#03 喪う/汝は人に似ているもの、或いはヒトに似ているもの
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(……銃声――?)
何処からか聞こえて来た音を、感覚でそう認識した。
しかしそれは間違いで、ただクラッカーが鳴らされただけだったのだと、真下を見下ろして漸く気付く。
眼下に見える校舎裏には嬉しそうに囃し立てる数名の男女と、その中心で恥ずかし気に俯く二人組の姿があった。その状況から察するに、中心の二人が交際の成立を友人達に祝福されているというところだろう。
とは言えそれは推察で、確たる証拠は何処にも無い。更に言えばそこに居る彼らは別学年で、顔見知りですら無かったのだが――――
「なんとなく、祝福したくなったから」。
理由を探せば、恐らくそんなところだろうか。真下に見える彼らに向けて、思わず「おめでとう」と小さな声で呟いてしまう。
「……馬鹿馬鹿しい」
それに続いて無意識に、そんな言葉が口から漏れた。しかしその言葉には、彼らの幸福を嘲り嗤う意図など別段含まれてはいない。
嘲ったのは、自分自身だ。思い返せば彼らに気付いたその理由が、あまりにも馬鹿げた勘違いだったものだから。
クラッカーの音を、銃声と聞き間違えてしまうだなんて――そんな殺伐とした人生、今まで送っていなかっただろうに。
……とは言え、心当たりが無いでは無い。その音から何より早く、銃声を連想するようになったのは――
――――あの日、両親が羆に喰い殺された時。偶々通りすがった猟師が撃った銃の音を、クラッカーのそれと聞き間違えてからだろう。
羆を撃った彼はその後、一体どうなったのだろうか。何やら揉めたとは後で聞いたが、詳しいことは未だ殆ど分かっていない。
後で、望野木先生に聞いてみるか――そんなことを考えつつ、校舎の屋上でぼんやりと、曇った空を仰ぎ見て思う。
(……もう昼休み、か)
ちら、と北に目を向ける。
見えはしないが、この方角には閉園になったアドベンチャー施設が存在する。別に思い出が有る訳でもないそこに今、わざわざ視線を向けたのは、今もそこに居るかも知れない少女のことが気になったからだ。
氷室月葉――彼女は今も、戦っているのだろうかと。
◇
昨日の放課後、獣の出現を聞いた月葉は一人で戦場へと向かった。自分も一応、最初は彼女に同行するつもりだったのだが――――
『今回は大人しくしてなさい。まぁ、今年の冬を今日で終わりにしたいなら、別に止めはしないけれど』
……そんなことを言われては、流石に大人しく待たざるを得ず。そうしてその場は一旦別れることになり、時が流れて今に至る。
現状、自分と月葉の間には連絡を取る手段が無い。なので今現在、彼女がどういう状況に在るのかもこちらからは全く分からない状態だ。
それが分かるとすれば放課後、胡乱の店でということになる。それまで暇だから、という訳でも無く、日常の行動として今日も普通に登校している訳なのだが――正直な話、ここ最近はそんな「普通の行動」が、凄まじく違和感に思えて仕方無い。
この感覚を一言で言い表すならば、そう――
(――――平和、だ)
それに違和感を覚える程に、ここ数日の出来事は劇的で非現実的だった。と言うか実際、嘘か夢と呼んだ方が幾分現実味があるかも知れない。
しかし嘘や夢では無い、紛うことなき現実である――その証拠とでも言うように、もたれかかった鉄柵からは何の温度も伝わって来ない。
真冬の、その上雪に濡れて凍り付いた鉄柵を、この身体は全く冷たいと感じないのだ。その事実が、嫌になる程鮮明に現実を突き付けてくる。
自分が、もう――既に、死んだ人間なのだと。
「……雪霊、か」
呟いて、体温の無い自分の手を見る。
雪霊――月葉曰く「在りし日の残雪」。初めて聞いた時は随分詩的な表現をするなと内心思っていたものだが、考えてみれば成程確かに最適だ。
生存していた頃の残滓、生の舞台に幕を引き、後に残った存在の塊。そんな存在の表現として、これ以上相応しいものは無い。
……相応しい、だからこそ残酷な表現だと思う。
その表現は、自分は生を失った残留物――即ち「生物」ではなく「物」に過ぎない存在だ……そう明示してしまうことと、全く同義なのだから。
……ふと、胡乱の言葉が頭に浮かんだ。
『何も無い空虚、孔を抱えた喪失者。そう在ることは時として、死よりも苦痛で御座いますから』
今にして思えば、あの言葉は結島だけでは無く、月葉のことも同時に示していたのかも知れない。
人間としての自我と記憶を持ちながら、自分が人間であることを否定する。それは最早、自分という存在そのものを否定しているのと同じだ。
その否定が生む空虚と苦痛は、果たして死ぬのとどちらの方がマシなのだろうか――考えたが、すぐに「想像も付かない」という結論に至る。ただ少なくとも、まともな神経で耐えられるもので無いことは確かだ。
彼女は何故、そんな在り方を選んだのだろう。絶望故の自暴自棄か、或いは何かに対する覚悟か、それとも全く別の「何か」か――――
「……なんて、俺が考えても無駄だな」
思考というのは個人のものだ。他者が幾ら考えて、そして理解を示したところで、それが妄想の域を出ることは決して無い。
要は「考えるだけ無駄」。他者の考えていることなど、本人に聞かねば分からないものだ――と、以前そう望野木先生に教えられた。
これまで考えていたことにしても、俺の勝手な妄想に過ぎないものなのかも知れない。実際はそこまで深いことなど考えていなくて、ただ詩的な表現が好きだから使っていたという可能性も大いに有り得る。
……だが、だとしても。その表現が例えどんな意味であれ、彼女が自ら死を選んだという事実が変わることは無い。
その理由を考えることも、この場では無意味な行為なのだろうが――それでも、気にはなってしまう。
在るか消えるかの二者択一。人として終わる前のように、生死と形容されたそれらの選択肢の中で、彼女は何故、自ら死ぬことを選んだのか――否、「選べたのか」と言うべきか。
言い方は悪いが、その選択には人間味が無い。
雪霊も元は人間という生物だ。一度死んで変じたとは言え、流石に人間としての価値観や思考回路までもが突然別物に変化するとは考え難い。
ならば雪霊も、本能的には「生きたい」と願うものである筈なのだ――そういう意味で言うのであれば、「彼」の方が余程人間的と言える。
「人間の敵」――月葉にそう言い表された、獣を守る雪霊の方が。
「……霜之宮、冬至」
思い出すように、男の名前を口にする。
昨日、月葉が店を出て行った後。胡乱が突然「サービスで御座います」とか言い出し、教えてくれた「彼」の名前だ。他にも霜之宮が雪霊になった背景とか、その後の選択と行動とか、色々なことを教えてくれた。
何故そんなことを知っているのか、とか、わざわざ月葉が出て行ってから話す理由は、とか、気になることは山のようにあったのだが、胡乱は霜之宮以外について聞いても「企業秘密、で御座います」の一点張りで、結局何も分からなかった。本当に胡散臭いと言うか、信用出来ない奴である。
だが、お陰で霜之宮については色々と知ることが出来た。ただ、言ってしまえば一方的に聞いただけで、本人と直接話してはいない。
故に、霜之宮が実際どんな人間なのかは正直あまり定かではない。確実なのは、彼が「人間の天敵に与する存在」――文字通り、「人間の敵」であるということぐらいのものだ。
彼を示すその表現には、確かに筋が通っている。
敵の味方は敵、ならば彼は必然「人間の敵」ということになる。非常に分かり易くシンプルな理屈で、特段間違ってもいない。
間違っていない、が。この表現には語弊があり、誤解を招くものだと思う。
人間の敵。その言葉だけを聞いた時、普通はこんな印象を抱くだろう。
『酷く、悪辣な存在だ』
それはある意味当然と言える。自身が属する種族の敵だと名乗られて、好感を抱くのは余程の馬鹿か自殺願望者くらいのものだ。
しかし胡乱の話を一旦信じて考えると、彼がそんな悪辣な存在には思えない。まぁ外道ではあるのだろうが、その行動を悪とは決して呼べないのだ。
獣とは、雪霊にとっての楔である。
死者たる雪霊を地上に繋ぐ命綱、一蓮托生の存在。仮に獣が命を落とせば、雪霊には二度目の――もとい、本当の死が待っている。
先刻の繰り返しになるが、雪霊とて元は人間だ。ならば死を恐怖し、生に執着し、どんな手段を使ってでも死を回避しようとすることは、全く以ておかしくない。寧ろ、至って正常な反応と言える。
単純な話――別に、生きたいと願うことは悪ではない。だからこそ霜之宮冬至は悪党ではなく、ただ純粋に外道なのだ。
自分の為に、他者の存在を犠牲にする。不自然では無いが、自己中心的なその行為が――「綺麗事」という人の道を、大きく外れているが故に。
人道に沿っているからこそ、人は人と呼称される。その道を外れているならば、それは人間であっても「人」ではない。
言うなれば、それは「人間」という名の獣だ。生きる為、一切手段を選ばない――そんな、ある意味人間の本質とすら言える存在。
かつては人であった獣。最早善悪で測れない、今は獣になった人間。
「……外道」
思わず溢れたその言葉が、侮蔑か恐怖かは知らない。
ただ、震えた。感じていない筈の寒気が、背筋を通り抜けたかのように。
……ほんの一瞬、重なってしまった。
霜之宮冬至。想像の中の彼の姿と――自分自身の、未来の姿が。
月葉が示した二つの道。その一方を進んだ先に、霜之宮冬至は立っている。
人間らしく死を拒み、生きたいと強く願った末路。仮に生きたいと望んだら、俺も同じ外道になる――そんな未来が、不意に見えてしまったのだ。
『人間らしくて、けれど人として間違っている』。
確かに見えた、その在り方を選ぶ勇気は――正直言って、俺には無い。ただ現状、思想としてそちらに傾いていることは確かだ。
何故なら、俺は知っている。知った上で、疑問視している。
もう片方に伸びる道。その道を既に進んでいる、一人の少女の在り方を。
(……月葉)
氷室月葉――彼女の姿は、死を選んだ先の姿だ。
事実としてその選択は、人間らしい選択とは言えない。けれど現実を考えれば、人としての結末はこれが最も正しいと思う。
死亡とは、死して魂が完全に亡失することだ。ならば死して尚も地上に残る雪霊という存在は、確実に間違った存在だろう。
死んだ者の魂は、亡失しているのが正しい。仮にそうでないとしても、自らを犠牲に他者を守るという行為は(「獣を倒す」という行為が、結果的にそうなっているだけであるとしても)人道的な行為と呼んで差し支えない。ならばそれは、人として「正しい」選択と言える。
『人としては正しいが、けれど人間らしくない』。
月葉がしたその選択を、人は正義と呼ぶのだろう。
「他者を犠牲に自分を生かす」選択肢と、「自分を犠牲に他者を生かす」選択肢。道徳的な正解は確実に後者だと思うし、俺自身同じことを仮に授業で聞かれたのならばまず間違い無く後者と答える。
……しかし、それはあくまで「もしも」の話であるならの話だ。現実の選択となった今なら、前者と答えるかも知れない。
何故なら俺の本質は、人であるより前に人間で。自らの死を平然と受け入れられる程、人間性を失っていない――もとい、捨てられていないからだ。
生に縋り、死に怯える――そんな、平凡な「人間」らしい価値観を。
(……本当に――)
悪趣味だ、と心底思う。
仮に雪霊の存在が、神の御業であるとしたら。その神の性格は間違い無く、人間などより遥かに邪悪だ。
雪霊が人間として在ることは許さないくせに、価値観だけは人間であれと強要する――そんな神が、善良である訳が無い。
それが押し付けた選択肢に従うというのも業腹だが、そこはもう「起きたことは仕方無い」としか言いようの無いことだろう。ならば問題となるのは、やはり「どちらを選択するか」だ。
霜之宮の存在を受けて随分と色々考えたが、結論は未だ出ていない。どころか寧ろ、余計に分からなくなった気さえする。
現実が見えて来れば来る程、人間としての価値観や常識が邪魔をする。人間として霜之宮の理由は想像出来るが、月葉の理由は想像出来ない。逆に人として考えると、月葉が正しくて霜之宮は間違っているのだと思う。
自分は人間に似ているのか、或いは人に似ているのか。雪霊としての在り方を、一向に決めることが出来ない。
どこまでも半端で、矛盾している。その所為で、尚更悩んでしまうのだ。
何故なら、その在り方は――俺の思う「人間」そのものなのだから。
「……あ」
考えていると、不意に霙が降り始めた。
俺は空を睨み付け、嫌悪を込めて小さく呟く。
「……嫌味かよ」
そう呟いたのは、空から降り注ぐその粒が。雨にも雪にもなり切れない、中途半端なその天気が――
――――嘲笑う神の皮肉のように、思えてしまったからである。
◇
……そして、放課後。授業が全て終わってすぐ、俺は教室を飛び出した。
学校を出て僅か数分。俺は胡乱の店に辿り着き、半ば体当たりをするように扉を開く――と、果たしてそこに月葉は居た。
「……やっぱり、来たのね」
呆れたように虚しげに、疲れたように寂しげに、彼女は静かに呟いて、目線で「来い」と促した。俺はそれに従って、彼女の前に腰掛ける。
「来たってことは、聞きたいのよね?良いわよ、望み通り聞かせてあげる」
月葉は珈琲を一口飲んで、それからゆっくりと口を開く。
「今回の戦いの顛末と――誰より生を強く願った、一人の男が迎えた末路を」
※別に読まなくても良いです。
ちょっとした、本編では多分書かない裏設定の話。
雪霊は、肉体という器を失った魂が代わりに雪を器にしたものです。
しかし当然ながら本来の器ほど定着率が良くないので、魂が持つ本質と言うか性質が表に漏れ出てしまいがちです。雑に言えば「気密性が悪い」って感じでしょうか。
その為、彼らの言動は割と感覚的と言うか直感的と言うか、本能的になりやすいです。考えるより先に身体が動く、みたいな。実のところ、雪形もその副産物だったりするんですが……それについては、またいずれ。