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昼間でも薄暗い森の中、オルテンシアは目を皿のようにして、木の根元を見て回っていた。キノコはそういった場所に生えていることが多いという話を聞いたからだ。
「うぅ~……腰が痛くなりそう…」
目線を下げるのと同時に腰を曲げながら歩いていたため、時々腰を伸ばしては軽く叩く。
ダッチの虹色の羽を手に入れた後にカザンへ戻り、金の四つ葉のクローバーを探すことにした一行だったが、残念ながら金の四つ葉の在庫はなく、クローバー畑を毎日確認しに行きつつ、生えていなければ、西の森の奥地で星茸を探すことにした。初日で星茸が見つからなかったうえに、必要な数が十個と多いこともあって、一行は二手に分かれ、一日交代で、金の四つ葉を探すメンバーと星茸を探すメンバーという形で、同時進行にすることにした。
今日はその作戦を始めて三日目。現在は金の四つ葉は見つかっておらず、星茸は二つ見つかっていた。オーガストとユースティティアは金の四つ葉探し。ジオーラとオルテンシアとモグで星茸探しをしていた。
「う〜〜ん……ほんのり緑に光ってるから、分かりやすいはずなんだけどなぁ〜」
ジオーラも同じく身を屈めながら辺りを探す。星茸は椎茸のような形状をしており、一度に二つか三つまでしか群生しておらず、数も多くはないようで、なかなか見つからない。
「あるとしたら、この辺りなんですけどねぇ〜」
モグは大気の匂いを嗅ぎながら、キョロキョロしている。
「モグ。星茸の匂いが分かるの?」
オルテンシアが尋ねると、モグはオルテンシアを見上げた。丸い黒目が笑うように少し細くなる。
「星茸というか、苔の匂いを探しています。キノコは苔蒸した場所に生えていることが多いので、そうした場所に、星茸も生えているんじゃないかと思うんです」
「なるほど!モグは鼻がいいんだね!」
オルテンシアが感心すると、モグは耳をパタパタ動かす。こういうときはモグが喜んでいる証拠だ。
「クマですからね」
そう言ってモグは、少し胸を張る。
「そっか」
モグの仕草が可愛らしくて、オルテンシアはつい頬が緩んだ。
「僕、もう少し奥を探してきますね!」
モグはそう言って、森の奥へと駆けて行った。
「もう三日目だし、そろそろ見つかって欲しいよなぁ〜。こんなことなら、モンスター退治をしてたほうがマシだ」
ジオーラはややうんざり顔。
「そう?私は、結構楽しいよ」
「そうか……良いなぁ〜」
「……ごめんね。ジオーラ」
「ん?急にどうした?」
ジオーラがオルテンシアを振り返ると、オルテンシアは目線を下げた。
「私のわがままに付き合わせてるから…」
「……まったく…」
ジオーラは溜息をついては、オルテンシアの頭を撫でる。
「あたしは、好きで付いてきてるから、関係ないよ」
「でも…」
「それに。エクリプスはこのままにしておけないって、正直思ってたから、あたしはアンを応援する傍ら、エクリプスを監視してるようなものなんだよ」
「えっ…監視?」
驚いて目を見開くオルテンシアを、ジオーラはどこか痛ましげに眺めた。
「もちろん、エクリプスが悪さをするとは思ってないよ。だけど、魔王を倒したあとも能力はそのままだったし、むしろ強くなったと思うんだ。魔王はエクリプス無しでは誰も倒せなかったから、それでいくと魔王が居ない今、エクリプスが敵になった場合の抑止力が何もないことになる」
「それは…」
反射的にジオーラの言葉を否定しそうになったオルテンシアだったが、冷静に考えるとその通りだと思った。ただでさえ怒りの感情を制御出来ずにいた場面もあったし、オルテンシアがマスターであった時も、命令がないと動けないというほどの強制力はマスターには無かった。元々エクリプスがオルテンシアをマスターと定義づけて扱っていただけで、誓約書がある訳でも、何かの呪文で縛られた訳でもない。むしろ、エクリプスに特殊能力があるぶん、何もないオルテンシアは、エクリプスの意思を問うことしか出来なかった。
「……そうだね。確かに、危ない部分はあるかも…」
オルテンシアがつい下を向くと、ジオーラは首を振った。
「あたしが心配してるのは、エクリプスが何かするというより、"他の人間達"がエクリプスをどう扱うかだよ」
「…あっ」
オルテンシアにも、ジオーラの言わんとすることが分かってきた。魔王を倒す前は魔剣と恐れる人もいたし、魔王の機嫌を取るためにエクリプスを破壊しようとする人もいた。魔王を倒した後だって、エクリプスを権力の象徴のように扱おうとした国もあった。
(ほんと、人間って自分勝手だよね…)
「でもまあ、エクリプスがただの人間になってしまえば、何の影響力もないからな。早く素材を集めて、なんとかクリューにエクリプスを人間にしてもらおう!」
「そうだね!」
「そして…」
「ん?」
「アンは、もっとわがままになること!」
「え?」
「あたしはアンのことをよく知らないけど、短い付き合いの中でも分かるのは、アンは良い子すぎるってことさ。まだ十四だろ?もっと自分のやりたいことに貪欲でいてもいいだろうと思うよ。まあ、初めは生きていくのに必死だったかも知れないけどさ、今は味方もいるし、魔王は倒したんだから、もう誰かの願いを背負う必要はないよ」
「誰かの願い…」
「そ。アンは世界を救う為に一肌脱いでくれただろ?だから今度は、アンの願いを追いなよ。アンは、何がしたい?」
「……私は…」
(私は……色んな場所に行ってみたい……出来れば、また、みんなで…)
目的なんて決めなくてもいい。魔王から解放された世界で、ただ自由でいたい……。
「嫌じゃなかったら、これからもみんなと一緒に居たいな。一緒に冒険したりとか…」
オルテンシアが言うと、ジオーラはくすぐったそうに顔を歪めたが、不意に厳しい顔をする。
「それだけかい?」
「そ、それだけって…?」
「エクリプス」
「っ!?……そ、それは…」
エクリプスとどうなりたいか……けれど、エクリプスにそれを伝えても、困らせるだけではないか?せっかく人間になって自由になるのに、自分が居ては、心配で世話を焼かせてしまうかもしれない……たぶん、エクリプスなら、そうする。対等な立場ではなく、保護者として自分を扱う。
「エクリプスは、きっと私の親のつもりなんだと思う。もう私はエクリプスの主人でもないのに、私を守るように振る舞うし……だから、好きだって伝えても……」
「まあ、確かにな……けど、それをエクリプスに確認したわけじゃないだろ?やっぱりちゃんと話してみろ。それで、アンの言う"好き"の意味を分からせないと。でもやっぱり、エクリプスに想いが通じないってことになったら…」
「通じないなら?」
ジオーラが言葉を続けないのが気になって催促すると、ジオーラはニッと笑う。
「あたしがエクリプスを一発殴ってやる」
「な、殴らなくていいよ!」
言いながら、オルテンシアはジオーラの勝ち気な笑顔を眺める。目の覚めるような鮮やかな赤い髪、少し日に焼けた肌に、明るい茶色の瞳……大人しくしていれば健康的な美人だ。
「……ジオーラって、恋したことあるの?」
思わず聞いてしまうと、ジオーラは不意を突かれたように一瞬呆けたが、すぐに優しく笑った。
「あるよ。けどまあ……叶わなかったけど」
「…どんな人だったか、聞いてもいい?」
「ふふ。気を使わなくていいよ。大した話じゃないから…」
言いながら、ジオーラは少し上を見上げては、遠くを見るように目を細める。
「あたしが、まだ二十歳になる前だったかな。ある町の自警団に所属しててね、あたしによく剣術やら体術やらを頼んでもいないのに、教えてくれた奴が居たんだ。その頃のあたしって、結構一匹狼的なところがあって、仲間と必要最小限の関わりしかなかったんだけど、そいつはえらくお節介を焼いてきてね…」
「へぇージオーラが…意外…」
「だろ?まあ、今のあたしがあるのは、案外あいつのおかげかな……まあ、そんなだったから、あたしは自然とあいつにだけは、気を許してた。でも、あたしがあいつへの気持ちに気づいた時には、あいつは……魔族との交戦で命を落としていた」
「そんな…」
「あたしもアンと同じでさ、あたしがあいつに向ける気持ちが、あいつがあたしに向けている気持ちと違うんじゃないかって思っていたから、気持ちを伝えに行けなかった。あいつはきっと、扱いにくいはぐれ狼を、なんとか人の群れに戻してやろうとしていただけかもしれないって…」
そこで、ジオーラの顔が曇る。
「でも、違ったかもしれない…」
「え?」
「あたしが、あいつを含めた数名が魔族と交戦中との知らせを受けて駆けつけた時、既に戦いが終わっていて、あいつは虫の息だった……でも、あたしが声を掛けると僅かに息を吹き返して、"君が無事で良かった"って言ったんだ」
「……」
オルテンシアは、黙ってジオーラを見つめることしか出来なかった。ジオーラはそんなオルテンシアを優しく見つめる。
「もうちょっと早くに答え合わせをしていたら、こんな切ない想いはしないで済んだかもしれない……でも、たとえあいつとあたしの気持ちが同じでも、あいつが死ぬことは、決まっていたかもしれないけどな。そうなら、あたしはもっと辛い思いをしただろうけど、まあ、モヤモヤはしなかった筈だな」
(もしかしてジオーラは、まだ、その人のことを…)
好きなままなんだろうか?と思ったが、なんとなく聞くのは憚られた。
「だからさ!アンには後悔して欲しくないんだ。他人の気持ちなんて分かるもんじゃない。だから、確かめるしかない……少なくともあたしは、人との繋がりを持つのを恐れたことで大事な人を失って後悔したから、こうやってアンにお節介を焼いた訳だけど……強い気持ちほど、確かめるのが怖いよな……」
「……うん」
「ただ、後悔しない為には進むしかないよ。それに、前にも言ったが、エクリプスなら大丈夫。アンの気持ちに応えてくれるって気がする」
「…なんで、そんなに自信があるの?」
「うーん……剣士の勘、かな」
「なにそれ…」
「アッハハ!そんな顔するなって!」
渋い顔をするオルテンシアの背中を、ジオーラはバシバシ叩く。
「ちょ、痛いってば!」
オルテンシアは身をよじる。すると目の端に、茶色いものが目に入った。
「あれ?モグ……ど、どうしたの?」
いつから居たのか、二人の後ろにモグが立っていた。両腕に星茸をたくさん抱えて、何故か涙を流している。
「奥のほうで……星茸をたくさん見つけたので、早く知らせようと戻ってきたら……グスッ……お二人が、話しているのが聞こえて……」
声を掛けるのを躊躇っていたということのようだ。
「なんでモグが泣いてるんだよ」
ジオーラが笑うと、モグは「だって…」と言っては鼻を啜る。
「分かったから、泣くなって!かわいいやつだなぁー、もう」
ジオーラがグリグリとモグの頭を撫でる。
「ぼぐ、応援じでまずからね!」
モグは鼻をグズつかせながらも、星茸が落ちるのも構わずにオルテンシアの手を握った。
「う、うん。ありがとう」
オルテンシアはモグの前足を握り返して笑う。
(いつの間にか、友達が増えたな…)
ジオーラやユースティティアやオーガスト。それにキエルやモグ……まだあまり心を開いてくれていないようだが、クリューも。その他にだって、たくさんの人と知り合い、協力してもらった。その事実に、心が暖かくなる。
(もう、一人じゃないんだよね)
明日の命すら危うかった頃とは違い、今は素直に明日を夢見る事が出来る。そのきっかけをくれたエクリプスに感謝と、素直な想いを正直に伝えようと、オルテンシアはようやく決意するのだった。
その後オルテンシア達は、西の森を出てカザンへ戻った。先程モグが見つけてきた星茸は八つ。これで前に見つけたものと合わせて十個。ノルマ完了だ。
「金の四つ葉は、見つかったかなぁ?」
オルテンシア達はクローバー畑に向かう。クローバー畑が近づくと、二人の人影が見えた。近づくとそれが、ユースティティアとキエルだと分かる。
「おーい!星茸、見つけたよー!」
オルテンシアが声を掛けると、ユースティティアとキエルは、弾かれたように顔を上げた。
「すごい!やったね!アンちゃん」
ユースティティアは満面の笑みを浮かべる。
「キエルも手伝ってくれていたのか」
ジオーラがキエルに声を掛けると、キエルは頷く。
「ええ。ちょうど非番でしたしね」
「なんか、すみません…」
オルテンシアが恐縮すると、キエルは破顔する。
「そんなに畏まらないで。勇者の手伝いが出来るなんて、光栄だよ」
「ありがとうございます」
「だけど……」
ふとユースティティアが暗い顔をする。
「金の四つ葉は、今日も見つからなくて…」
「そっか…そういえば、オーガストは?」
「オーガスト様なら、カザンの外にある、もう一つのクローバーの群生地を見に行ってる。たまにそっちでも金の四つ葉が見つかることがあるからね。そろそろ日が暮れるし、迎えに行ってくるよ」
「じゃあ、私も行く!」
「え、いいの?」
「うん!私も見に行ってみたいし…いいよね?ジオーラ」
オルテンシアが言うと、ジオーラは息を吐く。
「分かった。……キエル。アンのこと、任せていいか?」
「はい。任せて下さい」
キエルは神妙に頷いた。
カザンは隠れ里だから滅多な危険はないが、世界が混乱している今、外には危険が多い。混乱に乗じて、ならず者が横行している場所もあるとの噂だ。
オルテンシアとキエルは、カザンを出て、少し街道から外れた獣道に入る。
「もう少し道を行くと、すぐだよ。五分くらいかな?」
夕暮れの森は静かだったが、時折葉を揺らす音がする。それが風によるものか、動物によるものかは判然としない。何故だか、オルテンシアはそんな物音を注意深く聞いていた。つい、好奇心で付いてきてしまったが、慣れないキエルとの行動に、少し不安を感じていたのかもしれない。
「大丈夫だよ。この道なら俺は何度も通っているから、慣れてる。何か出て来ても対処出来るから、安心して」
オルテンシアの不安を感じ取ったのか、キエルが優しく微笑んだ。
「はい。すみません。自分で行くって言ったくせに、怖がったりして…」
「いいよ。警戒は、していたほうがいいしね」
話している内に、獣道を抜けて、少し開けた場所に出る。
「ここを右に折れるとーーッ!?」
キエルが不意に言葉を切るのと、ガサッ!と後ろの茂みから大きな物音がしたのがほぼ同時だった。
オルテンシアは咄嗟に剣を抜いて構える。
すると、茂みの奥から、武装した男が複数現れた。
「お、こんな所に第一村人発見かな?」
男の一人が、卑下た笑みを浮かべる。丸く大きな体躯の男だった。他の男達も上背があったり、筋肉質だったりと、なかなか屈強に見えたが、服装や鎧に統一感がなく、とてもまともな集団には見えなかった。
(四人か……多いな)
オルテンシアは、複数との対戦は苦手だった。今も時々稽古をつけてもらっているが、どうしても目の前の相手に集中してしまい、隙を突かれる事が多かった。エクリプスを使っていれば、エクリプスが声を掛けてくれていたが、今はただのロングソードだ。エクリプスは、いない。
どう切り抜けようか思案していると、キエルがオルテンシアを庇うように前に立った。
「あなた方は?」
キエルが問うと、今度は別の男が口を開いた。
「この辺りにカザンって村があったと思うんだが、知らないか?」
「さあ?」
明らかに怪しい男達を前に、キエルも警戒し誤魔化したが、男達には確信があるようだった。
「本当かぁ?カザンをおいて、この辺りには他に村も町もない。こんな時間にこの辺りをうろついているのは、カザンに住んでる村人ぐらいだと思ったんだがな?……見たところ、兄ちゃん達は旅人の割には軽装だしよ」
キエルの顔が歪む。確かに、ただの旅人にしては違和感が残るのは否めない。
「……カザンに、何用ですか?」
「カザンにはどんな怪我でも病でも、たちどころに治してくれる霊薬があると聞く。そいつを貰いたいんだ」
「申し訳ありませんが、霊薬は数が少ないうえに作るのが難しく、どなたにでも差し上げている物ではありません。まずは門番に事情を説明し、許可を得て下さい」
「その門番に、追い返されたから、ここにいるんだよ。せっかくだから、兄ちゃん達が村に戻るついでに、俺達も通してくれよ。タダでとは言わねぇ。礼はするからよ」
「……お断りします。門番が許可しなかった者を村に入れるわけにはいきません」
「……そうか……そいつは、残念だ」
「ッ!?」
男が言ったか言わずかで、シュッ!と風を切る音がした。途端にキエルが腕を押さえて倒れ込む。右腕に深い切り傷があって、出血していた。
「キエルさん!…っ!!」
「おっと!待ちな」
慌ててキエルに寄ろうとしたオルテンシアの喉元に、男が剣を突き出した。咄嗟にオルテンシアは動きを止める。
「もう一度聞く。村に入れてくれないか?」
「…っく…!」
男が問うと、キエルは苦しげに顔を歪めながらも男を睨む。それと同時に、突風が吹き荒れ、男達を襲った。
「風の魔法か。…厄介だな」
突風はやがて細かな刃となって男達を斬りつけるが、男達は剣で風の刃を相殺していく。
(なかなか腕が立つほうみたいだね…)
あわよくばこの隙にキエルとオーガストの元へ逃げようかと思ったが、その隙もない。すぐに男の一人が風の刃を突破して、オルテンシアに迫った。
「ッ!」
オルテンシアは剣で向かい撃つが、腕力が違い過ぎて押し負けてしまう。男の斬撃を受け流すだけで精一杯で、反撃出来ない。そして、オルテンシアが剣で斬り合っている内に、別の男の刃が迫った。
「オルテンシアッ!!」
キエルが叫ぶがしかし、オルテンシアには回避しようがなかった。死を覚悟した、その時ーー
「ウッ!?」
「ガハッ!」
オルテンシアに斬りかかろうとした男が突然地面に横倒しになった。次いでオルテンシアと斬り合っていた男も、オルテンシアの後ろから飛んできた拳に顔面を殴られて、後ろへ倒れた。
オルテンシアが驚いて振り返るとそこには……
「エクリプスっ!?」
どこか厳しい顔をした、エクリプスが立っていた。