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「浮浪少女と勇者の剣」のその後のお話になります。先にそちらを読まれてから、読むことをおすすめします。
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「あ~眠い!!」
オルテンシアは、そう言いながら長机に突っ伏した。オルテンシアの両脇には、うず高く積まれた本が並んでいる。
「少し休まれてはいかがですか?続きは私が見ておきますので」
そんなオルテンシアの隣で、エクリプスが微笑んだ。するとガバッ!とオルテンシアは勢いよく飛び起きる。
「いや!エクリプスを人間にするって言ったのは私だし、私がエクリプスより先に休んじゃダメだ!」
「たいした責任感ですが、その考えでは、貴女は永遠に休めないのではないですか?」
「……確かに…」
エクリプスは睡眠も休息も必要ない。そもそも疲労を感じたりしないのだ。
「お気持ちはありがたいですが、もともと見つかるかどうかも怪しい話です。そんなに根を詰めては、体が持ちませんよ。時間はたっぷりあるのですから、ゆっくり探しましょう?」
「……うん」
オルテンシアはとうとう折れて、席を立つと、軽く体を伸ばした。
ここは、トゥーベ国の首都にある国立の図書館だった。地下二階、地上三階建ての大きな図書館で、世界中から集められた貴重な文献が数多く所蔵されている。
魔王を倒して早二ヶ月が過ぎようとする今日このごろ、オルテンシア達は、本格的にエクリプスを人間にする為の方法を探しにやってきていた。しかし、調べていく中で、剣が人格を持つということ自体が他に類を見ない現象らしく、なかなかこれといった糸口が見つからなかった。オルテンシアとエクリプスは、魔術書を中心に読んでいたが、暗号化されていたりして読めないものも多く、オーガストに解読してもらいながら読んでいたので、読み進める速度は、どうしても遅くなってしまう。
そんな様子が、もう三日は続いている。
「やあ、アン。そっちはどうだい?」
そこへ、ジオーラがニコニコしながらやってきた。こういうときは、ジオーラもオルテンシアと同じく、本を眺めるのに飽きた証拠だと、この三日でオルテンシアには分かるようになっていた。
「ぜーんぜん、ダメ!お手上げ!」
「そっか。あたしもだ。ユースティティアは本が好きみたいで、ちょくちょく、あたしが声をかけても気づかないくらい集中して読み出しちゃうから暇だし、良さそうな本があっても、別の本と似たようなことが書いてあるやつばっかりだし……」
「だよね~」
ジオーラとオルテンシアは、顔を見合わせては、同時に溜め息をついた。
そんな二人の様子を見て、エクリプスはクスリと笑う。
「なんだよ~エクリプス。人が困ってるって言うのにさぁ~」
ジオーラが膨れっ面でエクリプスに歩み寄る。
「すみません。何だか微笑ましくって…」
「困ってるのが微笑ましいって、どういうことだ?」
ジオーラは首を捻ったが、オルテンシアには、エクリプスの言わんとすることが、なんとなく分かる気がした。
魔王を倒してからというもの、オルテンシア達は『勇者一行』から、エクリプスを人間にするという未知を探求する『冒険者』になった。これまでは旅をしていても魔族の動向に気を配っており、心の底から旅を楽しんだり出来なかった。ふざけたり、調子の良い会話をしていても、どこかで魔族の影を恐れ、警戒している緊張感はあったように思う。
その緊張感がないだけで、今は皆が等身大の自分で居られている気がする。
(だけど…)
しかし、世界を見渡せば、まだけして穏やかとは言えなかった。
魔王のいない今、新たな体制を作る国がある一方、魔王側に下っていた国とそうでない国との間で戦いやら、内乱やらが勃発していた。元々中立だったトゥーベは変わらないが、他の国や地域では混乱が続いている。そうした混乱を収める為、あるいは混乱に乗じて覇権を取りたい国などでは、エクリプスを望む声も聞こえていた。
魔王を倒したあの日、今の状況を危惧したオーガストの提案で、エクリプスは魔王を倒した後に剣としての力の全てを失ったことにした。そうやって逃げているうちに、人間になることが出来れば、嘘も真になると言うものだ。
その甲斐あってか、今の所はトラブルに巻き込まれることはなかった。
「ジオーラもオルテンシアも疲れているようですし、いったん切り上げてお茶にでもしましょうか?」
「いいね!」
「おう!」
エクリプスの提案に二人は嬉々として賛同し、三人で残りの仲間たちの元へと向かった。
それぞれ本棚を見て回っていたオーガスト、ユースティティアと合流し、一行は図書館内に併設されているカフェにやってきた。コーヒーや紅茶などに加え、軽食からデザートまで幅広いメニューを扱っているカフェで、テイクアウトも出来る仕様になっていた。まだ昼までには時間があるとはいえ、なかなかの賑わいぶりだ。
「いやぁ~、ここのサンドイッチはうまいな〜!普段使わない頭を使ったから、余計にうまい!」
ジオーラがトマトやレタスとハムが入った肉厚なサンドイッチを頬張りながら、幸せそうな笑顔を浮かべる。
「よかったね」
オルテンシアも相づちを打ちながら、こちらは玉子のサンドイッチを食べている。
「…さて。ここらで少し状況を整理してみんか?」
皆がひと心地つくまで待ってからオーガストが問うと、皆一様に頷いた。
「では、エクリプスさんのことで分かっていることをまとめましょうか」
ユースティティアはそういうと、ノートを開き、情報を書き連ねていく。
エクリプスについて
・魔王から斬り落とされた指を材料に作られた剣。
・人の姿になることが出来て意思があるが、
食事や睡眠などは必要ない。
・魔族を倒すほど魔力が強くなり、魔族の力を
使う事が出来る。
・魔王を倒しても、自我が消えずに残った。
「こんな感じですかね?」
ユースティティアが書いた情報を眺めながら、オルテンシアは唸った。
「魔王を倒すのに集中していたから仕方ないけど、何だかんだ言って、分からないことが多いよね」
「……そもそも、魔王とはどういう存在だったのでしょう?」
ユースティティアが首を捻ると、これにはエクリプスが答えた。
「私が聞いたところによると、魔王はある欲深い人間が、自分の望みを叶えるために召喚した悪魔だったそうです。しかし、召喚者の力では制御出来ずに殺され、悪魔は魔王としてこの世界で自由に振る舞い始めたそうです」
「召喚された悪魔なら、何某かの制約があったり、呪文で魔界に返したり出来たんじゃないのか?」
ジオーラが苦い顔をする。その反応を予想していたように、エクリプスは頷いた。
「だからこそ、魔王は悪魔召喚に関わる魔術書を燃やしたり、隠したりしたと言います。召喚者を殺したことで、魔王が何の悪魔だったのかは分からなくなり、魔界に返しようがなかったようです。おまけに、教会関係者も殺していましたし…」
「なるほど…」
「……地下なら、処分されずに残っている本があったりするかも…」
ユースティティアがポツリと呟くが、
「いや、地下は難しかろうよ。入るには、国に定められた管理者達の許可がいる。貴重な歴史の資料もあるから、よほどのことがない限りは、儂らのような一般人には立ち入れないじゃろう」
オーガストが言うと、何となく皆は黙った。皆次の行動について思案している様子だ。
「……そう言えば、前にオーガストが言ってた"別の生き物として生まれ直す方法"って、どこで聞いたの?」
オルテンシアの問にオーガストはハッとする。
「ああ、そういえば、そんな話もしたのう。あれは、たしか……本で読んだのじゃ。魔法薬の勉強をしていた時に、魔法生物に関する本を読んでな。そこに書いておった」
「魔法生物?」
「魔王が生み出した魔物とは違い、初めから世界にいた生き物です。妖精や精霊などのことです」
いまいちついていけないオルテンシアに、エクリプスが補足する。
「ああ、なるほど!って…本当にいるの?妖精って」
「おるぞ。なかなか人前には姿を現さぬが、魔法使いとは縁が深いのじゃ。カザンにも様々な種類の精霊が暮らしておる」
「へぇー!」
オルテンシアが目を輝かせると、オーガストが笑う。
「機会があれば、紹介しよう」
「うん!」
「儂の読んだ本は、確か家の書庫にあったはずじゃ」
「なら、オーガストの家に行ってみたほうがいいな!」
ジオーラが何故か嬉々として言った。
「ジオーラ、随分と嬉しそうにしてるね」
ユースティティアがツッコむと、ジオーラは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いやぁ~その……本を探すのが結構キツくてな…あたし、じっとしてるのが苦手だから…」
「……実を言うと、私も…」
オルテンシアもおずおずと手を挙げる。
「だよな!」
仲間を得て、ジオーラは嬉しそうに隣のオルテンシアの肩に腕を回す。ジオーラの力に負けて、オルテンシアの体は傾いた。
「わわっ!」
オルテンシアが声を上げるが、ジオーラは構わず腕を回したままだった。何だかペットのような扱われ方をしている気がしたが、そんな様子を周りはニコニコしながら見ていた。
「ふむ。それも良いが、恐らくこの図書館にもあるじゃろう。ちょっと棚を見てくるから、皆はここで待っていなされ」
そう言ってオーガストは席を立つ。そして足早に書棚へと向って行った。その様子を見て、ジオーラは苦笑する。
「オーガストは疲れないんだな…」
「というか…好きなんじゃない?調べ事するの」
ジオーラの腕からやっと解放されたオルテンシアが言うと、「なるほどな」とジオーラは笑った。
少しして、オーガストが戻ってきた。年季の入った一冊の本を抱えている。
「これじゃ」
そう言ってオーガストがテーブルに置いた本には、『魔法生物の生態について』と書かれていた。オーガストは本のページを幾らかめくり、皆にとあるページを見せた。そこには、普通の動物を魔法生物として転生させた例が説明されている。
「普通の動物を魔法生物に?そんな、まさか…」
エクリプスは信じられないという様子だったし、ジオーラも驚いていた。ユースティティアも、不思議そうに首を傾げている。
「そうじゃな。儂もそんな例には出会ったことがない。そもそも、儂は魔法を使ったり魔法薬を作ったりする方が主じゃったから、魔法生物に関しては専門外での。詳しくは分からんが……この本の作者には聞き覚えがある。かなりの人嫌いで有名で、魔法使いの間でも変人扱いじゃったらしい。故に経歴は詳しく伝わっておらぬが、魔法生物の権威と呼ばれているようじゃ……この人物に会えればもしくは…」
「ちょ、ちょっと待って!この本の作者って、生きてるの?」
オルテンシアが声を上げると、オーガストは髭を一撫でする。
「ふむ。死んだとは聞かぬから、まだ生きておるじゃろう」
「ですが……この本の発行日の年数は三十年は前のものですし……生きておられたとしても、相当高齢なのではないでしょうか?」
ユースティティアは、本の最後のページに印字された数字を見て言った。
「でも、調べてみる価値はあるだろ?ギルドとかあたって、探してみよう!」
ジオーラはやる気を出している。
オルテンシアはその横で、本に書かれた作者の名前を見つめた。
「クリュー……ソプラソス」
この人物が、カギになるだろうか?ぜひ、そうであって欲しいと、オルテンシアは祈るように手を組み合わせた。