7 おかえりなさいと目玉焼き (その後のお話)
おかえりなさいと目玉焼き
今週はたーさんが出張に行っている。県外への出張は火曜日から金曜日の夕方までで、地元に着くのは夜になるからと直帰で良いらしい。なので、本日は駅まで迎えに行くことにした。わたしの軽自動車が火を吹くぜ(嘘、吹いたらだめ)。
駅の側の駐車場に車を駐めて、駅へ急ぐ。
20時を過ぎた駅の周辺が思ったより混んでいて、駅の近くのパーキングへ駐めるのに時間がかかってしまった。中高生のお迎えに来ている親御さんたちか、幾人も足速にわたしを通り越して行く。普段は車で移動しているから、平日夜の駅の風景はなんだか新鮮に感じた。
改札口が見える入口付近の柱の影に立ちながら、そうこうぼんやりしているうちに、大きな音を立てて電車が到着し、乗客を下ろしまた乗せて次の駅へいく。
すぐに、わっ、と足音が近くなり、乗客が降りてきた。ICカードを通すピッピッピッと電子音が、規則的に鳴り出す。
わたしは学生時代、高校は自転車、大学はバスと途中から自家用車で通学していたので、平日の『通勤ラッシュ』をほとんど知らない。就活をしていた時に何度か経験したが、だいたい帰りは早い時間に帰れていたので、帰りまでは体感したことがない。ラッシュでの行き帰りが毎日になると、相当に疲れるだろうな……。まぁ、マイカー通勤もラッシュはあるし、運転には責任が伴うからそれはそれで大変なんだけど。
利用客がどんどん出て来る眼の前の風景が、なんだかとても目まぐるしく感じて、わたしにはこんなふうにスムーズな乗り降りなんて出来ないかもしれない、などと思いながら改札口を眺めていた。ICカードが鞄から出てこなくて、あたふたしている自分が目に浮かぶようだ。
唐突に、小学生の頃クラス全員でやった、左右二人で回した縄を一人ずつ中で飛んでは抜けていく縄跳びを思い出した。わたしはタイミングが取れずにしばしば引っ掛かって流れを止めていた。申し訳なくなる上に、ビチっと太い縄跳びが当たって痛かったし、すごく恥ずかしかった。
ふと、たーさんならその背丈で引っ掛かってしまうのかな……と思って想像したら、笑いそうになり慌てて顔を引き締めた。
たーさんて、どんな子どもだったんだろうな~、今度聞いてみようかな〜。たーさんは運動神経は悪くないんだよなー、なら縄跳びに引っ掛からないか。個人でやったって縄跳びって結構キツイんだよねぇ。小学生の時みたいに飛べる自信はないなぁ……。
益体もないことをつらつらと考えて改札から続く階段を見ていると、人の流れがある程度終わった。その時ようやく背の高いたーさんが姿を現した。普段の仕事帰りより大きな荷物を持っているたーさんは、少し待ってからホームを出ることにしたようだ。田舎の小さな駅の階段は、たーさんの身長ではちょっと窮屈そうに見える。
それにしても、あんなに大きな荷物を持ってラッシュ時の電車に乗るなんて、さぞや大変だっただろう。
わたしが小さく手を振ると、すぐに気づき、にこり、と笑った。
すんなりと改札を通ってたーさんがわたしの前まで来た。しゃきんとしたたーさんも良いけど、ちょっとくたびれてへにょりとしたたーさんも好き。
「お疲れ様! おかえりなさい」
「わざわざありがとうね。言ってたお菓子買ってきたよー」
「わーい、ありがとう!」
噂で聞いていた銘菓を買ってきてくれたらしい。お荷物をお持ちましょう、とわたしが手を出すと一番軽そうなお土産の菓子が入った紙袋を、「ありがとう」と言って渡してくる。
さて、と。
たーさんの手が一つ空いたから、いそいそとそこにわたしの空いている手を滑り込ませる。すぐ握り返してくれる手は、大きい。ふふふ。
「今晩はカレーにしたよ。辛いやつ」
「やった」
たーさんが嬉しそうに目を細めた。
たーさんは疲れると辛いものが食べたくなる。出掛ける前に、今回の出張はスケジュールがハードだとボヤいていたので、昨夜カレーライスを作っておいた(遅くなっても、冷蔵庫から出して温めるだけなので楽勝)。カレーライスはわたしも食べたい。取り敢えずカレーライスは正義なのである。
今日のカレーは、いつもは悩んでやめておく、スーパーの売り場で一番辛くてちょっと高いルーを買って来て溶かし込んだ。味見したら中々よい味に辛さだった。でも癖になってこれしか買えなくなったらどうしよう。ま、その時はその時か。
「ねぇねぇトッピングで乗せたいものはある? 乗せたいものがあるなら、途中のスーパーで買っていかない? あ、卵ととけるチーズはあるよ?」
「そうだなぁ」
たーさんが首をひねる。
「チーズが良い? コロッケとか揚げ物にする? それとも目玉焼き?」
ふと、たーさんはいいこと思いついた、みたいな顔でわたしを見下ろした。
「食べたいものは何でもいいの?」
「なんでもいいよ~。わたしは目玉焼きにしようかと思ってる」
「じゃあきみ」
「え? 黄身だけ? たーさんの贅沢もの~」
白身はどうしよう? スープとか? 白身って冷凍出来たんだっけ?
「いやいや?」
たーさんは笑って首を振り、わたしの頬に人差し指を埋める。ふにり。
え?
きみ、てわたし!?
「わたしを乗せるの? それはまた猟奇的な!!」
「違うでしょ。そこはお風呂にする? ご飯にする? の流れでしょ」
「え!? そういう? カレー風呂でなく、ドリーム的な?」
「カレー風呂て……。そうそう、ドリーム的な」
「えー……」
わたしは口を尖らせた。
「わたしはトッピングではありませぬー」
たーさんは得意そうに胸を反らした。
「もちろん。メインディッシュでいただきますよ」
なんでそこドヤ顔なの。
メインディッシュ判定なのは喜ばしい気がしないでもないけれど、たーさんが威張るのはなんだか違う気がする。
「僕はすーちゃんが食べたいなぁ」
たーさんはそんなことを言いながら、にこにこしている。
でもさ、
「お腹空いて無いの? カレー、きっと美味しいよ?」
「それはごめん、なんだけど、でもペコペコなんだもん」
「ハラヘリの方向性が違う気がするー」
わたしが呆れたように言うと、たーさんは肩をすくめた。なにそのオーバーアクション。出張って、どこに行ってきたんだ、たーさん。
「まぁ、諦めてくださいよ」
たーさんはボストンバッグを肩に掛け直すとわたしの手としっかりと繋ぎ直し、改めて駐車場まで歩き出す。
「目玉焼きは後で僕が焼くからさ」
「半熟でお願いいたします」
「かしこまりました」
きゅっ、と手を握り返すと、たーさんはわたしを見下ろしている。目元口元が弓なりですけど?
もう仕方ないなー。
お米、炊飯器にタイマーをかけて出て来たんだけどなー。
むずむずうきうきする帰り道、キャリーケースの音がガロガロ響く。
きっと、たーさんはそれはきれいな目玉焼きを焼いてくれるのだろう。
いつになるかはわからないけれど。
お読みくださりありがとうございました。