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結局の所、クリュー・ソプラソスに関する情報は首都では分からなかった。本もオーガストが持ってきたこの本のみで、他には見当たらないし、司書に確認しても他に書籍はなく、この本以外は出版していない様子であることが分かったのみだった。
そこで一行は一度、カザンに向かうことにした。オーガストは直接面識がなかったが、ソプラソスの人柄を長老に聞いたことがあることから、一度はカザンを訪れたことがあるのではないかという推測をしたからである。
馬車を乗り継ぎ、宿に泊まりながら、それから二日かけて、一行はカザンへ到着した。今回はオーガストがいることから、すんなり村に入ることが出来た。
「なんだか、懐かしい気がする」
オルテンシアは、軽く深呼吸をする。深い森の中とあって空気が澄んでいる。草木の香りに安心感を覚えた。
「かれこれ、半年ぶりになるでしょうか?」
エクリプスも穏やかに周りを見ていた。
「そんなに前になるんだ…」
感慨深く思いながらも、オルテンシアは以前にカザンを訪れた時の事を思い出していた。
オーガストに出会い、エクリプスの話を聞いて、そして、ラミアに襲われた……。
(あの時エクリプスは、使命を放棄してまでも私を助けようとしてくれたっけ…)
エクリプスを仰ぎ見ると、エクリプスはオルテンシアの視線に気づいて不思議そうな顔をしたが、すぐに目を細めて微笑んだ。その優しい笑顔に、オルテンシアは心臓がキュッと締まる思いがして、思わず目を逸らした。
「皆さん、お久しぶりです!無事、魔王を倒されたとか……お疲れ様でした」
村の奥からキエルが駆け寄ってきて、声をかける。
「おお、キエル。村は変わりなかったか?」
オーガストが嬉しそうに言うと、キエルも嬉しそうに頷いた。
「はい。目立った襲撃もありませんでした」
「それは何より」
「ところで……皆さんも一緒に来られたのには何か理由が?」
キエルはオルテンシア達を見て首を傾げる。オーガストは一つ頷くと、「実は人を探しておってな。カザンにも縁がある人物なので、ここへ来れば、手掛かりになる情報があるかもしれぬと思ったのじゃ」
「人探し……ですか?」
「クリュー・ソプラソスという人物じゃ」
オーガストが言うと、キエルは目を丸くする。
「……それって、オーガスト様の家にある『魔法生物の生態について』って本の作者じゃないですか」
「ほう…よく知っておるな」
「ええ。子どもの頃に偶然見つけて読んで、衝撃を受けた覚えがあります。でも……かなり昔の本じゃなかったですか?作者って生きてます?」
「ふむ。それも含めて長老に聞いてみたいと思ったのじゃ。儂が長老の所へ行く間、皆を宿に案内してくれまいか」
「分かりました」
オーガストはそそくさと村の奥へと消えていき、オルテンシア達はキエルと共に、以前も泊まった宿へと向かった。
「なんかオーガスト、はりきってない?」
道中オルテンシアが言うと、ジオーラも頷いた。
「だよな!あんなに積極的に動くオーガストは見たことなかった。歳の割に元気っていうか…」
オーガストは、昨年で七十歳になったと以前、オルテンシアは聞いたことがあった。
二人の会話を聞いて、キエルはクスリと笑う。
「オーガスト様は探究心の強い方で、それが元気の秘訣とご本人も仰っていました」
「そういえば、オーガストさんも高齢ですけど、長老さんって、お幾つくらいなんですか?」
ユースティティアが聞くと、キエルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「御年百歳にお成りです」
「ひゃ、百歳!?」
驚いて、オルテンシアは声を上げてしまう。他の皆も同じように驚いた様子だった。
「はい。けれどしっかりされていますよ。お医者様もびっくりする程に、ご病気もなく健康なんです。積極的に村の管理をしているわけではないですが、今でも村の大事には、長老のご意見を伺うのが習わしになっているくらいです」
「へぇ~!」
世の中知らないことがたくさんあると、オルテンシアは胸が躍った。
「長老のお許しがあれば、皆さんに紹介しますよ」
キエルはそう言って笑った。どうやら長老は、村の人達から慕われているようだ。
宿に着くと、オルテンシア達は熱烈な歓迎を受けた。
「いやぁ~、まさか本当に魔王を倒してしまうとは!せめてもの礼に、宿代はタダにさせてくれ!」
「えぇ!?」
オルテンシアが驚いていると、店主はおろか、従業員や他の宿泊客まで口々にお礼を言ったり、一行を労ったりした。元々閉鎖的な村であるという話が嘘であるかのような歓迎ぶりだ。
「なんか、こういうのも悪い気はしないな」
ジオーラは嬉しそうにしたが、
「……なんだか、恥ずかしい」
ユースティティアは顔を伏せる。
「な、なんか、さすがにタダは悪いよ…」
オルテンシアがオロオロするも、エクリプスは笑った。
「まあ、それだけのことをしたのですから、胸を張って良いのではないでしょうか?せっかくの申し出ですし、有り難く受け取っておきましょう」
「い、いいのかな…?」
なおもオルテンシアが迷っていると、
『もし、オルテンシアに危害を加えるつもりなら、私が黙っていませんから、ご安心を』
不意にエクリプスの声が頭に響く。驚いてエクリプスを振り仰ぐも、エクリプスは穏やかに微笑んだままだった。
(よ、余程のことがない限りは、手を出しちゃダメだよ?エクリプスは今きっと、魔王より強いんだから、人なんて簡単に殺しちゃえるんだからね!)
それで慌ててエクリプスに念で話しかける。けれどエクリプスは、"分かっている"と言うように、僅かに頷いただけだった。
(ほんとかなぁ?)
このところ、エクリプスは以前にも増して過保護になった気がしていた。まるで、オルテンシアのボディガードのようだ。表面上はマスター扱いはなくなり、名前呼びになったまではいいが、まだまだ友人関係にはほど遠い。どうしたってエクリプスと対等になることはなかった。
(そりゃあ、世間知らずで子どもだから、仕方ないけどさ…)
これがジオーラのように実力のある大人だったら、話は違ったのだろうか…と考えては、その考えを振り払った。
(無いものを羨んだって仕方ない。私には、私にしか出来ないことがある筈だ。私なりの方法で、エクリプスを解放してみせるんだから!)
誰かに仕えるとか守るとかじゃなく、エクリプスの人生を生きて欲しい。その為にエクリプスを人間にするのだから……それが、マスターだった自分がしなければならない最後の仕事だと、オルテンシアは決意を固くした。