40話
朔夜は肩から顔を上げ、不安げな表情の陽毬と目を合わせる。陽毬の口からその話題が出た事が意外なようで、目をぱちくりとさせていた。
「…ああ、ずっと好きだったお前と付き合えたんだ。正直今すぐにでもしたい。でも、陽毬の意思を無視してまで自分の欲を通そうとは思わない」
掠れた低い声からは朔夜が秘めていた情欲が微かに滲み出ている。聞いているだけで頬が熱を持ち始めてしまうほどだ。朔夜は陽毬がしたくないのなら、しなくても構わないと言っている。
しかし、学生じゃないのにそんな清いお付き合いを強いるのも申し訳ない。恐らく、朔夜は陽毬がちゃんとした理由を言わなくても咎めない。けれど、逃げるのは嫌だった。それは彼らに屈したことになるからだ。
(…理由はちゃんと言わないと)
陽毬は陽毬で避ける確固たる理由がある。その理由が軽々しく口に出来るものではないのだが、朔夜には話せる。彼は笑ったり馬鹿にしたりは決してしない。
「…私、マグロらしいから。ガッカリさせたくないの」
「は?何だそれ」
朔夜は露骨に不愉快そうに表情を歪め、「誰がそんなこと…アイツか」と発言の主に当たりをつけた彼の眼光が鋭くなる。
「元彼がそんなクソみたいなことを言ったのか?」
「厳密には佳奈に。でも龍司が言ってたって」
「はぁ…あんなクズ共の言うこと間に受けるな」
「分かってるけど…」
あれは佳奈が陽毬を貶めるために態と言ったこと。だとしても龍司が陽毬に不満を抱いていたのは事実で。それを佳奈にも語っていた、恐らく面白おかしく。気にするべきでないと頭では理解しているが、女としてのプライドがズタズタにされた傷は思いの外根深かった。朔夜にやんわりと一線を引いてしまう程度には。
目を伏せた陽毬の頬を朔夜が両手で優しく包み込み、やや無理矢理上を向かせる。
「…試してみるか」
「…え」
「陽毬がマグロかどうか」
「なっ…!」
陽毬の顔が茹蛸のように真っ赤になる。朔夜は真剣な眼差しで見下ろす。
「何言ってるのっ!」
「それが確実だろ。陽毬の不安も消える」
「だけど…」
「そもそも陽毬は思い違いをしてる」
「思い違い?」
「お前は俺がガッカリすると思ってるみたいだが、要らん心配だ。ずっと好きだった奴を抱けるんだ、死ぬほど幸せな気持ちになるに決まってる。ガッカリするなんてあり得ない」
「…本当?」
「ここで嘘吐くわけないだろ」
そんな真似したら元彼を罵れないレベルのクズに成り下がる、と自嘲気味に笑う。陽毬の顔は彼の両手で包み込まれているので、熱を孕んだ瞳で見下す朔夜から目を逸らせない。
朔夜は龍司とは違う。彼のように裏で陽毬を嘲笑い、傷つけたりはしないだろうし今の言葉も紛れもない本心だと、根拠もないのに分かった。陽毬がマグロでも、幻滅もしないしましてや見捨てることもしない。
こんな思いを通わせてすぐに身を委ねたとしても、絶対に後悔はしないだろう。
「…分かった、良いよ」
朔夜が息を呑み、喉仏が上下する。
「…本当か?もう、後戻りは出来ないぞ」
「本当だよ…あ、何も準備してない…」
龍司と別れる数ヶ月前からご無沙汰だったので、この部屋には何もない。ムードも何もないが、言わないわけにはいかない。が、朔夜は焦る様子を見せずに答えた。
「ああ、それなら俺が持ってる。カバンの中」
「え、何で持ってるの」
気になって問いかけると気まずそうに目を逸らされた。
「…いつそうなっても良いように準備してたんだよ」
バツが悪そうに言い放つと陽毬を突然抱き上げ、ベッドの上に寝かせると覆い被さってくる。陽毬を見下ろす瞳にはギラギラとした光を帯びていた。
「…明日月曜だから、無理させないようにする」
「…うん」
「…つもりだが、理性飛んだら悪い。先に謝っておく」
「…ん?それどういう意味っ…!」
不穏な言葉に対して聞き返した陽毬の声は朔夜の唇に塞がれて、口の中に消えていった。




