#06 喪う/真意、そして開幕ベル
……事の顛末を語る中、氷室月葉は胸の痛みを感じていた。
それは、幻肢痛の「ただ痛いだけ」という曖昧さとは少し違う。「ちくりと胸を刺すような」と、形容することが可能な痛みだ。
(……分かっている。この痛みだけが、唯一鮮明な理由なんて)
分かっている。けれど、分かりたくない。
自分の人間らしさなんて――今更、思い出したくないのだ。
何故なら、彼女にとって雪霊は――――
(……雪霊は、人間じゃないんだから)
◇
「……なぁ、月葉。言わせて貰うが、さっきからちょっと気持ち悪いぞ」
我慢出来ず、俺は月葉にそう告げる。
月葉は一瞬驚いたようにこちらを見た後、そのままじろりと睨んできた。
「……何がどうして、そう思ったのか知らないけど。仮にも貴方の為に本来不必要な報告をしてあげてる相手に対して、随分な言い草じゃない?何、もしかして喧嘩でもしたいの?」
「そんなつもりは微塵も無い。俺はただ、思ったことを言っただけだ」
「同じことでしょ――と言いたいところだけど、悪意が無いのは伝わったわ。まぁ、それはそれで問題がある気もするけどね」
月葉は呆れたように溜息を吐いて、それから改めてこちらを見た。
「……で?結局、私はどうして侮辱されたの?」
「だから別に、侮辱するつもりは……いや、今はいいか。で、俺が「何を気持ち悪いと思ったのか」だけど――一言で言えば「話し方」だな」
「話し方?私、何か変だったかしら」
「まぁ、いつも変と言えば変だけど……今回はそこじゃない」
「待って、いつも変だと思ってたの?」
戸惑ったように聞いてくるが、無視して淡々と話を進める。
「何と言うか、機械的過ぎる。必要な情報以外が何一つとして存在しない。
『到着直後、不意打ちを受けた。その上獣まで現れて窮地に陥ったが、隙を突いて何とか離脱。その後狙撃手と一対一の状況になったが、執念深く追って来ていた獣の来襲で結局混戦となる。苦戦を強いられたが、何とか狙撃手と獣を撃破することに成功した。』……これ以外何も分からなかったぞ。
いや、報告としては十分だと思う。けどさ、これは文書じゃなくて口頭だぞ?そこに感情や私見が一切入らないとか、普通に考えて有り得ないだろ。
人間ってのは無駄に思考能力が高いから、他人に話をする時は事前に「こう話す」と決めていた内容であっても、確実にその時の感情や思考が後から割り込んで来て少しは変化するものなんだ。「元」人間、されど元「人間」の雪霊と人間の思考部分で、そこが違うとは到底思えん。
まぁ、台本とかカンペみたいに決まった文言を読み上げてるだけなら話は別だが……公的でもない一個人への報告に、そんなものは不必要だろ。言っちゃ悪いが、準備してたらそれはそれで少し不気味だ」
そこで一旦言葉を区切り、一拍置いてから最後の部分を口にする。
「……「気持ち悪い」って言ったのは、そんな理由だ。正直、わざとかと思うぐらいだったよ――あまりにも、人間らしく無さ過ぎてな」
言い終えてちらりと月葉を見ると、彼女は静かに俯いていた。
言葉は無い。表情も見えない。だと言うのに、何故だろうか――彼女の今の感情が、手に取るように理解出来てしまうのは。
……怒っている。それも、尋常ではない程に。
悪意を伝えたつもりは無い。ならば、地雷でも踏み抜いたか――そんな風に考えていると、不意に月葉が小さな声で呟いた。
「…………けいな」
「え?」
「……余計なこと、言わないでよ。折角、忘れようとしてるのに――指摘されたら、嫌でも頭に浮かんでくる。思い出して、苦しくなる」
「思い出すって、何を――――」
言いかけた、その瞬間。
「っ……あぁああぁぁあぁああぁああぁ!!」
月葉が突然頭を抱え、泣き叫ぶような声を上げた。
「ちょ……おい、どうし……」
「あ……ぐ……!ごめ、なさ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、なさい…………!」
「おっと――これはいけない」
そう言って、謝罪を繰り返す月葉の肩にいつの間にか居た胡乱が触れた。
瞬間、月葉の身体がびくんと跳ねて、その後ぐったりと机に倒れる。胡乱はそれを確認して、そっと肩から手を離した。
「……ふぅ。危ない所で御座いました」
「な……何、したんだ?」
「拙の能力を用いて、氷室様から溢れた分の「罪悪感」を抹消したので御座います。放置すれば、精神が崩壊していましたので」
「罪悪感を……抹消?いやそれより、能力って……」
「まぁ、拙のことはどうでも良いので御座います。それより今は、氷室様のことで御座いましょう」
正直、どうでも良くは無いのだが――いや、聞いても答えはしないだろう。おおかた適当にはぐらかして、有耶無耶にしてしまう筈だ。僅か数日の付き合いだが、なんとなく「胡乱ならそうする」と確信していた。
「――分かった、お前のことは取り敢えず一旦後回しにする。後回しにするとして……結局、月葉は何で突然ああなったんだ?」
諦めて尋ねると、胡乱は静かに話し始めた。
「……もう、薄々御理解していらっしゃるとは思いますが。氷室様は現在、意図的に自身から「人間」を切り離そうとしております。
その理由は「戦う為」。氷室様が獣と戦い、そして殺す為には、そうせざるを得なかったので御座います」
「そうせざるを、得なかった?」
「はい。戦い殺す者として、氷室様は善良過ぎたので御座います。それこそ「人間を殺す」という行為に、精神が耐えられない程に」
そう告げられた瞬間、頭に浮かぶものがあった。
「……『在りし日の残雪』」
「御明察、で御座います。御想像の通り、その言葉の意味は「残留物」――最早人間に非ざるもの。氷室様は雪霊を「そういう存在」だと思い込むことによって、精神を保っているので御座います」
「でも、そんなの」
屁理屈だ。そう言うと、胡乱は否定するどころか感情の無い笑顔で「まぁ、その通りで御座います」と肯定的な返答をした。
「柊様が仰る通り、それは屁理屈に過ぎません。言い方を選ばなければ、単に「狂った理屈」となるでしょう。
しかしそれに縋らねば、氷室様は「正気に近いもの」すら維持することが出来なかった。維持ができなくなった場合、氷室様は恐らく狂い、壊れ、廃人となって生でも死でもない虚無に堕ちてしまうでしょう。
狂気に縋り付くことで、無理矢理正気に近付いている。それが今の、氷室様の在り方なので御座います」
その言葉に、俺は絶句した――否、恐怖した。
廃人になる程の精神的苦痛。そんなものを抱える羽目になりながら、それでも戦う彼女の在り方に。
「何で、月葉は――そこまでして、戦うんだ?」
尋ねると、胡乱は低い声で答えた。
「……善良だから、で御座いましょう。元々生への執着が極めて薄い方では御座いましたが――それを抜きにしても、死者が生者を押し除けて存在してはならないと考えているようで御座います。
故に獣を殺し、雪霊を殺す。勝手な認識では御座いますが、人は氷室様のような方を「正義の味方」とでも呼ぶのかも知れませんね」
本人にそのつもりは無いでしょうが、と最後に付け加えて、胡乱はその場を立ち去った。それを横目に見送って、倒れた月葉に目を向ける。
胡乱の言葉が全て真実かは分からない。所詮他人の語ること、単なる妄想かも知れない。しかし不思議なことなのだが、今回に限ってはそんな疑念を殆ど抱けていないのだ。寧ろ確かな真実として、受け入れている自分が居る。
それは多分、彼女の慟哭を聞いた所為だ。
悲痛で、悲壮で、絶望的で。胡乱の話はあの絶叫の理由として、これ以上無い程に納得のいく内容だった。
(……雪霊になって十年、とか言ってたっけ)
十年。気が遠くなる程ではない、けれど一昔と言える程度には長い時間。
それだけの時間を、この少女は一人戦い続けてきたのだ――狂いそうな程の罪悪感に苦しみながら、屁理屈じみた思想に縋って。
……比べて、自分はどうだ。
未だ現実を受け入れられず、選択を先延ばしにしている。雪霊と人間の違いから目を逸らし、人間性に苦しむ相手に人間性を要求する。
俺は、あまりに愚かで――度し難い。
「……ん……」
そんな自己嫌悪に陥っていた時、月葉が不意に身体を起こした。
「……起きたのか」
「あれ、私……寝てた?と言うか柊君、いつの間に……」
「……え?」
ちら、と胡乱の方を見ると、わざとらしく人差し指を口に当てるジェスチャーをしていた。
どうやら、前後の記憶も消したらしい。結局、何をしたのかは分からず終いだが――随分、便利な奴も居たものだ。
「「え?」って……何、どうかした?」
「……いや、何でもない」
「そう?なら良いけど……それじゃあ、昨日の――」
「……いや、良い。もう、全部聞いた」
「え?……話した覚え無いけど……まぁ、貴方がそう言うなら」
月葉は怪訝な表情を浮かべ、アイスコーヒーに口をつける。そうして黒い液体が透明なストローのおよそ半分を染め上げた、その時――
――――キィン、カラ、カァ……ン……!!
扉のベルが、本来鳴らないであろう程の凄まじい金属音を奏でる。驚いて扉に視線を向けると、そこでは――――
「……先、生……?」
血相を変えた望野木先生が、睨むようにこちらを見ていた。
「先生……何で、ここに――」
居るんですか。そう問い掛けるよりも早く、先生が怒鳴るように言った。
「何で、お前らが一緒に居るんだ……」
「説明しろ――月葉!!」
一章・中【喪う】これにて完結。
次回より一章・終【在る】が始まります。