番外編…②
2人が付き合った後の話。
(…あつい…)
カーテンの隙間から光が差し込む寝室で気持ち良く寝ていた陽毬はふと目を覚ます。そして自分の身体に巻き付いている存在がもたらす暑さと重さに薄らと眉間に皺が寄った。2人が寝ても余裕のあるベッドの上で陽毬を腕の中に閉じ込め、ぬいぐるみのように抱き締めて寝息を立てている男、朔夜に視線をやった。6月に入り、日中は薄着で十分な気候になってきたものの朝は比較的涼しい。しかし、体温の高い朔夜が密着している状態だと微妙に暑いのである。
陽毬は朔夜の腕の拘束を外そうと試みるも、寝ている癖に力が強いせいか外れない。無理矢理抜け出そうかとも考えたが、そうしたら朔夜が起きてしまう。ここ最近朔夜は忙しく、残業も多かった。疲れているだろうから昨日会うのは辞めようと言ったのだが、朔夜は頑として会うと譲らなかったのだ。陽毬の方も予定が立て込んでおり、朔夜と会うのは数週間振りだった。疲れていようが陽毬に会いたいとメールで告げる朔夜にうっかり絆され、彼の部屋に行ったは良いものの…。
(夜通しとは思わないでしょ。疲れてるって絶対嘘)
陽毬と朔夜は会う度に身体を重ねている訳ではない。互いの部屋で目的もなく過ごし、気が向いたら外に出る。陽毬もそっちの方面に熱心な訳ではなく、朔夜も淡白な節があった。が、それは陽毬の思い違いだった。陽毬が乗り気ではないから控えていただけで、数週間会えないと色々と箍が外れてしまうらしい。結果、陽毬が寝落ちする形で解放されたのは明け方だった気がする。
意外ではあるが、陽毬は嫌な訳ではない。好きな男から求められるのは満更ではないからだ。だが、何事も限度というものがある。朔夜と付き合い始めて数ヶ月経つが、過ごす度に彼の新しい一面を知っている。明らかになったのは朔夜は執着が強く、嫉妬深いということだ。
あれは1ヶ月前のこと、陽毬の同期が知り合いに頼んで合コンを開くことになったが急に1人参加出来なくなり、陽毬に出てくれないかと頼みに来たのである。合コンの前日のことだ。
「ちょっと難しいかな、私彼氏いるし」
「大丈夫、来るはずだった子も彼氏持ちで人数合わせなの。向こうも彼女持ちで参加する人いるから」
陽毬は合コンに参加したことがないので詳しくはないが、恋人がいるが数合わせや付き合いで参加する者、または恋人が居ても遊び相手を探すために参加する者もいるらしい。兎に角人数を集めないと、と頼み込む友人にキッパリと断ることも出来ず「彼氏の許可を得たら」と猶予を貰った。
昼休みのうちに朔夜に合コンに数合わせで誘われたこと、恋人がいても問題ないらしいが参加しても良いか?とメールで尋ねた。直ぐに既読が付き、陽毬が朔夜の返事を待っていたが…。「良いよ」と返信が来るまでたっぷり10分かかったのである。陽毬は直感した、朔夜は合コンに参加することを快く思ってないことを。恐らく嫌だと言って狭量な男だと陽毬に呆れられることを恐れ、心の広い男を演じてのだ、と。文面のまま受け止めて参加したら、朔夜がどう思うか…。
陽毬は結局断った。その報告を朔夜にすると「そう」と短い返事が来た。そして合コンに参加するはずだった次の日連絡無しに朔夜が迎えに来て、心なしかテンションが高かったので、断ったことが嬉しかったようだと陽毬には分かった。口には出さないが朔夜は分かりやすいのである。他にも買い物をしてる時にやけに距離の近い男性店員と話しているとじとっとした目で凝視してくるし、ごく稀に陽毬に声をかける男がいると鬼の形相で睨みつけて追い払う。やり過ぎだと諌めても聞く耳を持ってくれない。彼は本気ですれ違う男全員が陽毬に邪な感情を抱いてると思い込んでいるのが困りものだ。
朔夜のこういった一面は幼馴染のままだと一生知ることはなかっただろう。そして、今のように眠る時必ず陽毬を抱きしめることも。
『なんか落ち着くんだよな、安心するというか』
誰かを抱きしめたいと思ったことも、されたこともないのに、と寂しげに語る朔夜に彼の生い立ちが思い起こされ胸が痛む。朔夜の両親は彼を顧みることはなかった。金だけ与えて、それで必要最低限の責任を果たしていると思い込んでいる人達だった。朔夜が大学を卒業すると待ち望んでいたかのように離婚したのだ。現在戸塚家には彼の母親が住んでいるが、不在のことが多いと聞く。彼にとって「実家」とは自分の家ではなく藤原家なのである。
碌に顔を話したこともない人達だが、陽毬は彼等に悪い印象しか抱いてない。子供の朔夜を抱きしめることもしなかったのだ。彼は人との触れ合いに飢えているところがある。誰でも良い訳ではなく、陽毬だからと断言する朔夜に何とも言えない気持ちになった。
(…)
感傷的な気分になった陽毬は朔夜の背中に腕を回した。今の朔夜、そして願くば寂しい思いをしていた子供時代の朔夜の心が少しでも満たされるように。逞しい朔夜の胸に顔を埋めた陽毬は慣れたせいか、さっきまで暑がっていた人肌を心地良いと感じ始め…また眠ってしまった。
そして…目が覚めたら時計は11時半を回っていた。
(流石に寝過ぎ!)
ガッチリと陽毬に抱きついている朔夜はまだ寝ている。このままずっと寝ていたら自堕落な生活に一直線だ。休みとはいえそろそろ起きなければいけない。陽毬は「起きろ」と朔夜の肩を強く叩いた。それでも起きないのでガクガクと揺さぶった。すると顰め面になった朔夜がゆっくりと目を開ける。
「…朝?」
「もう昼」
「…もう少し」
「駄目」
朔夜の要求を一蹴すると彼は渋々起き上がった。2人とも服を着てないので、朔夜の鍛え上げられた肉体が晒される。掛け布団がめくれて際どいところまで見えてしまいそうだが、寝起きのせいか全く気にしてない。
「あのさ…起こすんならk」
「早く服着て」
床に散らばっていた下着と服を投げつけると、朔夜は不服そうな顔をしながらも服を着始める。フラフラと立ち上がると寝室を出て行った。陽毬も手早く服を着て寝室を出る。
朔夜と交代でシャワーを浴びると陽毬は簡単な朝食兼昼食を作り、それを食べるとまたのんびりと寛ぎ出す。今日は何処かに出かけることは無さそうだと、朔夜を見て思う。完全にダラダラモードに移行している。食材の買い出しくらいは行くだろうが、逆にそれ以外で外に出る気はなさそうだ。朔夜も陽毬も毎回何処かに出かけたいタイプでもないので、ただ部屋でのんびり過ごすだけで十分楽しい。
今、陽毬と朔夜が適当に選んだ映画をやや真剣に見ている。丁度被害者が犯人に撲殺される、緊迫したシーンがテレビに映し出されている時だった。
「陽毬」
「ん?」
「お盆暇?」
陽毬の会社も朔夜の会社もお盆休みがある。
「お盆?多分暇だけど、急に何?」
「いや、温泉行かねぇかなって」
「…温泉?」
その単語にピク、と反応を示し食いついた陽毬に朔夜はしてやったり、とほくそ笑む。陽毬は温泉が結構好きだ。地元から車で30分ほど離れた場所に有名な温泉街があり、長期休みの旅に家族(朔夜含む)と行っていたが大学に進学してからは中々行く機会がなかったのである。朔夜が名前を挙げたのは件の温泉街でも人気の旅館だ。子供の頃家族で行ったことがあるが、ここ何年も行ってない。突然の提案にも関わらず、陽毬は乗り気になっている。
「行きたい」
「よし、じゃあ早めに予約しないとな」
朔夜は陽毬の返事を聞くと直ぐにスマホを操作した。互いのお盆休みを照らし合わせ、都合の良い日を指定しコースを選択する。予約は5分ほどで終わってしまった。
(温泉)
陽毬は楽しみが出来て心が弾んでいた。朔夜はそんな陽毬に穏やかな眼差しを向けている。そして気持ちが少し落ち着いた頃、ふと頭に浮かんだ疑問を口に出す。
「…何で急に温泉?」
温泉に行きたいと陽毬が強請ったことはない。陽毬が温泉好きなのは当然朔夜も知っているが、このタイミングで言い出す理由が分からなかった。怪訝な顔で問う陽毬に朔夜はあっさりとこう答えた。
「陽毬と付き合えたら行きたいと思ってたんだ。おじさん達と行ったことはあっても、お前と2人は初めてだろ」
藤原家の家族旅行に朔夜がついてくることは多かった。朔夜の両親は金だけは出していたので、彼が家族旅行について行く事に関して遠慮することは一切なかった。寧ろ連れて行ってくれと言わんばかりの態度だったと、母が呆れ混じりで語っていたことを思い出す。
「そうだね」
「色々とやりたいことはあったけど…真っ先にここに行きたいって思ったんだ。俺にとって特別な場所だから、『恋人』になった陽毬と行きたいって」
朔夜が照れくさそうに言うので、こちらもつられて恥ずかしくなってくる。妙な雰囲気になりそうだったので、陽毬は空気を無理矢理変えにかかった。
「…温泉も楽しみだけど料理も楽しみだな。何が出てくるんだろう」
公式サイトを見れば料理の写真が掲載されているが、あくまでイメージなので実際行かないと何が出るか分からない。だからこそ楽しみが倍増するのだ。
「そうだな、でも俺もっと楽しみなことがあるんだ」
「え、何々」
温泉に料理の他に陽毬の気を引きそうなものがあっただろうかと、記憶を辿っていると朔夜が不意に耳元に顔を近づけてきた。そして。
「!!!」
陽毬の顔が徐々に赤くなっていく。
(旅館で陽毬と朝までしっぽり過ごすって何言ってんの!)
大真面目な顔でそんなことを宣った朔夜の肩を思い切り叩く。朔夜は全く悪びれた様子はなく、恥ずかしがる陽毬を満足気に見つめている。
朔夜の野望が叶うかどうかは、神のみぞ知るところだ。




