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在りし日の残雪より  作者: 紅月 雨降
一/初冬之章
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#06 在る/それは、静かに消えていった

 ……()()はただただ無機質に、眼前の惨状を受け入れた。

 先刻まで普通に会話していた親友の要素が、緩やかに世界から消失して行く――否、減少して行く。骨も残さず、丁寧に。


 ()()は見覚えのあるその過程を、ただ呆然と眺めていた。まるでテレビで流れている、どこかの誰かの死亡報道を流し見しているような気分で。

 死に恐怖する。死を悲しむ。そんな有って当たり前の人間的な感情を、気付けばまるで他人事(ひとごと)のように遠くからぼうと俯瞰している。たった数秒前までは、自分のものであったそれらを。


 ……思い返せば、心当たりは幾つか有った。


 トラウマと呼んでいる割には、夢を見た後やけに冷静であること。初めて獣を目にした時、人が殺されている事実を風景のように流したこと。

 「自分は獣に殺されたのだ」と月葉に教えられたあの日、感じていた筈の憎悪すら――結島(ゆいじま)に会った時にはもう、他人事のように思っていたこと。


「ぁ――――」


 記憶から、靄が晴れていく。誤った認識が、正しいものに置き換わる。

 トラウマは、単なる記憶の投影に。感情は、特に意味の無い条件反射に。

 そして、塗り潰された絶望は――


 『◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️』

 『こ◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️』

 『この◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️』

 『このて◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️』

 『このてい◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️』

 『このていど◼️◼️◼️◼️◼️◼️』

 『このていどの◼️◼️◼️◼️◼️』

 『このていどのも◼️◼️◼️◼️』

 『このていどのもの◼️◼️◼️』

 『このていどのものな◼️◼️』

 『このていどのものなの◼️』

 『このていどのものなのか』


 ――――価値に対する、失望に。


 ……あぁ、そうか。そりゃあ、選択出来ない訳だ。

 あの日から、()()は――いや、()は。

 命の価値が、分からなくなって。


 生き死になんて、どうでも良くなっていたのだから。


       ◇


 ……ただ目の前の状況に、心の底からがっかりした。

 大切なもの。軽率に扱うべきではないもの。失われてはならないもの。


 ()()は、そういうものでは無かったのか。何よりも、価値あるものでは無かったのか――親にとっての、我が子よりも。

 ならば何故、こうも容易く失われる。当然のように奪い奪われる。

 何故――こんなにも、安い。


(……あぁ、こんなていどのものなのか)


 軽蔑にも似た失望が、心の中に広がっていく。

 頭の中がすうと冷えて、見える世界が変わっていく。

 ――――非日常の一幕が、日常の断片に置き換わる。

 置換の後に残ったのは、路傍の石を蹴飛ばしたような感情だった。


 どうでも良い。


 そんなたった一言に尽きる。

 きっと自分は冬が来る度、この日を思い出すのだろう。思い出す為に一旦忘れてしまえる程度の、些細な事象の一つとして。そして「あぁ、そう言えばそんなことも有ったな」と何気なく思い出した後、再び忘却するのだろう。このひたすらにどうでも良い、ありふれた日常の一欠片を。

 その事実は人として、とても虚しいことに思えた――けれど。


 その虚無感すら、最早他人事でしか無かった。


       ◇


(――――そういえば、俺はそんな人間だったな)


 そんな、冷めた思考しか出て来なかった。

 自分の思考が異常であることは分かるのに、それに微塵の興味も湧かない。両親が死んで絶望していなかった自分に、絶望することすら出来ない。

 挙句そんな事実にさえも、そろそろ興味を失くしかけている――まるで何の変哲も無い、平凡な感覚であるかのように。


 眼前の光景に対する興味も、概ねそんなものだった。


 三太を喰い終えた獣が、ゆっくりと歩み寄ってくる。その光景は「死」という未来を連想させるに十分過ぎるものではあったが、しかしそれに対する恐怖は全く以て湧いて来ない――否、湧いたが瞬時に枯れ果てた。


 今はもう、何も感じない。ただそこに、死の概念が在るだけだ。


(雪霊って、どんな感じで死ぬんだろうか。自分を殺した獣を殺さない限り、死んでもそれは偽物だとか前に月葉が言ってたっけ)


 そんなことを、呑気に思案すらしている。

 それは現実逃避でも、まして走馬灯でもない。

 敢えて言うなら、連想だ。ある情報の一要素から、異なる情報を想像する――そんな、ありふれた反射的思考。これは、その程度のものだ。


(…………あ)


 ……ごう、と。袈裟斬りにするような軌道で、獣の爪が迫ってくる。

 その一撃を、スローモーションのように感じることはない。だからこそ分かる、恐らくこれを食らったら裂けるより先に砕け散るだろう。

 そんな一撃を前にしても、やはり恐怖は感じない。無感情に、無関心に、諦めではなく当然としてその現実を受け入れている。

 そうして、俺の身体は粉々に――砕け散る、筈だったのだが。


 実際、そうはならなかった。


 何故って、それは――


「はぁっ――――!!」


 ――――空から、死神が降って来たからだ。


「ッ!?」


 死神――氷室月葉(ひむろつきは)が振るった刃は、獣の腕を一閃した。

 大した傷では無かったが、斬られた事実に驚いたらしい。獣は大きく後退り、その後傷を庇いながら森の中へと消えて行く。

 月葉は、その後を追いかけようとして――ふと、立ち止まった。


 視線の先には、大きな血溜まりが出来ている。それで色々察したのか、彼女は憐れむような視線を俺に対して投げかけた。


「……一応聞くけど、何があったの?」

「三太が喰われた」


 その返答に、月葉はどこか驚いたような困惑したような顔をする。流石に彼女がこの状況下でその可能性を考えていなかったとは思えないから、恐らく俺の返答があまりに淡々としていたことに驚いたのではないかと思う。

 それから数秒、沈黙が続いた。月葉は溜息を吐いた後、漸く重い口を開く。


「……言っておくけど、殺すわよ」


 その言葉の意味は、一応理解出来ていた。が、特に返事を悩みはしない。


「別に、好きにすれば良いさ。どうせ、もう死んでるんだから」

「……………………そう」


 何か言いたげにしながらも、結局彼女はそれだけ言って森の中へと消えて行く。俺はその背を視線だけで見送ってから、道に沿って歩き始めた。


(……まだ、熱い)


 一瞬、足の裏がひりつく。けれど、気になる程ではない。

 降り注ぐ雪の中、最早見慣れた白い道をいつも通りに歩いて行く。その中に、矢鱈と目立つ赤い足跡を作りながら。


 けれど、そんな痕跡は――白雪の中へ、静かに埋もれて消えていった。

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