その十六
後片付けも無事終了。しばし、みんなでおしゃべりしたり、ゲームをしたり、くつろぎのひと時が訪れる。
カーテンの合間からチラチラ見える漆黒の闇は、ここが人工の明かりに乏しい山奥だということを思い出させる。でも顔を近づけてよく目を凝らすと、うっすらと浮かび上がる白い地面。そして目が暗闇に慣れてくると姿を表す、あまりにもたくさんの星々。
とは言え、カーテンの間から顔を出して外を眺めていると強力な冷気に襲われる。寒冷地だから窓は二重、それでもなおガラスを通して冷たさは伝わってくる。それ故の分厚いカーテンでもあるわけで、
「ヒメちゃーん、寒いー。閉めてよー」
と、地元に住んで夜の寒さを実感している、嬬恋家の子どもたちから言われてしまうのだが。
星空の美しさでは沖縄のビーチも負けないと思うけど、白い雪の美しさは何にも変えがたい。青い海と輝く砂浜の美しさは沖縄の自慢かもしれないけれど、雪と競い合うようなものではない。世界が違うかのように、それぞれはそれぞれの美しさを存分に発揮している。
「真姫ちゃーん、星が見たいなら、そろそろ上にのぼる? あ、ほら、みーみーちゃん達も。もう遅い時間だよ?
真耶さんも、ぼくに移動を促してくる。そして真耶さんの上手いところは、双子の「みーみーちゃん」こと、珠美ちゃんと恵美ちゃんにも就寝の頃合いだと知らせるところ。
そして双子ちゃんたちも、
「はーい」
「はーい」
と素直にそれに従う。
嬬恋家は天狼神社のわきに建てられた西洋風建築で、外からだと二階建てに見える。嬬恋家の人々は主に一階をリビングとして、二階を家族それぞれの部屋として使用している。土地代なんてあってないような田舎の家なので、二階までだけでも四人家族には十分な広さがあるし、そこにぼくたち東京からやってきた客人が加わっても平気なキャパシティを持つ。
でも実は、この家には「三階」がある。
正確には、屋根裏部屋が。
二階の廊下から天井をオープンし、ハシゴのような階段を掛ける。
屋根裏の面白いところは、この隠し部屋的感覚だと思う。特に子どもにとって、こういうのは気分が盛り上がるものだ。
順番に階段を登ると、広々とした三角形の空間が広がる。普段ほとんど使っていない割にはきれいに保たれているし、柱や梁はあっても壁が無いので、開放的な気分になる。
圧迫感があまりないのは屋根裏の頂点が高いためでもある。これによって屋根の勾配が強くなり雪が自然落下する。その結果、贅沢なくらいの屋根裏スペースが出来上がった。
天井裏には裸足で歩けるほど丁寧に磨かれた床板が敷き詰められるなど、屋根裏と言いつつもしっかり整った部屋になっている。
「たまちゃん、ここに寝るー!」
「寝るー!」
双子の姉妹は早速、床に散りばめるように置かれたクッションやマットにダイブ。普段は安全のため、子どもだけでは屋根裏は使えない。久しぶりの入室にテンションが上がっている。
贅沢な空間の使い方だと思う。東京の嬬恋家はもとより、沖縄とて住宅面積は決して広いとは言えない。それを思うと、たまにしか使わない広大なスペースが隠し部屋のごとく存在するのだから。
ぼくたちも横になることにした。真耶さんが室内の明かりを消すと、しばし墨を流したような暗闇が目の前に広がるのだが、やがて目がそれに慣れてくると、人や物の姿が浮かび上がってくる。そして、
「真姫ちゃん、上、うえ見て」
という真耶さんの言葉に従ってみると、
「あ、わ、うわあ……」
そこには、星の天井が広がっている。
この家は外からだと二階建てに見えるが、とんがり屋根の部分がぼくたちの居る屋根裏部屋。つまり、そのとんがり屋根から突き出たヨーロッパの古民家をイメージした出窓は屋根裏部屋のためにあり、縦長の窓からは、溢れんばかりの星の粒が見える。
さらに明かり取りとして、屋根部分にもガラスがはめ込まれており、夜になるとそこは星を散りばめたキャンバスとなる。
ぼくたちは、まさにそのキャンバスの下に寝転がって天体観測が出来るというわけだ。ランダムに置かれたクッションやマットは横になるにちょうど良い。
(きれい……)
と思いつつも、思わず別の言葉が口にでてしまった。
「もったいない……」
こんな素晴らしいくう空間を、年に数回しか使わないというぜいたく。せっかくだから、もっと活用すればいいのにという本音が、つい。
すると、
「うん、気持ちわかるよ。でもここは、サンシツをイメージして作ったお部屋だから」
真耶さんが、ぼくにそう言いながら、真っ白なクッションを撫でながら、
「このクッションも、おカイコさまのイメージだし」
と、丁寧に説明をしてくれた。
だがいかんせん、ぼくには理解しきれなかった。聞き慣れない単語が含まれていたから。
そのためキョトンとしていた顔が星屑の輝きとそれを反射する雪あかり、それは本当にわずかな光量なのだけど、照らされて浮かび上がったことに真耶さんと花耶さんは気づいてくれた。
かつて関東から中部地方にかけては養蚕が盛んな地域だった。ことに幕末の開港を機に、横浜港を経て絹を輸出するには地の利があったことだろう。
養蚕農家は、ガの幼虫である蚕を育てる。蚕は成長の段階で繭のなかに自ら閉じこもるのだが、この繭からとった生糸をもとに絹織物が作られる。言うまでもなく絹は最高級の布地だから、農家にとって蚕は有り難い存在であった。
蚕はデリケートな生き物。育てるのは屋内、それも広い面積が良いとされる。養蚕のさかんな地域では、自宅の上階を蚕の育成目的に特化した家屋がみられ、なかには三階建ての上部二階をそっくり蚕室としている大規模経営もみられた。
もちろんそれを維持するコストは大きく、それに足る現金収入を得られるからこその投資でもある。蚕は富をもたらす有益な昆虫であり、人々は「お蚕様」と呼んで有り難がった。
このはな村は極端な気候であったので養蚕には向かなかったとされるが、養蚕とは生き物の命と引き換えに美しい生糸という商品を頂戴する産業でもある。人間様の都合で失われたいのちに感謝してその魂をお祀りすることは日本では当たり前で、生糸の産地から近く、かつその地域からも信仰をあつめていた天狼神社がそれを請け負うのは自然なことであった。
「だから、せっかく屋根裏部屋を作るなら本邦における蚕の宗教的位置付けにのっとり、産業の欧米化と近世日本の伝統的生命観ならびに宗教観との折り合いをどうつけてきたのかを具現化するような意匠や調度品を散りばめることで、近代日本の第一次および第二次産業のたどった履歴を体現することが可能ではないかと」
途中から話を引き取った花耶さんが、なぜ蚕の部屋をモデルに設計したのかを解説してくれた。
花耶さんは見かけの幼さとは裏腹に、そんじょそこらの大人顔負けの明晰な頭脳を持つ。だから外見とは似合わない難しい話を日常会話に当たり前のように持ち込む。もっとも、ぼくたちがそれを理解してくれると思うからそうしているのだろうけど。
いずれにせよ、養蚕で命を落とした蚕の供養に天狼神社が関係していたこと、そして養蚕がこの地域の基幹産業であったことのシンボルとしてこの部屋を作ったというのはよく理解できた。
花耶さんは、最後にこう付け加えた。
「それに、お蚕様の部屋に神使様、ってなんかお似合いな感じするでしょ?」




