12.オルテンシアとエクリプス
やっと食事会がお開きになったのは、夕方になってからだった。一行は、ゆっくりしていけばいいという村人の好意もあって、以前も世話になった宿屋に泊まることになった。
「あー、疲れたー!あたしは、寝る!」
部屋に入るなり、ジオーラは早々にベッドに潜り込んだ。
一行には二部屋があてがわれており、この部屋は女子部屋で、隣の部屋はオーガストとエクリプスの部屋にしていた。オーガストは自分の家に戻っても良かったのだが、エクリプスの体の状態などが心配なため、一緒に泊まってくれることになったのだ。
「ふふ…。ジオーラ、頑張ってましたもんね」
ユースティティアはジオーラを見て微笑んでは、オルテンシアに向き直った。
「アンちゃんはどうでした?ダンスは楽しかったですか?」
オルテンシアは顔を赤くしては俯いて、「…うん」と小さく返事をした。
「良かったですね。……早く、エクリプスさんの記憶が戻るといいんですけどね…」
「エクリプスは思い出したいって言ってたし、そのうち思い出すよ。きっと…」
「そうしたら、告白ですね!」
「こ、告白っ!?」
驚いて思わず大声を上げてしまったオルテンシアは、慌てて口を塞ぐ。ジオーラは軽く身動ぎしたが、起きる様子はない。
「そうですよ。やっと人間同士という対等な関係になったんですから、もう大丈夫ですよ」
「うーん……」
(一緒に居たいとは、言っていたけど…)
記憶を失くす前のエクリプスは、単なる保護者のような思考回路だった。それが人間になったからといって、そう簡単に覆るだろうか?
オルテンシアの反応が芳しくないのを見て、ユースティティアも眉尻を下げた。
「……自信がないんですか?」
「自信…というか……エクリプスと話していて、やっぱり私って子どもに見られてるよなって思うの……まあ、子どもなのは事実なんだけどね……だから、エクリプスにとって私は、恋愛対象じゃないんだよ」
「……そうかもしれませんけど、今はそうでも、いつかは、そうじゃないかもしれませんよ?」
「いつか?」
「はい。一緒に居れば、関係は変化していくものだと思うんです。それを狙う……というのは?」
「な、なんか怖いこと言うね……それ、ユースティティアの体験談か何か?」
オルテンシアが引き気味に言うと、ユースティティアはきっぱりと首を振る。
「いいえ。私は男性とお付き合いしたことがないので……」
「そ、そう…」
「参考にならなくてすみません……」
「ううん。考えてくれてありがとう」
ユースティティアを安心させたくて笑って見せると、
「アンちゃん!」
「わわっ!?」
ユースティティアはオルテンシアに抱きついてきた。
「困ったら、遠慮なく言ってくださいね!」
「う、うん……わかったけど……苦しい…」
「きゃあ!ご、ごめんなさいっ!」
※
「…っ!?」
深夜、エクリプスは声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。荒い呼吸を繰り返しながら周りを見渡し、部屋が暗くて静かなこと、隣のベッドでオーガストが眠っているのが目に入ると、徐々に落ち着いてきた。――そう。ここは、カザンの宿屋の一室だ。
「ハァ……」
一度大きく息をついて呼吸を落ち着けると、エクリプスは見ていた夢の内容を思い浮かべながら、分析した。
(時系列がバラバラの出来事を一気に見せられた気がする……)
軽く頭痛がする……。
オルテンシア達と旅をしている様子、または別の人や一人で旅をする様子、魔族と戦った時の様子など、順番は定かでなく、どれも断片的だ。ただの夢かとも思ったが、その時の楽しかったり、辛かったりした感情を、妙にリアルに感じていたし、既視感があったので、恐らくは本当にあったことなのだろう。そしてーー
――離れていると、エクリプスは今どうしてるかなって気になって、会いたくなって、苦しくなる……だって……だってエクリプスが、好きだからっ!――
「……オルテンシア」
そう呟いては、エクリプスはしばらくじっと考え込んだ。そうしている内に、バラバラだったエピソードが、まるでパズルのピースが嵌るかのように、一つに繋がり始めた。
※
「ふわぁ〜……よく寝た!」
ジオーラはそう言ってはベッドから体を起こし、一度大きく伸びをした。部屋のカーテンからは、薄明かりが漏れている。隣のベッド二つに目を向けると、ユースティティアもオルテンシアもまだ眠っていた。
そっとベッドから出て、衣服を整える。井戸で顔を洗いに行こうと、ハンドタオルを片手に部屋を出た。まだ日が昇って久しいため、宿屋の従業員が働く様子はあれど、客が活動している様子はない。すれ違う人と軽くあいさつを交わしながら井戸にやって来ると、井戸の水で顔を洗った。それから、日課である体操をする。
「よし!」
一通りのルーティーンをこなして、晴れた空を見上げる。陽射しが強い。今日は暑くなりそうだ。
「ジオーラ」
不意に背後から声がかかり、振り返るとエクリプスがこちらへやって来るところだった。
「お、エクリプスか。おはよう」
「おはようございます」
「あんたが朝早くに起きてるのは剣だったから違和感ないけど、今は人間だからな……夜はちゃんと眠れたのか?」
「ええ。おかげさまで」
「なら、良いんだが……無理はするなよ。なんか困ってたら、言ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
言いながら、エクリプスは少し思案気にする。
「……あの、ジオーラ」
「ん?」
「もし、よろしければ、剣で模擬戦をしてもらえませんか?ちょっと、体を動かしたくて…」
「模擬戦?……ああ、いいよ。ちょっと待ってな。剣を持ってくる」
「お手数お掛けします」
ジオーラは一度部屋に戻り、自分の剣と、少し考えて、エクリプスの一部だった剣を持って部屋を出た。
(アンに許可は取ってないけど、エクリプスに貸すんだから、いいよな)
庭に戻ると、エクリプスは空を見上げていた。長い銀の髪が、朝日で輝いているように見える。どこか儚げで、消えてしまいそうなほど気配が静かなのに、目が素通り出来ない存在感がある……ジオーラはエクリプスを、まるで月のようだと常々思っていた。明るくまっすぐで優しい、言わば太陽のようなオルテンシアとは対極で、オルテンシアを支える静かな月……。
(我ながら、随分と詩的な表現が出てきたな)
内心苦笑しつつ、ジオーラはエクリプスに駆け寄った。
「ほら!」
エクリプスに向かって剣を投げると、エクリプスは驚きながらもしっかりと受け取った。そうして受け取った剣を見て微笑んだ。
「……私がこれを使う日が来るとは、思っていませんでした…」
エクリプスは静かに剣を抜くと、正面で構える。ただそれだけなのだが、すでにエクリプスには、安易に近づくことを許さない、張り詰めた雰囲気があった。
「おいおい…模擬戦だろ?」
ジオーラが呆れて言うと、エクリプスは口の端を上げて笑う。
「模擬戦といえど、相手は手練れの剣士なのですから、それなりの覚悟はないと、失礼にあたるというものです」
それを聞いて、ジオーラはハッとする。
「エクリプス……おまえ、まさか……」
ジオーラが驚いて言葉を詰まらせると、エクリプスは軽く頷いた。それを見て、ジオーラも口角が上がる。
「そうか!そりゃあいい……あたしも、一度本気であんたと戦ってみたいと思っていたんだ」
ジオーラは剣を鞘から抜くと同時に、エクリプスに斬り掛かった。
「いきなりですか…」
エクリプスは苦笑しつつも、ジオーラの剣を自分の剣で受け止める。ガキンッ!という金属音が響いて、二人の剣はかち合ったまま動かない。
「…なるほど……生身で剣を振るというのは、こういう感覚ですか…」
けして軽い力で押し合っている訳ではないが、エクリプスは涼しい顔で冷静に分析している。
「余裕そうにしていられるのも今のうちだぞ!」
ジオーラは、剣の角度を変えてエクリプスの剣から逃れると、一度エクリプスから距離を取っては、再び斬りかかる。先程と違い、短時間に何度も斬撃を加えていく。エクリプスはそれらを全て受け止めたり、受け流したりしていく。
「さすがジオーラですね。どの攻撃も、重くて隙がない…」
「そうは言っても、全部あんたに無効化されてるから、信憑性に欠けるなぁ…」
「ふふ……相手が私でなかったら、とっくに勝負がついていても、おかしくないですよ」
「ほ〜う?エクリプスのほうが、あたしより格上だって言いたいようだなぁ?」
「…おっと!」
ジオーラは更に剣速を上げて、エクリプスに攻撃の隙を与えない。エクリプスは防戦一方を強いられる。
「…流石にこれは……面白くないですね…」
エクリプスはそう言って唐突に力を抜いた。
「!?」
それでジオーラの攻撃は、一瞬透かしたように空振りをする。それでジオーラの体勢が僅かに崩れると、すかさずエクリプスは剣を突き出した。ジオーラの喉にエクリプスの剣先が迫り、ジオーラは反射的に体を仰け反らせて躱したが、勢い余って、そのまま地面に尻餅をついてしまった。
「しまっ…!?」
「勝負あり…ですね」
立ち上がろうとしたジオーラの首筋に剣先を近づけて、エクリプスが笑う。ジオーラはエクリプスを見上げては、悔しそうに唸った。
「……ああ。あたしの負けだ」
エクリプスは剣を鞘に収めると、ジオーラに手を差し伸べる。ジオーラがエクリプスの手を掴むと、エクリプスはジオーラの手を引いて助け起こす。
「……次は負けない」
ジオーラが低い声で呟くと、エクリプスは楽しそうに笑った。
「いつでもお相手しますよ」
その余裕そうな態度が気に食わない。と言う顔でジオーラはエクリプスを睨んだが、エクリプスはただニコニコと笑っただけだった。
「ところで……あたしと模擬戦をした甲斐はあったのか?」
ジオーラが尋ねると、エクリプスは「はい」と頷いた。
「おかげで気持ちがすっきりしました。……これで、オルテンシアと話が出来そうです」
わお!と声を上げそうになって、ジオーラは慌てて口を押さえた。
「…答えが、出たんだな」
「はい」
そう言って頷くエクリプスは、かつてジオーラに、自分のマスターはオルテンシアしかいないと言い切った時のように、揺らがない真っ直ぐな目をしていた。
※
「なんか変だったな…ジオーラ」
オルテンシアは井戸に向かいながら、先程の出来事を振り返っていた。
オルテンシアが目覚めた時、ジオーラはちょうど部屋に戻ってきたところだった。何故か剣を持っていて、どうしたのかと聞けば、「運動がてら剣を振ってたんだ」と答えたが、ジオーラが自分の剣とは別に、エクリプスだった剣も持っていたのが気になった。さりげなく元の場所に戻してくれていたが、何に使ったのだろう?
それに、オルテンシアと同じく目覚めたユースティティアが、オルテンシアと共に洗顔に向かおうとするのを、ジオーラは止めた。理由は話してくれなかったが、オルテンシアが先に一人で行って来いとのことだったので、恐らくはユースティティアと何か話があるのだろうと思って、オルテンシアは深くは考えずに、ここまで来たわけだが……。
「あれ?エクリプス。おはよう!」
井戸の傍には、エクリプスが立っていた。オルテンシアが声を掛けると振り向いて、穏やかに微笑んだ。
「おはようございます」
「オーガストも起きてる?」
「はい。起きてすぐ、家の菜園を見てくると言って出ていきましたよ」
「そうなんだ。元気だねぇー、もうおじいちゃんなのに……私のほうが朝は弱いかも…」
「そうでしたね」
「……え?」
エクリプスの物言いに違和感を覚えて、思わず聞き返す。
「貴女は、一度眠るとなかなか目を覚まされませんでしたね。それで一人旅をしていた時はどうしていたのかと、心配になったりもしましたっけ…」
「ちょ、ちょっと待って、エクリプス!」
「はい?」
「…もしかして……思い…出したの?」
恐る恐るオルテンシアが尋ねると、エクリプスは嬉しそうに頷いた。
「お待たせ致しました。マスター」
「!!」
マスターと呼ばれた瞬間、オルテンシアの中で何とも言えない感情が湧き上がり、それが涙となって溢れ出した。
「…ぅう…」
何か言わなくてはと思い口を開いたが、結局嗚咽しか出て来ない。それで乱暴に腕で涙を拭っていると、フッとエクリプスが笑った気配がした。
「そんなに無理やり擦ると、目が腫れてしまいますよ」
そう言っては、オルテンシアが持っていたタオルを優しく奪っては、オルテンシアの涙を拭ってくれる。
「……ごめん……ありがとう。自分でする…」
オルテンシアは情けないやら恥ずかしいやらで、部屋に駆け戻りたくなったが、泣き顔のまま部屋に戻れば、ジオーラ達が何事かと騒ぎそうだったので、結局そうはせず、エクリプスからタオルを受け取って涙を拭いた。そうしているうちに、徐々に涙は治まってくる。
「なんだか私は、貴女を泣かせてばかりいますね…」
そう言ってエクリプスは、少し困った顔をする。そんな様子がなんだか可笑しくて、オルテンシアの顔に僅かに笑みが浮かんだ。
「ほんと、エクリプスには泣かされてばっかりだ。私、こんなに泣き虫じゃなかったんだよ?」
「……だからですか?私から離れようとしたのは」
「え?」
一瞬思考が止まりかけたが、オルテンシアは慌てて頭と手を振って否定する。
「べ、別に離れようとなんか、してない!ただ……あなたにはまっさらな人生を生きて欲しかった。私に出会う前の……勇者の剣で居られなくなるかもしれないって言ってた程の体験を、無かったことに出来るなら、いいかもしれないって……でも、それは私のエゴだったみたいだけど…」
「そうですね……ただ、貴女が私を想って考えて下さったように、私も貴女が大切ですよ」
「……知ってる」
オルテンシアが呟くと、エクリプスは少し微笑んでは、すぐに真剣な表情になる。
「ずっと、考えていたんです。貴女が私に向けて下さる想いがどのようなもので、私が貴女に向ける想いがどのようなものか……それが同じなのか違うのか……」
「……」
「人間になったからと言って、すぐに答えは分かりませんでしたが、ただ一つ言えるのは、私はこれからも、貴女と共にありたいということです。……ですがそれだけでは、貴女に対する答えには足りないですよね?」
エクリプスはそう言うと、身を屈ませてオルテンシアと目線の高さを合わせ、俯くオルテンシアの顎に指を添えて顔を上げさせる。驚いて目を見開くオルテンシアにゆっくり顔を近づけると、そっと唇を重ねた。しかしそれは、ほんの僅かの出来事で、すぐにエクリプスは顔を離した。
「え、あ……」
オルテンシアは顔を赤くして目を見開いたまま、口をパクパク動かした。
「……本当は、貴女のような未成年には、こんなことはしてはいけないのかもしれませんが……上手い言葉が思いつかなかったので、代わりに。……嫌でしたら謝ります」
「あ……いや……その……」
まるで言葉を考える機能が故障でもしているかのように、オルテンシアには続けるべき言葉が分からない。何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いてきた。
(これ、夢かな…?)
実はまだ自分は宿のベッドの上で、眠っているだけなのかも……けれど、それにしては風に乗って草木の香りはするし、顔が熱い感覚もある。それにさっきの唇の感触だって……とそこまで考えて、オルテンシアはまた顔の温度が上昇する心地がした。
「耳まで真っ赤ですよ?大丈夫ですか?」
「…ぜっんぜん、大丈夫じゃない!」
オルテンシアが吠えると、エクリプスは楽しそうに笑った。それを見ていると、オルテンシアは自分だけが心を掻き乱されているように感じて、気分が悪かった。
「なんでエクリプスは、そんなに普通なの!」
「別に普通でもないですよ?かなり高揚しているほうだと思います。記憶も戻ったし、貴女に想いは伝えられたし……あ、そういえば、こういう答えで良かったですか?」
エクリプスのまったく悪びれない様子にオルテンシアは呆れたが、オルテンシアはふと、いい仕返しを思いついて、にんまり笑った。
「う〜ん。今ひとつかな。ちゃんと言葉にして言ってもらわないと…」
エクリプスは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、やがて微笑んだ。
「わかりました。回りくどい真似をしてすみません。……愛していますよ。オルテンシア」
「っ!?」
思った以上の返答に、オルテンシアは再び言葉を詰まらせた。
「あ…愛してるって……ほ、本当にいいの?私があなたを好きだって言って聞かないから、仕方なくって言うんじゃなくて?」
とても信じられなくて問い詰めると、エクリプスは真面目に頷いた。
「はい。以前は剣でしたが、今はもう人間ですから、断る理由もありませんし……それに、色々考えましたが、やはり貴女は特別でしたから……遠慮するのは、やめようと思ったんです」
「っ!!……そ、そういえば……好きな人にキスをするって知識があったんだね…ちょっと驚いた」
エクリプスの視線が熱を帯びている。そのあまりにも真っ直ぐな視線と言葉に耐えかねて、なんとなく話題を逸らすと、エクリプスは笑った。
「恋人がどういうものかは、イヴァンの例もあって知ってはいましたし、過去のマスターの中には好色な人もいて、よく部屋に女性を招いては…」
「わわっ!ちょ、ちょっとストップ!」
このまま喋らせておくと、何かとんでもない話を聞かされそうな気がして、オルテンシアは慌ててエクリプスの言葉を遮った。
「わかった、わかった!もういいから!」
「?はい…」
エクリプスは不思議そうに首を傾げた。人間になっても、デリカシーがないというか、疎いのは相変わらずのようだ。
(人間になったばかりだし、剣の感覚が抜けきらないのかな?)
知識はあれど、実感がないと言ったところだろうか…。
「……そういえば、オルテンシア」
「なに?」
「私が作った料理の中で、貴女が一番好きなものって、何だったんですか?」
「ああ…そんな話もしたっけ……私がそれを作ってあげるって」
「はい」
「えっとね〜……」
オルテンシアは少し勿体ぶるようにしてから、ニッ!と笑った。
「パンケーキ!」
「……そんな簡単なものが一番なんですか?」
「そ!簡単だけど、それゆえに個人差が出るって言うのかな……とにかく、私はエクリプスが焼いてくれるパンケーキが一番好きだよ!」
そう言って屈託なく笑うオルテンシアを、エクリプスは苦しそうに見る。
「まったく貴女は……」
そう呟くと、エクリプスはオルテンシアを引き寄せて抱きしめた。
「ど、どうしたの?エクリプス」
「急に、そんな可愛らしいことを言わないで下さい」
「ご、ごめん…?」
そんなに変なことを言ったつもりはないのだけど…と思ったオルテンシアだったが、ひとまず謝っておく。
エクリプスは、そんなオルテンシアの髪を優しく撫でる。
「……オルテンシア」
「なに?」
「私を自由にして下さり、ありがとうございます」
エクリプスは、オルテンシアから少し体を離すと、真剣な眼差しで言う。それに対して、オルテンシアは満面の笑顔を向けた。
「私だけの力じゃないけど……どういたしまして!」
「いいえ。これは紛れもなく、貴女が引き寄せた結果です。貴女は本当に、強くて優しくて、気高い女性ですよ」
「…気高いは言い過ぎだよ…」
オルテンシアは顔を赤くして、目線を逸らす。エクリプスは軽く微笑むと、その場に跪く。オルテンシアの右手を取ると、その手の甲にキスを落とした。
「このご恩は、私の生涯をかけてお返しします。……ですからどうか、これからも傍に居させて下さい」
オルテンシア微笑んでは、エクリプスと同じように膝をついて目線を合わせた。
「もう私たちは、マスターでも剣でもないんだから、恩を返すとか、そういうんじゃなくてさ。あなたには、同じ目線で隣り合って、楽しいことも辛いことも共有して、一緒に乗り越える……そうやって、ただ人生を楽しむ為のパートナーであってほしい……そういう感じじゃ、ダメかな?」
エクリプスはハッと目を見開いては、やがて嬉しそうに微笑んだ。
「いいえ……それは、とても素敵なことですね」
「なら、もうそんなに畏まらないで。……私のこと、好きなんだよね?」
「はい。愛しています」
相変わらずの真っ直ぐな物言いに、オルテンシアは落ち着かない。当分慣れそうにないと思いながらも、「じゃあ、立場は対等にしなきゃ。私たちは、お互いが好きだから、一緒にいるんだよ」と言って、エクリプスの手を握る。エクリプスもその手を握り返して、「はい」と微笑んだ。
少しの間、そうして手を握っていたが、「…さて」と不意にエクリプスは言っては、立ち上がって宿のほうに目線を向けた。
「?……あ、」
釣られて宿のほうを見たオルテンシアは、物陰に隠れながら時々こちらを覗き見る、ユースティティアとジオーラを見て絶句した。
「いつからあそこに…」
「ほんの少し前からですよ」
「気づいてたなら、早く言ってよ!恥ずかしい」
どこからどこまでを見られていたのかと、オルテンシアは内心は穏やかではなかったが、二人にはたくさん心配をかけたのだし、仕方がないと思うことにした。それで二人に目を向けると、二人は笑顔で頷いた。
オルテンシアは、なんとも胸の奥が温かくなる心地がして、思わず二人の元へと駆けて行った。
「悪いな。覗き見するような真似をして…」
ジオーラが居心地悪そうに謝り、「ごめんなさい…ちょっと、心配で…」と、ユースティティアも倣った。
「ううん!私こそ、いっぱい心配かけてるし…」
どこか晴れやかな様子のオルテンシアに、二人は驚いたが、やがて互いに目配せしては、頷いた。
「その様子だと、エクリプスと上手く話せたんだな?」
「うん!」
「アンちゃんの顔を見るに大丈夫そうですけど……どうなりました?」
ユースティティアが恐る恐る聞くと、オルテンシアはにっこり笑った。
「二人の言う通りだった。……愛してるって、言ってもらえた」
最後はちょっと、はにかみながらになって、顔が赤くなる。ジオーラとユースティティアは快哉を叫ぶ。ジオーラはオルテンシアの背中をバシバシ叩くし、ユースティティアは泣いていたりで、なんだか物凄い騒ぎである。
「なんだか楽しそうですね」
そこへエクリプスがやって来た。
「よう。エクリプス。オルテンシアを幸せにしてやれよ……って、これは言い過ぎか」
ジオーラは冗談めかして言ったが、エクリプスは真面目な顔をして、「ご心配なく。必ず幸せにしてみせます」と返した。これには、ジオーラのほうがたじろいだ。
「ったく……ほんとにあんたはいつも、真っ直ぐだね」
「……なんか、聞いているほうが恥ずかしいですよね…」
ユースティティアは顔を赤くしている。そしてそれは、オルテンシアも同じだったようで、「そ、それよりもっ!これからのことなんだけど!」と話を切り替えた。
「気ままに世界一周なんて、どう?」
皆一瞬の沈黙の後、
「そいつは楽しそうだな!乗った!」とジオーラは嬉しそうに言って、ユースティティアも「私も、行きたいです」と微笑んだ。
「……儂は、置いてきぼりかのう?」
その時、オーガストがやってきた。菜園で収穫したのか、バスケットに色とりどりの野菜が入っている。
「もちろん!オーガストも一緒に行こう!」
オルテンシアがオーガストの手を取ると、オーガストは「そう来なくてはな」と笑った。
「おいおい…大丈夫か?オーガスト」
ジオーラが心配そうにすると、オーガストは鼻を鳴らす。
「魔法使いを舐めないことじゃ。年季が入れば入るほど魔力は上がるものなんじゃ」
「いや、あたしは別に、魔力の心配をしているんじゃなくてな…」
呆れた様子でジオーラが呟いたが、オーガストが睨んできたので、それ以上は言わなかった。
そんな仲間たちの様子を見て、エクリプスは微笑んだ。
「では、またみんなで冒険と行きましょうか」
魔王や魔族がいなくなった世界……本来の自由を取り戻した世界には、どんな未知が溢れているのか……オルテンシアは、期待に胸を膨らませる。そんなオルテンシアの気持ちに呼応するように、頭上の太陽は、明るく輝いているのだった。
完
お読み頂き、ありがとうございました。
本来、浮浪少女と勇者の剣は、オルテンシアが魔王を倒すのと同時にエクリプスの自我が消失する設定でした。しかし、いざ書いていると、二人の想いが強すぎて、結局エクリプスは消えずに残り、更にはその先の物語を語り始めたので、作者が根負けして、外伝という形で、続きを書かされることになりましたw
二人の気持ちに焦点を当てて書いていたので、他のキャラクターが薄いとか、説明や迷っている描写が多くてくどいと思われそうだなと思っておりますが、そこは大目に見て下さるとありがたいです。
長くなりましたが、この物語が少しでも、皆様に楽しさを提供出来れば幸いです。