20話
部屋の外に出て鍵をかけて、ショルダーバッグの内ポケットに鍵を突っ込む。当然隣に立つ朔夜はしっかりと見届けている。そんなに凝視しなくても鍵を入れた場所を忘れたりはしない。信用がない、わけではなく兄と同じくらい過保護なのだ。
成人して何年も経ってこんな扱いをされれば、鬱陶しく思っても不思議ではないが陽毬は一々気にするタイプではなかったのが幸いした。でなければ、ややシスコン気味の兄とも朔夜とも距離を取っていたかもしれない。その場合、3人の関係性も今とは変わったものになっていただろう。
陽毬のマンションから最寄りまで歩いて10分ちょっと。会社までは片道30分程で着くし大きなスーパーや駅前には商店街もある。就職と同時に引っ越してきたが、暮らしやすい街だと思ってる。
ゴロゴロとキャリーを引きながら、朔夜と並んで歩く陽毬の頬にどこからか吹いてきた冷たい風が容赦なく当たり、顔を顰め巻いているマフラーで口元まで引っ張る。
「さっむ…」
「この冬一番の冷え込みらしいぞ」
「そうなの、どうりで」
朝ベッドから出た時本当に寒かった。雪国育ちとはいえ寒さに弱い陽毬にはこっちの寒さでさえ堪える。
「地元、雪積もってるらしいから相当寒いぞ」
「うー…」
地元に帰るのは良いのだが、東京では中々お目にかかれない量の雪が積もっているのでこっちの比じゃないくらい気温が低い。向こうはかなりの積雪量で、道路で立ち往生が発生したとニュースで偶然知った。
母からも雪が凄いから滑らないブーツか長靴を履いてくるように厳命されていた。一応丈が長く、防水加工されてるブーツを履いてきてはいる。ここ数年の帰省の時に履いているものなので、注意していれば滑る危険はない、と思いたい。
「気をつけろよ、お前よく滑ってただろ」
「いつの話してるの?大丈夫だよ、気をつけてるから」
「とか言って、盛大に滑って転びそうになったのは誰だっけ?」
「っ…!思い出させないでよ、恥ずかしかったんだから!」
まだ大学生だった時、兄、朔夜と初詣に行った帰り。たまたま凍った道を通った時、油断してたわけではないのに盛大に滑り背中から落ちそうになった時がある。素早く反応した朔夜が腕を引っ張り支えてくれたから事なきを得たが、結構人通りが激しい中での出来事だったので注目されて恥ずかしい思いをしたのだ。
「そりゃ思い出すわ、偶々俺らがいたから良かったけど、そのまますっ転んで打ち所が悪かったら…って肝が冷えたんだぞ」
が、忘れたい記憶を思い出させたと少し恥ずかしがる陽毬と対照的に朔夜は真剣な顔だ。急な変貌につられて陽毬も唇を引き結んで彼を見上げる。
「マジで気をつけろよ?冗談抜きで」
彼の表情からは、陽毬が一歩間違えれば怪我を負っていたかもしれないことに対して感じた恐怖が伝わってくる。あの時は陽毬も怖かったが、助けてくれた彼も同じくらい恐怖を感じていたことが窺える。しきりにびっくりした、心臓止まるかと思ったと話す当時の朔夜の言葉を大袈裟だと一蹴したけれど。
この反応を見るに、心の底から心配していたのだと今更理解した。
「う、うん」
陽毬は頷くことしか出来なかった。するとこの話題は終わった、とばかりに彼の纏う雰囲気が変わりいつもの仏頂面に戻った。僅かな間漂った微妙な雰囲気はいつの間にか消え去っていた。
最寄り駅まで移動した陽毬は、折角来たのだからこの辺りの店で昼食を摂りたいと言う朔夜の提案に乗り、駅周辺を歩き良さそうな店を探した。時刻は11時20分頃、お昼にしてはやや早い時間なので並んでいる店は歩きながら確認した限りなさそうだ。どこ店も待つことなく入れる。陽毬と朔夜の希望を照らし合わせた結果、イタリアン料理の店に入った。
店内はこぢんまりとしつつも落ち着いた、カフェのような雰囲気で開店したばかりなのに客がそこそこ入っている。実は陽毬は駅周辺の店は開拓済みなのでこの店にも当然来た事はある。初めて来た朔夜には陽毬が個人的に好きなシーフードパスタを勧めてみる。
「陽毬が勧めるなら食ってみたい」
と彼はシーフードパスタに決め、陽毬はというと趣向を変えてカルボナーラに決めたので「シーフードじゃないのか」と突っ込まれた。平日のランチタイムに来ると、800円で好きなパスタとサラダ、ドリンクが付くセットが頼めるのでお互いそれを頼む。20分ほどして運ばれてきたパスタは朔夜の好みに合ったようで、表情は一見変わっていないがご機嫌なオーラを漂わせている。
「これで800円は得だな」
「でしょ?他の店も行くんだけど余裕で千円超えるんだよ、ここはどのメニューも安めだしパスタやピザ食べたい時はここに来る」
食べ歩き、とまでは行かないが折角縁があって住んでいる街なのだからと、暇な時店を開拓してる。
「朔兄はないの?お気に入りの店」
「駅前のラーメン屋」
「あー前言ってたね、なんか一時期毎日通ってなかった?そればっかり食べてたら身体に悪いよ」
「いつの話だよ、あの時はストレス溜まってたから…今は出来るだけ自炊してる」
とはいえ陽毬も朔夜の食生活についてとやかく言える生活を送ってない。疲れてて作る気力がないとコンビニ、惣菜、外食は当たり前。特に朔夜は結構激務だと聞く。食生活が偏っても仕方ないし、寧ろ自炊する気があるのが凄い、と尊敬の眼差しを送った。視線に気づいた朔夜が怪訝な顔をする。
「何だよ」
「いや、めちゃくちゃ忙しそうなのに自炊してるの凄いなって」
「凄くねぇし、それ程忙しくない」
「あの会社の営業で忙しくないってあるの?」
「何をイメージしてるか知らないけど、毎日毎日ノルマに追われて残業三昧、ってわけじゃないからな?まあ営業成績張り出して、社員の競争心は煽るから負けられないって思いながら仕事してるよ」
うわー、と想像しただけで無理そう、とゲンナリした。同時に営業スマイル(想像)を駆使して外回りしてる朔夜を上手く想像出来ない。そもそも営業スマイル作れるのかという疑問が生まれる。
「朔兄営業先回る時もその仏頂面…」
「なわけないだろ」
試しに聞いてみたら即否定された。やはり仏頂面の営業マンは駄目みたいだ。逆にどんなふうに笑うのか、唐突に気になりだす。
「どんなふうに笑うの?気になるから見せて」
「は?嫌だよ」
「一瞬でいいから」
「…」
いつになくしつこく頼んでくる陽毬に初めは拒否の姿勢を崩さなかった朔夜だが、説得されるうちに結局折れた。物凄く嫌そうな顔をしてるが。
「…一瞬だからな」
「うん」
朔夜は店内にいる客が見てないからしきりに確認している。それほど見られたくない笑顔を普段振り撒いてるの…?と新たな疑問が生まれるも黙っておいた。
「…」
陽毬が今か今かと待っていると、朔夜がニッコリと美しい笑みを浮かべた。テレビのCMで見る俳優ばりの笑顔だ。
(…誰)
陽毬は見惚れるよりも呆気に取られた。ぽかんとしてる間に朔夜は用は済んだ、とばかりにスン、と元の仏頂面に戻る。本当に一瞬の出来事だった。
「…今のは綺麗さっぱり忘れてくれ」
気まずそうに目を逸らした朔夜が無茶な要求をする。かなりインパクトが強かったので簡単に忘れられそうにない。しかし本人が望んでいるのなら、努力はするべきだと思った…思うだけだが。
「それは中々難しいよ…というか凄いね、私今の笑顔見せられたら怪しい壺も買っちゃいそう」
「それ褒めてねぇだろ」
「褒めてるよ」
「褒めてねぇ」
それから朔夜の別人スマイルについての話題で暫く盛り上がり、気がついたら12時半過ぎになっていたので店を出ることにした。




