第15話
四月八日、土曜日、午前七時。
今日は火野上さんは起きてこないらしい。
昨晩二人で遅くまで映画を観ていたから、しょうがないか。
リビングにある超大型多機能テレビ。動画サイトでも映画配信でも何でも観れるコイツは、結構な時間泥棒だ。家自体が防音のはずだから、大音量でもクレームの類は一切来ない。このテレビで僕の好きなゲームやアニメ見たら凄そうだな……とは思うものの、火野上さんの教育上宜しくないかもと自制している。
……よし、日報の送信と。
今日明日は学校もないし、家でのんびりでもしようかな。
今日の朝ごはんは……ポーチドエッグにマフィン、おお、マクドのモーニングみたいだ。
サラダとコーヒー、それと冷凍のハッシュドポテトとベーコン、うんうん、美味しそう。
早速調理しますか、たまには一人でするのもいいでしょ。
ピッピッピとIHを加熱させて、お湯を沸かしてその中に酢を混ぜてと。
生卵を投入……きっちり二分で掬い上げて氷水の中へ。
てきぱきとこなして、二人分の朝食があっという間に完成した。
宅配で材料が予め決まってるのって楽でいい、母さんにも教えてあげようかな。
コップに氷、ウォーターサーバーから水を入れて、席に座る火野上さんに手渡してと。
「……って、うわ! 火野上さん、いつからいたの!」
「桂馬が料理してるから、見てた」
「あ、ごめん、料理したかったよね」
「ううん。桂馬の料理、凄い上手だった。だからノノン、勉強の為に見てた」
じぃっと僕を見つめる彼女の隣に座って、頂きますと両手を合わせる。
「宅配のレシピ見ながら作ってるだけだよ、火野上さんだって直ぐに出来るようになるさ」
「本当? ノノン、桂馬よりも料理出来るようになる?」
「なるよ、あっという間に超えちゃうんじゃないかな」
「……にへへ、そっかぁ……良かったね、けーま」
何が良かったのか分からないけど、彼女がご機嫌なら良しだ。
午前中に洗濯と掃除をして、その後は火野上さんの勉強をみる。というか受ける。
「七百七十七円の買い物をして、ノノンは千円で払いました。お釣りは幾らでしょうか?」
「二百……」
ぐっと彼女の眉間にしわが寄った。
ここはワザと間違えるが正解か。
「……三百三十三円です」
「ブッブー! 桂馬さん不正解です! そこはノノンも間違えました。答えはなんと二百三十三円なのです!」
……それも違くないかい? だけど、その間違い訂正は流河先生に任すとするか。
何故なら火野上さんはこんなに可愛い頭をしているのに、超が付く程に短気だ。
絶対に間違いを認めないし、指摘したら指摘しただけアングリーゲージが加算されていく。
青天井で上っていくそれは、彼女の暴走を以って終了となる。と、流河先生が言っていた。
「では、次の問題です!」
可愛い子が可愛い間違えをしているんだ。
土曜日ぐらいこんなのでもいいじゃないかと、僕は思う。
お昼、算数国語教室を終えた後、二人でキッチンに並んで立つ。
昼食はお蕎麦とそぼろ丼、既に配合された調味料を混ぜて炒めるだけの簡単レシピだ。
野菜のカットや火の回りは火野上さんにお願いして、僕はご飯と蕎麦を茹でるのみ。
「ノノン、実は料理の才能もあったんだなー」
「そうだね」と、やや苦笑しながら返事をする。
「新しい生活楽しい、ずっと楽しい、桂馬、ありがと」
「そう言って貰えると、頑張ってる甲斐があるよ」
「……うん、ノノン幸せ、今が一番幸せ……」
ふとした瞬間に涙がポロポロ溢れて来る。
感情の起伏がとて激しい、怒りも悲しみも、彼女は抑えることが出来ない。
「まだまだ始まったばかりだよ」
「うん、でも、ノノン嬉しいの」
「そうだね、火野上さんが喜んでくれて、僕も嬉しいよ」
「けーまぁ……」
ぽんと飛び込んできて、僕の胸で泣き続ける。
泣き虫で怒りん坊で、それでいて笑顔が可愛くて嬉しいとぴょんぴょん跳ねる。
なんでこんな子が、あんな辛い過去を背負っているのかな。やるせないよ、ホント。
「桂馬、これなぁに?」
お昼の片づけをしていると、テレビ付近をいじっていた火野上さんが、何やら細長い箱を手にしてやってきた。
「ジャンガだね、タワーを作って木の棒をゆっくり引き抜いて、上に置くゲームだよ」
「ゲーム? ノノン、遊んでみたい」
「片づけ終わるから、ちょっと待ってね」
テレビゲームだと時間取っちゃうけど、パーティゲームなら問題ないかな。
縦横三列、ランダムに置いた木の棒を抜いて上に置く、もはや説明不要のゲームだ。
箱ごとテーブルの上に縦に置いて、すっと箱を抜くと準備完了だ。
「下の方にある木の棒を、こうやって、ゆっくり抜いて上に置けばいいの」
「おおー、これならノノンでも出来そう」
「そうだね、でも慎重にね」
「……出来た、抜けたよ」
「じゃあ、それをタワーの上に置いて」
「……置いた、ノノンの勝ち!」
まだですね。一個置いて勝敗ついたら、先行超有利ゲーになっちゃうよ。
「これはね、がしゃーんって崩れた方の負けなの」
「そうなのか。じゃあ桂馬、どうぞ」
「うん……あ、火野上さんが邪魔したらダメだからね?」
「うぐっ、そ、そんなのノノン分かってるし」
嘘つけ、いま後ろから僕のこと押そうとしたくせに。
本当、考える事が可愛いよなぁ……っと、よし出来た。
ジャンガとか遊んだのいつぶりかな、小学生の頃、正月に親戚一同集まって遊んで以来かも。
となると五、六年は昔か……いつになっても楽しめる遊びって、いいもんだな。
というか火野上さん、こういう集中する系、結構得意だったりする?
手の震えが全然ないし、物凄い静かに集中してる。
「……出来た」
「え、これ、もう抜くとこないんじゃ」
二本支えと一本支えしかない、それが最上段まで連なっている。
どこを抜いても崩れる、こんなの初めて見たぞ。
火野上さん、すっごい期待に満ちた目で僕を見ている。
「……参った、僕の負けだよ」
「がしゃーんは?」
「ぐっ……じゃあ、いくよ」
がしゃーん! って盛大に崩れ去るジャンガ。
死体蹴りに近いな、結構な屈辱だ。
「きゃったああああああぁ! ノノンの勝ちぃ!」
「完敗だよ、まさか負けるとは思ってなかった」
「じゃあ勝ったご褒美、何にしようかなー?」
「えー、そんなの決めてなかったのに」
「にひひー! あ、じゃあ、桂馬はノノンと一緒にお風呂に入って下さい!」
え?
「いや、お風呂はだって」
「ノノンと一緒に入るの、嫌なの?」
「嫌じゃないけど、でも」
「桂馬に洗って貰えるの、ノノン好きだよ?」
「……あー、そう、ですか」
「そうなのです。ねぇ、今から入ろうよぉ」
「今から? まだお風呂作ってないし、まだ三時だよ?」
「何時でもいいの、ノノン幸せだから」
火野上さんと一緒にお風呂に入るのは、初日にこのマンションに来て以来か。
あの日に比べたら臭いも全然ないし、一緒にお風呂に入る理由はほとんど無いんだけど。
単純に火野上さんが嬉しいのなら、身体を洗うぐらいは、別にいいよな。
『お風呂の準備が出来ました』
自動ボタンを押して二十分程で、湯舟がお湯でいっぱいになる。
洗うだけなら不要かもだけど、そのまま湯舟に浸かりたいんだろうね。
「桂馬、準備出来た!」
「分かった、今行くー」
「ノノン、先に服脱いで待ってるね!」
脱衣所のカゴの中に乱雑に放り込まれた彼女の肌着を、洗濯ネットに詰めてと。
ん? 彼女の下着にいつもと違うシートが付いてる、なんだろこれ。
「火野上さん、これって?」
「え、また桂馬、ノノンのショーツさわってるの? ……えっち」
「いやいや、これって何? 剥がしていいの?」
「うん。それ、おりものシート」
「おりもの?」
「うん」
おりものってなんだろう? 知らないことが多いな。
生理用品とは違う、なんか薄い感じのシートだ。
「桂馬、ノノン、ショーツ見られるの恥ずかしいかも……」
「あ、ごめん」
女の子の下着をずっと見るとか、どこの変態だよ。
ぺりぺりと剥がして、くず入れにポイっと。
浴室には背中を向けた彼女が座っていて、顔だけこちらを見てニコニコとしている。
「じゃあ洗おうか」
「あれ? 桂馬、脱がないの?」
「脱ぎません。僕まで脱いだら大変な事になるでしょ」
「脱いでもいいのにぃ、ノノンと一緒、お風呂入ろうよぉ」
「ダメです、入りません。変なこと言うと洗わないよ」
「あ、ダメダメ、宜しく、お願いします」
火野上さんは性認識がちょっとまだ緩い、きちんと守らせないとだな。
しばらくはとても平和な日が続き、それから約一か月後。
僕達は久しぶりに再会した渡部さんと一緒に、保護観察官報告会へと向かう。
月に一度、都内にて開催される、全国青少女保護観察官の顔合わせの日だ。




