その5
クラセックは、法国の港町デウェルにいた。
リ・リラの王太女宣誓式以来、デウェルはリーラン王国の主導の下、貿易港としての整備が急速に進んでいた。
エリオが公爵位に就いた時から、働きかけを行っていたので、それが実を結びつつあった。
クラセックは、そんな港の桟橋を自分の船に乗り込むために歩いていた。
(公爵閣下は、相変わらず何を考えているのやら……)
クラセックは、頭痛の種を思い浮かべていた。
貿易に関する報告書にクラセックも大きく関わっていた。
当事者であり、飯の種にしているので、当然といえば当然である。
報告書を取り纏めるに当たって、予想していたとおり酷い数字が出てきていた。
統計に必要なデータを集めている前から、酷い数字を予想していたので、予想以前の問題だったのかも知れない。
参入して10年に満たない商人軍団と、世紀単位で地位を積み上げてきた商人軍団では、信用という面では、全く勝負にならなかった。
それが数字で、現実を突き付けられていた。
商人にとって、神聖不可侵の存在は数字と契約である。
それらによって、どんな感情や努力があったとしても、そんなものは簡単に吹き飛ばされてしまうのである。
なので、エリオからは、当然叱咤なり、激励なり、注意なり、提案なり、その他、何でもいいから何かある筈だと身構えていた。
それが、何もなかった。
報告書に対して、ただ受領したという返事しかなかった。
それに対して、クラセックを始め、商人達はどういうリアクションを取っていいか分からなかった。
(まだ、ダイジェスト版だからか、それとも、我々に対して、期待など全くしていないという所か……)
クラセックは、溜息を吐きながら、落胆する他なかった。
自分としては、頑張ってきたつもりである。
それを評価されないのは、結構辛いものがある。
とは言え、数字が示していた。
エリオが求めている事は、この程度の事ではないと言う事も。
(確かに、公爵閣下が求めている結果とは程遠いな……)
クラセックは、そう考え直した。
そう考えると、益々落ち込んでくる。
訳ではなかった。
逆に、見返してやろうという気持ちが大きくなっていった。
商人向きの性格である。
商売で成功する人間は、現状を正確に把握し、それをどうやって打開していこうかという人間だけである。
(まずは、現状維持だな。
ただし、スピードアップ出来るところはしないとならないな)
クラセックは、現在のデウェルの貿易港化計画をしっかりやり抜こうと決心していた。
儲けを飛躍的に向上させるためには、強力な根拠地が必要である。
その為の方策を、エリオがクラセックに授けていた。
少なくとも、クラセックはそう解釈していた。
何だか、いつも微妙にずれているエリオとクラセックの関係ではある。
だが、うまく商売に結びつこうとしているので良しなのだろう。
利益は上がっていないが、見通しはそんなに暗いものではない。
しょんぼりしたり、決意を固めたりしているクラセックはふと立ち止まった。
一見、特徴のない3人の船員が横を通り過ぎたからだ。
クラセックは慌てて、振り返った。
そして、3人の行方を追った。
(なんだろうか?)
クラセックは、何で立ち止まって、3人を追ったのか、自分でも不思議だった。
長年商人をやっている人間のカンなのだろう。
3人のうち、1人はともかく、他の2人は商人のような格好をしている人間だと思えてならなかった。
だから、何だという事ではなかった。
(商人に偽装しているような人間は意外と多い)
クラセックは、そう思い直した。
それに、特に危険性を感じた訳ではなかった。
なので、3人を目で追うのを止めて、再び自分の船に向かって歩き出した。
だが、視線の先に、3人が乗ってきたと思われる船が見えた。
(あれは、確か、バルディオン王国からの商船……)
クラセックは、そう思いながら、その横を通り過ぎていった。
何か、引っ掛かるが、言葉が思い浮かばなかった。
ただ、自分が与り知らないところで、何かが動いているような気がしてならなかった。




