25話
「…それって元彼に関係してる?」
ふいに投げかけられた問いに陽毬の心臓がドクン、と脈打つ。たった今その元彼のことを僅かでも考えていた陽毬は頭の中を覗かれたような恐ろしさを覚える。ぎこちなく朔夜に視線を移すと、彼はいつになく真剣な顔をして陽毬を見つめていた。
「…何でそう思うの」
誤魔化す選択肢も一瞬浮かんだが、どうせこの場を乗り切ったところで、この過保護な幼馴染は別の機会にでも切り出す。ならばこの場で話しておいた方が後々楽だ。
「飲み会で元彼見返したいって友達と先輩に話したって、言ってただろ。月並みだけど、自分磨きして見返したいのかな、って」
図星を指され、陽毬は口元を引き攣らせる。朔夜はエスパーなんじゃないかと疑いを抱く。そんな荒唐無稽なことを考えるほど、目の前の男は陽毬のことを見透かしている。
「まあ、当たってはいる…」
「見返して、より戻したいのか」
「は?」
思わず強い口調で返してしまった。朔夜の言い方ではまるで、陽毬が龍司に未練を残してるように聞こえる。冗談ではない、と眉を吊り上げた。
「あり得ない、何であんなことした奴とより戻さないといけないの。このまま引き下がるのも癪だから見返したいけど、未練も何もないから」
あの時受けた屈辱と惨めさ、悲しみが一気に蘇り湧き上がる激情のまま朔夜にぶつけていた。ハッ、と気づいた時にはもう遅い。やってしまった、と決まり悪そうに目を泳がす陽毬に朔夜は鋭い視線を投げかけている。
まるで犯人を追いつける刑事の如き瞳だ。それに捉えられた陽毬の逃げ道は、とっくに消えていた。
「…あんなこと?ただの心変わりじゃないのか」
「いや、」
陽毬は言い淀み、何とか追求から逃れる術を探す。が、朔夜はしつこいのでこの程度で諦めるわけがなかった。
「彼氏と別れた理由を話してるお前の様子が少し引っかかってた。けど、無理に聞き出す真似もしたくなかったから、様子見するつもりだったんだが…なあ、何があったか話してくれないか」
予想通りの言葉が朔夜の口から発せられた。彼が距離を詰め、陽毬の肩に両手を置く。
「…」
「光にも、おばさんにも誰にも言わない」
朔夜が陽毬のことを心から心配しているのが伝わる。真っ直ぐに陽毬を見据える瞳から目が離せない。僅かに肩に置かれた手に力が篭る。話してくれ、と懇願しているように思えた。
子供の頃は兄にも母にも相談出来ないことを、朔夜に相談したことがあった。その度に真剣に話を聞いてくれて、一緒に悩みを解決する術を考えてくれた。ただ、話を聞いて気持ちの整理が出来るまで寄り添ってくれたこともある。
…朔夜に話せたら、今よりスッキリするのだろうか。色んな感情が渦巻いて、ゴチャゴチャと乱れている心の中を整理出来るのだろうか。
「…実は」
陽毬は洗いざらい話すことに決めた。
「元彼が別の女の人とホテルに入るのを見た友達が2人いて。それで本人に問いただそうと家に乗り込んだら、その相手とベッドにいたの。その相手、同僚で友達だった。家にも来たことあるよ、佳奈って子」
「…ああ、何回かここですれ違ったな」
朔夜は佳奈のことを思い出しているのか、天井を見上げている。陽毬と友人になりたがった子達の中で、兄や朔夜目当ての子は少なくなかった。佳奈はそういう打算なしで友人になってくれていたと当時は思っていた。
「2人、何度も会ってるうちにそういう関係になったらしくて。元彼は気の迷いだったとか好きなのは私だけだとか、言い訳してたけど聞けば聞くほど心が冷えていったし、友達も謝るどころか元彼を不安にさせた私に責任があるって開き直った態度を取るから、腹が立って合鍵投げつけて絶縁宣言して帰ったの」
朔夜は何も言わないが目が「良くやった」と言っている。そしてその瞳には怒りの炎が宿っていた。案の定、怒っている。
「…胸糞悪い話だな。反吐が出る」
血の底から発せられたような低く、嫌悪感を露わにした声で呟く。この一言に、彼の感情全てが詰まっていた。遥香達もそうだが、代わりに怒ってくれる人がいるのはありがたい。
「…そいつらから接触はないのか?特に女の方、同僚だろ。嫌がらせとかされてないか」
由美と同じことを言ってくる。どうやら寝取られた側が嫌がらせをされるのは世間の常識みたいだ。普通逆だろう、と思うがそういうものか、と納得した。
「嫌がらせじゃないけど、私がその子と仲違いしてるの、私が頑なに許さないからってこっちが悪いみたいな扱いはされてる。あと、その子が元彼と付き合って上手く行ってるって話が聞きたくもないのに耳に入ってくるのが、地味にストレスってくらいかな」
「嫌がらせだろ、地味にイラつくやつ…もしかしたら仕事にまで影響することやらかす可能性あるから、注意しとけ。兆候があったら職場の先輩に相談しろ」
由美が言っていた。傷つけた相手が、より不憫で可哀想な目に遭う程優越感に浸る人間がいると。朔夜は佳奈はちょっとした嫌がらせで満足出来ずに、それこそ嫌がらせの範疇で済ますことが不可能なことをしでかす、だから注意しろ、と忠告してる。
「いくらなんでもそこまでは」
「人の彼氏寝取る奴に常識求めても無駄だ。平気でお前を貶めようとするぞ」
ごもっともである。
「…肝に銘じておきます」
陽毬は残ってたチューハイを一気に飲んだ。時間が経って温くなったアルコールが喉を通り、ゴクンと音が鳴る。
「…なんかスッキリしたかも」
「だな、清々しい顔してる」
「そう?朔兄に本当の理由隠してるの、モヤモヤしてたから言えて良かったよ」
陽毬は手を組んでグイーッと肩を伸ばした。遥香達にも話したのに、朔夜に話した後には妙な安心感が生まれている。心の中のモヤモヤが少しずつ薄まっていくのを感じていた。
ビールを一口飲んだ朔夜は頬杖をついている。気だるげに見えるその仕草でさえ、絵になっていた。
「陽毬」
「何?」
「元彼には未練無いんだよな」
「無いよ全く。より戻そうとか言ってきたらビンタするよ」
ないない、と顔の前で手を振って答える。何を当たり前のことを訊ねてくるんだろう。
「あの告ってきた後輩は?」
「中川くん?年明けに会ったらちゃんと断るよ」
そもそも告白された時点で断るつもりだった。陽毬が上手く対応出来なかったために先延ばしになったに過ぎない。
「朔兄にも言ったよね、断るって。どうしたの急に」
「いや、ただ俺は昨日の彼しか知らないから印象は良くは無いが、普段はそうじゃないんだろ?今は恋愛対象に見られなくても、変わる可能性はある。すぐに断ってもいいのかと思ったんだ」
「朔兄は私に中川くんと付き合って欲しいの?」
「そういうんじゃない。ただあんな形で陽毬を連れ去ってしまったからな。せめてもの罪滅ぼしってやつだ」
即断ろうとしていた陽毬に熟考する機会を与えようということか。有耶無耶になってしまった節があるし、中川に対する申し訳なさもある。碌に考えず結論を出すのも相手の誠意に対して、不誠実かもしれない。
朔夜の言い分も分かる。だが。
「…昨日から一応考えたんだよ。けど、どうしても中川くんと同僚以上の関係なる自分が想像出来なくて。あと、これは絶対彼に言うつもりないんだけど、年下って恋愛対象に見たことないんだよね」
自分でも酷いことを言ってる自覚はある。けど、どうしてか年下と恋愛関係になる自分がしっくりこない。高校も、大学も告白してきたのが年下だったらその場で断っていたかもしれない。
「薄々気づいてたけど、お前年上が好みなんだな」
「そうなのかな、じっくり考えたことないけどそうかも」
「ふーん…じゃあ俺は」
「…ん?」
「俺はお前の恋愛対象に入る?」




