勇者パーティの料理番〜フィールドキッチンは忙しい〜
木漏れ日の差し込む森の中、一筋の白煙を立ち上らせるのは、森という自然の中に似つかわしくない鉄の馬車だ。
馬車というには疑問は残る。おおよそ人を乗せるような形状や大きさではなくて、荷物を乗せられるかといえばそうではない。
荷物も乗せられず、馬に引かせるだけの馬車が何の役に立つか、それはこれの役目を知ることが必要だろう。
「ヤリック、戻ったぞ。もう出来た頃か?」
茂みを掻き分けて現れたのは、精悍な顔を煤けさせた1人の青年。
左肩を覆うペリースの下に見える鈍い鉄色の鎧は各所に傷と凹みがついて、美麗さなどかけらもない。
それは彼が見かけの騎士様などではなく、真の戦士であろうとする心意気の現れといえよう。
「アレン、お帰り。メインはみんなの帰りを待っていたところさ」
アレン・ローセンブラードは嬉しそうな顔をしていた。
彼は王国の第二王子という身分にありながら武芸に優れ、辺境において魔族の侵攻を阻み続けてきた。
時に軍を率い、時に自ら少数精鋭部隊を率いて敵地へ乗り込み、敵将の首級を上げてきた。
そんなアレンはいつしか東方の勇者の称号を与えられ、この国において勇者といえばアレンを指すのが一般的になりつつあった。
そんなアレンの率いる偵察部隊に組み込まれた僕、ヤリックことヤロスラフは特に武芸へ秀でているわけではない。
剣なんて振りはするけど対して上手くはないし、恐らく前線に出れば脚を引っ張る。
アレンの偵察隊には王国近衛騎士団から選抜された閃光の双剣士ヨエル、王国の魔術研究機関から派遣されてきた残雪の魔女エレオノーラ、更には治癒と解呪のエキスパートである聖女マレーナと、王国に名だたる人材が揃っている。
そんな中で無名も無名、武術に魔術、何一つ目立つところのない僕が選抜された理由こそ、この馬車の発明によるところが大きい。
「もーお腹減ったー!ヤリック、早くご飯ー!」
残雪の魔女、などとより恐れられるエレオノーラは残雪の名の元である美しい銀髪を振り乱して食事をねだる。
お腹が減るといつもこうだ。名前とイメージが先行しているけれど、彼女は結構無邪気なところが多い。
「ノーラ、はしたないですよ」
「レーナもお腹鳴らしてたじゃん、もうここに着くまでずーっといい匂いしてるんだから!」
「……ヤリック、今日のメニューは?」
両手で剣を振るう剛腕、寡黙で筋骨隆々な戦士であるヨエルさえ、口に出すのは食事の話題。
そして、その目はチラチラと馬車に向いていた。
アレンさえニコニコしながらも目は馬車に釘付け。これはそろそろ準備をしないと反乱が起こるかもしれない。
「それじゃあ、そろそろ頃合いかな」
馬車は金属製で、まずは側面の扉を開く。
たちまち熱気が溢れ出て、遅れて香ばしい香りがあたりに舞い散る。
中で鉄板に乗せられた白パンは程よい焼き目をつけて膨れ上がり、今日もその出来は完璧だった。
「白パンじゃない!久しぶりね!」
「このところ無発酵の堅パンでみんなうんざりしてたでしょ?移動中に生地を発酵させてたんだ」
つまみ食いしようと手を伸ばすエレオノーラだが、その手はヨエルに阻まれる。
華やかな近衛騎士というよりも無骨な軍人である彼はその日の食事が粗末であろうと文句を言うことはない。
だからといって、いい食事を喜ばないわけではない。その証拠に、なかなか大きくお腹を鳴らしていたのだから。
「ヤリック、もちろんパンだけじゃないんだろう?」
「そうとも、昨日猪を仕留めてくれたアレンのおかげで、まずはお肉ゴロゴロのトマトスープ。野菜が苦手なノーラのために、野菜も刻んで入れてるよ」
今度は馬車上部に嵌め込まれた鍋の蓋を開いてみせる。
立ち上る湯気と真っ赤なスープの香る酸味がみんなの顔を惹きつけた。
もっとこの香りに包まれていたい、そう訴えかけるような顔つきに、笑みを浮かべずにはいられない。
「ヤリックがスープにすると、不思議と食べられるのよねぇ」
「細かくしてスープと一緒に飲めるようにしたり、味の濃いスープで臭みを消してるからね。苦労したんだよ?」
メンバーの好みを把握して調理して、受け入れられるようになるまでどれほど苦労したか。
それもこうして笑顔につながるならば、何にも勝る報酬になる。
「それじゃあみんな、飯盒を出して。メインはお待ちかね、猪肉の鉄板焼きだ。目の前で焼くよ」
鍋の横に設置されている鉄板は既に加熱され、落とした脂身が弾ける。
この馬車の下部にはかまどが仕込まれていて、オーブンに鍋、鉄板の機能を備えている。
いつでもどこでも美味しい料理を、鍛治職人の兄に無理難題を言って、最後は出来ないのと煽って作ってもらった自慢の馬車。
それがこのフィールドキッチンで、僕の武器なんだ。
特別な力はないけれど、今のところ僕にしかない特別な武器だ。
厚切りの肉が鉄板の上で色を変え、焼けていく音と香りに戦いで疲れ果てたみんなの目が爛々と輝く。
飯盒によそったスープとパンは既に半分が胃に消えたようで、もっと食べたいところをメインディッシュのために我慢して残しているらしい。
「猪肉はしっかり火を通して……でも、固くならないように……」
慎重に焼き加減を見て、裏返す。
さらに黒胡椒を垂らして、バターを一切れ落とせば殆ど出来上がりだ。
それを切り分けてみんなの飯盒に盛り付けていけば、冷めないうちにとそれへ喰らいつく姿が見れる。
言葉を発する余裕もないらしい。それはそれで、食事に夢中になってくれている証拠だ。
「ふふ、なんだか贅沢ですね。粗食にも耐えてお役目を果たすつもりで来たのに、まるでピクニックです」
マレーナは外でもずいぶん優雅に食事をする。
パンを細かく千切って口に運び、スープも丁寧にスプーンで掬うし、肉はちゃんと切る。
隣でエレオノーラは我慢できずにスープを啜っているし、肉には齧り付いているのとは大違いだろう。
「ほんっとに変わらず丁寧な食べ方するわね?おかわりなくなるわよ」
「お前も少しは慎みを覚えればどうだ」
「うるさいわね、ヨエルだってパンに肉乗せてかぶりついてるじゃない!」
「これが美味いんだ、お前もやってみろ」
もちろんエレオノーラは真似したし、それがいたく気に入ったであろうことは表情からしてわかる。
こんなに騒がしきチームのリーダーたるアレンは、やはり戦場慣れした豪快な食べ方ながらも仲間たちの様子を見て楽しそうに笑っていた。
「ヤリックを迎え入れて半年か、我ながら慧眼だったよ」
「買い被りすぎだって」
そう言いながらアレンの隣に座って、僕も食事にありついた。
王族と肩を並べて食事をした、なんて平民からしたら一生の自慢話になるだろう。
僕はそれを、数え切れないくらい体験してきた。
「いやいや、今までの食事を知ってるだろう?」
「石みたいな堅パンにマズい干し肉、あとは豆の破片が浮いた塩水だっけ?」
「豆のスープだ……まあ、ヤリックからすれば塩水か」
迎え入れられたその日はまだ食材の準備がなく、彼らが普段食べている携行食を分けてもらったことを思い出す。
堅パンが硬すぎて前歯が折れて、マレーナに治癒魔法をかけてもらったのはいい思い出だ。
「みんな死んだ顔をして食べてたもん」
「肩パンで前歯が折れたのはお前とエレオノーラくらいだけどなぁ」
「スープが染み込まないパンなんて初めて見たもん」
「そのくらい水分を飛ばさなきゃ腐るんだ。アレで釘を打ったって話も聞くぞ」
そりゃ石だよ、と答えながら肉を噛みちぎり、旨味で脳を刺激する。
明日は何を作るか、既に脳味噌は次のメニューを思い浮かべていた。
「で、たまらず村で屋台をやってた僕を雇った、なんてね」
最初は屋台のつもりだった。
故郷は農村であり、村人は畑仕事に精を出す。
もちろん畑は大きいから、家と畑を往復するだけでもかなりの距離になる。
だから、このフィールドキッチンであちこちの畑に出来立ての食事を作って運ぶ、そんな商売を思いついたのだ。
まさか、たまたま立ち寄った勇者御一行様のお眼鏡に適って雇われるとは、夢にも思っていなかったけれど。
「流石に唐突すぎだよ、みんなびっくりしたんじゃない?」
「相談はしたさ。反対すると思うか?」
「あの携行食食べた後じゃ、反対する気にならないね」
「満場一致の賛成、むしろ引き抜けなきゃ殺すって言われたね。それで、期待以上の働きを見せてくれた。おかげで僕らは万全のコンディションで戦いに臨めるってわけ」
「そこまでのことはしてないと思うけどなぁ。ただの飯炊きだよ?」
「僕らは人の笑顔は守れるけど、作り出すことはできない。でもヤリックの食事なら、作り出すことができる」
そうだろう?とアレンは指先で僕の胸を突く。
「思い出してみてくれ。魔物に襲われた村で、戦後に炊き出しをした時の事だ。村人の顔はどうだった?」
半年前だったか、ゴブリンに襲われた村へ救援に行ったことがあった。
村人は無事だったが、畑は荒らされて家も焼け落ち、生き残ったのに死んだ顔をした村人が茫然としていたのを思い出す。
「その顔を笑顔にしたのは誰だ?」
飯にしよう、そう言い出したのはアレンだった。
僕がフィールドキッチンでご飯を作る間、ヨエルは慣れない手つきで野菜を切ってくれたし、エレオノーラが火の番をやってくれたっけ。
マレーナとアレンは村人の慰撫をしてくれていたから、調理に直接は関わっていないけれど、大した混乱にならなかったのは2人のおかげだろう。
「手伝いはしたけど、最後はお前だ。ヤリックがいなければ何もならなかったさ」
挽肉の麦粥だったけれど、焼け出された村人が口にした温かい食事はどれほどの旨味だっただろうか。
彼らの喜びと、涙顔が忘れられない。
「今際の兵士に故郷の料理を作ったこともあったな。あの顔、覚えてるか?」
「ああ、忘れたことはないよ」
「お袋の味だ、って泣いていたもんな」
目も見えなくなって、死を待つばかりの兵士が涙ながらに故郷の料理が食べたいと言っていた。
それがあまりにも不憫だったから、聞きかじりで作ってみたんだっけ。
「確かにヤリックは戦えるわけじゃないけど……お前だからできること、戦えることがあるのは忘れないでくれよ」
「……わかった」
その言葉はまだ飲み込みきれなくて、取っておくことにした。
飲み込めるほどに咀嚼できたら、またその味を思い返すことにしよう。
そうなるまでには、まだまだ若造すぎたんだ。
――――
「夢……?」
ある日のことを夢に見ていた気がする。
それとも、死に際の走馬灯ってやつなんだろうか。
手には包丁でなく剣があって、身体中の傷からジクジクと血が滲み、痛みが体を蝕んでいく。
「あ……」
傍にはゴブリンの死体が幾つも転がっていて、その体に刻まれた斜めの深い傷はこの剣がつけた傷に他ならない。
そうだ、調理中に襲撃されて、たった1人で必死に戦っていたんだっけ。
自分の身を守れるように、ってヨエルが空いた時間にトレーニングをつけてくれた甲斐があった。
頭を殴られて失神して、失血でぼんやりはしていたけれども、みんなが帰る場所はちゃんと守ったんだ。
でも傷が深くて、出血は止まらない。
すぐに致命傷となるような出血ではないけど、止まらなければいずれそうなる。
頭がぼんやりとしてきた。
失血の症状だ。つまり、そろそろまずいってこと。
それなのにガサガサと茂みが揺れて、何かの接近を告げる。
もう足が立たない。
でも抗わなきゃ。
ここを守るのが役目だから。
みんなの戻る場所を守る。国と国民を守る、みんなの場所を。
何の力も持たないちっぽけな僕が守る、大きな場所。
だから、そのために命などいるか。
そうして震える手で剣を構えて、覚悟を決めた。
でも現れたのはゴブリンじゃなくて、傷つきながらも何とか戻ってきた、ヨエルたちだった。
「ヨエル……無事だった?」
「ボロボロだ。レーナの治癒術式でも間に合わん」
ヨエルに守られるようにしてついてきたエレオノーラとマレーナも少なからず傷を負っていた。
本来はアレンとヨエルの後ろで支援に徹する2人まで負傷するなんて、よっぽどの戦いだったらしい。
「ヤリックも、かなりの手傷ではないですか……すぐ、楽にしますから」
「……レーナも限界でしょ?僕のことは、気にしないで……」
多分、この傷は普通なら助からない。
マレーナの治癒術なら助かるかもしれないけれど、その分消耗も大きいはずだ。
「ダメです。仲間が傷ついているなら、それを癒すのが私の役目ですから」
「助かるよ。ところで、アレンは?」
「……俺たちを逃すため、しんがりになった」
ヨエルは目を背け、絞り出すように言葉を紡ぐ。
エレオノーラとマレーナに言わせるには残酷すぎると、不器用な彼なりの優しさだろう。
僕は言葉を失った。
しんがりは味方が逃げるための時間稼ぎが役目で、その役目からして味方の支援を得ることはできない事が殆どだ。
そしてアレンは自らそれを買って出た。
自らの帰還を引き換えにする、それを分かった上で。
「アレン……」
あの日のことを思い出していた。
僕だからできること、戦えることがあると言っていた日のことを。
それを理解した。
だから、剣を捨てた。
僕の手に必要なのは剣じゃなくて包丁で、盾よりも鍋蓋が必要なんだ。
まだふらつく体を無理矢理起こして、フィールドキッチンに火を灯す。
「ヤリック……?何してるのよ」
「飯だよ、飯を作らなきゃ」
「何言ってるのよ、あんたボロボロで……こんな時に料理したって」
「うるさい!」
エレオノーラは身を震わせる。
そうだろう、僕が怒鳴るなんてこれが初めてなんだから。
「そんなボロボロの身体で、堅パンが齧れるの?栄養だって、足りるわけないだろう……!」
傷は塞がっても失血は治らない。
ふらつく頭を無理矢理起こし、足の力が抜けるならば寄りかかってでも立ち上がる。
包丁を振るい、鍋の中で材料を煮込む。それだけの作業でもかなりの苦痛に感じるが、投げ出すわけにはいかない。
「それに、アレンは帰ってくる。きっとボロボロで、腹ペコでさ!そんな時にこれしかないって、みんながマズイって言ってた堅パンを食べろって出すの!?」
きっと、精神は限界だろう。
疲労で動けなくなりそうな身体を無理矢理動かしているに違いない。
そんなアレンに、粗末な食事を食わせてなるものか。
「みんなが前で戦うように、ここが……この場所が僕の戦場だ!逃げてたまるか!」
みんなは傷付きながら戦ってきた。
ならばこの程度の傷で自分の役目を放り出してなるものか。
声が止んだ。
呆気に取られる仲間たちを尻目に、僕は鍋をかき回す。
アレンの好物、肉たっぷりのシチューを作って、その帰りを待つんだ。
いい匂いがすれば、お腹を空かしたアレンにきっとわかる。
帰り道はここだ、そう示すんだ。
立ち上る一筋の炊煙を導に。
疲労と熱に蝕まれても、手を止めるものか。
他にも疲れた仲間たちが、腹を減らしてそこにいるんだから。
だからシチューを煮込み続ける。
その合間にパンを焼きながら。
あとすこし、もう少しで出来るから。
「みんな、飯盒出して」
待ち続けたその時。
力のない手で差し出された飯盒にシチューとパンを盛り付けていけば、その手に僅かながら力が宿るように見えた。
きっと早く食べたくてしょうがないんだ。
さあ食べてくれ、そうを声をかけようとした瞬間、茂みがガサガサと揺れ動き、みんなは一斉に武器を構えてそこへ向く。
僕だけが背中を向けて、お玉でシチューを掬い取っていた。
「いい匂いだね……腹減ってるんだ、食べ物はあるかい?」
少しだけ口元を綻ばせた。
やっぱり、腹ペコで帰ってきたじゃないか。
「ちょうど出来たところさ。さあ、飯盒を出して」
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