#07 在る/そこに在りて凍り付く
ふと気が付くと、見慣れた扉が目の前にあった。
「……………………」
何故、自分はここに来たのだろう。考えながら、ノブを捻って扉を開ける。
直後、からん、と高い鐘の音が耳に響く。最近少し聴き慣れた音だが、今日は何だかやけに煩いような気がしてほんの少し顔を顰めた。
「……いらっしゃいませ、柊様」
そんなタイミングだったからか、或いは単純なそれに対する嫌悪感か。その声があまりにも不快で、思わず溜息を吐いてしまう。
「如何されたので御座いますか、溜息など」
「……敢えて聞くな、鬱陶しい」
わざとらしい胡乱の質問を無視して、カウンター席に腰掛ける。胡乱もそれ以上追及してくることは無く、普通に水を差し出してきた。
「御注文が決まりましたら、御声掛け下さい」
「……アイスコーヒー」
「承りました」
注文を受け、胡乱はカウンターの内側に入る。そうして慣れた手付きで珈琲を淹れ始めた胡乱に、俺はなんとなく声を掛けた。
「……なぁ、胡乱」
「如何されましたか、柊様」
「命の価値って、何なんだろうな」
「…………ふむ」
珈琲を淹れる手は止めず、考えるように黙り込む。そうして数十秒の後、アイスコーヒーを差し出してから胡乱は漸く口を開いた。
「申し訳御座いませんが、拙には解答出来かねます」
「……まぁ、だよな。妙なことを聞いた、忘れてくれ」
「忘れろ、と仰るのならばそう致しますが――どうやら、解釈に語弊がお有りの御様子。ですので、最後にその訂正だけさせて頂いても?」
「語弊?……まぁ、好きにすれば」
その言葉を聞いた胡乱は頷き、それからゆっくりと言葉を紡ぐ。
「拙は、命に価値というものを然程感じておりません」
「――――――!!」
同じだ、俺と。そう思ったのも束の間、突き放すように胡乱は言う。
「ですが、それは一般的な価値観とは異なる視点からのものです。柊様と拙とでは、根本的な部分が違う。獣の価値観を人に語って聞かせたとて、共感し同調する人はそう居るものでは御座いません。故に、拙では貴方の問い掛けに納得出来る解答を出すのは不可能なので御座います」
「な、る、ほど…………?」
分かったような、分からないような。
意味不明な言い分だが、けれど何故か説得力を感じてしまう。それは多分、この胡乱という存在の奇妙な異物感の所為だ。
胡乱は己を獣と例えた。が、本当はもっと違うものだろう。
人とも、獣とも、そして雪霊とも違う、もっと歪で異質な「ナニカ」。月葉の言葉を借りるなら、「雪霊よりタチが悪いもの」。
なら、これは果たして「何」なのだろうか――ほんの少し気になったが、それを追及しようとは全く以て思わなかった。
「……柊様、如何なされましたか?」
「…………いや、何でもない。改めて悪いな、妙なことを聞いて」
「いえ、お役に立てず申し訳御座いません」
「――――それなら代わりに、私が質問に答えようか」
「……………………え?」
突如割り込んだその声は、驚く程に冷たかった。
その声が持つ冷たさは、冷淡でも、冷静でも、冷酷でもなく、まして冷徹などでもない。敢えて言葉で示すなら、それは多分冷凍だ。
文字通り、凍り付いたような声。感情が無いと言うよりも、その言葉に込められるべき感情が言葉の中で完全に運動を停止しているかのような。
(何なんだ、この声――――)
その異様さに思わず振り向くと、そこには。
「ただ、少しだけ待っていてくれないかな。後少しで読み終わるからさ」
……優雅に読書を楽しんでいる、人の形の空白が在った。




