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宗教上の理由  作者: 儀間朝啓
第三章
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その三

 異常に長い猛暑もようやく収まりを見せ、高原リゾートの朝は涼しさを通り越して寒さすら感じる。メルヘンショーのデビューには適した陽気になった。

 矢川さんと烏丸さんのピュアピアデビューは、明日の午後の回という予定だった。出番の少ない敵役を重ねることで舞台にだいぶ慣れてきて、良いタイミングだと思っていたが、その予定はアクシデントにより繰り上がってしまった。

 衣装合わせも今夜やるつもりだったが、急遽、本番数時間前にせざるを得なくなり、早めに宿を出て現地に到着。


 「うわーなんかツルツルとする」

「着圧タイツみたいなカンジ」

二人は別々の女子体育大学の一年生で、元は同じ地区の高校で体操部に入っていた。レオタードは着慣れているかもしれないが、肌タイツはそれと勝手が違うのだろう。

 全身タイツ初心者はツーピースタイプの方が扱いやすい。ピュアピアショーは活発に動く場面が多いのだが、彼女たちの役は動きが少なめなのでズレる心配も無いだろうし、その上にスパッツを履いて固定させれば問題なし。


 でも、着るのに抵抗感が増すのはこれからだ。

 着ぐるみタイツの多くは背中のファスナーが後頭部まで繋がっていて、それを閉め切ることでフードを被った形になる。この特殊な着用法とか、あとタイツ地が頭部を覆い隠す感触に慣れないのがまずひとつ。

 それに後頭部のファスナーも曲者(くせもの)で、

「いたっ!」

と、ファスナーが髪の毛を噛んでしまう事もよくある。

 対策として、髪をまとめる意味も含めてスイミングキャップを被るよう配っておいたのだが、被り方が浅かったみたいで、すぐに修正。


 全身タイツの次は、いよいよ衣装。

 なのだが、ショーの衣装は何より見栄えを優先するので、着やすさはあまり考慮されておらず、一人で着るのが難しいくらいだ。

 ここから先も私が手伝えば良いのだけど、別にしなければならない作業もある。


 というわけで、

「嬬恋さーん、手、空いてるー?」

と、隣の部屋に声を掛ける。

 今回、更衣室兼控室は大小ふたつあって、大きい方ではキャスト経験者がサクサクと着替えを進めている。

「はーい、空いてます、けど……」

着替えが一番手際よく出来るのは嬬恋さんなので、こういう時に手伝ってもらうのもだいたい彼女の役目。

 ところが、

「いいんですか?」

と、ためらいがちな嬬恋さん。これもいつものことなので、

「いいってば。二人とも気にしてないから」

「本当ですか?」

「いいから! 早く手伝ってくれないと、困るのはこの子達だよ?」

「え、あ、ごめんなさい。すぐ行きます」


 「お、お邪魔しま……」

急ぎで手を借りたいというこちらの意志は通じたと思うけど、彼女ゆえの過剰な道徳心が、扉に掛かる手の動きをゆっくりとさせている。

 「お邪魔じゃ無いから!」

「わ、あわわわわ!」

ほんのちょっとだけ語尾を強くしながら、私が内側から扉を強引に引っ張って開けると、嬬恋さんが一緒に付いてきた。


 嬬恋さんは現在、我が社のキャストで唯一の「男性」なのだけど、周りは全くそう思っていないし、それは新人の二人も変わらない。だから昨晩も同室での就寝に無抵抗だったわけだけど、それはそれ、という事なのだろうか。

「いいんですか? あたし男だから、女の子の着付けしちゃっていいものかどうか……」

 ……なんて、どの口が言っているのやら。アイドルをモチーフにしたキラキラのワンピース衣装を、あたかも私服のように着こなしておきながら。

 「真耶センパイ、アタシたちそんなの気にしませんから」

「そうですよ。あとうちら、タイツ着てるから素肌じゃないですよ」

着替え対象の矢川さんと烏丸さんも嬬恋さんを異性だとは思っていない口ぶり。さらに、

「あ、タイツはキャラクターの素肌っていう話、今は禁止ですからねっ」

なんて具合に、嬬恋さんの口癖を封じてしまった。


 というわけで着付けスタート。

 幸いにも嬬恋さんは聞き分けが良いので、一度エンジンが掛かると手際良く二人をピュアピアの姿に変えてゆく。

「真耶センパイは、どこからどう見ても女子ですよ? 自信持っていいと思います」

着付けをしてもらいながら、そう言ってくれる後輩たち。嬬恋さんは、

「ありがと」

と答えるのだけど、釈然としていないのは顔を見れば分かる。だから受け答えもそこそこに、衣装の着付けに集中する。


 まず、ミニスカートと一体になったワンピースのファスナーを自分で閉めるのは、服の生地が硬くてギチギチ言うので構造上難しい。その上に腰マントと一体になった上着を重ね着するのだけど、フリルやリボンなどの装飾が多いので、それを全方向から見ておかしくないように折れや曲がりを直すのも着ている本人には難しい。

 私は私で、お客様から電話もあったりして手が離せず、嬬恋さんに任せざるを得ないが、ちゃんとしてくれると安心はしている。


——


 私も、嬬恋さんの育ったところ、木之花(このはな)村に産まれた。でも彼女が小学生、そして中学生へと成長していく頃には、私はよその場所で就職していた。

 でも村で育った者は、必ず嬬恋家の護る天狼神社と、その神様の御意志をもってこの世に遣わされた「神使」嬬恋真耶さんのことは知っている。だから私が地方のプロダクションから今の会社に移ったとき、嬬恋さんが在籍していたのには驚いたけれど、自分が得意とするメルヘンショーをメインにやっている会社を都内で探せば、同じくメルヘンショー大好きな嬬恋さんと再会するのもむしろ必然だったのだろう。


 嬬恋さんは天狼神社の神使、または眷属(けんぞく)だという説明を始めると大概長くなるので、村人はとりあえず、神様の化身とか巫女とかとざっくり答える。

 要は、天狼神社の神様は狼の女神様であり、神様に遣いの役目を任されたのが嬬恋さんだということだ。そして女神の意志を代弁するには女子の方がふさわしい、ということにもなる。

 神使には誰でもなれるわけではない。嬬恋家の血を引き、かつ、地上のさまざまな要素と照らし合わせて神使の条件に合致した赤子を授かったならば、神使がこの世に遣わされたことになる。

 ところで、神の御遣いは女子である、と。ところがもし、神使の産まれるさまざまな条件が揃っているとき、産まれてきたのが男の子だったら?


 答え。


 そんなことはあり得ない。


——


 首から下の衣装が整ったところで通しの練習を一本。追加戦士役の二人も、なかなか仕上がっている。

 ところが、いざ本番が近づいてくると緊張が顔に出始める。無口になり、ひざの上に乗せた両の手にも力が入ってくる。


 経験上こういう時は、いっそ思い切った手に出てしまうと案外うまくいく。

「行くよ? まず矢川さんからね」

それを分かっている嬬恋さんが、矢川さんが使う予定のマスクを持って来た。まだ二人の出番には早いのだけど、さっさとピュアピアに変身してもらおうというわけだ。

 着ぐるみマスクはかぶり方にちょっとしたコツがあり、顔の部分を上に持ち上げると頭の入り口が見えるので、そこから一旦ヘルメットのように被せたのち、顔を九十度スライドさせて顔に合わせる。


 この時、大体の着ぐるみマスク初心者は二つの驚きを感じる。視界が一気に暗くなったことと、鼻をつくFRP樹脂の臭いと。

「うわ、お風呂の臭い」

FRPとは浴槽などにも使われるプラスチックのことなので、そんな臭いなのは当然ではある。

 目の前が真っ暗になったり、すれすれの所で顔面を覆われてしまう圧迫感より、このケミカルな臭いは半

ば不意打ちでもある分、驚きが大きい。

 嬬恋さんがマスクの位置を微調整する間に、烏丸さんの頭部には柴崎さんがセッティングを開始。

「ホントだ、風呂桶みたいな臭い」

という烏丸さんの声はマスクの中にこもっている。本人の耳には鈍く反響しているように聞こえるので、これもまた慣れない感覚だ。


 ぶっつけ本番の着ぐるみデビューだけど、それでも二人は最初の関門である被る瞬間を、違和感や驚きを抱えつつもクリアしてくれた。

 キャスト志望者の多くは、ここを乗り越えてくれれば大体は何とかなると、私は思ってる。暗いとか臭いとかいった、生理的に合わない子はどうしようもないけれど、そこをクリア出来れば、他のことはたいがい何とかなる。


 あっという間に本番開始時刻となった。私は司会として先にステージに立つので、出番の合図は音響と兼ねて悪の中ボスを演じる鷹野さんが出してくれる。はたから見ていると正義と悪が和解したかのように見える。

 無言ではあるが、ショーの本格デビューを果たそうとしている彼女たちの見えない素顔は、緊張と不安で険しくなるか、こわばっているか、どちらかのはずだ。それをお客様、特に子ども達に悟られてはいけない。

 そんなルーキーの心理を知り尽くしたベテラン鷹野さん。お芝居が中盤に達して、二人の出番がいよいよやって来た。そこで背中をぽんと叩いて、小声でひと言、

「胸張って行ってこい!」

と気持ちを込める。


 いったん舞台に出てしまうと、案外気持ちが落ち着くものだ。もう後戻りは出来ないし、腹を決めるほかはないのだし、テンションの上がった子ども達とステージ上の先輩たちの応援の気持ちがマスク越しに伝わってくるのだから。

 マスクの中のキャストの視界は、わずかなスリットでしかない覗き穴だけが頼り。でもそこは先輩達の巧みなアテンドで、オドオドした様子は微塵も見させない。

 スピーカーから流れるセリフに合わせて動くように見せて、しっかり二人の手を取って立ち位置を合わせたり、お互いに聞き取れるけどステージ以外には漏れないくらいの声量でアドバイスをしてみたり。


 追加戦士は出番が比較的少ないこともあり、二人は芝居パートを無事終えられた。

 でもこの後には握手会兼撮影会が待っている。キャスト同士で演技をするのと、良い子のみんなとの交流とでは無論、勝手が違う。けれども先輩達のサポートを受けてきた二人になら、きっと出来る。

 着ぐるみ姿で子どもと握手するには、まずしゃがんで、目線を子どもと同じくらいの高さに持っていくのがポイント。

 ところがそれによって、視界はむしろ制限され、特に肝心の手元が覗き穴の外になってしまい、子どもの手がどこにあるのか見えなくなってしまう。

 でも心配ない。しっかりと、隣の先輩たちが小声でナビゲーション役をしてくれるから。

「手は前に出しておけばいいよ、動かさなくて平気。子どもは自分から握手してくれるから、そしたら優しく握り返してあげればいいから」

これで外から見ると、違和感のない握手になってくれる。それでも不安で顔が手元を見ようとしてしまうことがあるのだが、

「あ、目線は前。顔を見てあげて。覗き穴から子どもの目が見えるくらいが丁度いいよ。大丈夫、お友達からは中は見えないから」

というアドバイスも。ちなみにこの言葉の主は嬬恋さん。子ども達のことを「お友達」と呼ぶのが律儀だ。

 私はと言えば、

「沢山のお友達が並んでいます。ピュアピアの前で長く立ち止まらずに、次のお友達に譲ってあげてくださーい」

「時間はまだございますので、列を作ってお待ちくださーい」

と、会場の状況に応じてアナウンスしなければならないので、キャスト同士の助け合いは非常に助かる。


 いつの間にか太陽が空高くに陣取り、気温は秋の高原なりに上昇してきた。午前のスケジュールを無事終えたピュアピア達は舞台袖に引っ込み、マスクを外して元のキャストの女の子たちに戻る。

「ぷはぁ……」

思っていたより気温が上がったせいもあり、マスクを脱いだ全員の顔は汗びっしょり。頭部を覆うタイツ素材のフードもびしょ濡れ。

 そしてマスクを取ったことで、頭部に留まっていた汗が顔面に滝のごとく流れ込み、紅潮した額や頬を濡らし、目に入るとしみて痛くてたまらず、思わず顔をしかめる。

「はぁはぁ」

体力を使うことでもあるし、圧迫感と臭いのため呼吸も苦しいような気持ちになってしまう。


 大急ぎで私と鷹野さんがタオルで二人の顔を拭いてあげる。その様子に気づいた嬬恋さんと山下さんが二人の後頭部にあるファスナーを開け、フードの中に風を入れてあげる。自分のことはまず差し置いて。


 とまれ、矢川さんと烏丸さんのデビューが成功に終わったことは間違いなかった。本人たちの努力はもちろんのこと、周囲のサポートも流石一流のキャスト、と言えるものだった。

 午後の部も、この調子で、ファイト!

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