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在りし日の残雪より  作者: 紅月 雨降
一/初冬之章
10/25

#04 墜ちる/理不尽に幼き憎悪の切先を

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 氷宝山の山頂、雪降り積もる展望台。強制的に戦場と定められたその場所で、氷室月葉は改めて猿の獣と相対した。

 獣の関心は無防備な二人()ではなく、眼前の自分()のみに向けられている。恐らくは、傷を負わされた怒りで周りが見えなくなっているのだろう。


(――――擦り傷でも、案外無駄にはならないものね)


 危惧していた状況にならないことを悟り、月葉は胸を撫で下ろした。

 だが――それを差し引いても、戦況は絶望的と言わざるを得ない。


「こっちは片腕、しかも……片足」


 どうやら、先刻の一撃で粉砕され弾け飛んだ岩の破片が右足に当たっていたらしい。そのせいで太腿が深く抉れ、動かそうとすると酷く痛む。


「幻肢痛だと分かってても……慣れないわね、本当」


 十年。それだけの期間戦い続けても、この痛みだけは消えてくれない。

 ――――血も通わないこの(カラダ)に、痛覚なんてある筈が無いのに。


「――――全く――――」


 迷惑な話だ、と月葉は内心舌打ちをする。

 この痛みのせいで、いつまで経っても死んでいると確信できない。痛む度に背筋が冷えて、本能が「死にたくない」と騒ぎ出す。


 ――――ふざけるな。私は早く、死にたいんだ。


 本能の叫びを強引に押し込め、少女は殺意を集中させる。それは眼前の獣に対して……と言うより、自分自身に対しての。


「痛いの痛いの――」


「――――飛んで行け、よ!!」


 誤魔化すようにそう叫び、月葉は強く足を踏み込む。

 瞬間、右足に走る激痛――関係無し、このまま前進。

 

「oooooooooooooooッ!!」


 行動を始めた少女に、獣は威嚇の雄叫びを上げた。


 月葉は翻弄するように獣の周囲を駆け巡り、彼女を追って獣は幾度も拳を叩き付ける。それが空振る度に弾ける瓦礫の速度は、最早弾丸の比ではない。

 それらを紙一重で躱し続け、月葉は獣へ肉薄する――しかし直後、その身体が突如として安定を失った。


「っ足、が――――!?」


 過剰運動で限界を迎えた右足が折れ、月葉はぐらりと体勢を崩す。その瞬間を狙い澄ましたかのように、獣は無防備な彼女目掛けて拳を振るった。


「――――これは――――」


 まずい、と本能で理解した。

 今の状態でこの一撃をまともに受ければ、ほぼ確実に身体が崩壊してしまう。けれど踏み込む足さえ持たぬ月葉には、最早回避の手段すら残されていなかった。


「っ、あぁぁぁあぁぁぁ!!」


 絶対的な死を前にして尚も少女は殺意を咆哮し、掌中の短剣(ナイフ)を握り直す。

 そうして、獣の拳にそれを突き出そうとした――その直後。


 月光が、ほんの少し揺らめいた。


「――――――」


 ひぃん、と言う空を切り裂く音。やけに甲高いそれが展望台を満たすのとほぼ同時、月葉を砕く筈だった獣の拳は音も無く宙を舞っていた。


「ooooooooooooooッ!?」


 認識外からの攻撃に、獣は驚愕の叫びを上げる。しかし少女の瞳に映るのはその姿では無く、透明な鎌を手に立ち尽くす青年の姿であった。


「…………そう。それが、貴方の選択なのね」


 氷の刃と共に現れた「彼」の姿を見て、月葉は何処か寂しげに呟く。それはある種の憐憫であり、そして――


 ――――同時に、侮蔑でもあった。


       ◇


 結島晶はその感情を、幼い子供のようだと思った。


 ()すること。それは、排除したいと願うこと。

 嫌悪であれ、憎悪であれ。この世界に在るものは、己が悪を感じるものを意識の内から排除しようとする性質がある。

 

 死というものは、それの最も簡単な手段だ。例外はあれど、大抵のものは死すれば自身の前に現れない。人が蜚蠊(ゴキブリ)や鼠を罠や薬で殺そうとするのは、これを本能的に知覚していることが主な理由である。


 ならば、死と言うそれそのものを悪する存在は。

 それが、己が悪するものを意識の内より排除したいと願ったならば。

 死を憎み、故に死を与える。それは――矛盾だ。


「……『自分がされて嫌なことは、他の人にもしちゃいけません』――なんて、小学生でも習うのにね」


 呟いて、晶は静かに自身を嗤った。

 矛盾を他者に押し付ける行為。それは幼子だけに許された特権的な我儘であり、大人がすべき行為ではない。

 

 ……という認識が「当たり前」であり、ヒトの在るべき正しい形だ。


 けれど、晶は分かっている。今の自分にとって――そんな「在り方の正常性」は、最早微塵の意味さえ持たないということを。


 結島晶は堕ちている。墜ちるよりも、ずっと前に。


 大人、子供、生者、死者。そんな人間としての区別など、一切合切存在しない――ただの、伽藍洞(カラッポ)な「何か」へと。

 だからこそ彼は殺意を握る。幼い幼い我儘な憎悪を、それが形を成した刃の切先を――己の憎む理不尽へ、理不尽に押し付ける為に。


「ごめんね、君を憎んではいないけど――」


「――――死んでくれ、僕の死よ。僕は、それだけが憎いから」


       ◇


 晶は高く跳躍した。

 降り積もる雪、身の丈以上に大きな鎌――それらの悪条件を以てして、尋常では無い高度だった。

 重力を無視したその動作は、跳ねたと言うより浮いたと表現する方が恐らく正しい。けれどそこに飛翔する鳥のような軽やかさはなく、どちらかと言えば水中を揺蕩う海月(くらげ)のそれに良く似ている。


「――――死ね――――」


 そう言って振り下ろした鎌は、丸太が如き獣の腕をいとも容易く切断した。

 痛みに喚く獣を尻目に、晶は刹那の間だけ地に降り立つ。そして即座に地を蹴って、再び空へと浮遊した。


 ――――右後腕、左前腕、左後腕。晶は浮遊を繰り返しながら、獣の腕を次から次へと斬り落として行く。

 戦闘開始から、ほんの数秒が過ぎる間に――化け物じみていた筈の猿は、ただの達磨へと成り下がっていた。


「o―― ooooooooooooooッ!?」


 勝機が無い。そう判断したのか、獣は残った足で展望台から逃げ出そうと無様な動作で走り出す。

 そして獣が柵を飛び越えた、その瞬間――


 ――――背を照らしていた月光が、ほんの僅かに揺らめいた。


「……目覚めた時、声が聞こえた。

 誰のものかも分からない、けど聞いたことがあるような声……今の叫びで、漸く確信できた。

 ――――あの声は、君だったんだね。

 墜落願望――君が僕や乗客達を殺したのは、それが理由だったのかな。どうやら君は、それを正しいと思っているみたいだし。

 ……でも、僕には君を理解できない。君の正しさを、押し付けられる謂れもない。だから、自分の正常性を突き詰めたいなら――」


「――――お前一人で、勝手に墜ちてろ」


 獣の身体は、大地に向けて墜ちて行く。


 深い絶望を宿した首が――その後を、少し遅れて追いかけて行った。


       …


 ふと気が付くと、そこは静寂だった。

 戦いはいつの間にか終わっていて、後には廃墟と化した展望台の残骸だけが残っている。

 呆然と立ち尽くしていると、何処からか大鎌を携えた結島がふわりと隣に降りて来た。


「…………終わり、ですか」


 尋ねると、結島は静かに笑んで小さく頷く。


「うん、終わったよ――これで、全部」


 そう口にする彼の身体は、少しずつ崩れ始めていた。

 ……月葉の言っていた通りだ。自分を殺した獣を殺せば、雪霊はその仮初を終える――――


「これで、良かったんですか?」

「……さぁ、どうだろうね。僕はただ、憎しみのままに行動しただけだから――その後のことは、考えてない」


 あぁ、でも。そう前置いて、結島は呟く。


「死んだら、彼女にまた会えたりするのかな――――」


 その言葉を最後に、結島の身体は崩壊した。

 それは無数の雪の粒となり、月光を受けてちらちらと輝く。さながら、ダイヤモンドダストのように。


 俺には、その美しい光景が。


 酷く、醜悪であるように感じられた――――。

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