33話
「お互いに悪いところがあった、ということで一旦謝るのは終わりにしよう」
「そうですね、キリがないですし」
中川は表面上は納得してくれたようで、強張っていた顔がほんの少しだけ和らいだ。が、所詮ほんの少し。彼の緊張は続いている。だから陽毬は早く彼に言わないといけない。
マグカップをギュッと握り、自らを勇気づけるように手に力を込める。
「それでね、この間の返事だけど。中川くんとは付き合えません」
ごめんなさい、今度は陽毬が頭を下げる番だった。
「…そうですか」
やはり答えを予想していたのだ。然程驚いた様子はなく、胸のつかえが下りたのか晴々とした表情をしている。そして、中川は自分と反対に顔が強張っている陽毬を気遣い、明るく言う。
「いやー、分かってたんですけどね脈なしだって。けどあの時酒の勢いで行ける気がして、結果は散々でしたけど。あ、あんまり気にしないでくださいね。俺もきっぱり諦めるんで」
陽毬はコクリと頷く。
「これからも同僚として、よろしくお願いします」
「うん、こちらこそよろしくね」
中川は陽毬が気にしすぎないよう、敢えて明るく振る舞っている。彼の気遣いに申し訳ない、という気持ちが芽生えるが謝るのは違う気がした。謝りすぎるのは却って彼に対して失礼な気がする。だから、必要以上に謝らないことに決めた。
「それで、聞いて良いのか分からないんですけど。この間の人、戸塚さんでしたっけ。藤原さんの彼氏…じゃないんですね」
ブンブンと勢いよく首を横に振る陽毬に中川は戸惑い、自分の発言を訂正した。朔夜の名前が出たことで少し動揺してしまった、と我に返った陽毬は反省する。
「…幼馴染、というか兄の友人」
「あー、だからですかね。なんか他人が軽々しく踏み込めない雰囲気があったというか。長い付き合いだからなんですね」
「そんな雰囲気だった?」
「そうですよ、それに…」
「それに?」
突然言葉を切った中川に陽毬は聞き返す。
「…敵に塩は送りたくないんですけどね…藤原さん、戸塚さんとは付き合ってないんですよね」
「うん」
嘘は言ってない。向こうから告白され、アプローチはされているが。この様子だと、朔夜が告白したことを察してる気がする。何故分かるかは不明だ、男の勘だろうか。
「藤原さんは戸塚さんのこと、好きだったりします?」
幾度となく繰り返された質問。やはり陽毬は答えを出す事は出来ずにいる。
「…分からないんだよね、ごめんね曖昧で」
「いいえ…そうですか。藤原さんはそうでも、戸塚さんは違うみたいですよ。あの時、俺のことを睨む戸塚さんの顔、凄かったです。あのレベルのイケメンに凄まれて俺怖気付きましたからね。俺の女に手を出すなって敵意剥き出しですよ、思い出しても怖い…」
その時のことを思い出してるのか、少しばかり顔色が悪くなり自らの肩を抱いている。
「藤原さん、俺が言える立場じゃないですけど…大丈夫ですか?あの人俺なんかと比べものにならないくらい強引そうでしたけど。変なことされてません?」
自分を振った陽毬のことを中川は心配してくれている。本当にいい人だ。いつか彼のことを見てくれる、素敵な人と出会って欲しい、と口には決して出さないが心の中で呟く。
「大丈夫、そういうことはされてないよ」
「本当ですか?あの人ところ構わず壁ドンしてきそうですけど?」
中川の偏見まみれの言い分に耐えきれず吹き出した。
「壁ドンって…しないよ、絶対」
が、自分の言葉にだんだん自信が持てなくなってくる。今のところ強引な真似はされていない。が、業を煮やした彼が絶対にやらない、とは言い切れない。仮にされたとして、陽毬はどうするのか。想像してみたが…驚くだけでそれで惚れるという、単純な結果にはならない気がするし、惚れるかもしれない。要するに不透明であった。
それにしても中川は朔夜に対して並々ならぬ感情を抱いているように思えた。自分の告白を邪魔した男だから、それも仕方ないだろうが。
「そうなんですか。ああいう何でも兼ね備えてる、自信に満ち溢れた人は壁ドン一つで女性を落とせると思い込んでそうですけど?」
「偏見が酷いよ。そういう人もいると思うけど、少なくとも彼はそうじゃない」
一応朔夜の名誉のために庇うと、中川は面白くなさそうな顔をする。
「好きじゃないって割には、信頼してるんですね」
棘のある言い方に陽毬は身構える。振った陽毬にはそんな態度を取らないのに、朔夜に対しては違う。敵意を隠さない。
「信頼はしてるよ、幼馴染だから」
「…」
陽毬の返答に納得してないのか、探るような目でこちらを見てくる。
「な、何?」
「いえ、何でもないです」
「いや、あるでしょその反応」
「ないですよー。ただ、戸塚さん振られろとは思ってます」
突然毒付く中川に陽毬は呆気に取られる。今日だけで、彼の色んな一面を見ている気がした。
「エリートでイケメンで、その上好きな人、いや好きだった人を掻っ攫おうとしてる人応援するわけないじゃないですか?当て馬にも矜持ってものがあるんですよ?」
中川は振られた直後とは思えないくらい、生き生きとしている。朔夜にやんわりと嫌味を言う彼は心なしか楽しそうだ。
「…中川くんって意外と」
「性格悪いと思いました?幻滅しました?」
「いいえ、後輩の新たな一面を知ることが出来てよかったと思ってるよ」
中川が大きく溜息を吐いて、額に手を当てる。
「そういうところですよ…まあ俺はあの人振られろって念送り続けますけど、藤原さんのことは応援しますよ?」
「え」
「じゃあ、俺そろそろ帰りますね。また来週」
と陽毬が引き止める暇もないまま、中川は席を立って帰ってしまった。その背中を陽毬は呆然と見送る。
「…応援て何」
コーヒーは冷めてしまい、カップからはもう湯気は立っていない。




