30話
それから数日後。陽毬の好物のケーキを買って来たとリビングに誘い出し、お茶を入れてくれる、家族全員分。至れり尽くせりだ。
(良いのかな)
と思いながら買って来てくれた近所の1/3から営業してるケーキ屋のチョコタルトを食べている。朔夜は大学生になってから、藤原家に滞在する際は宿泊費を払うようになり、時折家事も手伝うようになった。両親は再三お金は要らないと固辞したらしいが、朔夜が譲らず結局受け取ることにしたらしい。朔夜なりに両親に礼を尽くしていると聞いた。
陽毬は帰省しても家事は碌にしてない。朔夜との落差にちょっと恥ずかしくなる。自分もやらないとと思うが、思うだけで実行には移さない。
考え事に没頭しながらモグモグとタルトを味合う陽毬に、やはり隣を陣取った朔夜がじっと見つめている。右頬に刺さるような視線を感じ、口の中のタルトを飲み込んでから隣を一瞥した。
「…見られると食べ辛い」
「あ、悪い。食べてる顔可愛くて見惚れてた」
ひっ、と喉から変な声が飛び出した。とんでもないことを言い出した朔夜はいつも通りの仏頂面、だが目元だけ少し柔らかく綻ばせている。有体に言えば、完全に好きな相手に向ける眼差しだった。
気を抜くと朔夜は背中が痒くなることを、照れることなく言ってのける。もう何度も経験してるが、慣れることはない。しかも家族が居る場でも言う。兄は慣れたものだと平然としており、母は微笑ましいものを見る目を向け、父も兄と同じで黙っている。いや、父はよく見るとほんの少し眉を寄せていた。目の前で娘に可愛いだなんだと囁かれて、冷静でいられる父親は希少だろう。父の反応は大人しいものだ。
と、現実逃避しかけていた陽毬は朔夜に話しかけられたことでハッとする。
「陽毬、明日帰るんだろ?」
「うん、朔…夜は今日の夕方だっけ」
朔夜を呼び捨てにすることに慣れないため、変な間が空いてしまう。朔夜はというと名前を呼ぶだけで蕩けるような笑みを浮かべるので、むず痒い気持ちになる。
陽毬は5日から仕事なので帰るのは明日の予定だ。とてもゆっくりしている。一方朔夜は明日から仕事始めなので今日の夜の新幹線で東京に戻る。なのに午前中に態々ケーキを買いに行ってくれたのだ。忙しいのに無理しなくていい、と断ったのだが「俺が勝手にやってることだ」と引いてくれなかったのだ。陽毬に告白してから開き直った彼は強引とも言えるアプローチ?を続けていた。
陽毬はグイグイ来る朔夜に押されっぱなしで、正直に言うと流されまくっている。今まで兄として見ていた癖に、「男」と意識し始めるとドギマギする。我ながら単純だ。
朔夜には悪いが、彼が先に東京に戻ることで心の平穏が取り戻せると少し喜んでいる。
「どうせなら、帰りも陽毬と帰りたかった」
心底残念そうに朔夜が呟いた。陽毬は5日の自由席を既に買っていたので、朔夜と同じ日に帰るのは無理だ。
「こればっかりは仕方ないよ」
「そうだぞ、お前子供みたいなこと言って」
ケーキを食べ終わった兄が横から茶々をいれる。兄のことだ、キャラ変しつつある親友の反応を見るために態と言ったに違いない。
「仕事が始まったら、陽毬に中々会えなくなるだろ。時間の許す限り一緒にいたいと思って何が悪い?」
「「…」」
名前を呼ばれただけで照れてた癖に、こういう歯の浮きそうな台詞はサラッといってのける。羞恥を感じるポイントがズレているとしか思えない。手応えがないのに懲りない兄の巻き添えを喰らい、陽毬までダメージを受けるのが最早セットになっていた。
(ん?この言い方だと向こうに戻っても会うってニュアンスに聞こえる…)
中々会えなくなる、は会うことを前提としている。今まで殆ど会っていなかった相手からそう言われ、首を傾げた。
陽毬の心の中を見透かしたのか、朔夜がこう言った。
「陽毬、東京に戻ってからも俺と会ってくれるか」
これは…デートのお誘いというやつだろうか。陽毬は朔夜を探るように見ると、彼の瞳の奥が何処か不安気に揺れているのに気づく。朔夜は陽毬に断られるかもしれない、と不安なのだ。
(…どうしよう)
陽毬の本能が警鐘を鳴らしている。このまま流されるように朔夜との交流を続ければ、恐らく陽毬と彼の関係性は良い方向に行く。朔夜の望みが叶うまでにグッと近づく。
そうなれば朔夜は喜びを露わにするだろう。しかし、陽毬はそれで良いのか、と不安に駆られる。陽毬は彼氏と友人に裏切られ、心にポッカリと隙間が空いてしまった。その隙間を、この1週間でほんの少し朔夜が埋めてくれたのは事実。昔のように、いや昔より距離が近くなった朔夜の態度に戸惑うものの、一瞬でも嫌だとは思わなかった。それでも彼を自分の寂しさを埋めるために利用してる気になってしまい、優しさに甘えて良いものか悩む。
兄や遥香なら「グダグダ悩むな、行け」と後押しするだろうが。一々悩むタイプではないはずなのに、どうにも自分らしくいられない。
しかし、目の前の「断られたらどうしよう…」と陽毬の返事を待って緊張し、ほんの少し顔が強張ってる朔夜に対し、「断る」という選択肢は浮かんでこない。
「…良いよ」
すると目に見えて朔夜の表情が明るくなり、フワリと優し気に笑いながら「…ありがとう」と言う。そして昼を食べて、また暫く会えない両親との談笑を楽しんだ後朔夜は藤原家を去っていった。
駅まで陽毬と兄で見送りに行ったのだが、ここでも朔夜が何やら距離を詰めようとしたので不穏な気配を察知した。流石に「お前、変なことすんなよ」と兄が釘を刺したので何もされず。朔夜は兄に不服だと言わんばかりに眉を寄せ、陽毬には「次会った時楽しみにしてろよ?」と恐ろしい置き土産を残して帰って行った。
次会うのが少し怖くなったが、もう遅い。




