#03 墜ちる/その意思は虚に非ず
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――――時は少し遡る。
(痕跡が残っている……どうやら、まだ事故現場周辺に潜んでいるみたいね)
氷室月葉は一人、獣を探し山の中を歩いていた。
山の中はとても静かで、聞こえるのはせいぜい自分の足音と雪霊にはやや温い風の音ぐらいのものだ。変に心を落ち着かせるそれらに耳を傾けていれば、思考は自然と自分の内面に向かうもので。
「………………はぁ」
思わず溜め息を吐く。思い出されるのは先刻、展望台を出る直前の出来事。
『貴方はここで待ってなさい。雪形の使い方も分からない人が着いて来たところで、足手纏いになるだけだから』
(……絶対、嫌な気持ちにさせたわよね)
何故、あんな言い方をしてしまったのか。口調は明らかに高圧的で「何様」と言う感じだし、それ以前に「足手纏い」は純粋な暴言でしかない。
「あんなこと言いたかった訳じゃないのに……うぅ」
「危ないから来ないで」。たったそれだけの言葉がどうしてああなるのか、と月葉は自己嫌悪で額を抑えた。
自分の口下手さ加減に嫌気が差す。本当に、一体どうしてこんな人間になってしまったのだろうか。
(……やっぱり「あの日」のことが――――)
そんなことを考えていた、その時。
「ッ!?」
不意に、ひやりとした風が月葉の頬を撫でた。
胡乱曰く、雪霊は絶対零度でさえ「寒い」と感じることができないと言う。つまり雪霊が「冷たい」と感じる風は、自然には吹き得ないもの。
――――「それ」を呼ぶものは、この世に一種類しか存在しない。
べき、べきと言う何かを圧し折る音が、凄まじい速度で月葉に接近する。
圧し折られているのが山の木々であることを目視で理解するのに、そう時間は必要なかった。
応戦する為雪形を発動させ、臨戦体勢を執った月葉の目の前――――
――――ではなく、真上。そこに、獣は現れた。
「ooooooooooooooooo!!」
「ッ、な――――!?」
雄叫びを上げながら墜ちて来る獣を、月葉は咄嗟に後ろへ飛んで回避する。
「あ、危ないわね……これ、猿……?」
現れた獣の姿は、猿に似ているように見えた。しかし獣の例に漏れず、それと呼ぶにはかなり歪な様相をしている。
巨大な体躯と獣特有の白い体毛、そして一本一本が丸太のように太い四本の腕。猿と言うよりはゴリラと呼びたくなる見た目だが、顔がニホンザルのそれと酷似していることで恐らく猿だろうと月葉は認識した。
「o○r.ot°.44¥*=(°」
獣は月葉を見据え、奇妙な唸り声を上げる。月葉も呼応するように改めて臨戦体勢を執り、眼前の獣を睨め付けた。
「o○r!!」
瞬間、獣が豪腕を振り下ろす。
音を抉り呑む程に強烈な一撃。月葉は横跳びにそれを躱し、そのまま獣の背後へ回り込む。そして、視界の外から神速の一太刀を見舞った。
(当たる――――!)
そう確信した直後、月葉は遅れて気が付いた。
獣の口元が、嘲るかの如く歪んでいることに。
獣は背に近い三本目の腕を鞭のようにしならせ、振り向きながら背後の全てを薙ぎ払う。無自覚ながら「後ろを取った」と言う油断があった月葉はそれを躱すことができず、さながら弾丸にも似た勢いで弾き飛ばされた。
「かっ……は…………!」
不意打ちに驚いて受け身を取り損ね、鉄柱に思い切り叩きつけられる。普通の人間であればこの時点で死んでいただろうが、生憎月葉は普通の人間ではない。
雪霊であったことに感謝――したくは無いが嫌々感謝しつつ、距離が取れた隙に体勢を立て直す。そして、再び獣に向けて走り出した。
猛然と突進する月葉。獣はそんな彼女に対し、圧し折った樹木を槍投げのような動作で投擲した。
投擲された樹木は大気を切り裂き、槍と言うよりミサイルのような速度で月葉に迫る。それは最早、人間が回避可能なものではない――が。
――――舐め、るな――――!
咄嗟に身体を捻り、腕一本を犠牲に直撃を回避する。常人なら発狂する程の幻肢痛に襲われながらも、月葉の疾走は止まらない。
「$…………!?」
そんな彼女の異常とも言える姿に気圧され、獣は一瞬行動を停止する。その刹那、月葉は隙を突いて獣の懐へと身体を滑り込ませた。
「$(2(11*!?」
「はぁぁぁぁっ!!」
驚愕する獣の脇腹に、渾身の力を込めた刃を振るう。
その一閃は、確かな感触と共に獣の脇腹を切り裂いた。しかし――――
「割に合わないわね、これじゃあ…………」
反撃を避けて距離を取った後、月葉は自分の腕と獣の傷を見比べて歯噛みしながらそう呟く。
獣の脇腹に付いたのは、決して致命とは言えない傷。たったそれだけの小さな傷を付ける為に、自分は腕一本を失う羽目になった。
……時間にしてほんの数分。たったそれだけのやり取りで、嫌と言うほどに理解させられる。
――――この勝負、圧倒的にこちらが不利だ。
けれど、そう自覚した上で。月葉は深呼吸の後、短剣を強く握り締めた。
勝機は無いに等しい。それでも、尚。
「私は、貴方を――絶対に、殺してみせる」
月葉は獣に刃を向け、純然たる殺意を言葉で示す。
人間擬きと異形の獣、元より存在としての格が違う。「勝ち目が無い」なんて当然、幾度も潜り抜けて来た。
だから、これは――決して、虚勢などではない。
――――ただ、可能を言語化しただけだ。
「――――はぁっ!!」
木々の隙間を縫い、蛇行しながら月葉は駆ける。
そんな彼女に獣は先刻よりも強い力で樹木を投擲するが、直線軌道のミサイルは不規則に動く月葉に掠りもしない。
再び接近し、短剣を振ろうとした瞬間。獣はそれを待っていたとでも言うかのように後退し、全ての腕を振り上げる。
――――まずい――――!
そう感じて咄嗟に後ろに跳んだ、その直後。獣は四本の腕を纏めて作った巨大な拳を、地面に向けて思い切り叩き付けた。
――――ガシャァァアァァァァアァン!!
そんな轟音と共に大地が砕け、積もった雪が大きく弾ける。
それは、十年獣と戦い続けた月葉でさえも初めての経験だった。
――――山頂に登る雪崩、などと言うものは。
「くっ……!なんて、馬鹿力……!」
元居た展望台に押し戻され、月葉は相手を侮ったことを強く悔いた。
何故なら、その場所には――巻き込むつもりの無かった相手が、自分の言い聞かせた通りに待機していたのだから。
◇
――――空気が凍てつく。
――――破壊音だけが無情に響く。
――――獣と獣が、生命を削り合っている――――
その光景は、一種の芸術作品のようにも思えた。
此処にヒトは存在しない。在るのはただ、己が欲求を押し付け合う獰猛な獣の姿だけだ。
恐らくは、畜生道と呼ばれる世界。この小さな展望台は最早、それの再現へと変化を遂げている。
暴れ狂う二匹の獣には覚えがあった。
一匹は、氷室月葉と名乗った少女。腕が千切れ、太腿が抉れているが恐らくは彼女だろう。
もう一匹は……何故だろう、思い出せない。記憶の中には確かに存在しているが、不思議とその姿が奇妙な程に曖昧だ。ただ、その姿を見ると胸の内に強烈な憎悪が湧き上がることだけは確かである。
結島晶は、獣同士の争いを傍観していた。
呪うような彼の視線は、夜闇の中に呑み込まれる。
雪が積もり白く染まって行く自分自身の身体など、欠片ほども関心を向ける気が起きない。
何故ならこの場に満ちる狂気には、晶の疑問に対する確かな「答え」が存在していたからだ。
『自分は、何が憎いのか』
純粋な殺意だけが意味を持つ世界。それは憎悪が変じるべき姿と、切先を向けるべき相手を示してくれた。
――――それは「死」そのものである、と。
死とは元来理不尽なものだ。人間も獣も境界なく、ありとあらゆる全てを無視して生を奪い取って行く。
奪われるなら差し出そうとした。しかし死はそんな自意識さえも否定し、強引に晶から生を奪い取った。
――――抗いようのない理不尽。本来であれば、そこに向ける感情は全くの無意味である。
しかし最期の瞬間、彼は確かに憎んだのだ。
圧倒的な理不尽を。意思無きただの現象を。
たった――それだけのことだった。
二匹の獣は互いの意志を通す為、相手に理不尽を押し付け合う。それは野生の正しい在り方ではあるが、晶にとっては狂気の沙汰でしかない。
――――故に、その光景を彼は憎悪する。それが如何なる虚ろを生むのか、その解を既に得ているから。
憎悪とは、やがて殺意に変化するものだ。そして、雪霊の抱く殺意は――――
――――命を奪う、武器へと変わる。
具現したのは氷の鎌。死の概念そのものが形を成したかのような、死神より死神らしい大鎌である。
死を憎んだ人間の殺意が、死の概念そのものに変ずる――それは、ある種の皮肉と言えるのかも知れない。
「…………く、ふふ…………」
晶は歪な刃を振るい、己自身を嘲笑する。
虚ろだったものは全て、ここに一つの形を得た。それは果たして何の因果か、生命そのものと同じ結論。
――――全ては、死と言う結末に収束する――――
皆様どうも、作者の紅月です。
いやー、今回は早かったですね、我ながら。まぁ、思いの外テンション高かったんです。毎回は無理。
さて、今回は敢えて何も言いません。なので予告だけしておさらばします。
次回、一章一部「墜ちる」最終回。猿の獣との決着、そして後に残るもの。できるだけド派手に終われるようにしますので、のんびりお待ちください。
て訳で、今回はこの辺で。
ではではー。