その2
ぼくが広場まで乗って来たバスや、広場で乗り換えたバスのボディには「このはな村営バス」という名称が刻まれている。
木之花村と書いて、このはなむら、と読む。現在はこの表記になっているが、かつては此花とか木乃花と書いていたこともあるらしい。それらは他の地域に同じ漢字の地名があるとか、ぱっと見木乃伊と紛らわしいとかいう理由で使われなくなり、公的には現在の表記で統一されるとともに、誰ともなくひらがなの「このはな村」を愛称のように使うようになった。
だから、この村のコミュニティFMも「このはなFM」と名乗っている。
このはなFMは、ひとりのDJがトークから機械操作までこなすアメリカンスタイル。局の公式サイトなどては今もディスクジョッキーという呼び名にこだわっていているのも、自らレコードやCDを回す様子が現在主流のDJという言葉の意味するところと似通っているからという話。
楓さんのレギュラー番組は金曜日夜の「板谷楓のスイートメイプルタイム」のみで、毎月最後のプレミアムフライデーのみの放送になっている。だが少人数で回しているミニFMの宿命で、他の曜日も局に赴いてはDJをはじめ様々な用事をこなす。
「今日は何の番組だったんですか?」
楓さんは、あー、とつぶやくと言った。
「わたしの番組じゃないよ。ほら土曜だから、お子ちゃまたちのDをしなきゃ」
「あっうん、そう言えばそうですね」
このはなFMのもう一つの特徴は、子どもDJの存在。これはクラブ活動や職業体験のような意味合いを持ち、学校が休みの日を中心に村内の小中学生がラジオでお喋りするのだ。
もちろん子どもは喋りのプロではないし、まして卓操作をしながらというのは難しい。DJ希望者には事前にレクチャーをするが、何をどこまで話して良いかを全て理解しているとは限らない。
だから小中学生がラジオに出演する時には大人のスタッフが付いて、Dすなわちディレクターとして音調整などのオペレーションを一部、または全部担当しつつ、子どもたちの番組進行を見守ることになっている。
バスに向かって手を振っている子どもたちが今日の担当DJだったのだろう。楓さんが笑顔で手を振り返している。
そうだ、もう子どもたちも冬休みなんだ。
ほどなくバスは中央広場をあとにし、林のなかに開かれた道をゆく。
いや違った。道があって、そのあとから木が植えられたんだった。この村では家屋のまわりに木々を育てて、ぐるりと囲むのだと聞いたことがある。丹精込めて育てられた木々はやがて家屋敷や道路をも鬱蒼たる幹葉で包み込むほどになった。
このはな村は日本有数の火山密集地にあり、その大地も溶岩や火山灰からできている。度重なる噴火の影響で土の栄養が少なく、水はけも良すぎるので農作物は育てにくいとされてきた。それどころか木が自力で育つのも難しく、かつては手付かずの原野が広がるばかりのところだったという。
ましてこのあたりは、標高千三百メートルを超える高原地帯なので年間を通して気温が低く、それも植物が育ちにくい理由のひとつ。そしてこの雪も、冬を植物が乗り切る妨げとなっているのだろう。
荒れ果てた荒野の面影は、ときに沿道の木々の壁が途切れると顔を出す。
今でこそ畑や牧草地となった、広々とした平原。でもそれは真っ白な雪に覆われてい作物の育てようがない。
その向こうにそびえる山々も雪化粧をしていて、それらの多くは火山に分類される。
「あ、晴れてきましたね」
山の天気は変わりやすく、さっきまでの今にも降ってきそうな空模様だったのに、雲はどんどん薄れて、その切れ間から太陽が顔を出してくる。
「やばっ、スッピンだ、わたし」
楓さんは、慌ててポーチからクリームを取り出す。公共の場所で化粧なんて、と顔をしかめる人も世の中にはいるけど、日焼け止めなら容認されるだろう。
「すぐ焼けちゃうからねー、わたし。あっ、雪焼けをなめちゃいけないよ。照り返しでアゴから目の下まで真っ赤になるから」
と言いながら、楓さんは自分の顔から首筋にかけて、しっかりと日焼け止めを塗る。
「夏と同じくらい焼けるんですか?」
「うーん、焼け方が違う感じがする。夏よりタチが悪い焼け方するなー。沖縄とかだとキレイに焼けるイメージがあるけど」
「そうでも無いですよ。観光客でいきなりビーチに行って真っ赤に焼けちゃった人が病院に駆け込むみたいのよくあるんで」
日本一陽射しの強い県と呼ばれるところから来たからわかる。日焼けをなめてはいけない。
沖縄の高校を卒業して、内地の大学を進路に選んだ。どっちみち十八になったら独り立ちしなきゃならないなら、自分のやりたいことをしておきたい。
幸い下宿させてもらえる家がすぐ見つかり、今はそこに住まわせてもらっている。このはな村はそのご家族の出身地で、ぼくもその縁でこの村を何度か訪問している。
「はい、石川さんも」
楓さんは突然、余った日焼け止めクリームをぼくの頬になすりつけた。
「つめたっ!」
ぼくが思わず声を出すと、
「冷たいのがキモチいいんだよ? こういうのは。はい伸ばす伸ばす、ムラなくね。でないと白く残っちゃうから」
「ファンデの上からで大丈夫ですか?」
「んー、大丈夫じゃないかな? わたし、お化粧する時は元々UVカットファンデを使ってるからわかんないけど」
「夏はぼくもそっち使いますよ? 冬だから変えたんですけど、じゃあ今度から村に来る時は気をつけないとダメですね……」
「どうしました?」
楓さんが、ニヤニヤしながらぼくの顔を見つめている。
「あー。石川さんもコスメ使うんだな、って」
「使いますよ、そりゃあ、この歳になれば。えー何ですか? そのクスクス笑いは」
「んー? 石川さん、意外と乙女だなって」
「ええー? 今どき男子だって化粧するでしょ?」
「あーそっか」
楓さんは納得した顔をした。
でもそこに継ぎ足すようにひとこと、
「でも石川さんボーイッシュだから、そのイメージ無いんだなあ。『ぼく』って言うし」
「え、うん、まあ」
たぶん楓さんは、わざと言ってる。
分かってるはずなんだ。
女子が、ぼくって言っても、いいじゃないか。