その16
「戻せ!」
サラサは、周囲の気持ちなどお構いなしに、自分の仕事に集中した。
「戻せ!」
バンデリックは、サラサの命令を復唱した。
命令と同時に、乗組員達はそれを実行しているのだが、やはり、サラサとバンデリックには、反応が遅いと感じていた。
少なくとも、ワンテンポは遅い。
(これが、致命的にならなければいいが……)
副官バンデリックとしては、そう悲観的な考えにならざるを得なかった。
無論、口には出さないではいるが……。
それでも、商船は、敵艦と一番距離が取れる進路に変更できていた。
そして、嵐にまともに突っ込む進路を取っていた。
とは言え、事ここに至っては、回避行動をしても、嵐の中に取り込まれるのは確実だった。
要するに、今は、どれだけ嵐の中にいる時間を狭められるかの行動のみが可能という状況だった。
(危ないと感じて、引いてくれるといいのだが……)
バンデリックは、後方の敵艦を感じながらそう思った。
ばっしゃん、ばっしゃん、どっかーん!
バンデリックの思いとは裏腹に、3射目があった。
1,2射目に比べると、明らかに後方に着弾した。
(逃げられそうだな……。
とは言え、逃れられたとしても、嵐の中に飛び込むのは、ねぇ……)
バンデリックは、先の事を考えながらサラサをふと見た。
(ん?)
バンデリックは、サラサを見て、違和感を感じた。
サラサの表情、佇まいは、砲撃を受けている中、全く変わってはいなかった。
だが、バンデリックのみが感じる空気がある。
未だに最高の警戒態勢を敷いており、その先の事は全く考えていないようだった。
そう、バンデリックとの認識の差が現れていた。
(何か、見落としてか……)
バンデリックが、そう不安に思った。
ばっしゃん、どん、バキバキ、どっかーん!
ぐらぐら、ばっき、ばっき!!
敵の4射目(?)が、直撃した音だった。
船体は大きく揺さぶられ、ほとんどの乗組員達が投げ出されていた。
中でも、サラサがいた位置が一番揺さぶられたらしく、珍しく甲板に叩き付けられていた。
「くっ……」
サラサは、あまりの激痛に声も上げられないでいた。
と同時に、激痛により身体が痺れて、起き上がれなかった。
ぎぃぎぃ、ひゅーん。
そこに、大きな音を立てて、マストが倒れてきた。
砲弾は、マストに直撃していたのだった。
「閣下!!」
同じく甲板に叩き付けられていた船長は、叫び声を上げるだけで、身動きが取れなかった。
(あ、死んだ……)
動けないサラサは、まるで他人事のように、倒れてくるマストを見ていた。
こういう反応をしてしまうところは、サラサの残念なところだった。
普通は、叫んだり、足掻いたりするするものである。
ガッシャーン、バキバキ!!
メインマストは、物理法則に従って、そのまま甲板を直撃し、バウンドした後、船の縁を破壊した。
そして、その甲板にはぺしゃんこになったサラサが残されてはいなかった。
「ちょっと、バンデリック、大丈夫!!」
サラサは、人生で一番焦り、驚愕して叫んでいた。
マストに潰される前に、バンデリックがサラサを逃したのだった。
その代償として、マストの下敷きになったのはバンデリックだった。
「返事をしなさい、バンデリック!!」
サラサは、動けない肢体を無理矢理に動かしながら、半狂乱に陥っていた。
「……」
バンデリックは、何の反応も出来なかった。
辛うじて、自分に息がある事を自覚していた。
だが、身体を動かすどころか、声さえも出せなかった。
眼球も動かず、周辺視野でサラサが無事である事を確認しようとしていた。
(声が聞こえるという事は、お嬢様は無事だな……、良かった……)
バンデリックは、妙な満足感に満ちていた。
ばっしゃん、グラグラ!!
縁に辛うじて引っ掛かっていたメインマストは、海面へと落下した。
その衝撃で、船体は激しく揺さぶられた。
そして、バンデリックは、その衝撃で、甲板を滑り落ちていき、海面へと落下していった。
(どうか、お嬢様、ご無事で……)
バンデリックは、サラサを助けた満足感に満ちていた。




