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在りし日の残雪より  作者: 紅月 雨降
一/初冬之章
17/25

#05 喪う/汝、その死を哀れむこと勿れ

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良ければ評価、感想よろしくお願いします!

「……Bumooooooooooooooooooooッ!!」


 巨躯が、跳ねた。

 宙に飛び上がるその姿は、ソリを引く馴鹿(トナカイ)のそれに似ている。明確な違いを挙げるならば、それが天を駆けることなく自由落下している点か。


 その直下で、二つの影が相対した。


 かたや短剣(ナイフ)を構えた少女、かたや銃を構えた男。傍目に見ればその対峙は、強者の殺意から身を守ろうとする弱者の構図に思えるだろう。

 その認識は概ね正しい。が、果たして誰が信じるだろうか。

 この状況に於ける強者が、殺意を持った攻撃者が――およそ勝ち目の無さそうな、短剣(ナイフ)を構えた少女の方であるという事実を。


 …………ふぅ――――


 ふと、吐息の音が重なり合う。心を落ち着けるほんの一瞬、不意に交差したその音に、氷室月葉(ひむろつきは)霜之宮冬至(しのみやとうじ)は思わず顔を見合わせた。


「案外、人間らしいことをするんだな」

「……見当違いも甚だしいわね」


 言葉を交わし、二人は真っ直ぐ睨み合う。そして、同時に跳ね退いた。


「――――Bmoooooッ!!」


 瞬間、二人の間に獣が降り立つ。それはまるで隕石のような落下速度で、けれど異様に静かで優雅な着地だった。

 その現実離れした光景は、獣の異質な姿と相俟って恐ろしいよりも神々しい。純白でありながら鮮やかな虹色のようにも見える体毛も、月の輝きを受け止めて黄金色を跳ね返している乳白色の双眸も、白珊瑚のように鈍く艶めく双角も――この世のものとは思えない程、凄まじい美を宿している。


 ……迂闊だった、と言わざるを得ない。


 冷静さを取り戻した意識が、襲来した獣の姿に自然と注目してしまう。向けられる敵意すら施しのような、尊大ながらも美しい――まさしく神か天使の如き獣の威容に魅せられて、殺意が拭い取られていく。


(……あ、これは――)


 まずい。そう思ったが、抗えない。月葉の想定を遥かに超越したその美は、見る者の心を容赦無く惹き付け、呑み込み、奪い去った。


「――――」


 殺意を失い、月葉の思考が停止する。

 そんな彼女を、獣は後脚で一蹴した。それはまるで下賜するような、高貴さすら感じさせる程に丁寧で優美な動作だった。

 それは完璧に月葉を捉え、直撃を受けた彼女の身体は粉砕され――


(――――て、堪るか――――!!)


 瞬間、迫った蹴りを咄嗟に跳んで回避する。

 獣の蹴りは文字通りに空を切り、その場には劈くような音だけが残った。その残響を聞きながら、ぎりと奥歯を噛み締める。


(……前にも、同じことを思ったけど。この獣、あの時より遥かに――)


 魔的ね、と月葉は声を漏らした。

 正気に戻った今でさえ、無意識に目を奪われている。意識して注意していないと、狙撃手の存在を忘れて集中させられてしまう。

 意識的に無意識を抑える――なんて、とんだ無茶振りをしてくるものだ。そう苦々しく思いながら、必死に耐えつつ状況の整理を試みる。


(まぁ――正直、最悪としか言えないか)


 雪形(ユキガタ)は――駄目だ、先刻の殺意が消えたタイミングで同時に消えてしまっている。今の精神状態では再形成も難しいし、仮に可能だとしてもこの状況ではそもそもさせてくれないだろう。

 まさか、冷静になったことが仇になるとは思わなかった。焦ったままの状況なら、少なくとも魅せられることは無かっただろうに。

 幸いなのは、狙撃手も呆然としていることか。恐らくこれを至近距離で見たのは初めてなのだろうし、もう暫くは動けない筈だ。


「とは言え、武器無しでどうしろと――――」


 言うのかしらね、と月葉は呟く。

 真っ先に思い付くのは「一度退いて立て直す」だが、それは可能なら避けたい手段だ。その選択をした場合、狙撃手を逃がすことになる。

 獣はともかく、狙撃手だけはなんとかここで仕留めたい。そうしなければ彼は恐らく、今よりも遥かに厄介な敵となるだろう。

 ならば獣を誘導して、狙撃手を攻撃してもらうか?

 いや、それも難しいだろう。と言うかそもそも、獣が後ろ蹴りをした時点で対面の彼を認識しない筈が無い。

 それなのに攻撃しない辺り、獣は狙撃手を敵と見做してすらいないか、或いは優先度が低い相手だと思っているかのどちらかだ。そんな状況で誘導しても、素直に乗せられてくれるとは思えない。

 

 ならば、獣を躱して狙撃手に組み付き首をへし折る――も、無理だ。雪霊の首をへし折るには、自分の腕では非力過ぎる。


「………………はぁ」


 思わず、深く溜息を吐いた。

 駄目、駄目、駄目。思い付く限りの作戦は、どれも不足で役に立たない。

 この状況を脱するには、今の思考では駄目だ。

 必要なのは、覚悟と諦観――そう。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……私は雪霊――ただの、雪塊(ゆきくれ)だ」


 僅かな沈黙の後、月葉はそう噛み締めるように呟いて――


 ――――自分の両目を、指で抉った。


「ッ……ァ、ア……!」


 瞬間、激痛が走る――違う、これは偽物。

 痛くなんてない筈だ。人間なんて、とうの昔に捨てた筈だ。

 生きた人間の()()なんて――もう、不必要な筈だろう。


「……これで――もう、見えない」


 痛みが消えていくにつれて、シンと心が冷えていく。さっきまで強く惹かれた獣は、もう美しいと感じない。

 それは最早、ただ醜悪で悍ましい――命を奪うだけの怪物(ケモノ)だ。


「そんなもの、この世に在るべきものじゃない」


 月葉は殺意を掌の中に凝縮させる。見えない所為で少し時間はかかるだろうが、先刻のように消されることはもう無いだろう。


「Bumoooooooooooooooooooo――――ッ!!」


 音と鳴き声を頼りに、獣の蹴りをひらりと躱す。

 不思議と、目を潰す前より余裕がある。させてくれないだろうと思っていた雪形(ユキガタ)の再形成が、容易く出来てしまう程に。


「……大丈夫そう。これなら――殺せる」


 感覚が研ぎ澄まされているのが分かる。微かな風の流れすら、今なら感じ取れそうな気がした。


「――――」


 短剣(ナイフ)を構え、月葉はふわりと雪を蹴った。

 その疾走には、最早微塵の音もしない。駆けても、跳ねても、躱しても、その足元は全く無音で、鳴るのは虚しい風切音と生々しい斬撃音だけだ。

 緩やかに、獣は追い詰められていく。その内抵抗する気力も消え失せてしまったかのように、獣はその場に崩れ落ちた。


「…………」


 刹那、響いた微かな音を彼女は聞き逃さなかった。

 ひぃん、という空を穿つような音。普通ならばその音は静寂に等しい程度のものだが、今の彼女には精々虫の羽音程度だ。

 月葉は飛来したそれをあっさりと躱し、発射点に声を掛ける。


「……戻ってきたのね。そのまま呆けていた方が、まだ楽だったと思うけど」

「……馬鹿言え。そうしたら、お前に殺されるだろうが」


 腹立たしげにそう言って、霜之宮は二発目を放つ。それをやはり平然と躱し、月葉は悠然と歩を進めた。


「……貴方は、どうして死にたくないの?他人の存在を踏み躙って、自分のことだけ考えて――生存って、そこまでして縋る程大事?

 私には分からない。死にたくない理由って何?どうやったら他人を踏み躙る程それを大事だと思えるの?

 ねぇ、教えてよ――貴方はどうして、生きたいって思えるの?どれだけ必死に生きたところで、絶望を繰り返すだけなのに」


 伽藍洞な眼で、月葉が霜之宮を見据える。その姿に恐ろしいものを感じながら、震える声で霜之宮は叫んだ。


「――――黙れ!

 俺はお前とは違うんだ……お前みたいな死神とは!

 生きたいと願って何が悪い!死にたくないことの何がおかしい!

 俺は――人間なんだッ!!」


 霜之宮の放った弾丸が、月葉の左胸を捉える。それでも一切止まることなく――月葉は、短剣(ナイフ)を振り抜いた。


「……悪いけど、私はそれを肯定出来ない。だって私も、そして貴方も――もう、在りし日の残雪なんだから」


 振るわれた刃はすぅと霜之宮をすり抜けて、ごろりと彼の首が身体から離れる。そうして地面に転がった首に、月葉はもう一つ問い掛けた。


「……最後に聞かせて。貴方は、死にたくなかっただけだったの?」

「……ああ。俺は本当に、ただ死にたくないだけの存在だったよ――でも」


 少し間を空けて、霜之宮は言う。


「本当は、それで終わりにしたくなかった。出来ることなら、もっと欲張りになりたかった。

 ……生きたかったよ。人として、普通に――――」


 それを最後に、霜之宮の声は雪に消えた。

 彼がそれを、どんな表情で言っていたのか――ちゃんと分かっていたけれど、月葉は知らない振りをした。そしてくるりと振り返り、大人しく断罪を待っていた獣にゆっくりと近付く。


「……ごめんなさい――それから、お休みなさい」


 ぱつん、と命が途絶える音がする。終わったのだと実感して、見えもしないのに思わず空を仰いだ時、不意に頬で何かが弾けた。

 どうやら、霙が降り始めたらしい。それに奇妙なタイミングの良さを感じながら、月葉は頭の整理を始める。


 生に執着した狙撃手は死んだ。もう蘇ることはない。

 ……残酷な行為だっただろう。彼はきっと生きた人間なんかよりずっと、生きたがっていた筈だから。

 けれど、可哀想とは言ってはいけない。他者の存在を粗末に扱った者の死に、その言葉は決して正しくないのだと月葉は誰より知っている。


 ……正しくは、それを――因果応報、と言うのだ。そう言わなくては、ならないのだ。

 それは死者への冒涜ではなく――ただ、己が狂わない為に。


 外道は決して、人であってはならないのだから。

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