず、ダメ元で交渉してみるか…」

 クリューはドラゴンに数歩近づいた。居心地悪そうにしていたドラゴンは、クリューに目を向ける。

「××××、××」

 クリューは、オルテンシア達には意味が分からない言語を使い、ドラゴンに語りかけた。

「…××××?」

 ドラゴンはそれに答えるように、低い声で話しだした。

「××××、×××」

「××××?」

「×××、××××、××、×××××」

「××」

「×××」

「……××!」

 しばらくそうして会話していたが、不意にクリューが焦ったようにオルテンシア達を振り返る。

「マズイ!怒らせた!みんな、下がれっ!!」

 クリューが言うか言わずかで、ドラゴンは、右前足大きく振って、クリューを叩こうとした。クリューは寸前で避ける。

 オルテンシア達もドラゴンから距離を取り、武器を構える。

「クリュー様!なんて言ったんですか!?」

 モグが問い詰めると、クリューは頭を掻いた。

「お前の名前を教えろと言っただけだ」

「それだけで、こんなに怒るものですか?」

「……名前を教える理由を問われたから、"お前が暮らしやすいように、人の姿に転生させたい"と正直に言ったんだ。そしたら、"人間なんか嫌いだ。滅ぼしてやる!"ってさ…」

「えっ?エクリプスとしての記憶はないんですか?」

 オルテンシアが問うと、クリューは苦々しく頷いた。

「どうやら実体化した衝撃で、一時的に記憶が吹っ飛んでいるらしい……というか、元になったドラゴンの一部が意志を持っているようだな。それに、なんだか相当、人間に恨みがあるらしい……これは少し叩いて、大人しくさせる必要があるな…」

「叩いてって…」

「殺さない程度に痛めつける。その間に、真名が分かればいいんだが……」

 クリューが言っている間にも、ドラゴンは再び前足を繰り出してきた。

「ったく!」

 クリューは舌打ちする。「私から離れていろ」と皆に言うと、クリューの体に旋風が纏わりついて、クリューの姿を隠す。旋風はどんどん大きくなり、やがてドラゴンの目の高さまで伸び上がる。それから突然弾けるように風が止むと、翡翠色をしたドラゴンが現れていた。

「これが、クリューの真の姿か…」

「綺麗…」

 皆一瞬その美しさに目を奪われた。陽の光を受けて輝く鱗は、角度によって七色に変化する。

「惚けている暇があったら、さっさと真名を考えろ!」

 クリューが怒鳴り、一行は我に返る。

 クリューはドラゴンと取っ組み合いを始めた。どうやら時間稼ぎをしてくれているようだ。

「真名って言っても…なんだろう?」

「クリューの名前からして、あまり使われていないような古い言葉の可能性があるのう…」

「なんでもいいですから、思いついた言葉を叫びましょう!クリュー様は実は、あまり肉弾戦は得意じゃないんです!」

 モグが落ち着かくパタパタと前足を動かす。

「ふむ……では…」

 オーガストは銀のドラゴンに向かって「アルゼンタム!…カヌス!……グラディウス!」と叫んだが、反応はない。

「なんだい?それは?」

「エクリプスの特徴を言い換えて見たのじゃ。銀色や灰色、剣じゃな。いずれも、クリューソプラソスと同じ言語じゃ。同じドラゴンなら、同じ系統の言葉かと思うてな…」

「なるほど…」

「それなら…」

 今度はユースティティアがドラゴンに向き直る。

「サン!ソール!……違うか……太陽関連かと思ったんですけど…」

「太陽……」

 オルテンシアは、少し引っ掛かった。確かにエクリプスは日蝕のことだが、日蝕では、太陽は隠れてしまっている。太陽を隠しているのは……

「……月」

 オルテンシアが呟くと、皆の視線が集まった。

「日蝕って確か、太陽の前に月が重なっちゃうことを言うんだって、聞いたことがあるんだけど……だから、エクリプスって本当は、月に関係する名前なのかも…」

「なるほどな!それはあり得るかも!」

 ジオーラ破顔する。

「月って言えば……ルナ!」

 ジオーラが叫ぶと、クリューと取っ組み合っていた銀のドラゴンが僅かにこちらを見た。しかし、すぐにクリューに集中する。やがてクリューを押し倒した。

「わわわっ!!クリュー様〜!」

 モグが慌てて走り回る。

 銀のドラゴンの牙が、クリューの首に迫る。

「マズイ!!」

 瞬時にジオーラが剣を抜いて飛び出すと、銀のドラゴンの左の羽を斬りつけた。難なく羽は切断され、血が噴き出す。

「グワァァァ!?」

 銀のドラゴンは声を上げてはクリューから離れて、一行から距離を取る。

「エクリプスだと思うと苦しいが……お前を止めるためには、こうするしかなかったんだ…悪く思うなよ」

 ジオーラは尚も銀のドラゴンに剣を向ける。銀のドラゴンは、ジオーラを警戒して、すぐには襲ってこなかった。ただ、唸り声をあげて、ジオーラを睨みつけている。

「うぅ……助かった…」

 クリューは縮んで人の姿になると、腕を擦って呟いた。

「クリュー様ぁ〜!」

 そこへモグが抱きつく。「こら!危ないだろ!」とクリューは怒鳴りつつも、モグの頭を優しく撫でた。

「ジオーラが"ルナ"と叫んだら、僅かに反応してましたね…」

「ふむ……」

 ユースティティアとオーガストが考え込む中、オルテンシアは別のことを考えていた。

(エクリプスの本体があのドラゴンだったとしたら、エクリプスはどこに行ったんだろう?魔王に操られた時みたいに、出てこられないだけかな?それとも……消えちゃったのかな?)

 オルテンシアはそっとジオーラに近づき、隣に立った。

「アン!下がってな!危ないぞ」

 ジオーラは、銀のドラゴンから目を離さずに言う。

「ごめん。ちょっと、確かめたいことがあって…」

 オルテンシアはじっとドラゴンの目を見つめた。初めはジオーラを睨んでいただけだったが、やがてオルテンシアとも目が合った。色素の薄い、灰色の瞳は、オルテンシアを捉えて、僅かに和らいだ。

「やっぱり、エクリプスの目だ…」

「あいつ……アンのこと、分かってるのか?若干落ち着いたような……」

「なら、テレパシーが通じるかも……」

 オルテンシアはドラゴンの目を見つめながら、心の中でドラゴンに語りかける。

(エクリプス……今は、エクリプスじゃないんだっけ?だったら、ごめんなさい。でも、勘違いしないで欲しいのは、私たちはあなたの敵じゃないってこと。覚えていないかもしれないけど、一緒に魔王を倒したんだよ。)

 聞こえているのかいないのか、ドラゴンはただ静かにオルテンシアを見つめ返す。時折顔が歪むのは、羽の傷が痛む故だろうか……。

(傷つけてごめんなさい……でも、あなたを止める為には仕方がなかったの……治療させて欲しい。側に……寄っても良いかな?)

 オルテンシアはゆっくりと一歩、ドラゴンに近づいた。

「アンッ!」

 慌ててジオーラがオルテンシアの肩を掴んで引き留めたが、オルテンシアはジオーラに笑って見せる。

「たぶん、大丈夫。危なかったら、すぐ逃げるから」

「すぐ逃げるったって……ドラゴンにかかれば、人間なんて虫みたいなものだぞ」

「それでも、やってみる。なんだか、私の話なら、聞いてくれそうだったから…」

「……わかった」

「ありがとう」

 ジオーラが手を離すと、オルテンシアはドラゴンの目を見つめたまま、一歩一歩、ゆっくり近づいた。

(大丈夫。私は何もしないよ。ただ、あなたとお話したいだけ)

「グルルルッ…」

 ドラゴンは唸るが、動かずにいる。オルテンシアは一度歩みを止めたが、少し待って、ドラゴンが何もして来ないのが分かると、また一歩近づいた。

(……お前は、何者だ?何故、俺と念話が出来る?)

「ッ!?」

 突然オルテンシアの脳内に、声が響いた。エクリプスと同じ声だが、口調が違う。オルテンシアは落ち着いて、ドラゴンに向けて、少し微笑んでみせる。

(聞こえてたんだね。よかった……私は、オルテンシア。あなたを剣として使って、一緒に魔王を倒したんだよ。どうして頭の中で会話出来るか分からないけど、エクリプスとは、よくそうやって会話してたから、あなたとも出来るんじゃないかな?)

(…剣?俺が?)

(うん。あなたは、魔王を倒す剣として、作られた。作り直された…が正しいかな?剣には、あなたの一部が入っていたみたいだから…)

(俺の……一部…)

 そう呟くなり、ドラゴンは苦しそうに唸り出した。

「どうしたの!?大丈夫?」

 オルテンシアはドラゴンに走り寄った。

「アンッ!!」

 ジオーラは慌てて駆け寄ってきた。

 オルテンシアは、そっと苦しがるドラゴンの体に触れる。しかし、ドラゴンは軽く目を見開いただけで、何もしてこなかった。

「……そうか……俺は、死んだんだった。……だが、今は生きている……何故だ?」

 ドラゴンは今度は、言葉を口にした。

「話せば長くなるが、私たちの話を聞いてくれる気になったのなら、怪我の手当ての後に、ゆっくり話してやる。まずはデカくて扱いにくいから、縮め。話はそれからだ」

 いつの間に近くにいたクリューが言うと、ドラゴンは少し迷うように沈黙した後、目を閉じた。いつもエクリプスが剣になる時のように淡く白く輝くと、人の姿になった。その姿は、見慣れたエクリプスのものだった。

「エクリプス!」

 オルテンシアは嬉しそうに抱きついたが、当のエクリプスは、驚いたように目を見開き、「…痛い」と顔を歪ませた。

「あ、ごめんなさい!つい…」

 慌ててオルテンシアが離れると、「…別にいい…」と呟いては、痛そうに左肩の辺りに手をやる。背中からは血が出ていた。

「家へ入ろう。治療してやる」

 クリューに促されて、エクリプスは立ち上がる。

「手、貸すよ」とジオーラが近づくが、サッと距離を取った。

「…一人で歩ける」

 言いながらよろけるので、今度はオルテンシアが支えた。

「……」

 どこか不満そうだったが、今度は逃げない。それを見て、ユースティティアが笑った。

「記憶がなくても、アンちゃんが特別なのは、変わらないんですね」

「まあ…あたしは、羽を斬っちゃってるからなぁー。嫌われたかも…」

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