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8 後日談 遮る川もないなら

本編から少しあとくらいの後日談、七夕の日のお話



 7月7日、新暦だけど一応七夕。

 そっか……七夕か……。

 会いたいな。

 わたしは最近彼氏と彼女の関係になった、谷原崇明さん、たーさんを想った。


 ちょっとだけでも会いたいなぁ。

 でも平日だし、いきなり当日こんな事言っても良いのかなぁ。

 うん、平日にいきなりって良くないよね。

 お互い、平日は普通に働いているのだ。

 ここ最近知ったことだが、たーさんは残業もちょくちょく入って帰宅が遅くなることもよくあるし、わたしよりも忙しいことが多い。

 

 でも、七夕だしなぁ。

 だからなんだ、と思わなくない。毎年笹を飾ったり、短冊を書いたりしているわけではない。というよりも、さっきまで忘れていた。それなのに理由にするなんて、我ながら勝手も良いところだ。

 

 でも、会いたいなぁ。


 たーさんに、「すーちゃん」て呼んでほしいなぁ。

 

 

 

 なんて考えていた午後、すこしだけ就業時間が過ぎた仕事終わりにスマートフォンを観れば、メッセージのアプリの通知が入っていた。たーさんからだ。

 あれ? こんな時間になんだろう。


 アプリを開いてみれば、少し前、16時頃送ってくれていたようだ。

 休憩時間に送ってくれたのかな。


『お疲れ様。急だけど、今日夕方会えないかな』


 わたしは画面を見てフリーズした。

 え?

 ほんとに?


 びっくりした。あんまりぐずぐず考えていたから、一瞬、自分の妄想が具現化してしまったかと思った。


 もう一度画面を観れば、間違いなくメッセージが来ている。それを確認したら、今度は混乱した。


 うそ!?

 なんでもっと早くチェックしなかったんだろう、わたし!

 そんなことより返事!

 返事しなくちゃ!

 間に合うかな!?


 急いで返信を打った。

 


『お疲れ様です。今、仕事終わりました。会えます』


 ちょっとだけ迷って、メッセージの次にすぐ、会いたい、のスタンプも送る。


 急ぎ足で廊下を抜け、会社の外へ出た。駐車場を急ぎ足で真っ直ぐ自分の車を目指し、車の中に入ってスマホのロックを外す。

 少し息が切れている。まずい運動不足が深刻だ。いやこれは、違う。別の理由の息切れだ。驚きと甘いなにかで心臓がバクバク言ってる。


 そのまま視線を画面に待機させていれば、すぐ既読がついて、ぽこんと返信が来た。


『お疲れ様。良かったら、ご飯はどう? 大丈夫かな?』

『大丈夫です!』


 すぐさま返信する。

 ぽこん、と返ってくるメッセージ。


『今、電話いい?』

『大丈夫です!』

 

 『た』で出てきた予測変換のまま脊髄反射か、というような素早さで送れば、これも送ったそばから既読になって、次の瞬間電話が掛かってきた。

 あわあわと通話のマークをタップ。


「お疲れ様」


 スマートフォンから聞こえる声に、胸がぎゅっとなる。 ああ、たーさんだ。


「お疲れ様です」


 自分でも声が弾んでいるのがわかった。


「急にごめんな。なんか会いたくて。ほんとうに予定は大丈夫だった?」


 たーさんの声が深いのは電波の具合じゃない、と思う。


「わ、わたしも会いたかったので、嬉しいデス」


 声が滲んだ瞬間の、脳内広がるなんともいえない高揚感にわたわたしながら、ふわふわしたまま素直な言葉を返す。声は上ずり、震えてしまった。一瞬にして体温が上がる。会いたい気持ちを言葉にするカロリー、絶対高い。


 機械の向こうから、うん……とちょっと照れたような相槌が届く。わたしといえば、その声にどんどん顔が熱くなっていった。

 時々たーさんは、押して来たな、と思ったら、次の瞬間ふっと可愛くなる。どうして。ほんとずるい。その度にドキドキしっぱなしだ。


「今どこ?」

「これから帰るところで、会社の駐車場です」

「僕も。――じゃあ、家まで迎えに行くから、ご飯食べに行こう」

「わかりました」


 わ!

 わ!

 約束しちゃった!

 今日会おうって、約束しちゃった!


 電話を切ってまず、時間的にまだ帰宅していない同居の両親に今晩出掛ける旨をメッセージで送ると、すぐ通知が来た。母から『了解。できれば炊飯器のセットだけお願い』の返信が来た。すぐに『OK』のスタンプを返す。これでヨシ。


 たーさんの会社からわたしの自宅までだと、わたしが帰ってお米を洗ってセットして、化粧をちょっと直すくらいは時間の余裕があるはず……シャワーは無理かな。でも最低限、汗くらいは拭きたい。超高速でこの後の段取りを考えながら、自宅に帰る。


 帰宅後、炊飯器のセットを無事完了して身支度を整えたところで、通知が入った。たーさんが到着したらしい。


 バッグを掴んで急いで家の前まで出ると、今や見慣れた車が停まっていた。たーさんは、わたしを見つけるとウィドウを下げた。


「すーちゃんお疲れ様」


 仕事終わりのたーさん。今はクールビズの時期だから、ワイシャツじゃなくて襟のしっかりしたポロシャツに夏用のスラックス。にこっと笑って、たーさんは横にぐっと身体を倒し、助手席のドアを開けてくれた。


「お疲れ様です」

「ん。乗って乗って」


 急いで助手席に乗り込む。まだ助手席に乗り込む時、少し緊張する。彼の隣、良いのかな、良いんだよね? て。多分他の人なら感じない緊張感。

 乗ってシートベルトを留めて、顔を上げたらたーさんと目があった。合わさった視線に、彼が目をかすかに細めた。

 その時、瞬間的に、

 

 キスしたいな。


 て思って、そんな自分に驚愕した。


 まったくもって予想外の衝動に、思っていた以上にわたしはたーさんが好きみたいだ、と自覚した。気づいてしまえば、それがどうしてか後ろめたくて、少し目線を反らしてしまう。でも、届いた甘い声に、再び視線を上げさせられた。

 

「今日ありがとね。嬉しい」


 は。


 一瞬呼吸が止まった。


 返す言葉なんか何も浮かばなくて、(きっと変な顔で)笑うしか出来なかった。


 なんか今日のたーさんのいつもよりも攻撃力が高い気がする。

 どうして。

 

 わたしは意味もなくバッグの持ち手をいじって心を落ち着かせようとした。


 でもよく考えたら、たーさんは最初からいつも、こうやって言葉をくれていたような気がする。なら、受け取っているわたしが変わったのだろうか。

 えええええと、それって……。

 ちっとも心が落ち着かない結論が目の前に迫っていた。

 いや、好きですよ?

 今までも好きでしたよ?

 そう思っていたけど、濃度が違うというか、今までと違うというか、気づいちゃったというか……前より、彼の好意がダイレクトに響くというか……。


 一年間会えなかったわけじゃないのに、別に誰かを怒らせたわけでもないのに、会いたいと思ったタイミングがちょうど同じだった、それだけなのに。


 わたし、かなり、たーさんのこと好きだな!?


 いきなり発覚した自覚症状に冷や汗が出てきた。


 びっくりしたけど、ちっとも嫌な気持ちにはならないし、悔しいとも思わない。ただ、訳もわからない自己分析を始めるくらいには、混乱しているだけだ。



 

「お腹空いたね、すーちゃん」


 エンジンを入れ直して、たーさんが言った。わたしは気を取り直して、たーさんを見上げる。


「何食べましょうか」

「この間同僚に聞いた洋食屋はどうかな、と思うんだけど、どう?」

「良いですね!」


 店名を聞いたら知らない店だった。楽しみー!


 わたしのはずんだ声に、ふふふ、とたーさんが笑った。


「僕、すーちゃんと一緒に食べるの大好き」


 嬉しそうに言うたーさんを横目でこっそりと見ていた。どんどん闇が落ちてくる車内に、時折当たる街灯や対向車のライトがちょっとずつモザイクのように彼を照らす。わたしはそれを繋ぎ合わせていた。


 信号待ちで停車した時、優しい顔でこちらを見た。

 

「今度すーちゃんと何食べようかな、ていつも考えてる」

「……いつもですか?」

「うん、いつも」


 わたしのこと考えてくれてる……?この場合、いや、わたしの食欲のことを考えてる……?

 な、悩ましいな。


「最近、誰かが美味かった店の話してると、ついつい聞き耳立ててしまう」

「それはわたし、前からやります」

「じゃあ新しい店とか開拓するの好き?」

「好きです」

「なら楽しみだね」

「はい!」


 アクセルが踏まれた。



 初めて入った洋食屋は、たーさんの同僚の方の評判通りとても美味しかった。今回頼んだメニュー以外にも気になるメニューがたくさんあるので、二人でまた来ようね、て約束した。



 




 帰り道、車が動き出して、すっかり日が落ちた後の暗い車内でたーさんが言った。

 

「今日さ、なんとなくカレンダー眺めてたら、あ、今日七夕じゃん、て気がついて」

「はい」 


 肩が跳ねた。

 ほんとうに?

 わたしと一緒だ……。

 妙は感動が胸の内側に広がる。


「で、会いたいなー、て。なんかほら……イベントって初めてでしょ、僕ら」

「あ、ほんとうですね」


 そういえば、まだわたしたちに誕生日とかクリスマスとか、付き合って何年とか、記念日は巡って来ていない。

 ほんとうだ。初めてのイベントだ。

 

「て、まぁこれはただ会いたかったていう、言い訳なんだけど」

「はい」


 相槌を打って、たーさんの横顔を見つめる。車内が暗いから、好きな人を見つめる恥ずかしさも和らいで、今はなんだかありがたい。


「ちょっと考えたんだよね」


 たーさんは頭を掻いた。


「僕たちの前には遮る川もないし、平日は真面目に働いているし、別に誰かに会うのを禁止されているわけじゃないじゃない?」

「……はい。そうですね」


 織姫と彦星のように、物理的に離されている訳でも、罰を科せられているわけでも無い。


「だから、会いたいと思えば、その気持ちと言葉にする勇気と、合意があれば会えるんだよなー、て」


「気持ちと勇気と合意……なんだか少年漫画の三原則みたいですね」


「ははは、ほんとうだ」


 妙にリズムにはまる。


「でもまあそんな感じ。大人の三原則」


「大人の………」


 ちょっとツボに入って笑ってしまう。

 

「あのさ、」


 一頻り笑った後、たーさんが柔らかい声でいった。 


「今日、僕がわがままを言っちゃったわけだけど、もし嫌だったり、無理だったりしたら遠慮なく断ってくれて良いんだよ」

「はい」

「だからすーちゃんも我が儘言ってね?」

「え?」


 我儘を?

 

「僕も、もし嫌だったり無理だったりしたら、ちゃんと断るから」

「はい」

「断っても、断られても大丈夫だから」

「……はい」

 

 わたしは頷いた。

 鼻の奥がつんとした。

 

 もちろん、言ってはいけないこともあるだろう。それは大前提だけど、言ってみないとわからないこともある。


 我が儘を言うのは勇気がいる。

 自分の奥底にある剝き出しの気持ちの一欠片だから。


 それを晒してしまって、また呆れられたら、と思うと怖い。忌々しく吐き捨てられた声を思い出してしまう。今目の前に居るのはあの人では無いのに、どうしても。


 でも、たーさんは言葉にしてくれた。

 わたしが怖がっているのを知って、大丈夫だよ、て言ってくれた。


「ありがとうございます」


 嬉しい言葉にお礼を言って、わたしは、もしかしたらたーさんはわざと我が儘を言ってくれたのかな、て思った。先に自分から言えば、わたしが言いやすいだろう――と。考えすぎかもしれないけれど……。


 何度か瞬きをする。


 わたし、なんて人を彼氏にしているんだろう。


 炭酸水に浸かるようなくすぐったい幸福感。


 ああ、たーさんが好きだ。


 とても好きだ。


 わたしが掴んだ結論は、とても単純でやわらかで、大切なものだ。


 


 やわらかい声のままたーさんが言う。 


「電話した時、すーちゃんも会いたい、て言ってくれて嬉しかった」

「わたしも、です」


 会いたいと思ってくれるのは、嬉しい。

 そうだ。

 たーさんにそう思われるのは、とてもとても嬉しい。

 たーさんもきっとそう思ってくれている。


 嬉しくて泣きそうになった。


 たーさんは、お付き合いを始めた日の言葉の通り、言葉にして理由や気持ちをわたしに伝えてくれている。

 わたしたちには遮る川はないけれど、違うものを作ってしまうから。

 それを検証して、時には壊し、時には迂回して。失敗するかもしれないし、乗り越えようとして船まで作ってしまうかもしれない。

 そういう作業を二人でしていく。


 わたしは今、そういう人の隣にいる。




 帰り道、ちょっと遠回りをした。なんでもない夜道が続くのが、こんなに嬉しいって知らなかった。

 

「今週末、空いてる?」

「はい」

「またどこか出かけない?」


 次のデートのお誘いだ!


「はい!」



 もちろん週末は空いてますよ! 嘘です、ちょっと待ってました。

 

「良かった」


 たーさんの嬉しそうな声。わたしも誘ってもらえて嬉しい。


 大きめの公園の駐車場に車を駐めて、週末の相談をすることにした。

 

 

「どこにしようか」

「そうですねぇ――」


 海側はこの間行ったから山側の方はどうだろう、とか、ならあそこでランチはどうだろう、とわたしたちはスマホで検索したりと、あれやこれやとくすぐったい会議をして、あらかた決まると、たーさんがふと呟いた。


「もう一つ勇気を出そうかな」


「?」


 カフェの情報を検索していたスマホから視線を上げれば、たーさんがわたしを見ていた。


「ねぇすーちゃん」

「?」


 改めて呼ぶたーさんをまっすぐ見つめかえせば、彼はゆっくりと手を伸ばして、わたしの頬にこぼれた髪をそっと左耳にかけた。薄暗い中、乾いた指先が肌の上を通り抜ける。

 その嫌でも耳に意識が向いている中で、たーさんはわずかに身を寄せて言った。熱のこもった少し掠れた声で。

 

「出掛けた後は……僕にお持ち帰りされてくれる?」


 そう言ってわたしの目を覗き込む。でも視線が合わさった瞬間、彼がふわりとはにかむから――。


 胸をぎゅっと絞られるような痛みに呼吸を止められたわたしは、声も出せずにただ頷いて、なんとか、気持ちと勇気と合意を返したのだった。





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